二題噺 マンガと白髪
ピンク色の背表紙が立ち並ぶ空間で、その存在はまさに異質でした。
まず目についたのはその白髪。もうだいぶ薄くなっていらっしゃるのですが、
パーマがかっていてなんだかふかふかしていそう。とても可愛らしいものであります。
ご老人は書棚に向かっていましたので、そのお顔は横顔しか拝見できませんが、70歳前後でしょうか。
背筋はまっすぐに伸びていて、その所作の一つ一つが上品でありました。
そのご老人が、少女マンガコーナーで、一冊一冊の背表紙に指を当て、老眼鏡を駆使して熱心にタイトルを読み取っていらっしゃるのです。
なんとも不思議な光景でありました。お孫さんへのプレゼントか何かなのでしょうか。
「なにかお探しですか?」
たまらず私は声をかけてしまいました。親切心よりも好奇心が勝っていたことは認めざるを得ません。
ご老人はこちらへ振り返り、ゆっくりとした口調で話しました。
「いやね、少女マンガをね、探しているのですよ。」
「なんというタイトルかご存知ですか?」
ご老人はあるタイトルをおっしゃいました。
それはタイトルからしていかがわしい、いわゆるBLマンガというものでした。
お上品なご老人の口から、そのようななんとも恥ずかしいタイトルが飛び出してくるだなんて思いも寄りません。
彼にこのような辱めを受けさせたのがお孫さんだというのなら、それはなんとも許しがたいことです。
そのような娘は腐女子の風上にもおけない。失格だと言わざるを得ないでしょう。恥知らず。
そんなふうに見ず知らずのお孫さんを勝手に断罪しつつ、私は言うのです。
「それならこちらですよ。…ほら、これです。」
知っているのだから教えてあげないのは意地悪というものでしょう。
ご老人を、男2人が絡みあういかがわしい表紙ばかり並ぶコーナーへと案内しました。
このコーナーなら、目をつむってでも辿り着けるというものです。
「ああ、ありがとう。助かりました。」
「いえ、とんでもない。では私はこれで。」
深々と頭を下げるご老人に恐縮しながら、私はその場を離れました。
私もそのコーナーに用があったわけですが、さすがにあのご老人の前で、ディスプレイされた表紙に鼻息を荒くしているのを見られたくはありません。
私はお孫さんと違い、恥を知る腐女子なのです。
少し離れて振り返ると、ご老人は出口へと歩いて行かれるところでした。
奇妙なご老人に出会ってから1週間ほどたったでしょうか。
私はこの春入学した北海大学の文学部生として、講義室の席に座っています。
今日は、私が入学以来最も楽しみにしていた講義が開かれるのです。
どのような授業となるのでしょうか。気分が高揚します。
始業時間となり、ドアが開いて教授がお入りになられました。
70歳前後でしょうか。背筋はまっすぐに伸びていて、所作の一つ一つが上品です。
教壇へ登った教授は、ゆっくりとした口調で話し始めました。
そこで、なるほど、ようやく私は合点したのです。
「ええ、では、『少女漫画を文学する』ということで。始めます。』
教授の小脇には、見覚えのあるマンガが抱えられていたのでした。