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 このまま矛盾に眼をつむり続けるわけにはいかない。

 覚束無い足取りでなんとか三叉路に戻ってきた。

 僕を守るため時間を稼いだ鏡花の無事を祈りながら、そっと塀に寄り添いながら窺ってみる。

 驚くくらい静かだった。

 朝起きて、部屋を出て、帰ってきた時のように、あまりにも自然体すぎる。逆にそれが違和感を僕に植え付けた。街灯が終わった舞台を照らし続けるスポットライトのように寂しく辺りを明るくしている。

 荒尾に蹴られてへこんだガードレールは、しゃっきりとまっすぐ延びていて、地面に広がるハズの血だまりでさえ、ルミノールが反応しないくらい綺麗になっていた。

 なんだ、これ、なんで。

 そしてなにより、柿沢の遺体がない。


「逃げられちまったよ」

 肩がビクリと震える。

 聞き覚えのあるぶっきらぼうな声。

「あともうちょっとだってのに、くそ」

 ギターケースに背負っていつもの調子で話しかけてきた荒尾は先ほど僕を殺そうしたやつと同一人物とは思えない。

 憎しみの眼差しを、かわすように手をヒラヒラと動かしながら、荒尾は呟くみたいに言った。

「本来なら正体を知る奴はすぐぶち殺してやるんだがな、お前はまだ利用価値がありそうだから、生かしといて、」

「柿沢をどこにやった?」

「あ?」

 全てを凍てつかせる男がこの場にいるということは、僕にとって確かに絶望的な状況だけど、危機感でさえうまく機能しないほど、僕は怒りで熱くなっていた。

「柿沢瑠花を、お前はっ!」

 僕の握りしめた拳をバックステップで容易くかわし、荒尾はため息混じりに続けた。

「おいおい、勘違いするなよ。あれは自然の成り行きでああなったんだ。どっかの次元でバラバラになったよ。そういう攻撃をしたんだ、俺にも行き先はわからん」

「なにを言って」

 ニタニタと君の悪い笑みを浮かべながら、荒尾はガードレールに腰かけた。

「手っ取り早く時空間に干渉したんだ」

「あの、刀の影響だと、そういうことか?」

「お前物分かり良さそうな面して、うだうだめんどくせぇ奴だよな」

 タバコを吹かすみたいに夜空に向かって息を一つつく。その呼吸が白く染まることはなかった。

「ソニー・ビーン」

「……」

「それが名前なのか?」

「正確にはその内の一体だがな。生き残りっていうか、運が良かったんだ、俺ゃ」

「息をするように嘘をつくんだな」

 携帯をネットに繋げて、調べるだけ調べておいて良かった。こんなに早く荒尾に会うとは思ってなかったけど。

「ソニー・ビーンは十六世紀、スコットランドいたとされるの怪人だろ」

「てめぇの物差しで他人を測るなよ、人間」

 にたり、と笑った男の顔は、およそ僕が見てきた表情で、初めてうかがい知るものだった。

 蹴落とされた気分だ。だけど、しがみつかなければ、僕は、こいつの本当の名前を知らなくてはならない。

「ソニー・ビーンってのは伝説になぞらえただけの、関係ない名前だろ」

「関係なくはないさ。モデルとなった人物が、実際にいたとしたら」

 僕が疑問符にとらわれているのを愉快そうに見てから、荒尾は続けた。

「例えば現在まで語り継がれたソニー・ビーンは、大昔のスコットランドで一族を率いて多数の旅人を襲い、その血肉を食べた食人種だ」

「代表的なカニバリズムだから、その名前を借りただけだろ。気持ち悪い」

「もともと怠惰な性格のビーンは労働を嫌い家を出て、酒場で知り合った性悪女と共謀し、旅人を襲って金品を巻き上げていた。証拠を残さぬよう必ず殺すようにしてな。海辺の洞窟を根城に近親相姦で大家族を形成、四十八の一族を率いて狩りを続けていたがある日、取り逃がした旅人により、犯行が露見、警察に捕まって、一族もろとも処刑されてしまった、……めでたしめでたし」

 星空の下、男は道化を演じるように手を広げた。

「殺害した人数は多い説では三百人を越える。もちろん、それは伝説ならではの誇張表現だろうが、実際モデルとなった人物がいるのは確かだ。おれがその一族の子孫だとしたら、なんの矛盾もないだろ?」

「お前が、……食人種で、それがただの先祖がえりだとしても、……なんで容姿が変わるんだ」

「ああー?」

「四年前、川沿いの廃工場で僕を殺そうとしたな」

 街灯に照らされ、白く浮かび上がった荒尾は眼を見開いて、それから心底楽しそうに大声をあげて笑った。

「あの時のガキがお前だったのか! かははは、因果な性分というか、いや計算された組み合わせか!」

「質問に答えろ」

「くくく、ノスフェラトゥが言ってただろ? あいつのネーミングに従うのはシャクだが、面倒だから、乗らせてもらおう、人食細工、ってやつだ」

 鏡花は確かに『食べた相手に化ける』と、荒尾を指してそう言った。文字通りの意味なら、これほど恐ろしいことはない。エイリアンやインベーダーだ。

「俺はその肉を食らった奴に、体型体臭、その他もろもろを真似ることが出来る特異体質なんだ」

「化け物め!」

「かっかっか、ありがとよ、昔から人を観察するの好きでさ。俺が初めて人を食べたのは、自分の席の斜め前の女子だった。活発な子でさぁ、ずっと見てきたんだ。そんであるとき、その柔い肉を食べてみたいって衝動に刈られたんだよ。思春期の性の目覚めが、単純に食欲と同化しただけの話なんだ。至って普通さ」

「いかれてる」

「好きな子と一つになりたいのが、そんなにおかしなことかな? 俺の育ったところは小さな島でさ、行方不明はすぐに噂になっちまうんだ、誤魔化すには彼女の皮を被って、フリを続けるのが一番だった。俺自身は引っ越した事にしてさぁ。そんなことを何年か続けるうちに、コツを覚えて、俺になれないものはなくなった」

 そんなの、深く考えなくても、ただの与太話だってわかる。ありえるはずがない。

「だけどよぉー、こんなことを百年近く続けてると、さすがに疲れるんだわ。だから、手っ取り早く、不老不死のやつに成り代わりたいわけ、わかるかぁー? 俺の苦悩が」

 わかるわけがなかった。

「だから、すぐにぶち殺せる宮藤三吾を活かして、メッセンジャーをお願いしたいわけよ。逃がした不老不死を手繰り寄せるためね」

 荒尾はそう言ってから、勢いをつけ、ガードレールから腰を浮かせた。

「ノスフェラトゥに、伝言をしたい、というわけか?」

「話が早くて助かるね」

 荒尾は夜に笑顔を浮かべた。

「明日、夜、そうだな九時にしよう、バスケットゴールのある公園に来い、姿を見せなければ伝書鳩は殺すってな」

 それはつまり、鏡花に伝言し、彼女がそれに従わなければ、僕はこいつに殺されるというわけだ。人質が伝言係りだなんて、居直り強盗としては免許皆伝だろう。

「伝えてやるよ。公園ってのは、中学校の前にあるやつで間違いないよね?」

 荒尾は低い笑い声をあげ、

「ああ、そうだ。お願いするぜ。そうだな、もしノスフェラトゥ様が現れなかったりしたら……」

 おどけるように肩をすくめ、

「お前の家族もなぶって沈めてやるよ」

 闇に紛れた。どこまでも、いけすかない男だ。

 そうは思っても、いまはっきりとわかるのは幼稚園児が高校生には敵わないのと同じように、僕ではこいつには勝てない、という事実だけ。怒りが風化することはないが、まずは冷静に自分の立ち位置を認識しなくてはいけない。

 柿沢に、「落ち着いてるミヤチは無敵だね」と評されたことを思い出した。あれはいつの話だったっけ。

 黒のなかに荒尾を見送り、先程まで感じていた吐き気がきれいさっぱり無くなっていることに気がついた。

 冬の夜は人を責めるみたいに冷えていて、吐き出した息がじんわり白くなっていくのが、とてもセンチに感じられる。

 凍えた月がぽっかりと浮かんでいて、存在価値をたらしめていた。



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