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 未来を見るついでに、過去を振り返り思い出したことがある。

 僕と宮ノ下さんは思った以上に仲がよかった、と言うことだ。

 小学生のころは柿沢に「ミヤチ」と揶揄されるほど宮ノ下さん家に入り浸っていた。

 宮ノ下さんは昔、多くの国へ出向き、土着信仰を調査していたのだという。経験値から語られる冒険譚は小学生には堪らない刺激だったのだ。

 どうして忘れていたのだろうか。


「今、あんたの首筋には木挽きノコをあてている。この意味がわかるか?」

「い、いや」

 か細い声で鏡花は喉を震わせた。きらきらとした銀髪が目の前で揺れる。

 部屋の静寂は保たれていた。僕たち二人以外、この家にはいない。

「古来よりノコギリの三十二番目の刃には、鬼を切り殺す力があるとされている」

「鬼?」

「ああ。今、こいつをグッと奥に押し込めばあんたの妖力とやらを断ち切ることが出来るって寸法だ」

 木こりが使う工具だ。鬼でなくても一溜まりもないだろう。 

「……」

「本当は無条件で信用してやりたいところだけど、元来僕は懐疑主義者なんでね」

「ふむ、たしかに魔力が込められている。君はどこでこれを手に入れたんだ?」

「おい」

 彼女の視野でアピールするようにノコギリを揺する。

「今は関係ないだろ」

「陽子だな」

「余計な詮索より、質問の答えだけ考えてもらおうか」

 ご明察。

 昔、「鬼に狙われて、白い光を失いそうになったら、これを使いなさい」と託されたのだ。すっかり忘れてたけど、吸血鬼に狙われている、今がその時だろう。

 ノコギリの両面にはそれぞれ左右、三本と四本の爪痕のような傷が刻まれていて、柄には見たことのない文字が彫られている。ロールプレイングの武器のようだ。

「質問は二つ。なぜ僕に付きまとうのか、という点と、あんたの本名。素直に答えてもらえれば血を見なくて済む」

「その前に一ついい?」

 平坦な声音で鏡花は続けた。

「さっきの窓を割った弾丸、あれは君の仕業?」

「まったくの偶然だよ。最近治安が悪いみたいなんだ」

「そう」

 緞帳のように垂れ下がる臼緑のカーテンに涼しい視線を送り、彼女は微かに俯いた。

 おかれた現状を正しく理解していない鏡花のため、僕は改めてノコギリの腹を鈍く光らせる。

 ほんとはこんな銀行強盗みたいな真似したくないのだ、と思う一方、絶対的優位という非日常が一抹の嗜虐心をくすぐらせる。

「それで、二つになるか、正直に生きるか。どちらが好きな方を選んでいいよ」

「時々勘違いする輩がいて困るんだが」

 見た目にそぐわぬ艷っぽい吐息を漏らして鏡花は続けた。

「自惚れぬな」

 透き通るような銀髪をさらりと揺らし背後の僕を見やる。底知れない青い瞳と目があった。

「たかだが数十年しか生きていない小僧が、原初の恐怖と謳われたノスフェラトゥの首を跳ねると? 笑わせる」

「そうだな。たとえあんたが世界一の豪腕だとしても、銃を持った五歳児には敵わないだろ」

 吊り上がった鏡花の瞳に気落ちしないよう冷たく言う。どこか遠く、犬が夜空に向かい物悲しい遠吠えをあげた。

「刃物を首筋に当てられて虚勢を張るだなんて、よっぽど首の太さに自信があるんだね」

「わ、我が根源が知りたくば、その刃を引くがよい。呪われた不死者の歴史が赤き雨となって汝に降り注ぐであろう」

「不死者が首と体が半分に分かれても生きてられるか見物だな」

「ふ、ふふん」

「大木を伐るより楽に伐採できそうだ」

「わ、私が君に付きまとう理由とかほざいていたが、それは単なる自意識過剰だよ」

 案外簡単にこっちのペースに乗ってくれたらしい。

「それならどことなりへも行ってしまえ」

「目的地もなしにホームを飛び出すわけにはいかないだろ。落ち着ける場所で最低限の計画を練らなくては。旅は君が思っている以上に危険が伴うんだ」

「三日も同じ地に留まっておいてよくも言えたもんだな。都会に行きゃあんたみたいな女の子泊めてくれる神様がわんさかいるらしいぜ」

「根なし草になれと言うのか。この私に」

「憤慨でごまかそうとするなよ。執着する理由だけ端的に教えてくれればいいんだ」

 挑発的な鏡花と違い今日はなぜだか頭が冷えていた。さっき大量の鼻血を流したからだろうか。

「あんたは四年間宮ノ下さんの家の地下でイビキかいてたんだろ。眉唾だがここまでは信じてあげるよ。問題は最近目を覚まし行き場所を失ったってところだ。それならなんで雨で工事が中止の日に僕の前に現れたんだ?」

「工事がなかったから寝起きでも見つからずに脱出できたんじゃないか」

「それなら前日の夜にあんたは家を出ないと辻褄があわない。地下室の手入れをしたのは何時か知らないが、その時点で脱出したならね。大方ずぶ濡れの姿で僕の同情を誘うのが目的だったんだろ」

「まさか。それこそ自意識過剰だ。私がわざわざ三吾に会うために時間をずらして待ち伏せしたと言うのか」

「ああ」

「……」

 鏡花は沈黙した。

 とらえどころのない無表情のまま僕のことをじっとみている。時計の針の音だけが、いやに響いた。

「正直に答えてくれ」

 ノコギリをそっと鏡花の首筋から離し、冬の乾燥した空気を吸い込んだ。

「僕に会わなきゃ行けない要素があったんだな」

「たしかに君の魂は美味しそうだが、私は人を襲わないと誓った身。そう易々とその誓いを破るなど」

「そうじゃない」

 唇がかさかさに荒れていることに、今更ながらに気がついた。

「あんたは僕に、なんらかの異変が起こっていると知った上で接触してきたんだ」

「どういう意味だ」

「僕は四年前、木から落ちて死にかけた」

「は、い?」

「いや、実際は数分気を失いかけた程度だったがとてもそうは思えない。通院した記憶も無ければ木登りの記憶もないんだ。あるのはただ木から落ちたという曖昧模糊とした情報だけ」

 背中を強打したらしい。

 当事者なのにあやふやだ。

「突然、なにを」

「いいか? こっからはただの憶測だ。いくらなんでも荒唐無稽すぎて自分でも鼻で笑いたくなっちまう。だけど、僕の魂が漠然とだが、そうであると叫ぶんだ」

 鏡花の瞳は再び青く深く澄んでいった。

 その瞳に映り込んだ僕の逼迫とした表情といったら、滑稽過ぎて笑えてくる。

「四年前あんたは肺腑に穴を空けられて、療養のために睡眠をとることにしたと言ってたよな」

 突然の話題転換に鏡花は躊躇いながらも応えてくれた。

「あぁ、手強い相手にやられてね」

「僕なんじゃないのか?」

 鼓膜が静寂に震えた。

 今なら、針の落ちる音でさえ聞き分けられるだろう。

「致命傷をおったのは、宮藤三吾なんだろ」

 窓に空いた穴から吹き抜ける冬の夜風が、カーテンを静かに波立たせた。

「どうして、そう思うんだ?」

 鏡花は長いまばたきを一回し、無表情のまま呟いた。

「僕自身過去を振り返らなければ気づかなかっただろう」

 ノコギリを完全に床の上に起き、彼女の目線になるように立て膝をついた。

「君と対峙する前に事を有利に進めたいから、未来を視たんだ。それでさっきのボールベアリングの襲撃を知った。ついでにさ、検索をかけたんだ」

「検索?」

「三日以前に、銀髪の女の子と出会ったことがないか、自分史に問いかけてみたんだよ」

「それ、は」

「四年前がヒットした。恐らくあんたが眠りにつく前の話だろう。掠れてうまく回想することが出来なかったが、横たわる僕に必死に声をかける姿を瞼の裏のスクリーンに投影することが出来たよ」

「バカな。君はアカシックレコードが読めると言うのか!?」

「そんな大それたもんじゃない。あくまで視れるのは自分の経験値と知り合った他人の経験値、それからほんの少し先の未来だけだ」

 綴っていないテキストファイルの閲覧が可能なだけ。忘れてしまったことから、覚えていないことまで、集中すればいつでもアクセス出来る。

 ちょっとしたエラーで未来まで視れる、ただそれだけのこと。

「あんたが、助けてくれたんだろ?」

 記憶。

 そのなかでトマトの切り口みたいにヌメヌメとした空洞を見た。

 なんでこんなことになっているのかはわからない。ただ獣のような鋭い爪が僕のお腹を突き刺したことだけ覚えている。

 じんわりとアスファルトに広がっていく血液に浸かりながら、十年の短い走馬灯を駆け抜けた。

 薄れ行く意識のなか、宮ノ下さんと、鏡花が悲しげな瞳で僕を見下ろしているのを、記憶へのダイブで思い出したのだ。

「僕は副作用として超能力を身に付けたんだ。奇跡の生還で超人的能力を身に付ける、そんな例は世界中で何件か報告されているしね」

 プールの底で頭を強打し死にかけた人が触れたことのない楽器で天才的な演奏をしてみせる、そんなニュースが最近あった。

 後天的サヴァン症候群、と呼ばれる稀に起こりうる現象だ。

 僕の場合のそれは、人の限界を越えた超能力に思えるが、超記憶能力と分析力向上による未来予測に過ぎない。

 と自分の能力を騙し騙しに好意的に捉えている。 

「君が、……そうだな、肺に穴が空けられたと仮定して、どうやって私が助けたというんだ? 私がどんな傷をも癒す神の手を持つドクターに見えるのか?」

「詳しい方法は知らないよ。意識が混濁してうまく回想が出来ないんだ。だけど推測はできる」

 的はずれなら鼻で笑って一蹴されるだけだろう。

「あんだが四年後の僕に付きまとう理由はそこにあるんじゃないか?」

 鏡花は悲しそうに俯いた。

 冬眠するトカゲみたいに動かずじっとしていたけど、しばらくしてから掠れるような声で応えてくれた。

「確かに、君を助けたのは私だ」

「やっぱり、そうか」

 いままで、ずっと、疑問だったんだ。

 どうして僕にこんなヘンテコな力が使えるのか、ずっと小さい頃は使えなかったはずなのにって。

 図書館に通いづめて調べまくったが、ろくな成果をあげられなかった日々が懐かしい。

 方法はわからないが、彼女に助けられたのがきっかけで目覚めたのだろう。

「ありがとう」

 膝をおり、土下座のようなスタイルで頭を下げた。

「おい、まて。なんで頭を下げるんだ?」

「鏡花は僕を助けてくれたんだ。当たり前だろ」

「やめてくれ。そもそも君が巻き込まれたのは私たちのせいだ。それに救ったなどと程遠い、死の代わりに鳥の翼をもいだようなもの」

 顔をあげる、潤んだ彼女の瞳と目があった。

「私のほうこそ、君に謝らなければならない」

 瞳は湖面のように、静かな青を滲ませている。

「なんで、だよ。記憶があやふやだが、これだけは言える。僕はあの時死んだんだ」

「私たちの認識の甘さが招いた事故だ。子供が鉄橋のへりを歩いているのに注意をしなかったのと同じ」

 彼女はなぜそこまで僕に謝りたがる?

 いったい鏡花は僕に、なにを。

「まさか……」

 蝉時雨、廃工場、ライムティー。無理矢理繋ぎ会わせたフィルムのようなフラッシュバックが起こる。

「僕の血を、……吸ったな」

 愚かな僕は吸血鬼最大の特徴を忘れていた。吸血鬼に血を吸われたものは、彼らの仲間になるのだ。それはつまり、……連鎖感染。

「つまり、僕は、もうすでに人間では、だから」

 いままで吸血衝動に刈られたことはない。

 能力の反動で少し人間味を失っただけだと思っていたが、どうやら違ったらしい。なんということだ。

「だから、こんなヘンテコな力が」

 少年と青年との間で揺れる自分の手のひらをジッと見る。見馴れた生命線が延びていた。

「いやいや、なにを言ってるんだ、君は」

「は?」

「認めるよ。認める。三吾、確かに君は死にかけて、私が助けた」

「だ、だったら僕は、えーと、ノスファラトゥになるはずだろ?」

「眷属がそう簡単に殖やせるか。生前神をも恐れぬ罪を犯した者が一週間連続の吸血により、ようやくノスフェラトゥに成れるのだ」

 少しだけ誇らしげに胸をそらせる。

「そ、そうか。それなら別にいいんだ」

 彼女とは逆に僕はほっと胸を撫で下ろした。

「うむ。仕方ないから正直に言おう。確かに私は四年前、死にかけた君を助けるためにノスフェラトゥの不死性を分け与えた」

「ノーリスク、ってわけじゃないんだろ?」

 腹に穴が空いていたのだ。

 命がそう易々と救えるはずかない。

「左様。穢れのない魂に凶悪な不死を伝播するのだからな」

「その結果、僕に異常な力が発現したというわけか」

「うむ。次元が引き上げられ、君はアカシックレコードへのアクセス件を手に入れたわけだ」

 彼女は静かに微笑んだ。

「だから僕のはそんな大それたもんじゃないって。過去はともかくとして、精々近い未来が視れるだけだから」

「ちょっと待って」

「……なにさ」

「いま君の『能力名』考えてるから」

 そう言うと鏡花は腕を組んでゆっくりと俯いた。まじかよ、こいつの目、本気だぞ。

「アカシック・リーディング、ってどうかな」

「あー、思ったよりそのまんまだな」

 ていうか能力名とかつけるのやめてくれ、背筋が寒くなる。

「ふっふっふ、甘いな。『業を抱きし天上の記録』と書いて、アカシックリーディングと読ませるのだよ」

「話を戻すけどさ。その不死性で助けてくれたあんたが、四年後の僕の前に現れた意味ってのは」

「す、スプレッドオブアンデッド」

「……あ?」

「私の能力を呼ぶならそう呼べ」

 話が戻ってない。

 負けじと僕は彼女の発言を無視して無理矢理話を前に進めた。

「ここからは僕の憶測だが、君はその不死性を取り戻すために僕にコンタクトをとったんじゃないのか?」

「ま、まさか私の『不死性の伝播(スプレッドオブアンデッド)』で一命をとりとめた三吾が、『業を抱きし天上の記録(アカシックリーディング)』を身に付けるとは思いもよらなかった」

「……」

「うっ」

 無言で睨み付けてやる。

 鏡花の青い瞳は戸惑いに潤み始めた。

「……ご名答」

「やっぱりな」

「なぜわかったし」

「人の寝込みを襲おうとしたり、やけに僕の部屋に入ろうとしたり、あんな不自然な行動ばっかりだったら気付くよ」

「うむむ」

 悔しそうに唇を尖らせる。ほんとにこの人は見た目以上幼く見える。

「いいよ」

「む?」

「あんたに返す、その不死性とやらを」

「本当か!?」

「少なくとも一回救われた身だしね。命の恩人からいつまでも借り物するわけにはいかないでしょ。アカシックリーディングを失うのは少しだけ未練があるけどね」

 彼女の呼称を使ったことが嬉しいのか、鏡花は予想以上に瞳を輝かせた。

「もしかしたら君の能力は君の魂に根付いてるかもしれない。そ、それじゃあ早速、返してもらおうかな」

「えっーと、確認のために訊かせてほしいんだが、僕は死んだりしないよね」

「あぁ、大丈夫。あくまで緊急治療として不死性を与えただけだから、いまはすっかり馴染んで、完全に回復したはずだよ。いわば抜糸みたいなものだ」

「それを聞いて安心したよ。さあ、やってくれ」

「うむ。目を閉じて」

「ん? ああ」

 ギュッと目をつむる。

 途端に銀の髪をもつ少女は瞼の裏の暗闇に塗りつぶされる。

 ああ、そうだ、僕から力を取り戻しても、しばらくはここにいるように、言うの忘れて、

「!?」

 ガツン、と鼓膜の奥で音がした。

 自分がなにをされているのかわからかい。

 ギシギシと骨が歪み、ぐるんぐるんと世界が回転しているように感じられる。違和感から叫び声をあげようとしても、しゃべり方を忘れてしまったみたいでうまくいかない。瞼さえ開けない。

 なんだなんだなんだ。

 おおよそ味わったこともない感覚。

 気持ち悪さだけがはっきりしている世界を体感していたら、いつの間にか寝てしまったらしい。気がついたら夜が明けていた。




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