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 真夏なら天然のプラネタリウムが広がる公園を紹介してやるところだが、寒空の下、泊まるところがないと懇願する少女を無下にできるほど、人間をやめたわけではなかった。

 見知った部屋に女の子がいる光景は新鮮味に溢れていたが、プライベートスペースにまで不穏分子の侵入を許していると考えれば、あまり気持ちのいいものではない。

 ひとまず鏡花を部屋に残し、夕飯を食べながら今後の対策を練ることにする。

湯どうふを胃に納め、満腹感とともに部屋に戻ってみると、件の銀髪は消えていた。

 どこいった?

 一瞬だけパニックになる。ブーツはあるので、外に出ている訳ではないだろう。辺りをぐるりと見渡してみたが、それらしき人影はない。暖房中にも関わらず、突き刺すような寒気が僕を襲う。

 一階に降りて来た足音はしなかったので、いるとしたらこの部屋か隣の姉貴の部屋だけ。でもあの人、屋根に立っても足音響かせなかったから気配を断つのは忍者のようにうまいのかもしれない。

 考えても仕方がないか。

 登校拒否生徒と長壁の場所を奪ったように、僕の部屋からなにか盗んでいったのかもしれない。まずは確認しよう。

 だが、なにを。

 めんどくさい、と舌打ちをしながらクローゼットを開けてみると、青色の毛布にくるまる少女を視界に納めることができた。かくれんぼかよ。

「おい」

 乱雑につまれた少年誌や木箱、着られなくなった衣服、埃がふわふわと舞う、ハウスダストアレルギーなら諸手をあげて逃げ出すような劣悪な環境だ。

「なにしてんさ?」

 返事はない。微かな寝息が聞こえる。

 少女が睡眠をとる様子は一枚の完成された絵画を見ているようだったが、いかんせん、背景があまりにも残念すぎる。僕がカメラマンなら被写体に場所の移動を命じるところだ。

「起きなよ。風邪ひくよ」

 胎児のように丸くなった鏡花はうっすらと微笑みを浮かべていた。

 鼻をつまんで呼吸の邪魔してやると、「ふにょらぁ」という謎の雄叫びをあげ、目を覚ました。

「……お、おはよう三吾」

 定まらぬ視線を僕に向け、鏡花はペコリと頭を下げた。それに合わせて髪がさらりと揺れる。しっとりとした長い睫毛が魅惑的に輝いていた。

「農家ならおやすみでもおかしくない時間だぞ。なにしてんの、こんなとこで」

「三吾に迷惑かけない寝場所を探してたんだ。クローゼットなら私も襲われる心配なく熟睡できる」

「温厚な僕も怒ることはあるんだぜ。いいから早く出ろ」

 腹のたつ発言を無視し、顎で立つように促す。鏡花は寝起きのうろんな瞳を僕に寄越して、毛布からニュッと右手を出した。

「起こして」

 精一杯の拒否シグナルを眉間に寄せてみたが、一切意に関せずといった表情でずっと手を伸ばしている。そのまま腕が吊るまで放置してやろうか、とも考えたが、断るのも億劫だったので、その手をつかんで思いっきり部屋の中央に引っ張りあげてやった。

 毛布とともに裸の鏡花が転がり出てきた。

 なにが、なんだかわからなかった。

 僕の目が悪いのか、彼女の頭が悪いのか、後者であることを祈りたい。


 白い素肌を隠そうともせず堂々と二本の足で立つ少女。見た目の年齢は小学生みたいなものだが、腐っても異性だ、視線を背ける。

「服を着ろ!」

「なんで?」

「なんでじゃないよ、なんでじゃないさ! 人んちで裸になるバカがどこにいる? 風呂なら一階に降りて廊下の奥!」

「知ってるよ。昨日行ったんだから」

 的はずれな反論を行うクレイジーな露出狂。脱衣場の座標軸がずれているわけでは無さそうだ。

「今日は汗かいてないしシャワー浴びなくていいや」

 乙女にあるまじき汚ならしい発言に、誤魔化されそうになるが、論点はそこじゃない。

「いいから、服を着てくれ! 十和森中の制服はどこにやった、最悪アレでいいからって、僕の制服の横に吊るすなよ! これじゃあ、僕に女装癖があるみたいじゃないか!」

「やかましいなぁ。ハンガーに掛けなきゃシワになるだろ」

「僕が言いたいのは、裸はやめろってことだけだよ!」

「人のファッションに口出しするなんてナンセンスだよ」

「裸はファッションか? ファッションでいいのか? いなファッションでなるものか!」

 漢文みたいに否定してやった。

「うるさい。睡眠前は一糸も纏わずって決めてるんだ。私のポリシーだ。文句あるか」

「大有りだよ! 服を着ないなら帰ってくれ!」

「バカには見えない服を着ているのだよ」

「一部の人に素っ裸と認識されるなら、それはもうただの変態だからな」

「別に気にしなきゃいいだろ。私の裸で欲情するというわけではあるまいし」

 確かに鏡花は肉感がなくガリガリで、そのくせ寸胴の幼児体型だが、それを補うように端正な顔立ちと白い美しい肌が備わっている。世のロリコンは歓喜だろう。僕は違う。断じて違う。

「いいか、君は世の男の性癖というのを甘んじている。それにこんなとこ母さんに見られたらどう言い訳すればいいんだよ」

「母君は知らないけど、伊地香なら私の胸部を節操なくまさぐっていたよ。擽ったかった」

 姉は同性愛などではなく、ただ単にネジが緩んでいるだけなのです。

 最低限のマナーとして振り向かず会話を続けているが、鏡花が唇を尖らせている様をありありと想像できた。

「ともかく、服を着ないというのなら今すぐ部屋から出てけ!」

 窓を指差しての一喝が効いたのか鏡花は渋々といった様子で、クローゼットからいつも着ている赤いコートを取りだし羽織った、らしい。

「これでいいのか?」

 挑発するような声音に応えるよう振り向くと、見慣れた姿の少女が立っていた。

 実に不満そうである。

 しかしながら最大の問題が解決されたのは確かだ。

「姉貴のパジャマはどうしたの?」

「あれなら今朝、下着と一緒に返した。伊地香は『ゼミ合宿』の準備とやらで忙しそうだったけどね」

「ああ、そういや姉貴、今日帰らないんだっけ、って……ん。ちょっと待てよ。今朝借りた服を返したって、あんた、ひょっとして今日一日……」

「なに?」

「いや、なんでもない」

 穿いてなかったんか。

 後頭部をボリボリ掻いて、一応のレディファーストを進言することにした。

「ベッドは譲ってやるから、好きなタイミングで寝ればいい。僕はもう少し読書してから睡眠をとることにするよ」

 リクライニング式の座椅子を押し倒し簡易ベッドを作る。生欠伸を噛み殺しながら、そこに腰を落ち着けた。

「かたじけない。と言ってもまだまだ眠く無いのだがな」

 小走りでベッドに移動した鏡花は、期限良さそうにお腹からダイブすると、腹這いでこちらを見上げてきた。

「はぁ? さっきクローゼットの中で睡眠とってたじゃん」

「やることないなら寝るしかないだろ。いまは話し相手がいる。素晴らしい。忌憚なき論を交わし合おうではないか。夜の住人としての夜更かし術、とくとご覧あれ」

「一人で朝まで生討論しとけよ。僕は読書に忙しいんだ」

 ひらひらと手をふって本のページを開く。

 一階のリビングからテレビの雑音が聞こえてきた。母さんがバラエティーに笑い声をあげている。鏡花じゃないが、寝るには早すぎる時間だ。

「なぁ三吾」

「……」

「ねぇ三吾。さぁーんごー」

「……」

「寝た?」

「……起きてるよ」

 見りゃわかんだろ。

 返事を受けて嬉しそうに鏡花はワンオクターブ声を高くした。

「ねぇ好きな娘とかいる?」

「なんで会話が修学旅行生みたいなんだよ!」

「えー、それでいないの? 三吾」

「いないよ」

「むぅ、嘘つかないでよ。伊地香は快く教えてくれたのに」

「え、嘘? 誰だって?」

「えっとねー、うーん、忘れちゃった」

 プライバシーとわかっていても気になるものは気になる。

 そんな箸にも棒にもならない会話を楽しみながら、四方山話に花を咲かせた。


 逐一鏡花が話しかけてきて、読書に集中できないと判断した僕は、早々に寝支度を調え、電気を消して簡易ベッドの上に横になった。

 歯磨き中、母さんから「まだ九時よ。こんなに早くに寝るなんて、また木から落ちたのかしら」と皮肉を吐かれたけど、やることなければ寝るのが一番だ。

「三吾っていい名前だね」

 黒いキャンパスみたいな天井をぼんやり眺める僕に、藪から棒にベッドの上の鏡花が呟いた。

 カーテンの隙間から漏れる街灯の光がぼんやりとした影を作り出している。

「なんでそう思うのさ?」

「なんとなく、私と相性が良さそうだからだよ。君は自分の名前が嫌いなのか?」

「そうだね」

 一階のテレビの音が静かに響く。

「三と五を掛け合わせれば十五だろ? 諺で「三五の十八」ってのがあってね。これは計算間違いをバカにした言葉なんだ」

「君の親はそういう意図でつけたんじゃないだろ。単純にコーラルを参考にしたと思うんだが」

「名前なんてものは、つけられた側がどう捉えるかが重要なんだ」

「他者からどう捉えられるかが大切だと思うよ。サンゴという名は素晴らしいじゃないか。宝石にもなるし、石灰にもなるし、美しい海の代名詞だ」

「そういうアンタはなんていう名前なんだよ」

「む」

 ベッドが軋んだ。どうやら寝返りをうったらしい。

 ちらりと横に目をやると暗闇に輪郭をにじませた鏡花と、はっきり目があった。

「ノスフェラータだといっただろ」

「それは総称だろ。名前を尋ねられて人間って応えてるのとおんなじだ。僕が知りたいのは、個体に与えられた名称だよ」

「識別子なら長壁鏡花でいいじゃないか。名乗るというのは名を売るのと同じ行為だ」

「純粋に好奇心なんだ。ジェーンや鏡花じゃない、あんたの本名が知りたいって言うのは」

「私の世界において名前というのは、三吾が考える以上に重要な要素でね。力あるものなら、それだけで魂すら掌握できてしまうんだ。言霊にのせれば、他者に命令することさえできる。君には悪いがおいそれと名乗るわけにはいかないんだよ」

「僕の名前を知ってるくせに、フェアじゃないな」

「ごめん」

 素直に謝られた。

 予想外の謝罪に、逆にこっちが戸惑ってしまう。

「それじゃどこから来たのか、だけ教えてくれないか」

「陽子の家だよ」

 出身地を尋ねたつもりだったが、鏡花は文字通りの意味と受け取ったらしい。日本語は難しいと思う反面、面白い情報の尻尾を掴むことができた。

「宮ノ下さんは二ヶ月前くらいに亡くなったって、こないだ教えたばかりじゃないか」

「君には嘘をつく必要が無くなったので正直に言う。私は陽子と暮らしていたんだ」

 たしか昨日の時点では、引越しついでに宮ノ下さんを訪れた、と嘯いていたけど。

「二人暮らしってこと? いやいやまてよ、それでもおかしいぞ。あの家は一ヶ月前から解体してるんだ。施工が始まってから、あんたどこにいたんだよ」

「地下室でずっと寝てた。四年前から」

「はあ!?」思わず上体を起き上がらせ、異議を唱える。

「そんなバカな話があるか。熊じゃあるまいし冬眠してたとでも言うのかよ」

「四年前に傷を負ってな。その療養のために睡眠が必要だったのだ」

「療養って……瀕死の重体ってこと? なんでまた」

「陽子は十和森地区の魑魅魍魎を抑えるエクソシストだったんだ。助手ではないが、旧き朋友として手伝いをしてる最中に凶悪な食人鬼と戦闘、辛勝するも、肺腑に穴を空けられてな。霊力の回復を図るために地下室で睡眠をとることにしたんだ」

 ゲームの設定案をスラスラと述べている、と判断したいところだが、宮ノ下さんが地域の管理者と聞くのはこれで二度目だ。

 一度目は夕方、ギターケースを担いだ荒尾に。

 あの時は聞き流していたが、鏡花まで似たようなことを言い出したとなると、手放しで無視はできない。

 どんな間違った情報でも三人に連続で聞かされると、人間心理として信じてしまうと聞いたことがある。

 あと誰か一人、「宮ノ下さんは、昔この辺りの百鬼夜行を引き連れていた」と囀ずれば、否応なしに僕の脳みそはその情報を鵜呑みにしてしまうだろう。

「工事の音で目が覚めたら、陽子がいないだもん。びっくりしたよ」

「脳溢血だっけな。家の前に救急車が停まってたよ。牛乳配達の人が庭を覗いたら倒れてたんだって」

「なんだそのちっぽけな死に方」

「……鏡花?」

 乾いた笑いが臼暗闇に溶けていく。

 どこか寂しさを滲ませて、鏡花は寝返りをうち、僕に背を向けた。

「つまらない。あっけなく逝ってくれたな、バカが」

「……」

 涙声の呟きにかける言葉が見つからなかった。

 およそ彼女が明確な感情を吐露するのははじめてだったから。


 入眠後の目覚めは不愉快だ。それがレム睡眠時なら尚更。寝ぼけ眼では、現実をうまく受け止められないから。

 胸に微かな息苦しさを感じて、重たい瞼を押し上げてみると、視界一杯に鏡花の顔があった。

 一瞬で固まる。

 度アップになった鏡花は子犬のようにスンスンと鼻を鳴らしている。

 正常な思考を取り戻すのに時間はかからなかった。

「わぁっ!」

「!?」

 毛先が僕の頬を撫でる。

 吐息さえ近くに感じられる、恋人同士しか許されない距離。

「な、なにやってんだ!」

 僕の怒声に驚いたのか、鏡花は弾むようにベッドへ逃げ、すぐに毛布を被り丸くなった。

 枕元に置いておいた携帯のサブディスプレイを光らせてみると、時刻は既に二時を回っていた。草木も眠るの標語の通り、町も眠りに落ちている。

 気だるさを吹き飛ばし、立ち上がる。額の汗を拭って、これみよがしに大きなため息をつくが、無反応。

「こんな夜更けにモーニングコール頼んだ覚えはないんだけど」

「……」

 返事がない、ただの毛布の塊のようだ。

「おい、起きろ」

「ぐ、ぐぐー」

「そのまま下手なイビキで誤魔化せると思っているなら、踵落としを食らわせるかな」

 静かになった。

 時計の針が進む音だけが響く。

「あんたはいつからサキュバスになったんだ?」

「わ、私をあんな淫魔といっしょにしないでくれ」

「顔を出せ。僕の安眠を妨害した罪は重いぞ」

 ひょこりと姿を見せた少女は、奇しくも土下座に近いスタイルであった。

「なにしてたんだ?」

「……もう、寝たかなぁー。って、眼球の動きを観察しようと、思ったんだ」

「なんでそんな無意味なことを」

「えーと、……趣味?」

 世界ランカーになれるくらい不毛な趣味だ。

 暗くて見えないかもしれないが、出来るだけ明るい笑顔を振り撒いて、彼女の肩に手をやった。

「クローゼットで寝ろ」

 誠実で有名な僕から鏡花へ、温情にも似た妥協案だった。



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