選ばれしもの
ニツキの部屋である。
普段よりも空気が落ち着かないのは、築32年のボロアパートの換気の悪さから来るものばかりでは無いだろう。
六畳一間の部屋、前世紀的なちゃぶ台を挟んで、ニツキと美少女ー東雲梓は向かい合っていた。
ニツキはもはや震えている。いつ来るとも分からない強面の男からの襲撃に怯えているのである。
何やら思案顔の美少女にニツキは震えながら聞いた。
「お金は…無いんですけど…」
一瞬空気が止まる。美少女は困り果てた顔になる。
「だぁかぁら、強盗でも美人局でも無いって言ってんでしょ!あんたが選ばれたのよ!ルートヴィヒの指輪に!黙って付けてあたしの言う通りにしなさいよ!時間が無いのよ!」
美少女はそう言うと白いショルダーポーチから5センチ角程度の小さな箱を取りだした。
ニツキは黙って見ているが、不吉なイメージしか沸かないらしく、時おり遠い目をしている。
「これが、指輪よ。はめて。」
美少女はずいっと箱を押し出す。
「そんな、見ず知らずの人にいきなり選ばれたとか、指輪だとか…僕には何が何だか…」
バンッ!机が憎いかのように拳を叩きつけると美少女はニツキの鼻先に箱を突きつけた。
「あんたねぇ!世界の命運かかかってるのよ!いい加減にしなさいよ!さっさと付けてちゃっちゃと片付けてもらわなきゃならないのよ!いーい?あんたに拒否権なんかないのよ!それに私は、東雲梓!ちゃんと名刺も渡しているでしょうが!信用しなさいよ!」
ほぼ恫喝に近いとは思うが、気圧されたニツキが机の上の名刺に目線を送る。
「国際超克研究所特別対魔執行部 主査 東雲梓」
聞き覚えの無い漢字の羅列ほど、胡散臭いものは無いというお手本の様である。
ニツキはふぅっと溜め息をつくと、死んだ魚の目を向けた。
「どうせ、抗っても無駄ですもんね、繰り返しですもんね、人生って。東雲さんが言ってることは全く理解できないけど、どうせこれも宿命なんでしょう。はめたら、帰ってくれますか?
ほとんど噛み合わないこの環境下でも、彼の虚無発想は遺憾無く発揮され、想像の斜め上を行く納得の仕方ではあるが、何やら腹を決めたようである。
「あんた、ウワサ以上の虚無ヤローね。まあいいわ、とにかく、付けてくれたらそれで全部分かるわ。あなたが、世界を救うのよ。」
アズサは強い期待と、自信を持って箱を差し出した。
ニツキはその瞳に宿る意思の強さを死んだ瞳で受け止めながら箱を取った。
箱を開けると、中には銀色の輝くシンプルな指輪が入っていた。装飾は無く、磨きあげられた金属の光が美しい。
ニツキは震えながらそっと、持ち上げ━
「…何指、ですか?」
「人差し指よ、右手の。」
「(サイズとか合うのかな…)」
心配ご無用である。ニツキが右手の人差し指のはめると、指輪が微かに縮まり、ニツキの指に吸い付くようにフィットしたのだ。
「動いた!」
「生体金属よ、ルートヴィヒの指輪はそれ自体が生きてるの、もうあなたの手からは離れないわ。やはりね。あなたを認めたわ。」
感嘆しているアズサを横に、ニツキは「呪いのアイテムだぁ」とか「刺青よりたちが悪いよ…」とかつ呟いてる。先程の潔さはどこへやらといった姿である。
そんなニツキを真正面に見据え、アズサは立ち上がった。
そして高らかに宣言した。
「これより、早長良ニ月を、国際超克研究所特別対魔執行部、超克英雄に任命する!」
「ふぇ?」
全人類の光が生まれた瞬間であった。