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 自覚症状はないが、どうやら僕はねじ曲がった現実を見破る(或いは違和感を感じる)ことができる特異体質らしい。

 ひきこもり生徒に成り済まし何食わぬ顔で登校してきた吸血鬼も、罪を異次元にばらまいたという食人鬼の凶行でさえ、僕は確固たる意思をもって看破することができた。

 どうしてなのかはわからないが、それらは僕の血筋に関係あるらしい。

 血の繋がらない姉の目でさえ誤魔化した鏡花は、一度僕の母親にその正体を見破られかけている。

 あらゆる状況に溶け込むことのできる吸血鬼の能力は、僕と母の血脈には効かなかったからだ。

 だから、居なくなってしまった柿沢瑠花のことも、母さんなら覚えているのではないだろうか。


「遅かったわね。ご飯もう少しでできるから、先にお風呂入ってきちゃいなさい」

 帰宅早々、キッチンに立ち味噌汁を作る母さんに「柿沢瑠花って知ってる?」と軽い調子で尋ねてみた。

 だって、幼馴染みだぞ。改めて訊ねることじゃないし。

「んー、竜太くんならわかるけど、瑠花って名前には聞き覚えないわね。竜太くんの従姉とか?」

「いや、わからないならいいんだ。お風呂行ってくるね」

 駄目だった。

 僕の記憶が失われないのは、直接その現場にいたからだろうか。

 軽い目眩を感じながら、着替えを確保するため、僕は二階の自分の部屋に向かった。

 ドアノブを捻る。

 紺のブレザーには土がついていて、手で汚れを払いおとしながら、鏡花の姿を探した。

 クローゼットでくつろいでるかも、と思ったが、どこにも姿はなく、窓の穴だけが彼女がいた、ということを物語っていた。

 どうやらどこかへいってしまったらしい。

 さんざん人を巻き込んでおいて、消えるのかよ。

 制服をハンガーでかけながら、ため息をついた。

 伝言を伝えなければ、どのみち殺されるのだ。僕のことを考えての行動かもしれないが、はっきり言ってしまえば迷惑だ。

 ノスフェラトゥ、僕の目を誤魔化せると思うなよ。

 着替えの準備をして、お風呂場に向かった。


 風呂上がりのさっぱりとした心持ちで、食卓につく。焼き魚にほうれん草のお浸し、味噌汁ときんぴらごぼう。今日の晩御飯は和風で統一されている。

 いつも通りの日常に、先程大切な幼馴染みが亡くなったことが嘘みたいに感じられたが、こびりついた映像が剥がれることはない。気分が悪くなってきたが、正面に座る母さんに悟られないよう、僕はお椀で顔を隠した。 

「最近、学校はどう?」

 母さんが訊いてきた。

 看護師として働く母さんは、息子に対して、多くの時間を割けないこと悔いているのだろう。仕事が楽しいと笑う母さん、前の父との離婚理由はそこにあったのかもしれない。

「ぼちぼち、だよ。悪くもないし、良くもない」

「もうすぐ三年でしょ? 進路のことも考えなくちゃね」

「うん」小さく頷いてから、ふと思い付いたことを口に出してみた。

「そういえばさ、うちのクラスに留学生が来るらしいんだ」

「あら、どこの国から?」

「カナダだって。日本文化を学びに。だけど、ホームステイ先に不備があったらしくて、いま調整中なんだってさ」

「ふぅん。大変ね」

「それでね、母さん。もしよかったらなんだけど、そいつのこと、うちで受け入れられないかな?」

 真っ直ぐ正面に座る母を見る。

 三十代後半にしては、若いと評される母さんも、改めて顔を付き合わせると、いつのまにか小じわが増えた気がする。

「藪から棒になにを言い出すのよ。珍しいね、アンタがそんな人情見せるなんて」

「そうじゃないよ。もちろん誰かの役に立つのは嬉しいけど、僕はきっと誰よりも利己主義なんだ」

「ふうん」

「僕さ、将来海外の文化を日本に伝えられるような職業につきたいって考えてるんだ」

 柿沢に漏らした夢の欠片を、僕は母さんにも打ち明けている。夢を叶えることが、彼女に対して、僕ができることの一つなのかもしれない。

「だからさ、生の英語で耳を慣らしたいんだ」

「そう」

 母さんは焼き魚の身を箸でほぐしながら、

「それならあとで父さんに電話してみるわ」

「ありがとう」

 麦茶で喉を潤す。嘘をつくと、飲み物が欲しくなるのが、僕のくせみたいだ。

「伊地香ちゃんは明日帰ってくるからその時でいいとして、……その留学生の子はいつ日本に来るの?」

「受け入れ先が決まり次第日本に来るらしいから、最短で週明けかな」

「それはまた随分と急な話ね。一応父さんに確認してみるけど、あまり期待しないでよ」

「わかってるよ。学校受け入れの手続きとかは全部終わってるんだってさ。僕らが焦っても、変わらないしね」

 僕は最後まで嘘を突き通した。

 とまれ、こうして鏡花の居場所を作ることに成功した僕は、宮ノ下さんと交わした約束を守ることができたのだ。

 あとの問題は適当に解決できるだろう。


 部屋で勉強する、と言って、僕は外に出た。こんな夜中に一人で外出するのは、始めてのことかもしれない。

 夜の空気はツンとしていて、肌に直接突き刺さる。携帯のライトのたよりない明かりだけが僕の行く道を照らしてくれている。

 鼻を啜りながら、塀を乗り越え、元・宮ノ下さんちの庭に降りたつ。至るところに解体作業に使う道具とおぼしき物が放置されていた。

 その隙間を縫うようにして進み、庭の隅に植えられた桜の木を目指す。裸の枝の下で、マンホールみたいに埋められた焦げ茶色の蓋を見つけることができた。

 歯を食い縛りながら、手をかける。見た目とは裏腹に思ったよりも軽かった。

 蓋を開けた先には地下に通じる秘密の入り口があり、はしごがかけられていた。地下シェルターという表現がしっくりくる。

 はしごを下るなんて何年かぶりの経験だったが、高さはそれほどなかったので、すぐに一番下にたどり着くことができた。

 ワインセラーとか、そういう用途で作られた部屋なんだろう。十畳ほどのコンクリート打ちっぱなしの地下室の真ん中に、天蓋つきの豪華なベッドが置いてあって、人形のように鏡花はそこで眠っていた。コートと十和森中の制服はベッド脇の椅子にかけられている。

 空気は淀んでおらず、むしろ地上より、なんとなしに暖かい気がした。どこかしらに通気孔があるのだろうか。でないと、普通に考えて酸欠になりそうなもんだが。

 僕は手にもった携帯のライトで鏡花の顔を照らしてみた。きめ細かい白い肌が暗闇に浮かんで、一層に美しさを際立たせる。起きる気配はない。

 ようく耳を澄ましてみると、ジュクジュクと液体が移動するような音が聞こえた。なんだろう、と考えながら、鏡花のほっぺたを見ると、そこについた小さな切り傷がみるみるうちに治癒していくのがわかった。

 次元刀により負った傷が何事もなかったように癒されるのはただの人間に限った話らしい。恐らくこれはノスフェラトゥの回復力の賜なのだろう。

「鏡花」

 僕は小さく声をかける。

 傷の治癒と、僕に迷惑をかけないため、彼女はこの地下室にやって来たのだろう。

 よくよく見ると至るところに切り傷がついている。

「三吾?」

「おはよう」

「……どうしてここが」

 薄く目を開け、うろんな声で鏡花は呟いた。

 僕はその質問を無視して、彼女の愛用のコートを手渡し、起床を促す。

「早朝から雲が出るらしいんだけど、今は晴れてるからさ」

 案の定彼女は裸だったが、いまさら突っ込む気もおきない。

「天体観測でもしようぜ」


 地下室から外に出ると、改めて外気温の低さに愕然とした。雲がじょじょに出始めていたが、まだ、星は落ちてきそうなくらい輝いている。

「鏡花は冬の星に詳しい?」

「いや、私は」

 二人で並んで、歩き出す。目的地なんてない、今はただぼんやりと歩いているだけだ。

 だんだんと夜目がきくようになってきて輪郭がはっきりとしだした、午後九時の住宅街は、死んだように静まり返っていた。

 傷の治りは悪くないそうだ。

 全盛期の半分以下の能力値でも腐っても不死の怪物だからな、と自嘲ぎみに笑う彼女は酷く弱っているように見えた。

 僕は先程の時間稼ぎについてお礼を言ってから、荒尾からの伝言を彼女に伝えた。

 思っていたよりあっさりと頷き、鏡花はうつむきながら歩みを進める。

 夜道は僕ら二人を包み込むように真っ直ぐのびて、孤独感と、愛しさを沸き上がらせる。

「なにも聞かないんだな」

 鏡花が呟くように言った。

「もう全部知っちゃったからね」

「……そうか。すまない。すまなかった」

 僕らはぽつりぽつりと互いの心情を漏らしあった。

「正しい選択ってのはなんだったんだろうね」

「三吾……」

「柿沢はさ、ほんとにいい子だったんだぜ?」

 未練がましい男さながら、柿沢との思い出を鏡花に告げる。面白おかしい柿沢とのエピソードは、無表情だった鏡花に再び笑顔を取り戻すのに役に立った。


 都会の夜空が濁って見えるのは、もちろん空気の汚さもあるのだろうけど、一番は町の明かりが強いからだ。だけど昨今の節電の影響で街灯に制限がかけられた今年は、格好の天体観測年度といえる。

 何をするでもなくまったりと時間を過ごすのは随分と久しぶりのことだった。かじかむくらいの気温だけど、そんなの気にならないくらい、僕らはリラックスした気持ちのまま、学校前の公園にたどり着いた。明日の夜、ここで荒尾は待っていると言っていた。

 キザな動作かもしれないが、僕らはブランコに腰掛け、なんでもない雑談を繰り返した。この公園にはバスケットゴールはあるのに、ベンチがないのだ。

「空が近づいたり離れたりして、宇宙船に乗っているみたいな気分になれるな」

 ギーコギーコとブランコを漕ぎながら、鏡花は子供みたいに声をあげた。夜の公園に鉄が擦れる音が空しく響く。

 透明度高い空はどこまでも澄んでいた。

「星空がきれいだよ。オリオン座がくっきり見える。あの星座はいつでも私を見下ろしてくれる」

 感傷的に鏡花は呟いた。

 オリオンの肩で輝くペテルギウスは、こいぬ座のプロキオンとおおいぬ座のシリウスで冬の大三角を構成する、一際強い輝きを持つ星だ。

 それでもあの星は地球からみて加速度的に収縮していると新聞の記事で見たことがある。

「オリオン座で一番明るいあの星はさ」

 僕の呟きに、鏡花はブランコを漕ぐのをやめた。ゆっくりと振り子は沈静化していく。

「もしかしたら明日にでも爆発してなくなってしまうかもしれないんだ」

 恒星は質量が大きくなると、最後には爆発して消えてしまう。超新星爆発というやつだ。理科で習ったことがある。

「終わらないものなんてない、生き物にとったら無限に近い時を生きるあの星でさえそうなんだ。そう考えると、結局僕らなんてちっぽけな生き物だってことだよ」

 鏡花は怪訝そうに僕を見つめた。

「だってそうだろ。あんだけ巨大な星の消滅に比べたら、砂漠の砂の一粒にも満たないくらいちゃちな一生だぜ。刹那だよ」

「そう、だな」

 キラキラと輝く星を瞳に写して鏡花はなにを考えるのだろう。

 こんなにロマンチックな夜だから、どんなにクサイこと言ったって気にもならない。

「だからこそ、さ」

 ブランコから腰を浮かし、振り返る。こちらを見上げる小さな瞳と目があった。

「人間ってのは、生きてる意味を知ろうと思うんだよ」

「意味、か。それは、一体どんな」

「偉い宗教家でさえ導き出せない答えを僕がわかるわけないだろ」

 思わず笑ってしまった。

「僕がわかるのは僕だけの答えだよ」

「三吾の答え?」

「うん。他者の意識は関係なくて、自分が今ここにいる。こんなに綺麗な星の下、最高な気分じゃないか。膨大な時間に押し潰されてしまいそうな時、それだけわかってさえいれば、乗り切れる気がしない?」

「……」

 鏡花は下唇を噛んで微かに頷いた。

 いままでどんな辛い経験をしてきたか、人が人として生きる線引きくらい心得ている。

「だから、さ。生きているやつの答え探しを邪魔するやつらなんて、くそ食らえだろ」

 僕はいけ好かない金髪の男に話しかけるように、呟いた。結局あいつとの関係を詮索しようと考えていたけど、やめた。どうせろくでもない縁だろう。

「違う」

「ん?」

「私は、生きてなんかいない。死んでいる」

「……」

 止めどなく流れる涙をそのままに、すがるように鏡花は真っ直ぐに僕を見つめ、震える声で続けた。

 突如として流れ落ちる彼女の涙。ぎょっとしてしまう、どうして彼女は泣き出してしまったのだろう。

「ノスフェラトゥになったその日から、生ける死者に。心臓だって止まってるし、体温だって存在しない。ただ腐らない身体と時の止まった空っぽな魂だけが持ち物」

 無色透明の息を吐きながら、彼女はぼんやりとした存在感を明瞭なものにしていく。夜は彼女の時間なのだ。

 泣いてる女の子の励ましかたなんて、わからないけど、言いたいことだけはあった。

「あんたは生きてるよ。死んでたら涙が流れるわけないじゃないか」

 彼女の柔らかな頬っぺたに触ってみた。鏡花は小さく「ん」とうめき声をあげる。感覚器は正常に作用しているのだ。そのまま、冷たい肌の上を滑らせて、彼女の涙をぬぐってあげる。

「感情の昂りで涙を流すなんて、血も涙もない吸血鬼がすることじゃないだろ?」

 彼女は無言で小さく俯き、若干の寂しさを宿らせた表情で僕を見据えた。

「それでも吸血鬼として生きてる」

「否定しないさ。生きてればそれでいいだろ。未来に進める足があるんだ。この世で一番残酷なのは足掻いても辿り着けないってことだと思うからさ」

 冷たい鎖に寄りかかって、彼女は透明の息をはいた。

「三吾は不思議だね。私よりよっぽど長生きしてるみたい。私は何時までも子どもだ。産まれた時からずっと」

「そう思うのも生きているからだよ。死んでしまえば、誰かに覚えてもらえない限り、生きた証も残らない」

「うん」

「だからさ、僕は死ぬまで柿沢のことを覚えておこうと思うんだ。彼女は確かにここにいたんだから」

 あと、数時間で、僕の幼馴染みは十五歳になる。

 渡せなかった誕生日プレゼントが頭のなかでぐるぐる回った。

「そうだね」

 体の底から凍えるような気温だった。

 冷気は人を不安にさせる。だからだろうか、隣の少女が見た目以上に頼もしく感じた。

「少しだけ、瑠花が、うらやましいな」

 その声はすぐに溶けた。夜の公園の遊具は、子供たちに使われることがなくて寂しそうだ。

「小さな吸血鬼のことも覚えておくよ。僕がずっと」

 夜空は明日、雪が降ることが嘘のようにどこまでも広がっていた。

 ためらいがちに、うつむいて、鏡花は消え入りそうな声で、「ありがとう」とお礼をいった。

 それから、すっと笑顔を覗かせ、彼女は顔をあげた。

「少しだけ、昔話を、させてくれない?」

 微かな寂しさを滲ませた瞳。憧憬を語るかのようにボツりポツリと唇を開いた。

 黒に染まる景色が、奇譚を静かに彩りに始める。

 見失った世間体とあり得ないストーリーを肉付けするには丁度いい具合の物語だったのかもしれない。




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