冒険物をちょこっと テスト
前章 日本
子供の頃は、近所だって冒険の海だった。
未知の危険に遭遇し、禁断の場所へ進む緊張感、度重なる罠を抜けて、ライバル達を出し抜き、その先にある財宝を見つける。
でも子供から少年になれば、未知の危険はただの犬、禁断の場所はおっさんの土地、度重なる警護システムを見て、付いてくる友達はいなくなった。ビンの蓋やお菓子のおまけなど、今となってはゴミに等しい。
ならば、少年になった人間に冒険は無いのだろうか。
否、今でも多くの古代文明や、未知なる力がこの地球に敷き詰められている。
たとえば、未だ発見されていない動物が世界に九割いると言う事実もその一端かもしれない。
知っているだろうか、たとえ遠くでなくても、冒険は出来る。
多くの人間が、日本各地は調べつくされたと考える。だが、もし君が冒険の舞台を外国にしかないと、遠いものと考えるのは間違いだ。
日本にだって、冒険するべき舞台がいくつもある。
今だって邪馬台国はどこにあるのかもわからず、徳川家康がUFOと交信していないと言う決定的な証拠は無い。
誰の近くにも、もしかしたら君のすぐ隣の目と鼻の先にも、未知の冒険が待っている可能性があるのだ。
リスクは大きく、失敗も多い。大人になるたび失敗は鳴りを潜め、リスクを求めなくなる。
それも人生だ。
でも、ふとしたときに思い出して欲しい。目に見えた景色、初めて使った自動販売機、物事を記憶し言葉を喋れるようになったとき、君は冒険をしていた。
どこか身近に感じる場所に、誰にも知られていない何かがあるのかもしれない。何も、見つからないかもしれない。
見つからなければ、それは君の負けだ、だがめげるなよ。
本編 もし玉手箱が現代にあったとして
千葉県九十九里ビーチラインの中間、家の合間に、道路から隠れるようにして、一つのマンホールがある。
硬く閉じられているはずのマンホールは、夏休み間近の七月三日日曜、その日の昼頃にだけ不自然に開かれていた。
マンホールの穴を潜ると、人が通れる狭い通路の下水道が延々と続く。その先をまず右へ、三度左へ曲がり、もう一度右に曲がる。徒歩三十分ほどかかるその距離を延々と進むと、ピッケルでこじ開けられたような、横穴が見えた。
その横穴の内部には、人口の壁がある。中は広く、天井は三メートル以上。誰が作ったのかもわからない建造物だ。天井からひたひたと水滴を落として、奥から不思議な風を吹いている。
奥へ奥へと進むと、誰もいないはずの洞窟に、自然のリズムを崩す音がする。
ありえないはずの場所に、あり得ない生物の足音。きっとそこに人がいれば、自分のものより多い足音に目を開くだろう。
その足音は、先へ進んだ曲がり角で、途端に大きくなる。
ひた、ひたと曲がり角の先にあったものは――
「臭いっ」
一人の、少年だった。
年は十代後半ほどだろうか、長くたらした前髪に、線の細そうな顔、体系は中肉中背の少年が、懐中電灯を照らして、立ち込める下水のにおいに顔をしかめていた。
少年の服装は黒いズボンに白いワイシャツ。背負っている中身スカスカなリュックを除けば予想以上に普通な人間だった。
そして、その背後には――
「ワァオ!」
少年を背後から大声を上げる、青年がいた。
年は二十代の中ごろ。無造作にまとめられた髪型はお洒落なのか何もしていないのか判断がつかない。その中を覗く顔は精悍の一言で、加えて身長もゆうに一八〇を越えている。
青年は時代遅れのテンガロンハットのつばを指で叩いて、カーボゥイ調の服装を見せ付ける。腰には鞭もついている。
「脅かさないでくれよ、先生。子供じゃないんだから」
少年は驚きからびくりと肩を震わせて、嫌そうな顔で青年に抗議した。
「冒険のときはレスターと呼んでもいいのだよ山下助手。それにこの下水、まさに冒険の匂いだと思わないかね?」
「空気を袋に入れて持って帰れば、家の中で冒険できるね」
叫び声のお返しと言わんばかりに、山下と呼ばれた少年は懐中電灯をレスターと名乗る男の目に当てる。
レスターは瞬きを何度もして、しかし目を逸らさず、豪快に笑う。
「一つの場所にこだわっては冒険ではないのだよ、遠慮させてもらう」
「仮にも洞窟なんだから、静かにしたほうが良いですよ」
「それはもっともな意見だぁ……」
とたんレスターの声が静かになる。
マンホールを抜けた、下水の地下にあった洞窟で、二人は冒険をしていた。
「本当に、九十九里にこんな洞窟があるなんて、どこで知ったんですか?」
「噂サイトで聞いた」
「根拠も無くて下水以上に嘘臭いです」
「もちろん嘘だ」
レスターがにやりと笑う。
山下はそれを見て、やっぱりと溜息をついた。
「真実とは教えられたとたんにとてもつまらないものになる。教えはない、探求するのだ。まだサンタを信じている子供に、クリスマスプレゼントの中身を教えてはいけないのだ。君自身がサンタの正体を探求するその瞬間こそ、それは冒険と言える」
レスターが長々と山下に言って見せ、すごく得意げな顔で鼻息を鳴らした。何人もの女性を虜にしてきた、魔性の顔だった。
「済ました顔しないでください、殴っていいですか?」
「殴ってみたまえ、殴り返してみせる」
それからは無視して、山下は洞窟を先導する。
洞窟には海からの水だろうか、床が浸っている。湿った足音を立てながら、その人口で出来た洞窟内をわたる。
「この洞窟は元々平安時代、十世紀初頭に開発されたものだ。当時の技術でこれだけの穴と地下施設をどうやって作ったのかは知られていない。だが確かなのは、この洞窟の先に、ある者が残した秘宝が眠っていると言うことだ」
「漠然としてますね。ある秘宝とか、そんな眉唾物を探して見つける先生も先生ですが、その秘宝は今現在でも価値があるものなのですか?」
何が埋まっているなどと聞いても、レスターは教えてくれないのを山下は知っていた。なら今聞くべきなのは、その宝の価値だった。
「自分が価値の無いもののためにここまでくると思うかね?」
さも当たり前と言わんばかりに、堂々とレスターは言った。
レスターの冒険は手段であり、目的はその先にある宝だ。
齢二十を越えていてもなお、彼の中にはファンタジーの世界を求め続けている。
「自分、レスターの行動原理は、レスターのために他ならない」
「そうでしたね……その台詞、何度も聞いたことあります」
ふと、前方を照らしていたライトに、光を反射させる何かが写った。山下が疑問に思い首を伸ばし、レスターもそれに倣う。
「これは水溜り……ですかね?」
「おそらくそうだ。海が近いのをいいことに、水が壁を穿ってここまで浸入したと見える」
水溜りが、道の三メートル程を埋めて、辺りを濁った土気色で染めている。
「なに、山下。気にせず進むといい」
「はぁ」
山下は疑問に思いつつも、水溜りで引き返す気などさらさらなく、先へ進む。ぴちゃぴちゃと、山下は水面を歩き――
どぼんと、落ちた。
「ぉうお!」
山下は何が起きたのかわからず、全身でもがく。
レスターは水溜りに吸い込まれるようにして消えていく山下をみてから、山下のいた場所の手前でしゃがんで待った。
「ぷはぁ!」
暫くすると、全身を濡らした山下が、水面に上がってきた。
バタ足で水面を泳ぎ、レスターの隣にある足場を支えにして立ち泳ぎしている。
「ふむ、そこだけ穴があるな。ここは染み込んで溜まったのではなく、海水が穴を通り、そのままこの洞窟にまで流れているのだろう」
「なんか、冷たいです」
「大丈夫、すぐ乾くさ」
「なら先生も入ってください」
山下が言うと、レスターは二・三歩下がって断ると言う。引き下がったのは、おそらく山下に引きずり込まれないようにするためだろう。
「懐中電灯、防水にしてよかったですよ」
山下は引きずり込むのを諦めて、洞窟の奥、水面の途切れる場所まで泳いだ。
レスターは助走をつけて、幅二メートルの深い水面だけ飛び越える。
「水も滴るいい男じゃないか」
「含んだ水が多すぎる。俺だけなのが不公平です」
山下は文句を言うも、面倒くさそうに先に進んだ。
レスターも心配などまったくせず、どちらかといえば穴に心を寄せている。
「あれはもしかしたら、元々は落とし穴だったのかもしれないな。その空洞が海水か下水とつながり、落とし穴として機能しなくなったと」
「ということは、この洞窟は罠ありですか」
「そういうことだ」
水溜りを抜けると、今度は洞窟の床に人工的なタイルが敷かれていた。
「待て」
歩いていると、レスターが右手で遮って山下を下がらせる。
そして、長期戦を見越して持ち込んだ杖を、前方の床に、思いっきり押し当てて、
「ここからは、自分が先を歩こう。おそらく最初にあの横穴を掘った人物はこれにやられた」
すぱんと小気味のいい音を立てて、天井からギロチンが落ちてきた。
山下はそのギロチンを手で触れて、切れ味がおちていないことを確認。
「ギロチンって、もっと先に生まれた技術ですよね」
「厳密には一七九二年、フランスが原産だ。これ一つで日本史の論文が作れそうだな、山下はそっちで有名になるか?」
「遠慮しときます。まだ高校生なんで」
二人で順番にギロチンの上を跨ぐ。通路には連続して三つのギロチンが仕掛けられていた。その間、足元を黒光りする虫が何匹か通ったのも確認する。
「ゴキブリがいますね」
「水があれば生きられるからな、会う確率を下げたいのなら北海道限定の冒険家になるといい」
ゴキブリとすれ違い、一度大きな部屋を抜けて、警戒しながら奥へ進むと、ようやく目的のものが見つかった。
「あれだ」
レスターが指差す先に、また部屋があった。扉を開くと、正面に槍が飛んできたので仲良く回避。その先にある宝を、二人で覗き込む。
「箱……ですか?」
「そう、あの箱だ」
部屋の中心、そこに柱が一本立ち、その柱の中心に穴が開いている。そこには黒くて何か金色のまだら模様が施された、立派な箱が合った。
「ほら見るんだ。柱にある箱を外すと、箱で支えていた柱が崩れる仕組みになっている。自分たちのような愚か者を、この場所ごと殺そうと言う算段だろう」
「どうやって取るんですか?」
「簡単だ、持ってきた杖がある。それで柱のつっかえ代わりにすればいいのだ」
レスターは手招きしながら、ゆっくりと部屋の中に入る。
山下はレスターの足跡をたどり、罠を踏まないように蟹股で歩く。
二人が部屋の中心にある柱を左右囲み、準備は完了した。
頷き合い、まずレスターが杖を丁度いい形にまで折って、三本のつっかえ棒を作る。箱が支えているであろう場所にまず二つ乗せて、山下に視線を向ける。
「いきます、外しますよ」
「いつでもこいっ、せーのっ!」
山下はゆっくりとゆっくりと、ゆっくりと箱を引っ張って外していく。裏側から、同じようにゆっくりとレスターが棒を入れる。
半分まで外れると、一度大きく息を吸い込んで、山下は一気に箱を抜いた。すぐさまレスターもそれに対応して、棒を引っ掛ける。
「……成功だ」
「……思っていたより、緊張しました」
山下が大きく息を吐く。
レスターはさも当然とばかりに、鼻を鳴らして胸を張る。
「こんなもの、理屈がわかっていれば現代では敵にもならん」
レスターがかぶりを振り、自分の施した柱に顔を近づける。そこで少し、沈黙が降りた。
「そうですよね、所詮は平安時代の産物ですかね」
山下もそういって、柱を覗き込む。何かに気づき、更なる沈黙が部屋を包んだ。
「……山下」
「……はい」
「これはな、柱を支えていたのではなくて、柱の下にあった台座を崩さなければ、反応しない仕組みになっている」
「はい」
山下は答える。ものすごく青い顔をして答える。
ビキビキと、柱を構成していた石が、外れていく。
レスターは走った。
「走れ!」
「自分だけ走ってから言わないでください!」
一歩遅れて、山下も逃げる。
部屋の罠が反応して、矢が飛び交う。レスターの脚力は矢が通るよりも先に走りぬき、矢が通り過ぎ罠が硬直したところに、山下も走る。
部屋を出ると、洞窟中から地響きが聞こえる。天井から砂が落ち、足元のゴキブリがどこかへ逃げていく。
「山下、宝の箱は持ってきたか!」
「持っています! どうしてこうなるんですか!」
山下は箱を背中のリュックサックに入れながら、必死にレスターの速度に食らいつく。
「だから、先生は抜け目無いようで抜けているって言われるんです!」
山下が叫ぶ、その間もレスターは綺麗なナンバ走りで差をつけて、閉じかけた扉の向こうにまで行ってしまう。
「や、やばい!」
山下は閉じかけた扉を見て間に合わないと悟り、半ば転ぶ形でスライディングをして滑り込む。ぎりぎりで、間に合った。
「おうっ! 間に合ったか、山下」
スライディングが、丁度立ち止まっていたレスターの脛にぶつかる。
「な、何で止まっているんですか!」
息も絶え絶えに、山下が叫んだ。
「なに、閉じ込められたまでさ。ここも小部屋だったが、罠でもあるらしい」
レスターが指差すと、出口が既に石の扉で塞がれていた。
がこんと、重い音が上から響いた。二人で天井を見上げる。
「これは……天井が降りてきてます!」
「山下! あたりの壁を手探りで探せ! おそらく扉の鍵を開けるボタンがあるはずだ。間違えて入ったときのために!」
「そんな先生みたいな間違いのために作るんですか!」
山下は文句をいいながらも、手探りであたりの壁を何度も触れる。レスターも同じように探り始める。天井は少しずつ降りてくる。
「あ、あったありました! 不自然な穴があります!」
山下は早速ペンライトでその穴を当てて、顔面を真っ青にした。
「よし山下、その穴にあるスイッチを押すんだ、早く!」
「ご、ゴキブリが中でひしめいています!」
山下が涙目になって叫ぶ、そこには崩れ落ちる天井から本能的に逃れようとしたゴキブリ達が、スイッチのまわりをかさかさとうごめいていた。
「我慢して手を入れろ! すぐ慣れる!」
「なら先生が手を入れて! むしろ先生の責任から入れて、ぜひ!」
山下は言って、もちろんそんな悠長なことをやっていられる状況ではないのを自覚していた。震えながら目をつぶり、一思いに手を入れる。
「うわぁあああああ!」
叫びで恐怖を弛緩させる。山下の右腕は今、指先を這い回る小さなむずかゆい何かと、袖を駆け抜けるむずかゆい何かで触覚を埋め尽くされた。
それでも、勢いよく手を入れたかいあって、すぐ見つけたボタンを、中にいる何かごと押し込んだ。
「やった、ドアが開いたぞ山下!」
レスターは早速扉を押し開いて、自分の帽子を押さえながら先へ行く。
山下は痺れと鳥肌に苛まれる全身に涙しながら、フラフラと外へ出る。
「先生、北海道に住みたいです……」
「あとで銭湯に連れて行ってやる。だから泣くな、まず生き残れ」
待っていたレスターが肩に手を置いて、慰める。
山下は涙を拭わずに、また走り出す。
すると、また背後から新しい轟音が響いてきた。
それは地鳴を含み、何かを押しつぶしながら進む戦車のような音だった。
「ここ、日本ですよね、こんな罠どこで知ったんですか」
山下が、涙を拭いながら振り返る。レスターも振り返る。
「ああ、しかし世界にはイドという概念があってだな」
ゆっくりと正面を向き、今度は二人同時に駆ける。
部屋の壁と天井をこするほどの大岩が、転がってきた。もちろん、一本道だから避けられない。
「平安時代、どうやってあの丸い大岩を作ったのか気になるよな山下!」
言いながら、レスターが山下を追い越して、数歩先まで差をつける。通路にあったギロチンの罠が作動し連続して三つのギロチンをレスターがすり抜ける。
ギロチンが落ちたあとに、山下はハードルの要領で三つのギロチンを飛びぬけて走る。後から来た大岩が、ギロチンをあっさりと砕いて潰す。
そうして、ようやく最後の出口が近づいたところで、最初に見た水溜りに行く手を遮られる。
「み、水嵩が増えているだと!」
レスターが言った。見ると落とし穴から水が湧き出て、靴を濡らす程度だった浅瀬にも、腰に届くほどの水が溢れていた。
「い、入口が閉まりかかってます! 大岩も大きさから落とし穴に落ちる気配がありません!」
山下が指差す先には、入ったときに無かった扉が現れて、今にも閉まろうとしている。
二人は急ぐも、水に足をとられて思うように進めなかった。
「やばい、やばいです!」
「うぉおおお!」
扉は、あっけなく閉まった。
「「あ」」
二人は呆然と立ち尽くしたまま、開いた口が塞がらない。
背後から迫る大岩が、水しぶきを上げて近づいてきた。
「山下ぁ! 水の中に潜れ!」
へその辺りにまでつかった水面に、天井から小石や砂が落ちて波紋を広げる。小岩が穴の中へ沈み、闇へと消える、山下は穴を見た。
岩が迫る。
「もうこれしかない!」
「この落とし穴、ちゃんと他の通路につながっているんですか!」
「解らん!」
大岩が遅まきながらも近づいてくる。このまま動かなければ、大岩と石の扉に挟まれてつぶれる。
「解らないってそんな無責任な!」
穴の中は泥水で底が見えず、まっすぐ泳げるかも定かではない。大岩がこの上を通れば、おそらく蓋をして外にはでられない。
そんな大博打に、山下は焦る。
しかしレスターは、そんな山下を見て不適に笑った。
「怖いのか? だが未知とはそういうものだ、そして未知の中にしか、冒険者の居場所は無い。めげるなよ」
レスターはそう言って、穴へと先に潜っていった。
山下はレスターの作った水しぶきを呆然と眺めてから、ふと気がつくと震えていた。
未知なる冒険にワクワクしたのではない。
薄情なレスターに、殺意を抱いたのだ。
「なに格好つけているんですかぁあああ!」
水しぶきをあげながら大岩が近づくい。
やけくそになって、山下は飛び込む。勢いは良く、後ろを見ていては間に合わなかったであろう、すぐさま大岩は穴に到達し、地響きを立てて洞窟を密室に仕立て上げる。
誰も入ることの出来なくなった洞窟に、静寂が戻る。
残されたのは、ぷかぷかと浮かぶレスターのテンガロンハットだけだった。
九十九里道路、最初に開いていたマンホールから数キロ離れた先にあるコンビニエンスストアの駐車場。七月上旬のためか気の早い観光客がちらほらと見える。
刺激的で開放感のある服を着た女性が、何度も踏み倒していった駐車場のマンホール。それがふいにがたがたと動いた。
通行人の若干名がそれに気づき、驚きから身を引いた。
「はぁはぁ……ち、地上だっ!」
レスターが日の光を愛おしそうに眺めながら、両手を上げてマンホールの蓋を払いのけた。
「は、はぁ……」
次に、横から押し込むようにして山下が上半身を地上に出す。背負っていたリュックを外し、コンビニの駐車場に投げ出した。
「崩壊していた洞窟も、まさか現代には下水道と言う、科学の洞窟が隣合わさっていたとは思いもよるまい」
「汚水を頼りに泳がなかったら、死んでいましたよ」
山下は全身を駐車場に晒す。びしょ濡れの身体は下水のせいで臭くて、袖の辺りから黒い何かが逃げて言ったような気がして、考えるのをやめた。
レスターは先程までの疲労が嘘のように、元気よく飛び上がって地上に降り立つ。
「さて、お宝の拝見だ!」
「ここでですか……」
山下の溜息。それでも好奇心が勝り、反対はしなかった。
マンホールの蓋を閉じてから、コンビニの横で二人腰を下ろす。二人の間に、リュックから取り出した箱を置く。
「ここのコンビニさんにはご迷惑をかけたな、何か買いに行ってやろうか」
「下水臭くてかえって迷惑になります」
山下はいいながら、まじまじと箱を見つめる。
豪華そうな概観に、日の光を浴びて模様が鮮明に映る。よく見ると、蓋が紐で縛られている。黒光りするこの箱からはいいようの無い凄みを感じていた。
「ほら、開かないのか山下。君に権利を譲るぞ」
「珍しいですね。まあいいですけど」
冒険が本文の山下でも、手に入れたものは気になる。紐をほどき、両手でゆっくりと開け、
「……」
「……ん、空……ですか」
中身は、からっぽだった。
蓋を裏返してみるも、また別の模様があるだけで何か隠されているわけでもない。正真正銘の、空箱だった。
山下の体から、一気に力が抜ける。そしてゆっくりと、レスターの反応もうかがう。
「先生、何で鼻つまんで目をそらしているんですか」
「あ、ああ、それは空で良いんだ。気にするな」
「空だから俺に開けさせたのか。それなら、箱に価値があるんですか? なんの箱……」
山下は箱の概要を聞こうとして、やめた。
どうせ、聞いても教えてくれないからだ。