無窮〜第3章〜
目を覚ます。とても静かな目覚めだった。
最近、すぅと目覚めるのは久しぶりな事だった。
布団で、横になっていても窓から差し込む朝日が眩しいのは分かる。布団の中で、何回か寝返りを打つ。
「まだ、目覚ましなってない。今、何時なんだろう」寝返りを打ったタイミングで、サイドテーブルに置かれている目覚まし時計に目が行く。5時45分だった。普段起きる時間は、6時。少し早い寝起きだった。
そして、急に軽い目眩がする。
昨日は何が起きたんだっけ?仕事の合間の移動で倒れて、病院に運ばれて、医者に釘を刺されて会社からは、直帰して構わないと言われ、謝罪のメールを返して、御言葉に甘えて帰宅して……
「あっ……あっ……あっっああああ……玄関に玄関に‼︎」言ったと同時にベットから身体をスライドする様に落としながら床に着地したら、勢いよくリビングのゴミ箱にダッシュする。兎の様な瞬発力を発揮した。
2LDKの我が家が、その時は広く感じた。
冷や汗しか出なくなっていた。フラッシュバックの様な、昨日の記憶の断片図が私の頭の中で繰り返される。玄関扉に真っ黒な手紙が沢山‼︎沢山。
ゴミ箱に走って到着するとゴミ箱から溢れる様に、その禍々しい物は私を待っていたかの様にいた。
悪意の化身である、黒い封筒が。
基本的に、私の部屋は白い色で統一しているインテリアである。真っ白なカーテン、真っ白なテーブル、真っ白な椅子、真っ白なカーペット、真っ白なゴミ箱と……昔から黒い色が苦手だったのもある。真っ白な世界だと自然と落ち着ける。その影響だった。その私の平穏を壊す物が私の世界で、黒い禍々しい異色な存在感を放っていた。そこから、違う世界に私を引き込もうとする様に。
恐る恐る手前にある封筒を取ってみる。やはり、昨日玄関扉前で開けた便箋の内容と一緒であった。『死』と『死ね』と『怨』どうやら、二通しか開けてないが貼られていた封筒全部内容は同じだったと推測される。
「気持ち悪い」一般的な人生を今まで生きて来たつもりである。誰かに怨まれたり妬まれたりする人生とは縁遠っかと思えるぐらいに、平凡な人生を過ごしてきていた。だからこそ、何で?答えを求めながら、虚しい言葉を吐き出す。
寝起きから朦朧とする中で、考え事をした結果なのだろうか?吐き気に襲われた。トイレに駆け込む。
普段から、食事を摂って無かった為か吐ける物が無かった胃酸しか出なかった。吐いた事により、身体の疲労が寝起きの2倍に膨れたのが自分でも分かる。
正直、こんな状態で仕事なんか出来る訳が無かった。
黒い封筒を強く手で握り締めた後に、ゴミ箱に投げ捨てる。
そのまま、自分のスマホを探しに部屋を歩く。もぅフラフラだった。
スマホは、仕事用の鞄の中に入っていた。充電するのを忘れていたが、何とか電池は58%。
ベットにスマホを持ちながら移動をする。
今日出勤するのが難しい体調だと連絡入れないとならない。身体の調子が悪い事を理由にすれば、情状酌量の余地はあるだろう。
少しして、上司から今日は休む様にとメールが返ってきた。少し安堵感を得た。
「でも、仕事に穴をあけてしまった先日の謝罪に赴いた会社との繋ぎ連絡済ませてないし」罪悪感に見舞われた。
色々な考えが交差する中、私はベットの中で深い眠りにつく。
起きたら、お昼を過ぎていた。
「ピンポン、ピンポン、ピンポン」連続して鳴るチャイムに安らかな睡眠が妨げられた。
「何?届け物とか頼んで無いのに」苛立ちを隠せないで、ベットから身を起こす。
「ピンポン、ピンポン、ピンポン」鳴り止まないチャイム。
パジャマ姿だった為に、上に羽織る物を探してインターホンに出てみる。
大家さんだった。普段温厚な大家さんが、インターホン越しでも分かる苛立ちの表情。何かが変。体調が優れない私でも察せられる。
「ちょっと、待って下さい」声が裏返ってしまった。
玄関を開けてみる
「はい」
大家さんは、私が平日この時間帯に家にいる事には眼中入れてない雰囲気でマシンガンに喋り出す。
「あのね、こんな事言いたく無いだけど、このマンションに住んでる住人全員宛に真っ黒な手紙が投函されていてね、便箋の中身を私も見たけど、死だの、怨だの、最後には貴方の名前が書かれていて、こいつに制裁をとか、危ない内容の手紙が届いてるし、貴方何か身に覚えは無いの?こんな事が続く様なら警察にも入って貰ったり、色々と面倒な事になるけど」大家さんの顔に、迷惑なんだよって露骨な顔をされてしまった。
私は、警察に相談した事。でも、警察が取り合ってくれなかった事。全てを話した。
「貴方も、警察に相談しているなら、こちらでも何かしらの対処はするわね」私も私で、苦渋の顔だったのを大家さんも察してくれたかの様な言葉に少し安心した。
「ここのマンション、オートロックですが防犯カメラとか設置してますか?」気になったので、聞いてみた。
「防犯カメラはオートロックのエントランスに一台あるけど、それ以上は増やせそうも無いわね」大きな溜め息で無理な物は無理と言われた様に感じた。
「最近の御時世、防犯カメラを増やしたいと言っても、プライバシーの侵害とか言われる始末だし実際」
確かにプライバシー問題もあるが、そんな悠長な事を言ってられないと自然と心の中が煮え滾るのが自分でも分かった。
大家さんも、こんな面倒な入居者がいるのが面倒だからこそ、言いに来たのであろう。
「私の方でも、打てる対策はしますので今回御迷惑お掛けしてすいません」と頭を下げた。
その姿勢に、大家さんも哀れに思ったのか?
「何かあれば言ってね」と去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、足元にある封筒を見た。
紫の封筒だった。その封筒を取り、静かに家に戻る。緊張感から、疲労感が3倍になった瞬間だった。
リビングの椅子に掛けて、紫の封筒を開けてみる。
「黒い封筒が君に届いたはずだが、打てる対処は打つべきだと警告をさせてもらう。監視カメラが却下された様だったが、個人で設置出来る監視カメラなど、家電量販店などで買える物もある。警察に相談しても又パトロールを増やしますと返されるだけだ。黒い封筒の送り主の人間は、君を殺したいぐらいに憎んでいる。私は、君の死を望んでないからこそ、この連絡手段で君の危険を再度警告する。油断しては、ダメだ」こんな文面が紫の手紙の送り主【擁護者】からの手紙だった。
【擁護者】は名前の通り、私を気にかけてくれてる。封筒を送ってくる人物全員が私を敵視している訳では無かった様だ。
「はぁ……」言葉に表すのには、凄く難しい気持ちの溜め息しか出なった。主成分が脱力感と言うか、何と言うか
ここで、ふと思った。【擁護者】からの、手紙に記載されている事に疑問を感じた。
監視カメラが大家さんに却下されたのは、つい先程の話である。
だが、この手紙には監視カメラが却下されたと書かれている。現実的に無理な話だ。この手紙の内容を書くには。
何処かで見たり、聞いていたりしても書いて私が取るまでの間に置く事は実際問題不可能だ。
何故なら、大家さんからのチャイムで玄関を開けた時に、足元にある手紙を気付かずに、思わず足で踏んでいたからだ。私が。
大家さんとの話をしている間、その手紙は見事に私の右脚に踏まれていた。
その事実を考えてみると、明らかに何かがオカシイ。足元から、鳥肌が立ったのが分かった。足元から頭の先に向けて雷でも受けた様な勢いで。
【擁護者】からの手紙には、自分で打てる術は打つべきだと書かれていた。
つい先日、テレビのCMに家庭に置ける簡易的な防犯カメラの商品を宣伝するのを見たのを思い出した。
今、自分が置かれてる状況を考えたら打てる術は打つべきだ。その帰り道に、警察にも行こう。
最近引っ越しをしたばかりで、直ぐに他の自分の条件に合う物件が見つかるかも分からないし。引っ越しをしたからと言って、見逃してくれる人物とも思えなかった。私を四六時中監視又は、見ている人間が3人はいるのだから。
家電量販店に行ったら、何とか私でも手を出せる価格の防犯カメラが売っていた。
商品名は『リトルモンスター』店員の説明では、家庭で設置出来る商品の中で今一番売れてる商品らしい。モニター付き。小型で軽量。録画機能も従来の商品より長く。深夜等の監視もナイトビジョンで鮮明に写してくれるらしい。
その言葉を信じて、40,000円を支払った。正直高い出費だった。でも、安心は早急に欲しかった。
どんどん自分の平常心が乱れて行く。精神状態も劣悪になって行くばかりだった。
買い物を済ませて、家電量販店を出たのは夕方近かった。
「ジリジリ、ミンミン、ジリジリ、ミンミン」と蝉が煩い中、炎天下の道を警察署に向けて歩く。
家電量販店の中は、冷房が効いてた分外の暑さは地獄だった。額から汗が引かない。
そんな中、警察署に寄って前回と同様なマンネリな回答を得る。
「そりゃ、ストーカーだなぁ。巡回は増やしてるんだけどなぁ。防犯カメラも買った様だし、これ以上酷くなる様なら遠慮無く警察に電話して欲しい」
正直、家電量販店程の冷房が警察署では効いてなかった分、私にはジメジメとしている空気の中で刑事の話を聞いてた。
そして、刑事の暑いだよなぁとシャツを緩める動作が私には、深刻に受け止めてくれてないと感じられた。
陸の孤島にいる気分だった。
頼れるのは、この監視カメラと自分だけだと思うぐらいに。
何とか気力で帰った。エントランスですれ違った住人に、白い目で見られてる様だったが、気にしていなかった。
ただ、監視カメラを付けて私を見張る人物が誰なのか?それを知りたかった。今まで、見えてないからこその恐怖感はあった。漠然とした不安感に蝕まれる生活は真っ平だった。
さすがに、家庭用だけはある。玄関扉の外側に一ヶ所カメラを設置した。封筒を送ってくる人物の特定用にだ。
後、もぅ一つカメラを設置出来るので寝室に設置してみた。さすがに、寝起きする場所で何かあったら生理的に無理だったからだ。
その設置が済んだ所でコンビニのお弁当を胃の中に流し込む。久しぶりに、満足な食べ物を食べた様だった。
「ざるそばって、こんなに美味しかったんだ」自然と落ち着ける一瞬だった。
そこからは、布団に駆け込み疲れた身体を休ませる事に集中しようと、ただ目を瞑る。
「きっと大丈夫。これで大丈夫」
自分に暗示を掛けるかの様に何度も何度も呟く。
ふっと身体の力が抜けて、私の見えてる世界が真っ暗になり、私は眠った。
明日こそは、平穏な日常が過ごせると願い、私は静かに眠る。
深い眠りについてる深夜のマンションの廊下で蛍光灯に照らされながら、黒い何かががユラリと歩く。
ユラリ、ユラリと静かに。
その黒い何かが、玄関ポストに近づくのを小型監視カメラはただ静かに見ていた。その黒い何かを冷たい眼差しで見ていた。