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 図書館のゲートを潜ってから出口に向かうまでに設置されたフリースペースは誰でも自由に寛げるようになっていて、電話帳や新聞などが配備されており、昼間は暇をもてあました老人たちの寄合所みたいになっていた。

 といっても若者にも需要がある。ここならば一心不乱に勉学に励めるとあって、いくつかのテーブル席は本日もなかなかの盛況ぶりだった。

 カウンターで貸し出し手続きを終えた僕はゲートをくぐり、辺りに視線を這わせた。

 柿沢の兄である竜太さんが椅子に腰掛けペンを世話しなく動かしているのを見つけるのに時間はかからなかった。

 見た目こそ似ても似つかないが、性格は妹にそっくりで、人当たりのいい偉丈夫だ。柔道部で優秀な成績を収めていたが、今年の夏に引退し受験に向け猛勉強を始めたらしい。

「竜太さん、お久しぶりです」

 登校日ではなかったのだろう、白いパーカーにジーンズというラフな格好だった。

「おー三吾、おっきくなったなぁ。久しぶりじゃねーか」

「成長期ですから。それはそうといつもここで勉強してますよね

「おう。二月の六日に志望校の入試があってなぁ。予備校が休みのときはいつも自習しとるよ」

「センターどうでした?」

「はは、マークシートやから確率の問題やったね」

 頭を豪快にボリボリと掻いて照れ笑いを浮かべた。結果が芳しく無かったのだろう。

「その確率上げるためにも勉強してんだけど、やっぱ難しいわコレ」

 彼はそう言ってペン先でトントンとノートを叩いた。

 英語の空欄補充を解いていたらしい。

 前置詞を補えというよくある問題だ。

「俺が外国人ならスラスラとけると思うんだけどなぁ」

 僕は聞かなかったふりして、話題をそらすことにした。

「そういえば、この間コンビニで万引き犯捕まえたらしいですね」

「おー、二人組の中学生でよ、一人は店員が捕まえたんだけど、もう一人が店から逃げ出しよって、これはいかんと咄嗟に追いかけたんよ。んでもって即確保。我ながら無駄のない動きだったねぇ」

「すごいですね。その功績で推薦とかって貰えないんですか?」

「いやぁー、無理しょ。それに俺、伊地香さんと同じ、あっ、いや須和大狙ってるし」

 なんて分かりやすい人だろう。

 どうやら竜太さんは姉貴のことが好きらしい。

 弟としては複雑な気分だ。

 応援したい気持ちの裏腹で、言葉に出来ない感情の奔流に捕らわれる。

「大学生になったら僕に勉強教えてください。それじゃ」

 軽く手を上げると、気さくに振り返してくれた。勉強の邪魔してすみません、と心なかで頭を下げ、僕はなるたけゆっくり出口に向かい歩き始める。

 どこからかコーヒーの芳醇な香りが漂ってきた。ゆったりとした空気が流れていて、優雅な夕暮れ時といった感じだ。

 コツコツと足音が響く。時間が進んでいく度、感傷だけが無責任に広がっていく。

 これから寒風に身を任せると思うと少しだけ嫌気がしたが、帰りを待つ鏡花の為にも急がねばなるまい。

 腕時計で時刻を確認してから、コートのポケットに手を突っ込んで、自動ドアを潜る。

 背後でけたたましい警告音が鳴り響いた。どうやらハッタリなどではなかったらしい。

 ガラス越しに図書館の方を見やると、竜太さんがゲートをくぐったばかりの男に駆け寄るところだった。人の目はかすめても機械の目は誤魔化せまい。

 批難するような視線から逃げ出すように駆け出した。

 ざまぁみろ。

 家を知られているから意味はないかもしれないが、僕からのささやかな反撃だ。


 状況は思ったよりも切羽詰まっているらしい。袋小路の直進だけは避けねばなるまい。

 帰宅の途について早々、すぐに浴室に向かった。湿ったタイルの床に立って浴槽を磨いていたら、靴下がぐっしょりと濡れてしまった。お湯をため始め、すべての準備が整った。浴槽の縁に腰かける。

 看護師勤めの母さんは夜勤で職場に向かい、姉貴は件のゼミ合宿で明後日まで帰って来ない。つまり今、家にいるのは鏡花と僕だけ。

 信用は裏切られても構わないという関係上に存在する。

 僕は、彼女を信じられるだろうか。 

 未来の安全は自分で確保しなくてはならない。

 息を大きく吸いこんだ。

 視界いっぱい、絵筆を洗ったバケツのようにグニョグニョと歪みはじめる。

 鼻が熱くなり、血が吹き出す。右手で覆うと、存外さらさらとした液体を受け止めることができた。

 蛇口から止めどなく溢れるお湯が、僕の嗚咽をかき消してくれる。

 視界は一度赤く染まってから、その色を変えた。


 自分の部屋に戻る。少女の姿はない。昨日と同じパターンだ。クローゼット開けると鏡花が胎児のように丸くなっていた。いつまで寝てるんだ、と小さな息を吐くと、パチリと目を開き、湿気を帯びたアンニョイな視線をこちらに向けた。

「おはよ……。いま何時?」

 壁掛け時計を見上げる。

「日没を迎えたところだよ」

「ふぅん。冬の冷気を帯びた気持ちのいい夜だね」

「生活リズムが狂った夏休みの中学生だって、もっとちゃんとした挨拶ができるだろ。地球の裏側の人と同じ睡眠サイクルだぞ」

「寝心地よくて。何かに圧迫される安心感があるっていうか」

「ハムスターか。さっさと出てきてくれ」

「クローゼットの暗澹は宇宙の深淵に通じてると思わない?」

「思わない。いいから」

「むぅ」

 不機嫌に唸りながら彼女はピョンと飛び出てきた。軽い衝撃を受け止めた床がわずかに軋む。

 コートを羽織ったまま意義を申し立てるように目を細めた。

「健やかな睡眠を妨害するなんて思慮に欠けるね。デリカシーという言葉を噛み締めて考えるべきだよ」

 誰がどう考えても批難されるべきは僕ではないだろうが、自称吸血鬼の言葉にいちいち腹をたてては話が前に進まない。

「寝坊を戒める心配りがわかってもらえないなんて悲しいよ。それでお風呂どうする? 一応お湯張ってあるけど」

「ま、まさか三吾の口から新婚夫婦みたいな問いかけが聞けるなんて」

「ごめん、僕のキャパシティを越えた発言をするのはやめてくれ、頭が痛くなる。それで? さすがに二日連続風呂に入らないなんてないよな?」

「入りたくても服がないんだ。昨日はコートのまま寝たけど案の定シワになってたし。伸ばすの大変だったんだぞ」

「留守中の姉貴の服を無断で貸すのもねぇ。大きいかもしれないが、僕ので良ければ……」

「ま、まさか三吾が貸したワイシャツがブカブカでドキマギする初々しいカップルを再現しようとするなんて」

 やっぱりこの人、サブカルチャーが好きなようだ。


「いいお湯だった。脱皮したようにすっきり爽やかな気分だ」

 銀色の髪をしっとりと濡らし、風呂上がりのフローラルな香りを振り撒いて鏡花は僕の部屋に戻ってきた。健康的にほんのり紅色に染まった肌が、チラチラとシャツの隙間からうかがえる。

 ベッドに腰掛け、今後の算段をたてる僕に、青い瞳を向け鏡花は首をかしげた。

「どうしたの三吾。お風呂上がったぞ。さあ夕食にしよう」

 彼女のなかでは僕が風呂に入る時間は含まれていないらしい。

 それはともかくとして、

「ご飯の前に少し話をしようよ」

 一人分横にずれる。窓辺に配置されたベッドの、ちょうどカーテンの隙間にあたる位置を彼女のために空けてやる。

 訝しむような表情を一瞬だけし、鏡花は黙って従ってくれた。勢いよく軋んだベッドのスプリングが、匂いで理性を飛びかけた僕を正気に戻してくれる。

「さて、どこから話をしたものか。別に秘密にしてるわけじゃないんだけどさ」

 百パーセントでないにしろ、打ち明けるのは彼女が初めてだ。

「信じてもらえるとは思わないし、信じてくれとは言わないが、僕にはサイコメトリーに近い能力があるんだ」

「ふむ?」

 稀代の吸血鬼殿は驚愕で目を丸くした。随分と表情豊かな生きる伝説だ。

「小さい頃、といっても小五の時、公園の木から落ちてね、それ以来かな、集中すると、過去の出来事が視えるようになったんだ。ぼんやりとしているときとか、目の前が白くなっていくだろ? その中に過ぎ去りし日々が投影されるんだ」

 言葉がすらすらと矢のように放たれる。こういうときだけ、僕は饒舌を体現するのだ。

「どういう意味かよくわからない。聞いたことはあるんだが……サイコメトリー?」

「簡単にいうなら、人や物の記憶を盗み見ることの出来る能力だよ」

「つまり、他者の思い出が覗ける、ということか」

「ああ。物なら手をかざすだけで。相手が人間なら強く思うだけで、そいつの過去が見れるはずなんだ、君に関しては全く視ることが出来なかったけど」

「お、恐らく私の魂が複雑に混ざりあっているからだろう。詳しくないのでよくわからないが、物質に宿る残留思念を読み取る能力なら私は一つの魂で生きてるわけではないから」

「食事対象が魂だから、本来のデータに近づけない、ってこと?」

「うむ。頭がこんがらがってきたが、おおよそその通りだろう」

 こいつの過去を覗くことが出来ない、半分本当で半分嘘だ。

 自分の能力は、対象の『名前』を知らなくては実行出来ないことを僕は知っている。

 鏡花はスンと鼻をならしてから、腕を組んだ。

「なるほど。納得がいった」

 疑っている様子は微塵もない。

「超能力者と名乗る輩に会ったことあるが、なかなかどうして胡散臭かった。三吾がそれをやってのけるとしたら相当なものだ。君の魂が僧侶のように精錬されていたのも、意識介入がうまくいかなかったのも、私のような存在に対しても淡白なのも、全部その力の恩恵だと考えれば、納得せざるを得ない」

「最後に関してはただ単に性格だけどね」

「な、なんにせよ、普通の人間ではなかったということか」

「まぁ、そうなるかな」

「それでは普通ではないもの同士、これから先も仲良くしよう」

 そう言って手を差し出してきた。

 一緒にすんなよ。あくまで僕のベースは人間。いつか鏡花自身が超能力の説明をやってのけたけど、僕に言わせりゃその通りなんだ。僕は単純に人間の延長線上にあるんだから。

 と筆舌にしがたいほどの文句が脳内を埋め尽くしたが、どことなく嬉しそうな鏡花の顔を見ていると、言葉にして吐き出すのが、なんだか忍びない気がして、結局差し出された右手を受けとるしかできなかった。

 シワだらけのベッドの上で交わされる違和感だらけのシェイクハンド。

 冷たい手のひらから僅かな温もりが伝わってくる気がした。

 さて、

 手首に巻かれた腕時計が時刻を教えてくれた。

 残り五秒。

「ああ、あと一つ付け加えとくよ」

「ん?」

「僕は未来も視れるんだ」

 思いっきり鏡花の手を引っ張った。


 ガシャという食器が割れるような音をたて、窓ガラスに穴があいた。直径五ミリほどの小さな穴を中心に、蜘蛛の巣状にヒビが走る。それほど目立つサイズではないが、ガラスが割られて頭に来ないやつはいない。

 すぐにベッドに膝立ちし、カーテンの隙間から外の様子を窺った。壁についた傷跡とガラスの穴との入射角を割り出せば、家の前の歩道からこのベアリング弾を飛ばしたことが容易に想像できる。

 シンとした暗闇に視線を走らせたが、該当の人物を見つけることは出来なかった。

 もう逃げたあとか。

「な、な、な」

 カーテンを完全に閉めきってから、口を世話しなく開閉させる鏡花を見やる。

「なんだ、いまのは……!?」

「大丈夫だった?」

 視たのは彼女の未来、ではなく自分の未来。精々十二時間ほどだが、僕には対象限定の予知能力が備わっている。過去と未来が視れる、それが僕の、……超能力だ。

「いったいなにが。窓が割れて壁に傷が……、どういう」

 本来ならば少女の肩に着弾する予定だった。そしてそのまま黙りになって、一切会話することなく、僕の前から姿を消すのだ。

 そんなのは、許さない。

 疑問符だけを押し付けて、さよならだなんて、腹がたつことこの上ない。

 だから僕は決めたのだ。どんな手を使ってでも、一定の解答は得ようと。

「嫌がらせにしては行きすぎてるよな。窓ガラス一枚いくらすると思ってんだか。電柱の影から撃ち抜いたっぽいけど、犯人はすぐに逃げたみたいだね。まったく腹がたつ」

「まさか……」

「そこに落ちた弾を拾ってみ」

 僕に促され、鏡花は青い顔のまま背を向けてしゃがみ、壁際に転がる銀色の小さな弾を人差し指と親指でつまみあげた。

 ベッドの下に隠しておいた箱をそっと取り出す。クローゼットにずっとしまっておいた木箱だ。

「こ、これは、銀じゃないか」

 いや、鉄だろ。

「酷いよな。鉄製のボールベアリングは銃刀法違反だってのに。ましてや人に向けて撃つなんて」

 改造エアガンだろうか。門外漢なので詳しくはないが、炭酸ガスを使用して限界ギリギリまで威力を高めれば人を傷つけることくらい出来るだろう。

 それにしても重い鉄を飛ばして、数十メートル先のガラスを割るパワーだなんて、生身に当たってたらと思うとゾッとする。

「シルバー・バレット……」

 鏡花が呟いた。

 銀は本来持つ高い滅菌作用から、魔の者を打ち砕くと西洋でもてはやされたと本で読んだことがある。

 それならば、これは、どうだろうか。

「!?」

「動くな。質問にだけ答えてもらう」

 僕は彼女の首筋にノコギリの刃をたてた。




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