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 乾燥した冬の風が落ち葉をさらって南へと流れていく。お世辞にも掃除が行き届いているとは言えない道路の上、掠れた白線が誰かの悲鳴のようにひび割れていた。

「よぉう」

 胡散臭い笑顔を引っ提げて荒尾が現れた。会いたくもないのに、先回りするようにこいつは現れる。

「知り合い?」

「あぁ、知り合いたくもなかっけど」

 僕は柿沢を正面に立つ荒尾から隠すように一歩前に出た。伸びる影が一つになる。

「ノスフェラトゥについては未だにさっぱりだよ」

 荒尾は頭をポリポリ掻きながら口を開いた。

「ああ、もういいんだ。大体の目星がついた」

「……ほんとかよ」

「嘘言う必要はねぇーだろ? 一応、報告しにきてやったんだ」

 不気味に静まり返った住宅街で、得も言われぬ恐怖心を煽られる。

 左腕をギュッと握られた。

 僕の後ろで震える柿沢も、ただならぬ気配に怯えているだろう。

 今日の荒尾は先日までの鋭利な気配を隠そうともせず、僕の前に立っている。寒気が露出した肌を突き刺した。

「戻れぬくらいに巻き込まれたんだ。結果を見届けたいだろ?」

「そっちが一方的に話しかけてきただけじゃん。僕は無関係だって」

「はっ、ほんとーにそう思ってるのか? だとしたら、随分と、くくっ、お目出度い野郎だなぁ」

 荒尾の吐き出す息は無色透明だった。

 息が白く見えるのは、呼気に含まれる水蒸気が大気によって冷やされ、水の粒となり、それが光を反射するからだ。吐き出した息と大気の温度差によってこの現象は生じる。

 つまり吐き出した息が温かくなければ息が白くなることはないのだ。

 理屈に合わないが、鏡花の息は夜空を白く染め上げることはなかった。

「小説ならば、お前はもう登場人物紹介に名を連ねてるんだぜ? 宮藤三吾」

「……尋ね人を探せたんならハッピーエンドだろ? 端役が顛末を知る必要はない」

「くくっ、かも知れねーな。そうだ、一応言っておくぜ。奴とはまだコンタクトはとってねぇけど、想定通り擬態しやがったんだ。誰にだと思う?」

「さぁ。まさか。僕がそうだとでも」

「かっははは、だとしたらとんだどんでん返しだな。残念ながら違うけどよ」

「誰かに化けてたの? ひょっとして僕の知ってる人?」

「くっくく、頸動脈が波打ってるぜ、すっとぼけんのも大概にしろよ」

「……」

 肌が粟立つ。

 短距離走には自信がないので、あいつより速く帰宅するのは叶わなそうだ。それに無関係の柿沢を巻き込むわけにはいかない。

 薄暗くなり始めた住宅街は異世界への入り口のように、僕らのことを包み込んでいた。

「まあいい」

 区切りをつけるように荒尾はぽんと手を叩いた。

「それでは人物紹介でもやろうか。順序だてて」

 そう言うと、肩に背負ったギターケースを道路の上にどんと下ろし、立て膝をついて両手を添える。

 街灯が灯り始めた。普段通りの光景なのに、僕はなぜだかホッとしてしまった。

「お嬢ちゃんにも聞いてもらおうか。そこに立つ歪んでひしゃげた惨めな男の人物史を」

 ビクリ、と身を寄せられた左腕が震えた。柿沢が不安に滲む瞳を荒尾に向ける。

「あなたは、ミヤチと友達なの?」

「少なくとも、理解者ではあるねぇ。良き、かは知らないけれど」

「そうは見えないんだけど」

「かははは、お好きなように捉えてもらって結構。俺のプロフィールより先に、おたくの三吾ちゃんについて、紹介させてもらうぜ」

「私とミヤチなら古い付き合いだから、今さら紹介してもらわなくたって大丈夫、だよ」

「そいつの人間性を理解するのは、宙を舞う綿毛の行き先を予想するより難しいと思うぜ」

 ギターケースのジッパーが下がる音が響いた。おかしい。静かすぎる。いつものこの時間帯なら、宅急便のトラックの一台や二台、走っていてもおかしくない。

「ずいぶんとボロクソに言ってくれるな。人並み程度の起伏のない生活を蔑むなら、平均的人間はみんなダメな奴ってことになっちゃうけど」

「まさか、おたくがそうだと? 笑わせる」

 紫色の空の下、荒尾はニタニタとしながら続けた。 

「宮藤三吾、五歳の時、実の両親が離婚。子は鎹とはよく言ったものだが、離婚調停に時間はかからなかったそうだ」

「あんたは探偵かストーカーか?」

「まぁ待て。年長者が喋ってるときは、黙ってろって教えてやっただろう?」

 遺伝子学上の父親について覚えていることはあまりない。幼稚園以前の話だ。当然、母さんが離婚を決めた理由も僕は知らないし、今後一切興味をもつことはないだろう。

 突然、人の歴史を語り始めた荒尾の意図は読めない。

「親権は母親に委ねられたが、その一年後あっさり再婚。母親の再婚相手は若くして妻を失っており、バツイチ同士のウェディングってわけだ。向こうがたにも連れ子がおり、名前は宮藤伊地香。三吾より五歳年上で、戸籍上は姉にあたる」

「一人で喋ってろ。行こう柿沢。良かったらウチに寄ってきなよ。久しぶりにゲームでもしようぜ」

 ぼうっと突っ立っていた柿沢を「あっ、うん」と頷かせ、三叉路を左に歩き出す。頭のおかしいやつの相手をしてやる必要はない。

「聞けよ」

「……」

「話を聞けっつてんだ!」

 ダァンと激しい衝撃音が響いた。ビリビリと空気が震える。

 ビックリして振り返ると、すぐ目の前に荒尾が立っていた。腕を伸ばせば届く距離。

「ひっ」

 横の柿沢が小さな悲鳴をあげた。

 荒尾が先程立っていた場所を見ると、背後にあったガードレールの一部が窪んでいる。あれを蹴って勢いをつけ、僕らの場所まで一気に来たらしい。人間業じゃない。

「俺は無視されるのが一番嫌なんだ」

「訳のわからないことを喋られたって、こっちとしては困るだけだよ」

 思った以上にこいつは危険だ。

 いままでの人格を否定してまで、追い込みにかかっているのだ。……誰を?

 僕を?

「宮藤三吾」

 ガラリと雰囲気を変え、荒尾はニコリと微笑んだ。

「血の繋がらない女と一つ屋根の下ってのはどういう気分だ?」

 荒尾はかがみ、ギターケースの半分までおりたジッパーに再び手をかけた。

 目で返事を求められる。その瞳はどこまでも冷たく、闇を孕んでいた。

「別に、どうも」

「宮藤伊地香。サークル活動では持ち前の気丈さと雄弁さで、誰からも慕われる副代表様だ」

「なんなんだよ、さっきから。姉貴のことが知りたいなら僕を使わないで自分でアプローチかけたらいいだろ」

「顔立ち、胸、腰つき、すべてにおいて扇情的だ。無防備な笑顔に肉欲的な情熱を抱かないはずかない。淫靡な関係になりたいと思ったことは?」

「……そんなわけないだろ。もう兄弟みたいなもんだ」

「嘘つくなよ。誤魔化すなよ。禁じられた恋というわけではないぜ。ましてや血の繋がりはねぇんだ、連れ子同士の結婚は認められてるしな。同じ空間、食いごろの女がいりゃあ、欲情するのが当たり前だ。正常だよ。社会倫理が異常なだけ」

 柿沢がいる。

 僕の腕に弱々しくしがみついた柿沢は不安な眼差しを僕に向けている。涙目だ。

「誰がそんなこと思うか。一人で妄想に耽ってろ」

「誰かに奪われるくらいだったら、自分の手で汚してしまいたいと、考えたことは?」

「ない。断じて、あるはずがない」

「嘘っぱちだな」

「……」

「お前の姉貴が言ってたんだぜ?」

「は?」

「弟の視線は男のソレだし、どうすれば傷つけずに、諭せるかってな」

「お前、なに言って」

「伊地香はなかなか淫乱だな。頭空っぽのほうが、楽しみやすいが、少し気取ってるほうが落とすのは簡単なんだ」

 思うより早く手が出ていた。怒りに任せて、なのか。

 しかし、荒尾の頬に向けた僕の拳は空しく空を切った。

「変態野郎」

 呟きとともに白い光が視界の端を通り抜ける。左肩に突き刺すような鋭い痛み。

 なんだ? なにこれ。

「ぐぅぁいてぇ!?」

 肩を何かに抉られていた。痛みでチカチカする視線がようやくはっきりしてきたのは柿沢の「きゃあああ」という悲鳴でだった。

 僕の攻撃をかわすため頭を下げた荒尾の手には抜き身の日本刀の柄が握られ、刃が僕の肩に突き刺さっていた。ギターケースのに入っていたのか?

 傷口からドクドクと音をたて、血が体外に流れ出ているのを感じる。

「みやちぃ!?」

 深い。ズブズブと肉が切り裂かれている。熱い。傷口が熱く感じる。

「みやちぃ、しっかりしてぇ。誰かっ! 誰か来てぇ!」

 荒尾の哄笑を掻き消そうと必死になって、叫んでみるが、自分の無力さを演出するだけだった。

「骨の隙間狙っただけだが、ほうっとけば失血症になるかもなぁ。肩あがる? 大丈夫? 投手生命は断たれちゃったかな。残念」

 切られているのは肩なのに、足が折られたみたいに力が入らない。崩れ落ちる僕の動きに合わせて荒尾は、さらに深く突き刺した。ズブッ、という音が体内で響く。

「あぁああ」

「痛てぇか? 痛ぇだろ? 生きてるって証拠だ。よかったなぁ」

 どこまでも楽しそうに僕の肩から溢れ出す血液を荒尾は眺めていた。

「ぐぅ、いっ」

「おいおい、呻き声で返事すんのやめろよ。失礼だろ?」

 こいつ、イカれてる。

 こんな住宅街の入り口で日本刀振り回すバカがいるなんて、想像つくわけがない。

「がぁ」

 乱暴に引き抜かれ、僕の肩を抉っていた刃は天を向き、荒尾は切っ先をにやけながら眺め始めた。

 どういう意図かはわからないが、ラストワードの権利をくれたらしい。

「柿沢……」

 寒さのせいかやけに震える唇で、荒尾を警戒しつつも守るように寄り添う柿沢にそっと呟いた。

「逃げろ。僕を置いてけ。これ、一度言ってみたかったんだ」

「ミヤチぃ」

「僕は大丈夫だ。明日また笑い合うために、君はすぐに家に帰るんだ」

「でもぉ」

 頭がくらくらする。

「もう、ネタバラシしちゃうとバースデーイブに小粋なドッキリしかけようと思ってさ。柿沢が遠くに言ってくれないと次にシナリオが進めないんだよ」

「……つまらないよ、そんな嘘」

 精一杯の虚勢なのだけど、柿沢には効かないらしい。涙目で彼女は頷き、立ち上がった。 

「いま、警察、警察呼ぶから、安心してみやち! き、救急車も」

 鞄から携帯を取り出しながら、駆け出す。良かった。あとは柿沢の呼んだ援軍が来るまで、機能停止した左腕以外の三肢で、荒尾の抜刀術をかわすだけだ。ドッジボールは最後まで残るのが取り柄の僕の回避術とくとご覧あれ、と虚ろな瞳で荒尾を睨み付ける。

 荒尾は柿沢の背中を見送っている。

 あぁ、頼む、僕のことなど気にせずそのまま遠くへ逃げてくれ。それだけでいい。

 自分の細かな呻き声の隙間で僕はそう思った。

「呼ぶのは救急車じゃなくて、葬儀屋にしときな」

 日本刀を再度構え直す。ツキの体制のまま狙われているのは心臓。ああ、と終わりを理解する。なんで、僕は死にかけているんだろう。もっとちゃんと未来を視ていれば、このコースは回避できたのだろうか、僕にはわからない。

 日が沈み、辺りは闇に包まれる。

 今際に浮かぶのは銀の髪をなびかせ、青い瞳の少女の姿。あぁ、誰の手も届かない、どこか遠くで、生きていてほしい。

 もし神様がいるなら、マイナスをプラスに還元してあげてもいいだろ。

「みやちぃ!」

 僕のピンチを察したのか、闇を切り裂いて柿沢がとって帰ってくる。

「ばっ、」

 なんで、なんでお前はそうなんだ!

 街灯の光が影をくっきりと映し出す。

「ばか!向こうへ」

 行けっ!!

 荒尾の表情が愉快げに歪む。

 風が止んで、星が瞬く。

 まさかっ、

「おかえり」

「やめろぉっ!」

 鼓膜に、聞いたことのない、例えようのない音が、見たこともない、言い現せられないショッキングな映像と共に飛び込んでくる。

 なに、それ。

 僕が浮かんだ疑問符に、混乱している間に、荒尾の握った刀があらぬ方向へ一閃していた。

 街灯の光に照らされた赤い結晶はキラキラと輝きながら雨となってアスファルトに降り注いだ。

 ぽーんと高く、真っ暗闇の空に向かって、見知った顔が悲痛げな表情を浮かべて飛んでいく。

 は?


 バスケットボールがゴールから落ちて弾むみたいに数回バウンドしてから、ごろごろごろ転がり、柿沢の首はピタリと止まった。

 はぁぁあ???



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