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(9)


 冬の早朝は凛として、侘しさが漂っていた。呼吸として取り込んだ冷たい空気が、僕の肺に染み渡る。

 不埒な鏡花をクローゼットに押し込めて、翌日。朝日に照らされた校舎は、生徒に活力を分け与えるため気合い溜めしているようで何処と無く神々しさを感じることが出来た。

 早起きしたはいいが、やることが無かったので登校したのだ。

 テレビも見飽きて朝食も食べ終えたらそうするしかないだろう。

 昇降口の掛け時計を確認しながら、下駄箱で靴を履き替える。

 時刻は七時半を回ったところ。部活動がそれほど活発ではない中学校は静まり返っていた。

 教室に着き、蛍光灯のスイッチを入れると、数回瞬いてから室内は一気に明るくなった。コートを椅子にかけてから、鞄を机のフックにかけ、大口を開けてアクビをする。静まり返った教室は地球上に僕一人だけが取り残されてしまったみたいで、安心感を同居した孤独が心の一番深いところに溶け込んでいった。

 家では鏡花の視線を感じてろくにリラックスすることもできない。

 泊めたはいいが、口ぶりからして、もう何日か居座る気満々だった。追い出す理由も特にないが、最低限居候としての身の程をわきまえてほしいところだ。

 ちなみに今日、彼女は欠席。もとよりウチの生徒じゃないので、当たり前といえばその通りだが。

 宿泊場所として提供したクローゼットのなかで、夜更かしをしたらしい。やり飽きて放置していた携帯ゲームが彼女の手元に転がり、勇者のレベルがカンストしていたことから容易に想像できる。 

『学校は?』

『休む』

 簡素な木製の扉をあけた僕に欠席宣言を行う毛布の固まりは本物の不登校児さながらだった。立場上登校を強制する必要もないのだけど。


 ちらりと斜め前の席に視線をやる。

 長壁鏡花の空席。

 本物の彼は、これから卒業まで一度でも登校する気はあるのだろうか。

 現実問題厳しいのかもしれない。

「……眠い」

 換気でもするか。淀んだ空気は魔の者を呼び寄せやすいと言ってたし、冬の空気を鼻一杯に吸い込めば嫌な気分も吹き飛ぶだろう。

 清々しい冬晴れである。

 昨日は曇ってたから、そのぶんも合って、普段の沈んだ気持ちも高揚してくる。

 錠に指をかけたと同時に、大きな音をたてて、教室のドアが開かれた。

「おっはよー!」

「……おはよ」

「って、わぁー、ミヤチじゃん。どうしたの、今日早くない?」

「たまにはね。早起きは三文の得ともいうし、暇だったから」

「電気ついてるからビックリしたよー、私より早く登校する人がいるなんて、おっどろきー」

 爆風のように室内に入ってきたのは柿沢瑠花だった。

「登校班もないのに、ミヤチーとこうして朝に会話すんの久しぶりだね」

 柿沢は早々に鞄を机の上に置くと、スキップするような軽やかさで黒板前に移動し、右端の日付を埋めた。

「ミヤチー、いま暇?」

 野々村の名前を綴りながら、聞いてきた。毎朝日直の名前を書いていたのは柿沢だったらしい。

「予習でもしようかな。僕みたいな凡才は人一倍努力してようやく人並みだからね」

「えー、うちのクラスで一番頭いいじゃん。それにさっき暇だって言ってたよね」

 流麗な筆致で記された名前を眺め、ゆっくりと微笑んだ。ショートカットがさらりと揺れる。

 言い訳を聞いてくれるような雰囲気じゃない。

 全くもってごもっとも。

 どうせ抗うことに疲れた身分だ、流されてみるのも悪くない。


 柿沢に手を引かれ、連れてかれたのは自習室だった。十和森中では、少子化の影響で余った教室を小さな図書室みたいにして、机と椅子を並べ開放している。収められた蔵書のほとんどが参考書の類いだ。

「委員会の図書だよりが完成していないのです。手伝ってください」

「柿沢って図書委員だったっけ?」

「ひ、ひどい! ミヤチの推薦でなったのに忘れてるだなんて」

「そうだっけ。暇ならやれば、的なこと言ったかもしれないけど」

 柿沢は肩に提げていた鞄を白いステンレス製の机の上に置き、クリアファイルを取り出した。

「ミヤチ、読書好きだから図書選ぶと思ったのに、なんで保険委員なのさぁ」

「仕事中に本が読めるわけないだろ。その点保険委員は滅多に仕事がないから楽なんだよ」

 一枚のプリントを机に広げ、唇を尖らせながら柿沢は椅子に座った。

 向かいの椅子を引いて腰を落ち着ける。

「それで図書だよりだっけ。なに書くの? 検尿の手引きなら任せてよ」

 一応持ってきておいた筆箱を机に置き、高校の受験要項を棚から抜き出す。手慰めにはなるだろう。

「おすすめの本のレビュー、二冊、今日まで。ミヤチの職業、文学少年でしょ」

「勝手にやればいいじゃん。手助けできることがあるとは思えないんだけど」

「瑠花、好きな本なんかないし」

「別に好きじゃなくても、読んだことがある本でいいじゃん。先生だって柿沢の趣味を把握してるわけないし」

「いままで本読んだことないもん」

「……冗談だろ?」

「活字が読めないの。頭がパンクしそうになるの」

「いままでどうやって図書だより書いてきたんだよ。一学期とかもあったでしょ」

「教科書の話を改めて読んだふりして、要約や感想は先生に尋ねまくって乗りきってきたんだけど、もう限界でどうしようもないんだ。だから、ミヤチ! 力を貸してよ!」

「断る」

 部屋は埃臭く、空気がこもっていた。稼働し始めた集中暖房が教室内を不快感で満たし始めている。

 こんなことなら教室で机に突っ伏して惰眠を貪ればよかった。

「話を聞く限り、百パーセント僕が頑張る羽目になるじゃないか。しかも不正に手を貸せって、夏休みの宿題が終わらない小学生か」

「そんなぁ。私がこんな苦行にあってるのは全部ミヤチのせいなのにぃ」

「推薦したって話? 全く記憶にないんだけど」

「だって、ミヤチ、瑠花に言ったじゃん。入りたい委員会が決まってないなら、最後に手を挙げればいいって」

 それは推薦とは言わないが、ああ、その発言は確かに僕の脳みそに刻まれている。

 人気(暇)な委員会は必然取り合いになるから、余るのは不人気(忙しい)な委員会になるのだ。一人でもライバルを減らしたくてアドバイスに見せかけた合理的な発言は、いかにも過去の僕がしそうなことだ。

 柿沢には悪いが、おかげで保険委員という役職に納まることができたのだ、感謝せねばなるまい。

「天命を待つって意味だよ。その結果意にそぐわぬ仕事を与えられたって、運のパラメーターが低かったと思って諦めるんだね」

「ひどいよ、あんまりだ。私は仕事が終わらなくって困ってるのに」

 小さな頃から幾度となく聞いてきた柿沢の涙声だが、いまだに慣れることはない。

「……悪かったとは思ってるよ」

 ある意味弱点かもしれない。いつも最後は僕が折れるのだ。手に持った本を元の位置に戻し、筆箱からシャープペンを取り出す。

「しかたないから手を貸す」

「ほんと!?」

「今回だけだぞ」

 ため息をついてもつき足りない。

 家にいても地獄なのに、登校しても地獄だなんて、正解はなんだったんだ。

 一転明るい表情になると柿沢はハキハキと場を仕切りはじめた。

「んじゃ、瑠花にも読めそうな本で、かつあらすじと感想を述べてください。児童書と漫画は不可です。文学作品と呼ばれてるようなのがいいなぁ」

「それじゃ僕の読書感想文じゃないか」

「いいからいいから、ペンを動かす肉体労働は瑠花、本を思い出す頭脳労働はミヤチ。美しい役割分担だよ。ここなら文学史について取り扱った書籍もたくさんあるし、参考には困らないねぇ」

 頭に来たので源氏物語のあらすじと感想、それから枕草子について述べてやった。疑うでもなくペンを走らせる柿沢に一抹の嗜虐心があおられる。


「はぁー、やっと終わったぁー。腱鞘炎一歩手前だよぉ」

 手首をぷらぷらさせながら、崩れ落ちるように柿沢は机にダレた。

 外の廊下からは早朝の喧騒が聞こえてくる。腕時計をみれば八時二十分といい塩梅だ。

「お疲れ。終わったあとに言うのもなんなんだけど、僕が手伝わなくても、もう一人の委員にお願いすればよかったんじゃないの」

 委員会には絶対に所属しなければならないのがきまりだが、必ず二名以上選抜されるようになっている。

「二年三組の図書委員は長壁くんと瑠花なんだもん」

「なるほど」

 つまり登校拒否児童とペアを組まされているのだ。よって業務を一人でこなさなくてはならなくなり、だから当番の時は早起きをしてまで、課題を終わらせなくてはならないのだそうだ。もっと早くに取りかかれば切羽詰まる必要もないはずだが。

「長壁くん、学校に来てくれないかなぁ」

 ピンクのシャーペンを筆箱にしまいながら彼女は呟いた。朝の貴重な時間を削られて、直接会って文句を言いたいの僕も一緒だが、

「無理だろ。転校して即刻登校拒否なんだぜ」

 散らばったケシカスを手で集める。

「一回来てくれれば絶対馴染めると思うのにねぇ」

 会話していてわかったのだが、どうやら柿沢は長壁を騙り登校してきた吸血鬼のことは全く認知していないらしかった。昨日のことはすっぽり記憶が抜けている。

 都合の良い。これも特殊能力というのに含まれるのだろうか。

「どうすれば登校してくれると思う?」

「来たくないなら来なきゃいい。義務教育で寝てても卒業できるんだ。バカになっても構わないなら学校に来る必要なんてない」

 それを考えると僕が授業を受ける理由がわからなくなってくる。

 ルーチンワークとして遺伝子に組み込まれているのか、出来るだけ人間らしくいようとしているだけのか。

「そんなの冷たいじゃない。長壁くんはクラスメートなんだよ」

 柿沢は軽くしかりつけるような口調で僕にそう言ってから、椅子から立ち上がった。


 慈善事業を終え、教室に戻ると、もうすでに日常が回り始めていた。授業は淡々と進み、特筆すべきこともく退屈な一日は終わる。

 放課後。誰かに話しかけられる前に、そそくさと学校を後にする。喧騒をBGMに校舎を背にした僕は横断歩道の信号待ちで、いかにして時間を弄ぼうかと頭を悩ませた。

 すぐに帰宅しようかとも考えたが、どうせ帰ってもやることはないし、鏡花の相手をするのもワンパターンなので、図書館に寄ってから帰ることにした。マンネリと断ずればその通りだが、違う本との出会いは大きい。

 人は退屈で死ぬ。生きる意味を見いだせぬ人間は死んでいるのと同じなのだ。書籍の手を借りて、自分探しをするのは、よっぽど健全な行いだろう。生きるのに飽きたらひっそり死ねばいいのだから。

 昨日借りた本は英語の時間に読了済みだし、新たなストーリーを脳が求めていた。


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