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 傷つけるために、僕が選んだ武器は、言葉でもナイフでも爆弾でもなく、長さ六センチのちっぽけな釘だった。手の裏に隠し油断を誘う、買ったばかりのパートナー。

 いつか野々村と「人を殺したら価値観変わるだろうね」と話したことを思い出す。お昼休みのなんでもない雑談だ。その時の僕は「少くなくともさほど変化は訪れないと思うぜ」と斜に構えたもんだが、好奇心がわからなかったと言えば嘘になる。

「死ねよ」

 自分自身で驚いた。僕はここまで低い声が出せたのか。言葉は白く染まって消え去ったが、行動だけははっきりと残る。

 荒尾は間の抜けた声をあげ、握っていた僕の手を放した。力強く掴まれていたので、たぶんあとがついている。

 首筋に突き立てた釘は四分の一ほど肉に埋まり、ズブズブと鉄を通じて僕に嫌な感触を与えてくれた。

 さらに力を込めるが、ぬっと出てきた荒尾の手に邪魔されてうまくいかない。

 弱っているのは確かなのに、こいつはまだこの世にへばりついている。

「ぐっ」

 その声が自分のものだと気付くのに数秒かかった。僕は頬を殴られて、吹き飛んだのだ。

 飛ばされた先は雪の布団でさほど痛みは感じなかったけど、油断が僕の死を招いたのは確かだった。

 荒尾は気だるそうに、首に刺さった釘を指で撫で、「ごほっ」と、口から血を噴き出した。地面に広がる濁った錆色。その噴水をもっと見たいと思っても、体が動かなかった。

 ああ、いま身体を動かさなければ、死が僕の肩を叩くだろう。

 空から舞い落ちる雪の粒が、桜の花びらみたいで美しくても、僕はまだまだ、生きて世界の情熱を網膜に焼き付けたいのだ。

 体は動かない。ズキズキと頭痛が襲う。やっぱり昨日無茶をし過ぎたらしい。世界中の人にバカと指差されても、言い訳なんかできやしないんだ。

 荒尾は朝の憂鬱を引き摺るサラリーマンみたいな焦点の合わぬ視線で僕を捉えると、口内に残った血をタンといっしょに白い地面に吐き出した。

「やってくれるじゃないか」

 突き出た釘をゆっくりと抜き出す。雪の夜に、音はリアリティをもって僕の鼓膜を揺さぶった。

「ふぅ」

 すべて抜き終わると術後の経過をみるドクターみたいに釘先をうっとり見つめ、うしろで凍えるブランコに投げ捨てた。

 ザクザクザクと行進する兵隊のような足音をたてながら倒れる僕の前に荒尾は立ち、見下しながら血で汚れた口元をコートの袖口でぬぐった。そこをジットみてから、

「汚れちまったじゃねぇか」

 と、意味不明な怒りを僕の腹部にぶつけてきた。

「がっ」

 いろんなものが逆流してきそうだった。僕のことをバカにするクラスメートに対する怒りとか、誰にも明かせぬ淡い初恋とか、友人と空を見上げて語った進路志望とか、イヤホンから流れる好きなロックバンドの新曲とか、いつもより多かったお年玉とか、段ボールのなかの子犬とか、いなくなった女の子のこととか。

 それらすべてが弾けて、脳内でパシパシと虹色の光を発し、ひとつの形を作っていたとき、僕はそれが軽い走馬灯なのだと知った。

「……」

 痛みでモゾモゾと丸くなる。人って案外頑丈にできてるもんなんだって、お腹蹴られたくらいじゃ死なないよ、と聞いたこともないもう一人の僕が心なかで自分を励ましてくれる。

 だけどさ、

「なんで、死なないんだよ」

 首に釘を刺されたんだぞ。

 普通ならそこでジエンドだろ。さっさとエンドロールを流してくれよ、頼むから。

「この程度のことで死んでたら長生きはできねぇだろ。でも痛かったからかなりムカついた」

 ブーツの靴底で思いっきり踏みつけられる。無言で四回、腹と太股を交互に。

 色々なことから逃げてきた十四年で、味わったことのない衝撃だ。

「殺す前に生きてることを後悔させてやるよ」

「……た、誕生日の子どもだって、もっと丁寧にサッカーボールを扱うよ」

 芋虫みたいに体を丸めて、精一杯痛みに耐えているが、惨めさだけはぬぐいされなかった。

「そいつは悪かったな」

 刺すような痛みが背骨に響いた。トゥキックか?

「いまならこれ以上痛みを加えることなく殺してやる」

 だん、と頭を踏みつけられた。

「ノスフェラトゥを呼び出せ。今すぐにだ」

 唇の端が切れている。口内に鉄の味が広がった。はじめて知ったのだけど、人は殴られているだけでも体力を消耗するらしい、知らず知らずのうちに息が切れていた。

「もし、」

「あ?」

「もし、いやだと言ったら?」

「ちっ」

 舌打ちとともに頭を雪に埋められる。

 ジッパーを開ける音がした。と、思ったら、比喩でもなんでもない鋭い痛みが右肘を貫いた。情けない叫び声をあげてしまう。

「この刀でお前の耳や鼻を削いでってやる。安心しろ。すぐ死にたくなる」

「なんだって。そんな、拷問を受けなくちゃなんないんだよ」

 腕の隙間から覗き見た荒尾を見る。残虐な笑みが雪の光に照らされていた。

「あの世じゃもっとよく考えて言葉を選びな。立て」

 足に力が入らない。文句を言おうと思ったけど、その前にかかとが脇腹に落ちてきた。呻き声の隙間に「さっさとしろよ」と理不尽な言葉を吐き捨てられる。

 なんとかふらつく足で立ち上がると、荒尾は直ぐに「ノスフェラトゥを呼び出せ」と命令をしてきた。新入社員だってやる気を失う鬼畜ぶりだ。仕方ないのでポケットから携帯を取りだし、一一七とブッシュする。いま何時か気になったのだ。

 倒れてた時にみたあの景色が、朦朧とした意識で見えた幻でないかぎり、勝機は僕の手のなかにある。

「あ、ノスフェラトゥ。いまどこ」

 現代の時刻をいささか丁寧すぎる口調で教えてくれるお姉さんに感謝しつつ、他愛のない独り言を続ける。

「はぁ、なんだってそんなところに。え、おい、ふざけんなよ。お前のせいで死にかけてんだぞ、こっちは。こら。いいか、公園だ。どこじゃねぇーよ、昨日行った公園だよ」

 大げさ過ぎるだろうか?

 僕が存外大きな声を出すので、荒尾は迷惑そうに自らの首筋を撫でている。

「大丈夫だって。お前なら勝てるよ。いいから自分を信じて来てみろって。荒尾? いま目の前にいるわ。お前がいないからって、怒り心頭だよ。あー、もうぐだぐだうるさいなぁ。いまなら平気だって」

 これだけ大きな声なら、どんなに足音も誤魔化される。

 一呼吸のうちに出来るだけ多くの言葉を連続して打ち出せ。

 マシンガントークは苦手だけど、なにかを誤魔化すことは大得意なんだ。

「今月通話料ヤバイからもう切るぞ。え? んだよ、めんどくさいなぁ。あと十秒だけだぞ。荒尾は昨日おんなじ格好してるって。刀ももってる。もういいか、切るぞ。はぁ、そんな心配そうな声出すなって。たくっ最後だし、もう一度だけ宣言しておこうか。僕らならやれる。大丈夫だって」

 声が骨に響き、痛みとなって呼吸を妨げているけど、それだけは最期に言いたかったのだ。

「そうだろ? 鏡花」

 背後で荒尾の呻き声が響いた。タイミングばっちしだ。


 少女は透き通るような清浄さをもって雪の夜に現れた。

 荒尾の首筋に噛みつく鏡花、狂気という言葉でしか言い現せられない光景だが、立て膝をついてしまった僕には感動で涙を流してしまいそうなほど、嬉しい光景だった。

 できれば彼女が来る前に方をつけたかったけど、やはり僕では力不足だったらしい。

「て、めぇ、ら。くそがぁぁ!」

 夜の公園に響く雄叫びは獣の咆哮によく似ていたが、身体中悲鳴を上げている僕には心地よい子守歌だった。

 首筋に噛みついた鏡花は虚ろな表情のまま、まるで荒尾の一部みたいに微動だにしない。さらさら揺れる銀髪に、流れる雪の結晶は、雄牛に跨がるカウボーイのような気品さを持っていた。

 首から回した彼女の細腕に、胴体をがっしりホールドしている両脚部、無理矢理おぶさっているだけなのだろうけど、普段の幼さは一切感じられなかった。まるで花盛りの乙女が時折みせる大人びた表情、ミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 雪の上でじたばたする荒尾の動きを封じたほうがいいと、思ったのは、彼が落とした日本刀を拾おうと、必死に身を屈めているのに気づいたからだ。

「鏡花ぁ、刀ぁ!」

 口内に広がる血の味と漏れでる空気を煙のように吐きだす。雪にとられて一歩が遅くなってしまう。

「おせぇよ!」

 右手で柄を握った荒尾は薄っぺらい笑い顔を浮かべて、自らの左肩に噛みつく鏡花に向かって刀を振るった。

 危ない! 僕はそう叫んだつもりだったけど、いまいち言葉になっていなかったみたいだ。濁点だらけの単語が、空に消えてなくなり、僕の瞳に飛びこんたのは、鏡花の左目に刺さった剣先だった。

「あ、あぁ」

 澄んだ碧眼は片方潰されてしまったのだ。にもかかわらず、当の本人は気にした様子なく、なおも荒尾に噛みついている。異様だった。だって、痛みや視力を失う苦しみは尋常じゃないはずなのに、叫びもせず、ひたすらに荒尾を攻撃し続けるだなんて。

 弱い僕が彼女に代わって悲鳴をあげているようだった。

「これでも、離れねぇのかっ!!」

 憎々しげに叫んだ荒尾がさらに刀に力を込めようとしているのがわかった。

 これ以上押し込まれようものなら、目だけじゃない、鏡花はより多くのものを失ってしまう。

 脳が思うより先に僕の体が動いていた。さっきまで痛みで一切動けないと、言い訳していた中枢はここにきて働きはじめたのだ。

「邪魔すんじゃねぇ!」

 全体重に全神経に全筋肉をかけて、僕は食人鬼を押さえつけた。痣になっても、血が吹き出しても構わない。僕が傷付いてもいつか絶対治るから。だけど彼女は違うんだ。

 神様。もし神様がいるなら、こんなクソったれな状況を作り出した無慈悲なあなたに、魂を捧げてお願いします。これ以上、彼女を、ライム・ライトを傷付けないでください。

 僕はいつの間にか淡く光を反射するす刃の部分を握っていたらしい。痛みは麻痺しているが、手のひらが沸騰したお湯に浸したみたいに熱くなっていた。

 でもどうせ、刀によって引き起こされた事象は無かったことになるんだ。僕のケガは治癒するし、頭を吹き飛ばされない限り、生きることができる。だけど、

 昨日の荒尾の言葉を思い出す。

 あの日本刀は腐敗した魂を切る。

 それがなにを指しているのは明白だ。

 だからこそ僕は怖くなかった。

「うぜぇんだよ!」

 荒尾はしがみつく僕を振り払おうとしたが、その動作によって、刀を再び雪の上に落としてしまった。と、同時に僕は刀を抱くようにして崩れ落ちる。

 鏡花の左目は、雪の光に照らされてぼんやりと赤黒く染まっているのが見えた。

「が、ぐ」

 荒尾はよろけた。よろけて数歩歩いて、植え込みに崩れかかった。

「うぉぉっ!」

 それが断末魔の雄叫びだったら、どんなに良かっただろう。やつは、あろうことか、背中にへばりついた鏡花の頭部とわざわざ左目の空洞に指を突っ込んで引き剥がしにかかったのだ。

「あぁあああー!」

 言葉は気合いで、少女の牙が食い込んだ肉ごと上に引っ張りあげている。

 びちゃびちゃと雪の上に血が広がった。

「ん、う」

 さすがの鏡花もその気合いには勝てず、荒尾の一本背負いをくらい、植え込みに叩きつけられた。

 仰向けの彼女の唇は真っ赤に染まり、端正な顔立ちが台無しになっている。

「はぁ、はぁ、てめぇ、……なに、しやがった」

 息も絶え絶えに、鏡花のお腹を踏みつけ、逃げ出さぬようにした上で、荒尾は鏡花を見下した。

「……魔力を吸い上げた。貴様はもう何者でもありはしない」

「なん、だと」

「自覚しろ。私もお前も世界から爪弾きにされた存在なのだ。日の射すところに苔はむさない」

「ふざけんじゃねぇ!」

 怒鳴ると同時に、荒尾は何度も鏡花のお腹を地団駄を踏む子供のように蹴りつけた。

 何度も何度も何度も何度も。

「俺が、この俺が! ちっぽけな小娘に力を奪われたというのか、てめぇは!」

 血だらけの表情を悲痛に歪ませ、鏡花は声も出さず必死に耐えていた。

 雪と泥と血にまみれた彼女のコートはすっかりボロボロになっていた。

「やめろ!」

 そんな静止、なんの意味ももたないとわかっていたけど、思わず叫んでいた。

「鏡花をこれ以上足蹴にしてみろ……!」

 覚束ない足取りで前へ前へ。

「絶対許さないからな」

「お前ごときがなにができる。引っ込んでろ!」

 言葉はなかった。言ったって無駄だってわかっていたから。ただ僕は刀をその場に突き立てて、残された力を足に込め、精一杯の体当たりを荒尾に食らわせるのが限界だった。



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