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 血がアスファルトを濡らしていく。

 凍りついた世界が、立ち上る湯気とともに、僕を混乱の渦に巻き込んだ。

 なんだよ、それ、なんなんだよ。

 転がって、三メートル先にある柿沢の首は、まるで元からあったオブジェのように落ちていた。

 ふざけた非日常に夢だと叫べば、鼻をつく臭気が僕に現実をたらしめる。涙も出なかった。感情を落ち着かせるために涙が出るなら、この状況で泣けるわけがない。自らの肩の痛みなど忘れて、僕はただ呆然としていた。

 数秒前まであった柿沢の笑顔は小さく転がり、温もりを失った身体は目の前に倒れ、首があったところから断続的に、ドクドクと赤い液体を垂れ流している。

 なんだよ、それ。意味わかんねぇ。

「あっさり逝っちまったなぁ。こりゃどうも俺の検討違いだったみたいだ」

 場にそぐわぬ間の抜けた声で、荒尾は刀を二、三振りして、付着した血を落とした。空気を切る音で、失いかけた意識を取り戻す。

「なんで、柿沢が」

 もう、彼女は……、二度と喋らないし、走らないし、眠らないし、息もしない。

 進路について一緒に悩んで、恋愛相談で照れあって、憧れのキャンパスライフや、学食で一緒にお昼を食べることもできないのだ。そんな、未来を、こいつが断ち切った。

「なん、で、だよ」

 怒りに任せた涙が滝のように頬を伝う。

 涙が。一瞬を過去にしようというのか。

「いや、わりぃ。てっきりのこの子がノスフェラトゥだと思ったら違ったらしいな」

 へらへらと片手を顔の前で上下させる。そのまま『ドッキリ大成功』の看板でも掲げてくれない限り、僕はこいつを許せそうにない。

 涙で滲む世界が、狂った夜に落ちる赤を、残酷に照らし出していた。

 僕の精神は、現実を受け止め、柿沢の死を、ああ、彼女はいなくなってしまっのだ、柿沢の死を、過去にしようとしている。

「間違って殺しちまった。仕方ないから、俺の代わりに謝っておいてくれねぇか」

 誉められた子供のように晴れやかな笑顔で刀を構える荒尾。その言葉が嘘だということくらい、気づいている。

 あいつは、僕と柿沢の会話に割り込んできたのだ。

「僕らの話を聞いてたんなら、……彼女が……ッ」

 喉がすごく痛んだ。熱くなって、そこだけカイロをあてたみたいだ。

 それでも、叫んだ。

 あの不愉快なにやにや面をいつまでも掲げる、滴る赤い血をないがしろにするくそ野郎に。

「柿沢が、ノスフェラトゥじゃないことくらい、わかっただろうがぁっ!」

「ああ、なるほど」

 おどけるように首をコキコキならしてから、横たわる柿沢の胴体部を見下し、荒尾を吐き捨てた。

「少し考えれば確かにその通りだったな。うっかりしてた」

 ガタガタ笑う膝に力を込めて立ち上がる。

「てめぇ……」

 怒りが内側から爆発した。

 耐えられなかった。

 わざとだ、わざとやりやがった。この最低のクズのイカレ野郎は自らの破壊衝動を柿沢瑠花の白い首筋にぶつけたのだ。

 ああ、ノコギリをもってくればよかった、と思うより先に、気づけば僕は犬のように吠えながら荒尾に殴りかかっていた。

「あぁぁああああ!!!」

 言葉にならない怒りの咆哮が喉から血を吹き上げるが、そんなもの気にもしなかった。

 あいつの涼しい横っ面を殴り付けてやるしか、僕のこの行き場のない感情を慰める方法が見当たらなかったから。

 握りしめた右拳を勢いまかせに荒尾の頬に叩きつけようと、思いっきり振るう。

「理性を失うとこうも醜い」

 すいっと、避け、荒尾は不気味なくらい白い歯を僕に向けた。

「脅しのつもりが、殺戮に変わりそうだぜ」

 脇腹が蹴られて、僕は無様にもブロック塀にしこたま背中をぶつけた。がはっと肺の空気が外に漏れて、白く染まり、すぐに消えた。

「最初はノスフェラトゥに違いないと思ってたんだ。念のための確認して何が悪い? いやはや、結果は案の定だったけど、こういう気の張りようが大切なんだと思うんだがね」

 おそらくその言葉に嘘はないのだろう。

 柿沢は鏡花と間違えられて殺された。

 鏡花なら、あるいは首と胴体二つに別れても、ご自慢の魔力とやらで案外どうにかしてしまうのかもしれないが、そんなの僕の範疇外だ。

 柿沢。

 目から溢れた涙が視界を再び滲ませる。

 目の前の光景は全部嘘だと、ベッドで悶える自分に叫びたい。

 だけど、わかっている。

 僕が未来を変えたからだ。あのベアリングの襲撃の時、黙って鏡花を見送っておけば、少なくとも柿沢が死ぬことはなかった。

 ノスフェラトゥの魔力なら防げた一撃でも、ただの人間の柿沢にとっては致命傷なのだ。

 なら、悪いのは。

 こんな状況を引き起こしたのは。

 僕のせいか?

 あるいは目の前の、

 今すぐぶち殺して肥溜めに骨をばらまいてやりたいクソ野郎が、やつがやつの言う通り正義の味方だとして、

「お前がっ、ノスフェラトゥを狩らなきゃいけない理由はなんだ?」

「だから、前にも言っただろ」

 もったいつけるように荒尾はポケットから取り出した白い綿のようなもので刃に滴る血液と脂を払いさり、それを路上にポイ捨てしてから塀に背を預ける僕に近づいてきた。

「あいつがいるだけで、人が襲われ、次元が収縮しちまう。だから俺が地区管理者として、ノスフェラトゥの惨劇を食い止めなくちゃなんねぇんだ」

「それならば、なぜ宮ノ下さんはヤツを放置した」

「……さてね。俺らの知らないところで人知れず戦ってたのかもしれないし、もしかしたら、宮ノ下が亡くなったのもヤツの仕業かも」

「それだけ危険な相手を援軍もなしに、なぜ一人で相手しようとする?」

「ごちゃごちゃうるせぇーな。てめーは聞かれたことだけ答えてりゃいいんだよ。それとも愛しのカノジョと同じとこに飛び立つかい? 俺は別に構わないんだぜ? 時間をかけりゃどうせ見つけられるんだ」

 肩の痛みはなぜだか和らいでいたけど、どうあがいたって荒尾には勝てない。かといって従う気にもなれないのなら、精一杯胸を張るしかないだろう。

「ちっーと素直になってくれれば、お前は死ななくてすむんだ。質問するぜ。本物のノスフェラトゥは誰でそしてどこにいる?」

 平然と構えられた切っ先が僕に向けられている。

「やつのカムフラージュは特殊だ。そう簡単には見抜けねぇ。それなら効かない体質の奴に聞くのが手っ取り早いだろ?」

「だから、僕には検討もつかないし、……腐っても人殺しに協力する気はない」

 柿沢瑠花。

 二つになった彼女が僕に笑いかけることは二度とないのだ。

 荒尾はわざとらしく肩を竦めてから僕の目の前に来るように刀を付きだした。

「見ろよ。美しい互の目丁子だろ?」

「……」

 刃文には先程まで赤く滴っていたはずの柿沢と僕の血は付着しておらず、未使用と言われれば信じてしまうほど淡く輝いていた。

「戦国時代、段々とお飾りになっていく刀の存在価値を高めるため、死屍累々の戦場で、磨耗し折れた刃ばかりを集め、打ち直してできたのがこいつだ。実際に幾人もの血を吸い、怨念を帯びた状態で生をうけた日本刀はそのまま海外に流れ、西洋の魔術と結び付き、完全なる魔法刀に生まれ変わった。名を冠するなら次元刀」

 にたりと片頬を吊り上げて荒尾は笑った。

「これに斬られたモノはその存在を無かったことにされる」

「どういう、意味だ」

 横たわる柿沢の遺体。それはたしかにそこにあり、ないものになんてできるはずがない。

「言葉通りの意味だ。前々から言っているだろ。ノスフェラトゥがいると次元が収縮され、今の世界がぶっ潰れちまうってな。それの簡易版だと思えばいい」

 次元が収縮、というより昇華なら、僕が身をもって体験している。アカシックレコードへのアクセス権を、僕は鏡花より与えられたのだから。

「この刀に斬られたり、貫かれたら、結果はバラバラになって多次元にばらまかれちまうのよ。より分かりやすく言ってやりゃ、はじめから無かったことにされるんだ」

「柿沢は、どこかで生きていると、言いたいのか?」

 そんなはずはない、だって、彼女は確かに。

「いんや。もとから柿沢瑠花なんて人間はこの世にいなかったのよ。どうだ、宮藤三吾、肩痛むか?」

「……」

 痛みはなかった。貫通していたはずなのに。慌てて触って確かめる。ブレザーには穴も空いていなかった。 

「こいつが傷つけられるのは、腐敗した魂の持ち主か、完全に首を切断された者だけだ」

「なかった、ことに……」

「で、俺はお前にこれから再度一つの質問をする。答えられないは、なしだ」

 濡れたように美しい刃が首筋に当てられる。それは真冬の光景によく似た退廃的な芸術美を持っていた。

 くすんで滲んでふやけてぐにゃぐにゃな、僕の終わりが足音をたてて近づいてくる。

「ノスフェラトゥはどこにいる?」





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