(22)
ごわごわしたシーツに身を預け、僕は鏡花の壊れた人生に想いを寄せた。
宮ノ下さんという理解者を得て、教会の庇護対象になったのだけど、吸血鬼として人間性を失い、戻ることの出来ない直進を余儀なくされた、幼い少女。語彙も想像力も少ない中学生では、彼女の哀惜を言葉にするなんて不可能に近いのだろう。
時計の針は一日を跨ぎ、また別の決着を迫っていた。人食鬼と吸血鬼は殺しあうのだ。少なからず勝率をあげる努力はした。あとはいい方に転じることを祈るだけだ。
「鏡花」
クローゼットの扉に向かい声をかける。胸の内と過去を僕に打ち明け、彼女はなにを思っているのか、純粋に気になったのだ。公園での涙は忘れることが出来ない。
返事はなかった。静まり返った室内に暖房の稼働音だけが空しく落ちる。
ベッドを抜け出し、人工的に作られた気温に息苦しさを感じながら、床に降り立ってクローゼットをそっと開けてみた。
ヘッドホンをつけてゲームしていた。
「おい」
「……」
呼び掛けたが返事がない。小さな画面に夢中のようだ。画面のバックライトに照らされ青白くなった彼女の顔は笑っているようにさえ見えた。しょうがないので扉を力一杯開けて、僕の憤りをカタチにしてみせた。
「なにしてんだよ」
びくっと肩を震わせ、
「び、びっくりしたなぁ。もぉう、なんだよ。プライバシーの侵害だぞ」
唇を尖らせながら、ヘッドホンを外す。完璧にゲーマーである。
「百歩譲ってゲームは許すけどさ、なんかこう、空気は読んでよ」
「むぅ? いまいいところなんだ。船を手にいれたんだよ」
子供らしさ満天の瞳。たしかに冒険が一番面白くなるところだ。
「それはそうと一つだけ懸案事項があるんだ。三吾、ちょうどいいところに来た」
真剣みのある表情に一瞬たじろぐ。
「な、なんだよ」
「充電器どこにある?」
「……引き出しの中」
「貸してくれ」
「はいはい」
もう苦笑いしかできない。
机の引き出しからアダプターを取りだし、彼女に渡す。その間一切僕の顔を見ず、画面に釘付けのところが腹立つ。
上機嫌にプラグに差し込んでから、鏡花は床に腹這いになった。クローゼットに戻る気はないらしい。
「ゲームする暇があったら、荒尾……じゃなくて、ソニー・ビーンをどうするか考えなよ」
「そうしたいのはやまやまなんだがな」
ピコピコ指を動かしながら、
「私がいかないと世界がヤバイんだ」
ゲームの中の話を現実に持ち出すなよ!
「つうかお前そのゲームの主人公レベルカンストしてんじゃねぇか。もうやることないだろ」
「バカだな三吾。やりこみ要素が満載なんだぞ。いま四週目に備えて特殊スキルを覚えているところなんだ」
「何回世界を危機にさらせば気がすむんだ」
たぶん持ち主である僕より楽しんでるよ。
鏡花の相手をするのは体力を消耗するので、ベッドに戻ることにした。時計の針は午前一時に差し掛かっている。明日は休日とはいえ、色々と準備をしなければならない。
横になり目を閉じれば、広がる闇。
「なぁ」
「んー」
間延びするような返事があった。どうやら音量を下げたようだ。
「宮ノ下さんとずっと暮らしてたんだろ?」
ベッドサイドストーリーには重すぎる彼女の過去を考えながら、僕は出来るだけ自分の感情を出さぬよう平坦な声音で尋ねた。
「うん。はじめてあった時からずっと」
ややあって答えてくれた。不死性により、鏡花は無限に近い時間を手にいれたのだ。
人魚の肉を食べて死ぬことのなくなった八百比丘尼は、愛した人が自分より先に死んでしまう孤独に耐えられず、出家して尼さんになった。鏡花の隣には宮ノ下さんがいた、それももう過去形なのだ。
「これから、どうするの?」
進路に思い悩んだ中学生にする質問みたいだけど、たぶん重みが違う。
「そうだな。とりあえず世界を見て回ろうと思うよ」
「世界?」
「教会をうまく誤魔化して、二人でいろんな所に行ったんだ。だからもう一度、同じ土地を今度は一人でゆっくり見て回ろうかと思ってる。制約はあるだろうけど、まあ、なんとかなるだろ」
「それはいいね」
首を動かして彼女をみた。腹這いで足をパタパタ動かしながら、どことなしに上機嫌にゲームをしている。
「あのさ、鏡花がよければなんだけど……」
僕がある種の緊張をもって言いかけた時だった。
鏡花は手に持ったゲーム機をパタンとカーペットの上に落とし、
「死んだ!」
と、頬膨らませた。
「最悪だよ、まったくもって卑怯だ。混乱と毒を併発して、レベル関係なしに死亡するなんて」
ぐりん、とこちらにくりくりした瞳をやる。
「それで?」
「あ、いや」
「なにか言いかけてたろ」
電源をパチンと落とした鏡花に毒気を抜かれつつ、僕はなんとか言葉を繋いだ。
「もし、住む場所がないならしばらくここにいても、いいんだよ」
「……」
「姉貴や母さんは僕が誤魔化しとくから、あとは適当に催眠術の練習でもしといてよ」
「どういう風の吹き回しだ? こないだはあんなに追い出そうとしたのに」
「別に」
鏡花はなにも言わずに僕の言葉の続きを促した。
静かに見つめあっていると、喉から言葉が溢れてくる。乾燥した唇が痛かった。
「小三のころかな。通学途中の駐車場に段ボール箱がおいてあって、ご丁寧に「可愛がってあげてください」の張り紙と一緒に犬が捨てられてたんだ。ベタなシチュエーションだよね」
彼女は口を閉じて青い目を細めた。
「どうしようか、って悩んだんだけど、ひとまず学校に行くことにしたんだ。それまでずっと皆勤賞だったからね。授業中ずっと悩んで、母さんに飼えないか頼んでみようって思って、学校が終わると同時に僕は駆け出したんだ」
「……」
「もしかしたらペットが飼えるかもしれなかったんだ。けっして可愛い犬ではなかったけど、一人でテンション上がってたっけ、愉快だろ?」
短く息をはく。
「子犬は死んでいた。理由はわからないけど、いま考えると弱ってたんだと思う。前日は雨だったしね。触ってみるとまだ微かに体温が残っててさ。惨めだったよ。二、三日寝込んで柿沢に心配されたっけ」
そのあと僕は段ボールを抱えて、学校の裏山に行き、子犬のために小さなお墓を作ってやった。いやに冷静な自分にも腹が立った。
「いつも思うんだ。見つけた時に家に連れ帰ってれば、子犬は死なずにすんだんじゃないかって」
僕はこのことを誰にも言わず、自分の胸にしまってきた。
「君は出来ることをやろうとしたじゃないか」
「うん。その時、僕は思ったんだ。人生が選択の連続で成り立ってるなら、出来る限り後悔しない道を選ぼうって」
「そうか」
彼女は微かに笑った。
「だからさ、いま、この提案は僕が後悔したくないからなんだ」
彼女は照れ臭そうに俯いた。
「しばらくゆっくりしていけよ。鏡花がそうしてくれると、僕も前に進める気がするんだ」
「私は……君に心配してもらえるほどの身分じゃないよ」
ぼそりと呟いたその声は、ゆっくりと暗闇に溶けていく。
カーペットに転がる携帯ゲーム機の明かりだけが、微かに室内を照らしていた。よくよく耳を澄ましてみるとゲームオーバーの音楽がヘッドホンから漏れている気がした。音量はかなり小さめに設定されているはずだから、そんなはずないのに。
「私は三吾を、……瑠花を巻き込んだ張本人だ」
ややあって彼女は自嘲気味に肩を軽くすくめた。
「やはり吸血鬼は災厄を運んでしまうものなのだな。変わらないよ、ちっとも」
無力さを噛み締める力ない一言を呟いてから、鏡花はそのままパチリとゲームの電源を落とした。室内は途端に暗くなる。
「謝って許されることだとは思わない。私だって産まれる前に死んでしまえば、と幾度となく後悔したよ。ノスフェラトゥに出会い、決別したはずの過去が、追い付いて、私の足をがんじがらめするんだ」
「ふざけた、こというなよ」
「真面目だよ、私は」
うなだれる気配があった。
暗闇に順応し始めた両目は彼女の落胆を網膜に写していた。上体を起こして枕を腰にあてがう。
「気を紛らわせても、私の罪が消えることはないし、人の命は重すぎる。当たり前だ。私が悪かったんだか」
「ふざけんなって言ってんだよ!」
怒鳴ってしまった。ギョッと鏡花が驚いているのがありありとわかった。下の階の母さんを起こしてないといいけど。
「お前が謝って瑠花が生き返るのかよ!? 違うだろ。必要なのは決別じゃなくて決着だろうが」
「だけど、三吾。君だって巻き込まれたんだ、わかってくれるだろ」
「そりゃ、よくも日常をぶっ壊してくれたな、って文句を言いたいさ。だけど、君がいなくちゃ、僕は僕であることができなかったんだ」
鏡花がいたから、今生きてるのだ。
彼女がいなければ、僕はあの夏の日、朽ちた工場を墓標にしていたのだから。
「荒尾をぶっ殺しても、やっぱり柿沢は生き返らない。過ぎた過去を取り戻すことなんて出来ないんだ。でも、僕らが未来に進むためには、あいつとの決着が必要なんだよ! 」
思いがけず、涙が出てきていた。
こんなカッコ悪い表情、誰にも見られたくない。暗くてよかった。
「だけど、……だけど、僕じゃあいつには勝てないんだ。どんなに覚悟を固めても、どんな武器を用意しても、敵わないんだよ!」
涙をぬぐってから、毛布をはねのけ、鏡花の前に立つ。
「わかるだろ、ノスフェラトゥ、君が、君じゃなきゃ、あいつに一泡吹かせられないんだ」
語尾は掠れて、力がなくなってしまったけど、勢いにまかせて口に出さなきゃ、言葉を飲み込んでしまいそうだったから。
「お願いだ、助けてくれよ……」
頭を下げた相手は少女だ。
だけど、恥ずかしさもなにもあったもんじゃなかった。僕を取り巻くのはただの事実だ。
「三吾、正直に言おう」
近くまで来た僕に臆することなく堂々とした声音で彼女は答えた。
「私でも、勝てない」
ゆっくりと、音もなく彼女は立ち上がった。
正面に立ち、暗闇を挟んで見つめ会う。
「逃げ切れたことが奇跡に近いのだ。明日はどんなに足掻いても、あいつに食べられてしまうだろう。だけど安心してくれ、命に代えて、君と君の身内には手を出させないようにするから」
「……っ」
「だから、お礼と別れを言いたかったんだ。ありがとう、三吾、最後だが、救われたよ」
耐えられなかった。小さな彼女のふざけた虚勢に。
我慢の限界だった。惨めな僕の取り残された現状に。
「長壁鏡花、すこし前に言ったよな、本名があてられたら、僕の言うことを一つ聞くって」
「? 突然、なにを……」
もう、いい。もう、ぜんぶ、弾けてしまえ。
「僕の血を吸え、ライムライト」
僕らならやれる。
そう信じたい。




