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 サボろうと決意を固めても、生真面目な柿沢がそれを許さず、結局六限目の体育に途中参加するはめになった。

 女子は楽しくダンスだから気兼ねないんだろうけど、男子は地獄のマラソンだということを鑑みれば、全くもって不公平である。

 冬晴れの突き刺す日差しがやる気を削ぐ。真っ青な空を見ていると、人が飛行機を造った理由がわかる気がした。

「ずいぶんと遅かったじゃあねぇか」

 ダラダラと運動場を走る僕の後ろにぴたりと着けた山本が息を弾ませながら囁いた。

 代わり映えしない景色に飽き飽きしてきたところだ。ちょうど良い暇潰しになるかもしれない。呼吸が乱れるのが辛いけれど、『走る』なんて前時代的なこと、誰かと会話でもしてないと実行できるわけがない。

「ふしだらなことしてたんじゃあねぇだろうな」

 冬のマラソンは好きではない。

 体が温まるの素晴らしいことだが、吸い込む空気は冷たいし、流れる汗が体を無意味に冷やすから足を労り停止させたとき、全てのツケが回ってくる。

「保険委員として付き添っただけ。柿沢も少し休んだら良くなったらしくて、元気にダンス場に向かっていったよ。ところで半袖寒くないの?」

「今朝の道場に比べたら百倍ましだ。んなことより、ミヤチわかってんだろうな」

「なにがだよ。あんまりしゃべらせないでくれ。疲れる」

「いくらお前さんが幼馴染みでも、俺のラブは譲れねぇわな」

 相変わらずストレートな奴だ。

「そうだね。まぁ頑張れ。友人として応援してる」

 適当な返事でお茶を濁そうとしたが、

「今度、おれ、告白するんだ」

「はぁ!?」

 脈絡のない宣言に思わず大声を出してしまった。

 前を走る他クラスの男子が怪訝そうに振り返る。体育は二クラス合同で行われるのだ。

「けけ、おめぇが驚くとこ、久しぶりに見たぜ。なんかアドバイスねぇーの?」

「柿沢はベタな演出が好きで、告白ならロマンチックな台詞にした方がいい。って、え、いつコクるの?」

「明日。雪が降るらしいロマンチックだろ。ふっふっふ、見とけよミヤチ」

「明日は土曜で学校ないぜ」

「バカ、補習があるだろ」

「……バカはお前だ」

 冬休み明けの小テストで赤点を採った生徒は明日の土曜、期末に向けた特別講習に参加させられるのだ。

 柿沢も赤だったとは。たぶん歴史だな。

「そして何より、明日はあいつの誕生日なんだ」

「あ、まじだ」

 それにしても誕生日の日に告白するのはどうなんだろう。成功して記念すべき日になればおめでとうだが、残念なら後味の悪いものを残す。双方に。って言っても、熱血剣道坊主は納得してくれないんだろうなぁ。

「三吾、幼馴染みのくせに瑠花の生まれた日も知らないのか」

「いつも忘れちゃうんだよ。それでなにかプレゼントするの?」

「秘密だ。ひみつー。誰が言うか、あほー」

 一言残し山本はペースをあげ、僕に背中を向けた。

 悪言は僕らの挨拶みたいなものだけど、そうか、山本、告白するのか。うまくいくといいね。

「ロマンティックはとまらねぇー!」

 運動場に響く山本少年の雄叫び。

 友人として小さくなっていく彼の背中に十字を切る。アーメン。


「ミヤチ、帰ろ」

 放課後の掃除が終わり、帰宅の準備を進める僕に、鞄を両手で持ちにこやかな柿沢が笑いかけてくる。赤い手袋に薄手のコート、防寒対策は万全なようだ。

「ああ、そうだね。帰ろう。ただちょっと図書館に寄らせてくれないかな」

 鞄を背負って、柿沢と連れだって教室を後にする。暖房機の下を必死こいて掃いていた山本の恨みがましい視線から逃げるように、靴箱に辿り着いた僕らは、すぐにローファーに履き替えた。信号を渡り、図書館に寄り海野十三の本を二、三冊借りてから、家の近くまで歩き続けた。

 そういえば、ずっと前、柿沢に惚れた決定的瞬間を山本から聞いたことがあるのを、プックリと薔薇色に染まった頬を見てたら思い出した。

 中一の頃、柿沢が、コンビニでお昼の弁当を選んでいた山本に「いつも菓子パンじゃ、体に悪いよ」と声をかけたのが、きっかけらしい。恋と言うのはよくわからない。


 凍えるアスファルトの上、他愛の無い話で盛り上がった。

 三笠の熱が下がらないとか、小学生のころ飛ばしたペットボトルロケットをまた飛ばしたいとか、明日は土曜で待ちに待った週末なのに休むことができないなんて、という愚痴とか、本当に二、三時間も経てば忘却曲線の餌食になるような箸にも棒にもかからない雑談。

「伊地香さんってなんのゼミに所属してるの?」

 姉貴がゼミ合宿で今週末、つまり明日の夜まで帰ってこないことを言った僕に柿沢はくりくりとした瞳を向けた。

「たしか屋上緑化とか、エコについてが主題のゼミだったと思うよ。経済学部なのにね」

「ふぅん。伊地香さんらしいな。でも憧れちゃうなぁキャンパスライフ! 私も将来大学行きたい」

「いくら全入時代だからって目標もなしに学費を納めるのはバカのすることだぜ。姉貴の場合『教授に推薦もらうんだぁ』って張り切ってたけどね」

「そうだけど、……私ってなになりたいんだろ」

 夕日に問い掛けるみたいな質問だ。担任にでもぶつけてやれ、と思ったが、僕にだって進路で思い悩んだ経験くらいある。つうか現在進行形だ。

「あせる必要ないだろ。夢を見つけるにはまだ若すぎる年齢だし、腰据えて将来を見通せば良いんじゃないかな」

「ミヤチは将来なにになりたい?」

 お前は親か先生か、とも思ったが、柿沢の表情は人にアドバイスを求めるときのそれで、冷やかしの回答はすべきでないことを物語っていた。

「そうだね。まだ漠然としてはっきりとしないけど、広い世界が観てみたいな」

「それって海外に行くってこと? たしかにミヤチの成績なら叶いそうだけど」

「それもいいね」

「……やだなぁ」

 応援してくれるならまだしも、彼女の性格に似つかわしくない呟きに「なんで?」と首を捻る。ややあって柿沢は口を開いた。白い吐息が冬枯れた世界を彩っている。

「私はずっとミヤチの近くにいたいよ」

 冬の空気は静寂を包み込んでいた。よくワイドショーとかで、惨劇の起こった現場を『事件はここ、閑静な住宅街で』って例えるけど、僕らの居住区はまさしくそんなところだ。静かすぎて、何でもない彼女の呟きが僕の鼓膜を揺らす。

「いりゃいいじゃん。縁は切っても切れないし」

「そういうことじゃなくて、私の成績じゃ、海外は無理かなぁ、って」

「中学の成績は未来にそれほど影響ないと思うけど……、柿沢はグローバルな人間になりたいの?」

「……私にはまだ夢がないけど、将来はミヤチの手伝いが出来るような職業につきたいな」

 なんにもない空虚な空を見上げて彼女は呟いた。冬の夕暮れは早い、みるみるうちに世界は茜色に染まっていく。

「それはいいね。僕の夢も曖昧なのに、さらにもっと曖昧だ。もうちょっとハッキリさせるべきなのかな」

「ハッキリって……」

 少し考えてから、僕は誰にも打ち明けたことない夢を彼女にもらす。

「将来、海外の作家と取引が出来る出版社に勤めたい、って思ってるんだ。外国文学を専門的に扱っている会社、っていうのかな、そういうのに勤めて、作家さんとの取引を対面式で出来る人になりたいんだ」

 柿沢瑠花は中学生のちっぽけな夢を笑わない、そんな自信があった。

 だから僕は真摯に、自分の夢を打ち明けることができたのだ。

「す、すごぉい! ピッタリだね。ミヤチ本読むの好きだし、だからあんなに英語の勉強してたんだね」

 別にこれといって英語を集中的に学んできた気はないが、彼女はそう捉えてしまったらしい。

「だから、柿沢も、将来僕と同じ出版に携わる業種を選べばいいじゃん」

「出版か……」

「斜陽産業だけど、やりようによっては延びしろがあると思うんだ」

 柿沢の家は商店街のアーケードを抜け、住宅街の三叉路を右に行ったところにあり、左方向の僕とはそこでお別れになる。

 今日の分かれ道が見えてきた。

「決めた。私、将来作家になるよ」

「はへ?」

 しばらく呆けたあと、彼女の言葉がじっくりと降ってきて思わず吹き出してしまった。

「それじゃ、今度の図書便りには頭を捻らないよう訓練しないとな」

「ひどーい。違うもん。瑠花が目指すのは絵本作家だもん」

 道の手前で立ち止まる。僕らはいつもこの分かれ道の前で、しばらく雑談してから、各々の家に帰るのだ。

 排気ガスで黒くなったブロック塀、ボルトが錆びたガードレールに、ペンキがボロボロ剥がれたカーブミラー。ここ数年、この景色は変わらずに僕の瞼に焼き付いている。少しずつ大人びていく幼馴染みの姿も。

「おいおい、絵本作家って、一番難しいカテゴリーかも知れないぜ。子供の感性ってのが、予想できない最ネックだからさ」

「えへーん。子供に近い考えなら瑠花は得意だもん。本をろくに読んでこなかったからね」

「いや、そうことじゃなくてさ。児童心理ってのは、今も昔も複雑でさ、得に近代の子供は情報社会にさらされて大人が思ってる以上に精神が成熟するのが早いんだ。絵本作家だと、加えてどの年代で児童を区切るか、とか対象年齢とか、親に対するアプローチとかも必要になってくるし」

「難しく考えすぎたよミヤチー」

 にへら、といつもの笑顔で柿沢は続けた。

「私たちも昔は子供だったんだよ。あの頃に還るだけじゃない?」

「いやまぁ、そうかもしれないけど」

 なんともストレートなやつだ。

「そうとも決まれば、絵を描く練習しなくちゃ」

 鼻息荒く宣言する彼女にネガティブな発言は通用しそうになかった。

 海外文学を出版している会社で児童文学も扱っている出版社……、ばっと思い付くものはないが、なければ、また夢を探せばいい。僕らにはまだまだ時間があるのだから。

「でも柿沢、美術は五だし、ひょっとしたらひょっとするかもな」

「えへへー。おーし、画材の入手から始めるぞぉ」

「んじゃ、誕生日プレゼントは色鉛筆で決まりだな」

「え?」

 すっとんきょうな声をあげ、オレンジ色に染まった柿沢が僕を見る。夜の気配が足音をたてて、近づいて来ていた。

「覚えてたの?」

 笑顔が真顔に代わり、また笑顔になる。寒いと嘆くカラスの声がなんだか酷く滑稽で、僕は思わず吹き出してしまった。

「まぁね。たまたまだけど」

「えへへー、やったねぇ」

 嬉しそうに微笑む彼女の背景が、冬の空とは思えないくらい輝いてみえた。たなびく雲が金色に染まり、黄昏時とは思えないほど、僕らの空気は明るく感じられる。


 ああ。

 一瞬、僕は切り取れない時間の流れがいとおしく思い、中学二年生の未来へのきざはしが、世界を変える力のように感じられたのだ。

 でも、気のせいだった。

 冬は物事の死を意味する美しい季節で、終焉を司るのだ。

「プレゼントが手渡せるか、どうか」

 いまは明瞭に聞こえる声でさえ鼻につく。

 僕らの空間を切り裂いたのは、ピアスの男。

 ド派手な金髪にモッズコートを羽織った荒尾が向こう側のガードレールに腰かけ、冷やかすように鼻をならした。

「これからの返答によるね」

 空のギターケースを担いで。



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