「祝福と言う名の追放」
ハイドは、その日が人生で一番幸せな日になると信じていた。
「ハイド! また一番だって?」
村の広場で声をかけてきたのは、パン屋の女将だった。
「まあね。今回の剣術試験はちょっと危なかったけど」
「ちょっと、じゃないだろう。村長の息子がまた悔しがってたよ」
「レオンのこと? あいつ、強いんだけどなあ」
ハイドは困ったように笑った。
十五歳になったばかりの少年だった。
華奢な身体に、整った顔立ち。背丈も同年代の男子より少し低い。
初めて彼を見る者は、剣よりも本を持たせた方が似合うと思うだろう。
しかし、その見た目に反してハイドは村一番の秀才だった。
剣術、学問、魔力制御。
何をやらせても、彼は人並み以上の結果を残した。
そして何より、人当たりがよかった。
「ほら、これ持っていきな」
女将が焼きたてのパンを差し出す。
「え、いいの?」
「今日くらいはね。未来の勇者様へのお祝いさ」
「まだ勇者って決まったわけじゃないよ」
「何言ってんだい。あんた以外に誰がいるっていうのさ」
女将は豪快に笑った。
ハイドもつられて笑う。
今日、彼は女神の儀を受ける。
十五歳になった者が、生涯の適職を授かる神聖な儀式だ。
戦士、魔術師、神官、騎士。
女神はその人間が最も才能を発揮できる職業を示すとされている。
ハイドは、勇者になると期待されていた。
少なくとも、村の誰もがそう信じていた。
本人も、少しだけ。
「ハイド!」
背後から聞き慣れた声がした。
振り返ると、金色の髪を揺らしながら少女が駆け寄ってくる。
「エリシア」
「もう! 探したんだから!」
「何かあった?」
「何かあった、じゃないわよ。今日は大切な日でしょう?」
エリシアは腰に手を当て、頬を膨らませた。
幼い頃から一緒に育った少女だ。
成績優秀で、誰にでも優しい。
村ではハイドと並んで将来を期待されていた。
「まだ時間あるだろ?」
「そういう問題じゃないの。緊張感が足りないのよ」
「エリシアの方が緊張してるじゃん」
「だ、誰のせいだと思ってるの!」
彼女の頬が赤くなる。
ハイドは首を傾げた。
「俺?」
「……もういい」
エリシアはため息をついた。
それから、ハイドの胸元に手を伸ばした。
「ほら、襟が曲がってる」
「あ、ありがと」
「今日くらいちゃんとしてよね」
そう言いながら、彼女は丁寧に襟を整える。
ハイドはその様子を眺めていた。
「ねえ、エリシア」
「何?」
「俺、勇者になれるかな」
少女の手が止まった。
「……なれるわよ」
「即答だね」
「だって、ハイドだもの」
エリシアは微笑んだ。
「あなたがどれだけ頑張ってきたか、私が一番知ってる」
その言葉が、ハイドには何より嬉しかった。
「そっか」
「うん」
「じゃあ、勇者になったら最初にエリシアを守るよ」
「……え?」
「昔、約束しただろ。俺が強くなったら守ってやるって」
エリシアは一瞬、言葉を失った。
そして小さく笑った。
「……覚えてたんだ」
「当たり前じゃん」
「そう」
彼女は少しだけ俯いた。
「じゃあ、期待してる」
そのときだった。
「おいおい、朝から仲がいいじゃねえか」
背後から、嫌味な声が響いた。
振り返ると、三人の少年が立っていた。
先頭にいるのは、村長の息子レオンハルト。
金色の髪を綺麗に整え、上等な服を身につけている。
その両脇には、いつもの取り巻きが二人。
「レオン、おはよう」
「気安く呼ぶなよ、ハイド」
「え、昔からそう呼んでるじゃん」
「……チッ」
レオンハルトは舌打ちした。
「今日でお前の調子に乗った人生も終わりだ」
「どういうこと?」
「女神の儀だよ。剣術の試験と違って、才能だけじゃどうにもならねえ」
「うん、そうだね」
「……お前、俺の言ってる意味わかってんのか?」
「女神様が決めるってことだろ?」
ハイドは笑った。
「だったら、お互い楽しみだね」
レオンハルトの顔が引きつった。
取り巻きの一人が口を挟む。
「レオン様は騎士になるに決まってる!」
「そうだ! 村長のご子息なんだからな!」
「そうだといいね」
ハイドは素直に頷いた。
それが余計に気に入らなかったらしい。
レオンハルトは顔を赤くした。
「……せいぜい今のうちに笑ってろ」
そう吐き捨て、三人は去っていった。
エリシアが呆れたように息を吐く。
「本当に嫌な人」
「そうかな」
「そうよ! ハイドは少し人がよすぎるの」
「でもレオン、剣術は本当に上手いよ」
「あなたには一度も勝ててないでしょう?」
「だから悔しいんじゃない?」
エリシアはハイドを見つめた。
そして、どうしようもないという顔で笑った。
「……あなたって、本当に変わらないわね」
「そう?」
「そうよ」
教会の鐘が鳴った。
女神の儀が始まる合図だった。
ハイドは空を見上げる。
青く澄んだ、気持ちのいい朝だった。
何もかもが、うまくいく気がしていた。
教会には、村中の人間が集まっていた。
祭壇の中央には、大きな水晶が置かれている。
女神の加護を受けた特別な水晶だ。
十五歳になった者が手を触れると、その者の適職が浮かび上がる。
「次、レオンハルト」
神官の声が響いた。
レオンハルトは堂々と祭壇へ進み、水晶に手を置く。
眩い光が広がった。
水晶の内部に文字が浮かび上がる。
『騎士』
歓声が上がった。
「おお!」
「さすが村長のご子息!」
「立派な騎士になるぞ!」
レオンハルトは満足そうに笑った。
そしてハイドを見た。
勝ち誇ったような視線だった。
ハイドは素直に拍手した。
「すげえな、レオン」
その言葉に、レオンハルトはなぜか顔をしかめた。
「……次、ハイド」
神官が名前を呼んだ瞬間、教会の空気が変わった。
ざわめきが広がる。
「いよいよだ」
「勇者が出るぞ」
「いや、聖騎士かもしれん」
「魔導師の可能性もある」
ハイドは深呼吸した。
少しだけ緊張していた。
祭壇へ向かう途中、父親と目が合った。
父は力強く頷いた。
母は微笑んでいた。
エリシアは両手を胸の前で組み、祈るように見つめている。
ハイドは笑ってみせた。
そして、水晶に手を置いた。
光が溢れた。
これまでにないほど強い光だった。
「おお……!」
神官が声を漏らす。
村人たちが息を呑んだ。
ハイドも思わず目を細めた。
やがて光が収まる。
水晶の中央に、文字が浮かび上がった。
『盗賊』
誰も、何も言わなかった。
最初、ハイドは文字の意味が理解できなかった。
盗賊。
盗賊?
「……え?」
誰かが呟いた。
神官が顔を青くした。
「ば、馬鹿な……」
村長が立ち上がる。
「もう一度だ! もう一度判定しろ!」
神官は震える手で水晶を調べた。
しかし、文字は変わらない。
『盗賊』
その二文字だけが、冷たく輝いていた。
ハイドは振り返った。
父親を見た。
父は、目を逸らした。
母親を見た。
母は、口元を押さえていた。
エリシアだけが、ハイドを見つめていた。
「……そんな」
彼女が小さく呟く。
そして。
「はっ……」
笑い声が聞こえた。
レオンハルトだった。
「はは……ははははっ!」
彼は腹を抱えて笑い始めた。
「盗賊! お前が盗賊だって!?」
取り巻きたちも笑い出す。
「勇者様が盗賊だ!」
「村一番の天才が、ただの泥棒!」
笑い声が広がっていく。
ハイドは何も言えなかった。
ただ、水晶を見つめていた。
盗賊。
自分が?
どうして?
「静粛に!」
神官が叫んだ。
笑い声が止まる。
神官は厳しい表情でハイドを見た。
「ハイド。祭壇から離れなさい」
「……はい?」
「盗賊は、女神に背く忌み職だ」
ハイドの喉が鳴った。
「でも……女神様が決めたんですよね?」
神官は答えなかった。
「俺、何か悪いことしましたか?」
沈黙。
「何もしてないですよね?」
誰も答えない。
ハイドは父親を見た。
「父さん……」
父は立ち上がった。
そして、低い声で言った。
「……お前は、もう私の息子ではない」
ハイドの表情が止まった。
「……え?」
「我が家に盗賊はいない」
「待ってよ、父さん」
「二度と言わせるな」
父親は背を向けた。
母親は泣いていた。
しかし、何も言わなかった。
「そんなのおかしい!」
エリシアが叫んだ。
教会中の視線が彼女に集まる。
「ハイドは何も悪いことをしてないじゃない!」
「エリシア、黙りなさい」
彼女の父親が立ち上がった。
「でも!」
「盗賊の肩を持つんじゃない!」
「職業が盗賊だっただけでしょう!? ハイドはハイドよ!」
エリシアはハイドの前に立った。
震えていた。
それでも、逃げなかった。
「私、知ってるもの……!」
涙が頬を伝った。
「ハイドがどれだけ頑張ってきたか……! 誰よりも優しくて、誰よりも一生懸命で……!」
「エリシア!」
父親の怒声が響いた。
「こちらへ来なさい!」
「嫌!」
彼女は首を振った。
「絶対に嫌!」
そのとき、レオンハルトが口を開いた。
「……村の掟はどうするんです?」
村長が息子を見る。
「盗賊は追放する。そう決まってるでしょう?」
レオンハルトは笑っていた。
「女神に見捨てられた奴を村に置いておいたら、みんなに迷惑がかかりますよ」
神官が頷いた。
村長が目を閉じた。
そして宣言した。
「ハイド」
少年は顔を上げた。
「お前を、この村から追放する」
誰も反対しなかった。
エリシア以外は。
ハイドはゆっくりと周囲を見渡した。
パン屋の女将がいた。
いつも剣術を教えてくれた先生がいた。
近所のおじさんも、おばさんもいた。
みんな、目を合わせようとしなかった。
今朝まで、自分を勇者と呼んでいた人たちだった。
ハイドは小さく息を吐いた。
「……そっか」
不思議だった。
涙は出なかった。
怒りも、まだ湧いてこなかった。
ただ、胸の奥に大きな穴が開いたようだった。
「ハイド……」
エリシアが手を伸ばした。
ハイドはその手を見た。
少しだけ笑った。
「ありがとう、エリシア」
「……っ」
「俺のこと、庇ってくれて」
「待って。私、まだ……!」
「大丈夫」
ハイドは言った。
自分でも驚くほど、静かな声だった。
「……行くよ」
そうして少年は、教会を出た。
誰も彼を追わなかった。
村の門を出る頃には、夕方になっていた。
ハイドが持っているのは、小さな鞄一つ。
着替えと、水筒。
それだけだった。
金はない。
武器もない。
帰る家もない。
門の前で、ハイドは一度だけ振り返った。
十五年間暮らした村。
大好きだった場所。
自分の全てだった場所。
「……なんだよ」
声が震えた。
「昨日まで、あんなに……」
言葉が続かなかった。
ハイドは唇を噛んだ。
そして、前を向いた。
山の向こうには、大きな街がある。
そこへ行くには、魔物が棲む洞窟を抜けなければならない。
普通の旅人なら、護衛を雇う道だ。
しかし、今のハイドにそんな金はない。
「……行くしかないか」
少年は歩き出した。
夕日が、細い背中を照らしていた。
このとき、彼はまだ知らない。
自分が授かった「盗賊」という職業の、本当の意味を。
そしていつか、世界中の王侯貴族を震え上がらせる大泥棒になることも。
今はまだ、ただの十五歳の少年だった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
次回、故郷を追放されたハイドの冒険が始まります。




