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 公民館の横、自動ドアを二枚隔てた先に図書館は存在している。

 入り口には白いゲートが設置してあり、本にはCDショップと同じような銀シールが貼られていて、処理をしないままゲートを潜ると、けたたましい警告音が鳴り響くらしい。仕組みはよくわからないし、『はったりではないのか』と疑いながらもゲートを通ると鼻腔が古書独特の香りに擽られた。

 目当ての書架を目指し歩きだそうとした僕は、背後でゲートを通らずこっちをじっとみている銀髪に気がついた。

「なにしてんのさ」

「これ入っていいのか?」

「いいに決まってんだろ。早く来なよ」

 僕の言葉を聞いて彼女は微かに頷いてから、足を踏み入れた。


 中学生の放課後という中途半端な時間帯のせいもあるのだろう、夕暮れ時なら疲れた顔した受験生やらで館内はごった返すのだろうが、この時間では盛況とは言えない賑わい具合だった。

 僕が立つのは風俗習慣・民俗学のさっぱり人気がない棚の前である。

 この世ならざる存在の証拠を見せられて、このままではまずいと図書館までやって来たのだけど敵役である銀髪までついてきたら意味がないんじゃないかなぁ、と思いつつ情報収集することにしたのだ。

「あんたはつまり、自称バンパイアってこと?」

 影がないイコールこの世の住人ではないのは確定的だが。

 民間信仰の棚から一冊の本を手に取り、横で佇む少女に訊ねた。

 彼女は青い瞳をキラキラとしきりに辺りを見渡している。

「おーい、話聞いてる?」

「ふむ、あぁ。えーと、そうだな、少しだけ違うかも」

 自らを吸血鬼と呼称したのは彼女だ。

「今までと言ってることが変わってない? 血を吸っても仲間は増えないし、太陽光に当てられても煙にならないし、ニンニクが得意で鏡に映るって言うなら、それは吸血鬼じゃないじゃん」

 曇りとはいえ太陽が出ている昼間だ。ディウォーカーでは話が違う。

「太陽は少しだけ苦手。今日みたいに曇ってる日は平気なんだけど、照ってると気が滅入る。ニンニクは嫌い、辛いから」

 ただの子供の好き嫌いだった。

「仲間も増やそうと思えばできるけど、吸われたほうもさほど変化しないと思うよ。普通に老化するし、しっかりとした自我も持つはず。少しだけ、身体能力に異常がおこるかも、だけど」

「でも血を吸うんだろ?」

「うーん。例えるなら吸血鬼ってだけで、表現としては正確ではなくて」

 適当な相づちを「ふぅん」とうち、手にとった本をパラパラと捲る。

 一度死んだ人間が蘇り、生命の源ともいえる血液を啜る、とバンパイアの項にそう書いてあった。吸血鬼の英訳がバンパイアのはずだ。先ほどまでの発言と大きく矛盾している、と首を捻る僕に彼女は続けた。

「当て嵌める枠組みが違うのだ」

 洗礼を行う神の使いみたいに厳かな様子で口を開いた。

「そもそも君、バンパイアは人の血を吸う化け物だと認識してるでしょ。私はあくまで吸血鬼という点でカテゴライズ出来るかもしれないけど、風俗一般で言われるバンパイアには属さないよ」

「はぁ?」

「血吸いなら誰にだってできるし。問題なのは食事対象。私が食すのは血じゃない」

「少し日本語纏めた方がいいぜ」

「そうだね。端的にいうなら魂。吸血というより吸魂といったほうが正しい」

 思わず口を半開きにしてしまった。

 手放しで信じるには胡散臭い情報のオンパレードだ。

 静謐さはすべてを孕んで僕の鼓膜を刺激していた。

 言葉を飲み込もうと必死に咀嚼してみるがうまくいかない。

「魂ってのは、えーと、なにをさしてるんだ?」

「ソウル、プシュケー、魂魄。言葉通りだ」

「そんなあるかどうかもわからない不定物をよくもまぁ口にできるな。文明社会に溶け込もうぜ」

「生ける死者として物質的な栄養は必要ない。錆び付いた歯車に油を差すのと同じように魂という潤滑油が必要なだけよ」

 ますます意味のわからない。

 二の句を次げずに唖然としている僕を労ることなく、彼女は至って平穏に続けた。

「ヒトのは形が似ているから一番摂取しやすく効率的に魂に触れることができる。食事のあとは力がみなぎる。今は腹ペコだけど」

「もういい。わかったから」

 僕は静かにそう告げて、手に持った本を閉じ、そのまま元のところに差し込んだ。どうやらこんな本読んだってなんの役にもたたなさそうだ。

 民間伝承は専門外である。一時期調べたことはあるが、なんの意味もなかったし、一般教養の域を脱しない。

 軽く息を吐いてから、小説コーナーに移動しようかと振り向くと、こちらをジッと見つめる少女と目があった。

 銀髪青目の少女が書架に囲まれ立ち尽くす光景は映画のワンシーンのようで、様になっていたが、彼女が発した言葉で一気に現実に引き戻された。

「宮藤三吾、君は何者だ?」

 それは間違いなく僕のセリフだ。

 叩きつけられた眼差しに、若干の怒りを含ませてにらみ返す。

「人間だよ。ただの」

「嘘」

 短く呟いて、彼女は一歩前に出た。

 席順と同じように手を伸ばせば触れられる距離に彼女はいる。僕の鼻までくらいしか身長がないので、少しだけ上目遣いで続けた。

「君の魂は……すごく、美味しそうだ」

 舌嘗めずりされる。暖房は効いているはずなのに、ゾッとした。

「冗談はよせ」

「久しく吸血を行っていないけど、君を見てると自我が保てなくなりそうになる。ほんと不思議だ。どうして三吾の精神はそんなにも高濃度なのか。君はまだ年端もいかない子どものはずで、たかだか数年でここまで変わるなんてありえないのに、まるで特の高い僧侶を相手だっているみたい」

「そんな馬鹿な話あるわけないだろ。僕は人生経験の浅い中二だぞ」

「君を啜ることが出来れば、私の魂はきっと昇華する」

 思い当たるフシはあったが、ここで彼女にはそれを告げても詮の無いことなので黙っておくことにした。

「君に磨き抜かれた高潔さを感じる理由がわからない。少しだけ試させてくれぬない? 死ぬことはないだろうし、ちょっとハードな献血だと思えば……」

 彼女の目は本気だった。試す、とは吸血行為のことを言っているのだろう。

 昔読んだ精神症の本に、嗜血について書いてあったが、……血液自体に性的興奮を覚えるフェテシズムでヘマトフィリアといったか、彼女はそれが行きすぎただけなのではないか。

 なんにせよ、了承は図に乗らせるだけだ。

「子供は献血できないんだぜ。僕がどんなに美味しそうでも我慢してくれないと困るな」

「う、うむ。こうして今三吾と話をしているのにも、私にとって襲わないために必要なことなのだ」

 物騒な発言だが、信憑性だけは溢れていた。認めたくないが、彼女がクラスに溶け込めたのは、奇妙な力が働いたからだ。

 もちろんいくら影がないとはいえ正体が吸血鬼というのは眉唾ものだが。

「無礼な喩えになるが愛情を持って接したブタは食べづらいだろう? 少しでも、友情を深めていくことで、間違いが起こらないように自分に言い聞かせてるいる」

「勘弁してくれ」

 嘆息まじりに僕は呟く。色々な思いの入り交じった切実な願いだったけど、ちゃんと伝わったかどうかはわからない。


 暖房の効いた図書館から出ると、冷たい風が僕らの頬を殴り付け、一層に寒さを増長させた。長壁は借りていた本を返すという言い訳をすっかり忘れているみたいで、どこか機嫌良さそうに僕の後をついてきた。

 もし言及されることがあっても、ポストに入れてきたと適当に誤魔化せばいいやと考えながら、にび色広がる空を見上げた。

「この後どうするの?」

「帰るよ。用事もないし校則で寄り道は禁止されてるんだ」

 貸りてきたミステリー小説を二冊とバンパイア伝説について扱った書籍を一冊、鞄にしまいまながら答える。無聊の慰めにはなるだろう。

「それなら少し付き合ってくれない」

 彼女は棲んだ青い瞳を細めて囁いた。

 フードを被っている。どうやら室外はどうしても影がないのが目立ってしまうため、服で誤魔化しているようである。

「予定帳にキチンと詳細を綴らないと気が済まないタチなんだ。どこに行って何をするのか教えてくれれば考えるよ」

「いまいち疑っているみたいなのでのう、ちょっとした証明を行おうかな、と」

 ここまでごめん被りたいデートのお誘いは初めてだった。

 信じ込む、とまではいかないが、疑いつつも、ある程度は信用しているというのに。

「いや大丈夫。今さらそんなことしなくてもさ。あんたは正真正銘吸血鬼だ。いやまったく恐れ入り谷の鬼子母神」

「安心して。危害は加えない」

 人の話を聞け。

「だから信じてるって。三十人の意識にナチュラルに溶け込むなんて、普通の人間じゃ出来ない芸当だろ」

 よってわざわざ異端を再認識する必要はないのだ。

「着眼点はさすがだけど……」

 不可思議なことには、なるたけ近づきたくないのが、人間の本能だろ。

「意識操作だけが特長と思われるのは、いささか心外」

 不服そうに頬を膨らませ、彼女は図書館入り口前のスロープにもたれ掛かった。

「これでも原始の吸血鬼の末裔として闇の世界じゃその名を轟かせたものなのだ。騒いで寝ぬ子も私の名を聞けばすぐにベッドでガタガタと震え、大人たちは十字をきって外出を避けるようになる」

 コートの下の中学校の制服はを考えれば、この年代特有のパラノイアにしか聞こえなかった、

「そうだ。聞きたいことがあったんだ」

 しかし嘘としか思えない言葉で思い出したことがある。

 彼女が今名乗っている長壁鏡花についてだ。

 僕以外のクラスメートは彼女を登校拒否児童である男子、長壁鏡花と認識しているが、その実彼女は別人の吸血鬼だという。

 それならば本物の長壁くんはどこに行ったのか。

「まさか、ころ……」

「違う!」

 僕の質問に、怒気を込めて彼女は口を大きく開いた。

「私は、もう誰も殺したりなんかしない」

 真剣な気持ちが瞳に宿っていた。これを嘘と断定するのは良心の痛むところだが、そうなると疑問は解決されない。

「じゃ、じゃあどうやって長壁鏡花に成り代わってるんだ」

 明確な答えを求める僕に、 

「知らない」

 反則に近い解答が与えられた。

「私が出来るのはその場に溶け込むということだけ。不登校児童というちょうどいい空席があったから、たまたま『彼』になったけど、いなければいないで、クラスの人数が増えただけだ。たぶん」

 一生懸命3.14で計算していたらπという魔法の記号を教えられた気分だ。本人もメカニズムが解明できてないとは。キョトンとした顔の少女は、どうしてそうなっているのか、疑問にも思っていなさそうだ。

 背中がむず痒くなる。

「そうなると本名はなんなんだ? 長壁鏡花は男子の名前で、本名じゃないんだろ。ジェーンに至ってはギャグにすらなっていない」

 笑いを押し殺したようにうつむいて、彼女は肩を静かに揺らした。それから、口を開いて言葉を発しようとしたが、「ラ……」と呟き、やはり戸惑ったようにまた口を閉じた。しばらくなに考えるそぶりをしてから、

「ノスフェラータ」

 と、外套を風に靡かせた。

 春の陽射のような爽やかな笑顔がフードの中で浮いていた。

 異質としか言いようがなかった。何となくぎこちなさを感じる名前だ。

「以後、ヨロシク」

 恭しく彼女は頭をたれた。

 自己紹介は冬枯れた景色を彩ることはなかった。

 顔をあげた彼女はなおもクスクスと笑いながら、青い瞳を線にしている。

「と言っても外国名を使うのは違和感を感じるだろ。長壁鏡花の名で呼んでくれて結構」

「んじゃよろしく長壁さん」

 長壁くんに申し訳ないけど、頭のなかで括弧仮をつけるので勘弁してもらいたい。

「折角可愛い名があるのだから、したの名前で呼んでくれないか」

「鏡花って、文学者の泉鏡花のことだろ。だったら男の名前じゃん。仮にも生物学上長壁さんには似つかわしくないと思うけどな」

「知らないのか。吸血鬼は両性具有だぞ」

「え、まじ」

「私は雌だけど」

「なら関係ないじゃん」

 鏡花、か。確かに小野妹子みたいに、男子の名前としては少し可愛らしいところがある。もしかしたら彼は前の学校でそれが原因で苛められたのかもしれないな、と無粋な憶測をする僕に彼女は柳眉を逆だてた。

「とにもかくまれ私は鏡花の名が気に入ったのだ。ノスフェラータじゃ日本に来てる気しないし、長壁じゃ他人行儀ではないか」

「あっそう」

 別に渋る必要もないな。

「よろしくね。鏡花」

「あ、っうん。よ、よろしく」

 辿々しく言いながら頬を紅く染めてる。照れてるところ申し訳ないが、それはあんたの本当の名前じゃないからな、と心のなかでだけ付け加えた。

「そ、それで三吾。付き合ってくれないの?」

 鏡花は伏し目がち訊ねてきた。

 すっかり忘れかけていたが、吸血鬼の証拠を見せるといって聞かなかったのだ。いらないと言ってるのに、頑なに譲ろうとしない。

「どこかに行くんだろ?」

「迷わなければね」

「動物園なら血の気の多い猿や獰猛なライオンが君の相手をしてくれるだろうけど」

「それはそれは愉快なデートになりそうだ」

「恋人同士ならどこに行っても浮かれるもんだよ。僕らは違うから、楽しい場所かどうかの判断材料をくれないか?」

 行動原理はともかく、目的地くらい把握してから判断しようと僕は訊ねてみた。

「学校」

 二文字がうまく認識することができなくて僕は微妙に首をかしげてしまう。それに気づいたのか鏡花はより具体的になるよう言葉を選び直した。

「中学校だ」

 まさかのUターン。確かに寄り道にはならないだろうが、ここから子供の足じゃ20分はかかる。

「学校行ってなにすんだよ。宿題なら明日の朝早く来てやりな」

「だから証拠を……」

 彼女は一回言葉を区切ってから言い直した。

「君に吸魂するところを見せるのだ」

 僕のはいた白い息は風に流され虚空に消えた。






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