(24)
公園に子供たちの姿はなく、過去の遺物のように佇む遊具だけが寂しく風に揺られていた。
植え込みの回りをうろちょろする僕に鏡花はジトッとした目線を送ってきた。
いつものコートに、フードもかぶって防寒対策ばっちりみたいだ。
「このあたりだと思うんだけどな……」
「なにが?」
アンティークを意識したおしゃれな時計塔と自らの立ち位置を再確認し、一人頷く。
「オーケー。間違いない」
「だからなにが」
彼女の言葉を無視して、肩にかけた鞄を地面におろし、ジッパーに手をかけた。
鼻息さえ白くなる気温。芯から冷えるとはこの事だろう。かじかんだ指先が紅くなっていた。
子どもは風の子、とはいうが、こんなに寒かったら、そりゃ家に引きこもるわ、とふと思った。
「意味がわからない。なにしたいの、君」
公園をあとにしてすぐに鏡花はクエスチョンマークを投げつけてきた。
返事をするのが億劫だったので、意味ありげに曇天の空を指差し、「今日は冷えるね」とだけ告げる。
「たしかに……そうだけど」
「ところでどこか行きたいとこある?」
「なんだ藪から棒に」
「なければないで、このまま駅前デートと洒落こもうか。買いたいものがあるんだ」
「それも悪くない、けど」
冗談のつもりで言ったのだけど、鏡花 は退屈そうにかかとを鳴らすだけだった。
年末商戦が一段落し、落ち着きを取り戻し始めたデパート内をどの子どもよりもテンション高く、銀髪の少女は歩いて回った。電気屋のマッサージチェアに腰掛け、「時代の進化を感じる」と蕩ける笑顔で言われたとき、なんて返したらいいのかわからなかった。
数時間そんな調子でうろちょろしてたら、さすがに小腹が空いてきた。文房具店の袋をぶら下げながら、カフェスペースに陣取りキャベツ焼きで少し遅いお昼御飯をとる。はふはふと大型犬のように息を切らして箸を動かす鏡花は見ていて微笑ましい存在だった。
デパート内部は豊富なテナントが収まっており、地元住民として便利この上ないことなのだが、駅前商店街の需要低下がこの町の一つの問題点として伝えられているらしい。顧客をうまく獲得できない商店街の努力不足と断ずるには複雑すぎる問題だ。商店街の収入が減れば、地元の住民の支出が減り、引いては地方の衰退に繋がる。
とはいえ凡庸な一消費者に言わせれば、買いたいものが安価で買えるのが重要なのだ。本屋で文庫本を一冊、姉貴から貰った図書カードで購入しながら考えた。
デパートをあとにし、ロータリー前のコンビニでお線香とマッチ、ついでにカイロ代わりの缶コーヒーを二本買った。それから僕らは八番乗り場からバスを使い、数分揺られてから、十和森三丁目で降車ボタンを押した。べつに徒歩でもいけない距離でもなかったが、デパートをぶらぶらして歩き疲れたのだ。バスを降りて長い坂道を上りきると、茶色い屋根が見えてきた。十和寺と書かれた看板を横目に、幾つもある石段に足をかけたときだった。
「三吾」
凍えるようにかすれた声で名前を呼ばれた。振り向くと、コートの裾をギュッと握ったまま、僕を見上げる鏡花と目があった。
「どうしたの。早く行こうぜ」
雲は水分を蓄え、今にも落ちてきそうなくらい膨らんでいた。立ちすくんでいても、時間の矢は進むのだ。
「私は、行けない」
「はぁ? あー、あの、招待されないと侵入できないとかいうやつ?」
「違う。違うけど、私は、そこにいけないんだ」
キャベツ焼きのソースを唇の端につけ、ここに来たいと言い出したのは彼女だ。
なのに、ここまできて門をくぐれないなんて、彼女がやはり、……いや、よそう。
「わかった」
「ごめん」
「いや、いいんだ。僕一人で行ってくるから、なにか伝えておくことある?」
風にさらわれた落ち葉が側溝に導かれるように落ちていくのが視界のすみに映った。僕の荷物を受け取ろうと、彼女は静かに腕を伸ばした。
「そうだな」
人通りが全くない道の真ん中で佇む彼女はまるで孤独という二文字を体現しているかのように立っていた。
「待っていろ、とだけ」
「オーケー」
僕は一度うなずいて、
「すぐに行ってくるから」
門をくぐって、石畳の道を歩く。
本堂の住職に挨拶してから、管理事務所に行って、手桶と柄杓を借りてくる。
幾つも似たような石塔が並ぶ霊園を好んで終着駅にする人なんているのだろうか。立ち並ぶ卒塔婆と故人を偲んで添えられた生花だけが、モノクロからの脱却をはかっていた。墓地にいるのは三人ほどで、それを無性に寂しく思いながら、僕は目的の場所にたどり着く。
二ヶ月前はなんの感慨もなく、終の煙を眺めたらだけだったが、全部思い出した今は違う。たしかな喪失を感じながら、僕は黙々と作業に移った。
落ち葉と木枝を取り除き、柄杓を使って墓石に水をかける。真新しい墓石は水を被ったところからその色を変えていった。
墓石に水をかける行為は、餓鬼道に堕ちた死者の苦しみを少しでも和らげるためだと聞いたことがある。あの宮ノ下さんが地獄に堕ちるとは思えないし、この気温では氷が張ってしまいそうだ。
「ライムライトに会いましたよ」
墓碑銘をそっと撫でてみると、間にたまった砂が指先に付着した。
「待っていろって言ってました」
涙はでなかった。
涙が流せるなら、宮ノ下さんが居なくなってしまったときに、流せばよかったのだ。
「僕も、いつか死にます」
指を離して、僕は桶に柄杓をしまい、脇に寄せた。
魂はどこに保存されるのだろうか。このステレオタイプな四角い箱に宮ノ下さんが眠っているだなんて、信じたくもなかった。それでも、頭を切りかえるために、これは必要な儀式なのだ。
「ただ、生きているときだけでも、もっと話がしたかった。いまは……、それが残念でなりません」
マッチを擦るのは理科の実験以来だ。線香に赤い火を灯し、すぐに消す。リンの強い臭いが鼻孔をくすぐった。
線香をたててから、通路手前までさがり、手を合わせて、小さく頭を垂れる。
ろくな挨拶を出来ずに、すみませんでした。
僕は、僕が後悔しない生き方で、人生を歩んでいきたいと思います。
宮ノ下さんへの挨拶を終えたので、バス停に戻ることにした。鏡花は何をするでもなく寺先のブロック塀に寄りかかり僕の帰りを待っていた。
「次のバスは三十分後だね」
時刻表から顔をあげて、ベンチに腰かける。虚ろな表情で彼女はぼんやりとしていた。
辺りは一気に日暮れ始めている。道路を走る車のライトが特撮映画の光線銃みたいに駆け抜ける。
「陽子の墓はどうだった?」
車の排気音にかき消されるくらいの声量で彼女は呟いた。
「よく、手入れされていたよ」
「……小さな、墓だったか?」
「どうだろ。大きさ的には普通だと思うけど」
「そうか……」
沈黙が重く空気を支配した。
曇り空のまま日暮れ始めた世界は予想以上のスピードで夜の訪れを報告していた。
「ありがとう、三吾」
「なんでお礼?
「汚れた魂の器たる私は、聖域に足を踏み入れることはできないし、どのみち陽子に、……二度と会えないのだ。でも、三吾のお陰で、言いたいことは、言えた」
「ああ」
「虚言だろうと、少しだけ、救われた気がした」
「なにをバカな、……鏡花は汚れてなんかいないし。誰しも生きてりゃ死ぬんだ。いつか宮ノ下さんの元へ行くのは嘘じゃないだろ 」
「吸血鬼は嘘つきなんだ。私も嘘を突き返しただけだよ」
「私も、って、……宮ノ下さんは君に嘘をついたのか?」
強化は一度痛みに耐えるよう沈鬱な表情を浮かべ、やがて、微かに震えながら、
「……約束破られた」
ぼそりと呟いた。
「あの薄汚れた地下室で、陽子は私を、二度と独りぼっちにはしないって約束したのに 」
日が沈み、一層気温が落ち込んだように感じられる。
僕は言葉を滑り込ませることもできず、ただ息を一つつくだけだった。白く上がったため息はゆっくり夜の闇に溶けていった。
「だから、大人は嫌いなんだ。うそ、つき、だから」
最後の方は言葉にならず、小刻みに呼吸を繰り返す音が響いていた。その呻き声は僕には計り知れない悲しみの比重を持っているのだ。
「きらいだ。みんな、だいっきらい。わたしをおいてけぼりにして、いなくなっちゃうんだ、それなら、最初から、救いの手をさしださなきゃいいのに、陽子の、陽子の、ばか」
ただの駄々っ子だった。気丈に振る舞う鏡花の姿はなく、見た目相応の子どもの姿がそこにはあった。
「それは違うよ」
鼻をすんすんとならしながら、涙を止めどなく流す彼女に、僕はなるたけ優しくなるように言葉を選んで吐き出した。
「宮ノ下さんは嘘つきじゃない。ライムを独りにするはずないじゃないか」
「……っ」
「宮ノ下さんに、僕なら君の友達になれるって、言われたことがあるんだ」
車のライトは音ともに僕らを無作法に包み込んでいた。一瞬一瞬を切り取るように、無関係な世界への干渉を最小限にとどめていく。
「あの人は君をけして独りきりするつもりなんて無かった。だから、僕がここにいる」
「三、吾?」
「いま、君の隣には宮藤三吾がいるじゃないか。寂しくなったら心を騙さないで言ってくれ。いくらでも話し相手になってやる」
鼻水でぐしゃくじゃなその泣き顔は、なんだがすごく尊いもののように思えた。
「退屈に溺れるなら、歌を歌ってやるし、虚しくなったら、一緒にその胸の空白を埋める方法を探してあげる、だから」
だから、
耳が真っ赤に成っていく音が、聞こえた。
鼻の下が、痛い。
だから、
白いなにかが、黒い景色に線を引いて落ちていった。ふわふわと、花びらが舞い散るように、ゆっくりと。
あれは、
雪。
雪が、降ってきた。
「だから……独りきりだなんて言うなよ」
綿毛のように大きな雪の結晶が地面にそっと落ちていく。思った以上にたくさん、景色を変えるには充分なほど。
「僕は君に会えてよかったと思ってるし、今後僕だってそういう風に思われたい」
「ありが、とう」
「幸せになってほしい。誰よりも、君が報われることを祈ってる。いつか、いつかでいい、僕とも、約束してくれないか」
「やく、そく?」
「ああ、約束だ。きっと、幸せに生きるって 」
僕は、なにをいっているのだろう。
澄んだ空気が思考能力を奪っていったみたいだった。おかしいな、こんなこというつもりじゃなかったのに。
彼女は泣きながら、
「わかった。約束する」
薄く笑顔を浮かべた。
雪景色に映える美しい笑顔だった。
「幸せになるって」
うらぶれた僕には、どんな宝石よりも輝いて見えた。
降り始めの雪にダイヤが乱れることなく、帰りのバスは時間通りに到着した。乗り込み、奥の座席に腰かける。この発着所での乗客は僕らだけのようだった。ブォンという稼働音が響き、車体が僅かに浮き上がる。道路をゆっくりと走りだし、車窓に映る雪が斜めに落ちていく。行き交う車のライトに照らされた結晶はとても幻想的に見えた。
自宅近くのバス停で降りた時、日は完全に暮れきっていた。それでも降りしきる雪の影響か、辺りはやけに明るく感じられる。
「二階の窓、鍵が開いてるから、先に帰っててくれ」
頷いた鏡花の背を見送り、僕は誰もいない道をゆっくり歩きだす。舗装された道路に、まだ雪は積もっていなかった。
手に持ったビニール袋がずっしりと重く感じられた。
昨日の夜、いつの間にかたどり着いていた柿沢の家の前に、今度は明確な意識をもって立つ。ポケットで温めていた右手を寒風にさらし、チャイムボタンを押しこむ。静寂を切り裂きピンポーンという音が弾け、すぐにチョコレート色の扉が開いた。
「あれ、三吾。昨日今日でどうしたよ」
「こんばんは。度々すみません」
「気にすんなって。はぁー、それにしても寒い寒いと思ったら雪が降ってやがんな」
妹によく似た人懐っこそうな笑顔を浮かべ、僕を出迎えてくれた竜太さんは、気温を確かめるようにわざとらしく大きな白い息を吐いた。
「昨日は大丈夫でしたか? 急いでたのに話しかけてしまって」
「間に合ったからノープロブレムよー。それよりお前、寒くないか? 中入れよ」
竜太さんは好奇心に満ちた瞳で降り積もっていく雪を眺めている。なんだかんだで、この人も子どもっぽいところがあるのだ。
「平気です。用件はそれほど長くないんで 」
手に持った袋を差し出す。
カタンと静かに音がした。
「これ、よかったら貰ってくれませんか」
「ん? どうした。クリスマスにゃあ、一ヶ月遅いぜ」
「景品で当たったんです」
竜太さんは文房具店の袋を受けとり、中をそっと確認した。
「色鉛筆じゃあねぇか。なんだって急に」
「昨日の御詫びを含めてですけど、なんだか急にプレゼントしたくなったんです」
「なんのこっちゃ」
首を捻る竜太さんに僕はイタズラめいた考えが浮かんで、二階の窓を指差した。昨日までピンクだったのに、いまは濃い青色のカーテンがかかった部屋を。
「できれば、あそこの部屋に保管してください」
「むむ? そりゃ構わんが、……ますます意味がわからんな」
僕は軽く笑ってから、
「なにはともあれ、おめでとう」
涙が出るのを堪えて言った。二十四色じゃ、未来を描くには足りないだろうか。
「全く事情は飲み込めないが、ありがたく受け取っておくぜ。ありがとよ」
「いえ。受験がんばってください」
「おうよー」
右手があげられ、ドアが閉じられた。
息をはいて、踵をかえす。
玄関から漏れていた明かりがなくなり、辺りは一気に暗くなっていた。
一人きりに戻った僕は、夜空を見上げ、降りしきる雪の粒を顔面で受け止めた。火照った頭が覚めていく。気持ちよかった。
去年の秋ごろ、同じ傘の下、好きな天気の話になったとき「やっぱり雪が一番好きだね」と呟いた柿沢瑠花。僕が理由を尋ねると「空を見上げると飛んでるみたいに感じられるでしょ」とメルヘンチックな笑みを浮かべた彼女の横顔を思い出す。
ああ、たしかに。
瞼の奥で消えずに残る思い出を彩るように、天にも昇る気分を味わう。
頬をつたった雪融け水を鏡花に見られないでよかった。




