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蛇念坊~大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ~その3

かなり長くなっていますが、飽きないようにしてはいます。

46 


尾加田剛は、例によって昔のツレを訪ね歩き、飲み食いしながらの情報収集にいそしんでいた。だがこの男の場合、そんな調査していることなど誰にも全く気づかれることはなかった。尾加田にはスパイとしての才覚があったのかもしれない。常に本気で遊んでいながら、どこかで冷静な部分を頑として持っていた。

こういう資質がなければ、日本人が単身カザフに乗り込んで成功することなどできなかっただろう。この日も昔の悪友たちを訪ね歩いていたが、もう全く大した情報はなくなってきていた。

(全くもう!あいつら普通の社会人してやがる。面白くねえなあ。)

もう遊び調査もいいかなあ、などと考えながら向かったのは、昔のワル仲間がよく集まっていた麻雀店『めんたんぴん』だった。ここでよく賭け麻雀やっていたものだ。

「そうだそうだ、ここを曲がるとそこに・・・え?」

そこにあるはずの古い戸建てはなくなっていて、ずいぶん階がありそうなマンションに変わっていた。

(がーん・・・俺の思い出が・・・。)

尾加田が頭を抱えて呆然としていると、横から大声が聞こえてきた。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

「わ!びっくりした!・・・ん?」

大声の主は、作務衣に手ぬぐい、セッタという典型的な怪しさだった。だが尾加田はその顔を見て驚き、そして歓喜の声を上げた。

「わー!深井くん!」

「剛!ゴォォォォォォォォ!おまえー!生きてたんか!」

2人は強烈なハグをした。近所のご婦人方が違和感丸出しの中年男性2人がハグし合っている光景を見て避けながら歩いていても、全く気にならなかった。

深井は尾加田たちの先輩で、全く先輩面することなく付き合ってくれていた、尾加田も岡島も大山も、最も尊敬する先輩だった。

「剛!お前、なんだ、その恰好!日本人じゃなかごたっぞ!」

「いやその、長く海外にいたんですよ。」


「海外つったって・・・そりゃお前、どこの海外だって。」

「そういう深井くんだって、まるで怪しいおっさんじゃないっすか。」

「そりゃそうだ。俺は雀荘の主人だし。毎日暇でよ。」

「え?雀荘って?」

「あの『めんたんぴん』とこの娘と結婚したんだよ。今は移転して、あそこでゲーセン、将棋場と併設したビルになっとるとたい。」

深井が指さした先には3階建てのビルがあり、最上階に『あのめんたんぴん復活!』の看板が見えた。

「えー!移転したんすか!」

「ああ。あそこはほら、元は喫茶店だったとこ。俺が買い取ってビル建てたんだ。」

「いやあ、深井くん、嬉しいっす!」

「卒業して以来だしな。どうだ、寄っていかんか?酒ならあるぞ。」

「寄ります!」

尾加田は深井と共にビルに入り、階段にある案内板を見た。1階がゲーセンで、2階が将棋場と囲碁場になっていて、3階が雀荘になっていた。

「深井くん、すっげえっす!」

「がはははは。借金の塊よ。これに乗るぞ。」

2人は屋上にある自宅までにエレベーターで昇って行った。屋上に上がると、そこは庭付きの戸建て風になった自宅があり、日本庭園風に仕上げられていた。家の中に入ると、そこは純和風の内装になっていて広い土間があった。

「なんつーか、先輩らしいわ・・・あ、は、はじめまして!」

深井の奥さんが出迎えてくれた。

「堅苦しいことはいい。俺たちは基地にいるから、なんもいらんよ。」

基地ってなんだと思いながら深井についていくと、そこはサンドバッグと筋トレマシン、年代もののゲーム機、往年のアイドルポスター、サンダーバードプラモなどが雑然と並んでいた部屋だった。

「これが基地っすか?」

「ああ。ここは俺しか入ったらいかん部屋なんだわ。いつでも気持ち的に元に戻れるから、基地って呼んでる。酒は・・・これ飲るか?」

昔懐かしい、サントリーオールドにコーラを混ぜたコーク杯を深井は用意してテーブルに置いた。BGMには懐かしいロックを流し、深井は尾加田に座るよう促した。

「それじゃ、乾杯!」

「いただきまーす!」

2人は一気に干し、同時に呻いた。

「カーーーーーーーーッ!」

「うめえ!懐かしいわあ。この味この味!あー、高校時代に戻れる!」

2人はしばらく昔話に花を咲かせていた。

「ところで剛、お前もう日本に住むのか?」

「あー、いやそれがまだ全く決まってねえんすよ。今は大山とか岡島たちに世話になっています。」

「あいつらか!全然会ってなかなあ。岡島啓介は確か警察だろ?」

「タカなんてもう川北署の副署長ですよ。署長がイマイチ元気ないんで、今はあいつが事実上のトップです。」

「ガッハハハハハ!あの悪ガキどもが警察だなんてなあ。世の中、わからんもんだ。じゃあお前、俺とこに来ないか?部屋が空いてるぞ。」

「あー・・・でも大丈夫っす。まだどうなるかわからんですから。」

「相変わらずの風来坊だなあ。大山たちは元気か?」

「そりゃもうギンギンっす。」

「あんまし心配もしてなかばってんなあ。たまには会いたいもんだ。お前はあいつらの世話になってるって言ったな。警察に入るのか?」

「じょ、冗談じゃなかですよ。俺はずっと悪党でいますよ。」

「そうか?俺にはなんだかそっちの人間に見えてきてるぞ。」

尾加田は内心驚いた。この先輩は昔から鋭い部分があったのだが、全く衰えていないようだ。

「でもまあ、あいつらと一緒にいると、そんな雰囲気になるんでしょうかねえ。」

「朱に染まれば何とかだ。お前、そっちの側がいいかもな。」

「そうっすかねえ。」

「ああ、だったらさ、あいつらにネタやってくれよ。」

「なんすか?」

深井はグラスを置いて、窓の外を指差した。

「あそこに見えるのが睦海興行だ。元北西組だったところだ。覚えてるだろ?」

「ああ、はい。」

「俺もな、それなりに顔が広いんだ。で、今が暇だろ。川南のあちこちを見て回っているんだが、この間、あそこに見慣れない奴が出入りしていたんだ。」

「それがどうかしたんすか?」

「川北にSKなんとかって会社があんだろ。お前知ってるんじゃないのか?あそこの社長はタカの義理の弟だって言うじゃねえか。」

尾加田はまたまた仰天した。この先輩は本当に核心を突いてくるので油断ならない。昔も自分たちの本音もズバリ言い当てていたので、色々相談もできていたのだった。

「ま、まあ知ってはいますよ。」

「だろ?俺のとこにも営業に来てた。俺は物売りじゃなかけん、協力はするばいと言っていたんだが、その営業が出入りしてたんだ。」

「え?誰です?」

「ああ、市川って奴だ。あんにゃろ、極道のとこによく行くもんだよ。あそこは社員が殺されてただろ?なんか引っ掛かるんだよなあ。」


47 


羽間は桝永と『ラ・クア・クチーナ』で食事していた。兼末の訴えで、川北市内にいるあらゆる怪しい人間をチェックし、1日で概ね逮捕していた。職質と言って近づき、逃げた者は逮捕し、そうではないものは同行して取り調べしていた。

最初は全員否認していたのだが、免許証などからすぐに睦海興行社員もしくは助っ人だと判ったので、結局は逮捕していた。

「いやあ参ったな。」

「ですねー。先輩方、どうしてあいつらが睦海興行だと判ったんすか?」

「まあ、そのうちお前にもわかるよ。見立てに頼ったらいかんが、ある程度は必要ってこった。それに、基本は犬になること。それがデカさ。」

「でも不思議ですよね。なんで睦海興行がそんな真似するんですかね。すぐわかるのに。」

「ああ・・・それはこれからだな。」

枡永は普通の刑事なので、大山や羽間たちの正体を教える訳にはいかない。それに、ここしばらくは祥子がよく話しかけてきて、色々とアドバイスをくれていた。

枡永には絶対に知られてはいけないとも。有能な刑事なだけに、このまま成長させるべきということらしい。

それは羽間も賛成だった。自分が佐々木盛綱の転生だと気づいてからわかったことだが、2つの人生記憶を持つことはかなりきつい。都合良い部分だけをチョイスできる能力がなければパンクしてしまうことだろう。

しかも、そこのところは羽間も詳しくないのだが、天台裏衆というものまで関わってきている。かおるや山高らがそうらしい。彼らには彼らの役割があるようだが、とてもそこまで踏み込む勇気はなかった。羽間は転生前も後も、頼朝転生である大山に従うのみだと思っていた。

「で、あそこにはまだ踏み込めないんですか?」

「まだ決定打がない。勝手にやったと言ってるだろ。それじゃ聞き込みはできてもなあ。もっと押さえないと。」

2人が色々語り合っていると、白水かおるが入ってきた。

「おや?かおるさん、珍しいですね、ここに来るの。」

「ケンちゃん、久しぶりね。」

「あら、かおるさん!なんか久しぶりじゃない?」

「すみません、色々あって。ママに会いたかったわ。」

小野道子は久しぶりだったので、嬉しそうに出迎えた。

「ああケンちゃん、ちょっと・・・いいかしら?」

「え?いいっすよ。」


2人は店の外に出た。

「なんすか?」

「盛綱様、動きがありましたよ。」

かおるの姿は、緑川小百合になっていた。だがその姿は羽間にしか見えない。

「え?・・・玉?そのまま来ればいいじゃないか。」

「とんでもない。下手に乱したくないでしょ?」

「そうか。で、動きって?」

小百合は時々玉藻前の姿になりながら、目の前に様々な映像を羽間に見せていた。

「あの方の息子・・・最も危険なあの方です。」

「ひょっとして副社長・・・?」

「そうです。問題なのは、前の時と同じなのです。」

「同じ?」

「前の時にもそそのかしたのは転生前のあいつです。そいつが今回も動き出しました。まだ因果解消ができていないからです。」

転生する場合には、多くは同じ因果関係の中で転生した世界の環境に支配されるので、前世では兄妹だったのが転生後には親子となったりする。だが、今回はそうではないらしい。よほど強力な力が介入してきていたので、転生後も引き寄せた可能性があるというのだろうか。

「その本体って?」

「蛇念坊・・・こいつです。」

玉藻前が示したところに映っていたのは、うずくまっている老人の姿だった。

「蛇念坊だって?それは・・・うわ!」

老人の姿はいきなり巨大化し、八つの蛇の集合体になった。

「こいつは・・・八岐大蛇なのか?」

「操っていた本人です。かつて古代において一度だけ現れた妖獣、八岐大蛇。その時には猿田彦と須佐之男命の力によって封じ込められたのですが、武家と公家の土地所有バランスが崩れたあの時にも復活させようとしました。そして現世においては、再び世界のエネルギーバランスが崩れようとしています。この地では、ちょうど火山が噴火するように力が荒れ狂っています。蛇念坊の因果を受けついだのが・・・。」

「副社長の盛成、となるわけだな。」

「はい。前の時にも彼が暴れました。今回もです。」

玉藻前は次々に映像を羽間に見せた。それはかなり衝撃的なものばかりだった。

巴蛇を操る安羅万有が八卦と繋がった秘術で八岐大蛇とさせたことから始まり、シャーマンウルスラグナとの戦い、猿田彦らのように日本に入り、八岐大蛇を復活させたこと、そして須佐之男命の力で敗れて孤島の荒水島に自ら籠り、蛇念坊へと至る系譜だった。

「・・・ちょっと待て。どこかで聞いた名だな。何て言ったっけ、その島の名前は。」

「荒水島・・・日本海に浮かぶ孤島です。」

羽間の記憶がぐるぐる回転し、そしてひとりの人物に落ち着いた。

「大倉美也希だ!間違いない、そう言っていた。そして、父親は光田だ!なんてこった!」羽間は頭を掻きむしって悔しがった。最初から全部繋がっていたわけだ。そのことに気が付かなかった自分に腹が立って仕方なかった。

「はぁ~・・・しかし、まだ救いはある。玉、お前のヒントがなかったらえらいことになっていたかもしれん。よし、早速こちらも・・・。」の

「お待ちください。まだあります。」

次に見せられたものは、ウルスラグナすなわち猿田彦の流れを組む系譜だった。猿田彦から秘術を受けついだ系譜は日本各地に拡散し、それぞれが固有の神と結合して土地神話となっていった。

しかし、猿田彦は山岳信仰を行う一派の中に1人だけ、完全秘術を伝授した。それは強力な後続遺伝子を持つ人間で、秘術は一子相伝とした。

「その人がいないとダメってことか・・・探すのって・・・。」

「もう、この地におられます。」

「な・・・なんだってええええ!」

「しかし彼が心を許すのは、それなりの力を持ち、試練に耐えうる者のみ。ですからその方にお任せすればよろしいです。」

「わかった。では俺らは、大倉と沖皇の関係性を洗えばいいわけだな。」

「そうです。それで・・・わたしにもご褒美をいただきたいのですが。」

「褒美?なんだ?」

玉藻前は笑みを浮かべるとイメージを羽間に伝えてきた。

「そ、それはできん!お前、何を言い出すんだ!」

「いずれにせよ、近いうちにそうなります。良いことではありませんか。ただ黙って見ていていただければよろしいのですよ。」

羽間は目の前の女が妖怪であることをすっかり忘れていた。それに、結果として同じことではある。口を出さずにいればいいだけだ。

「・・・俺は何も聞いていない。それでいいか?」

「はい。」

「お前はやっぱり妖怪だな。」

「助かっておられるでしょ?盛綱様。」

かおるの姿に戻った玉藻前は、小野道子に挨拶して怪しげな笑みを浮かべたまま去っていった。

「・・・やれやれ、だ。あいつらの感覚は人間では掴めんな。」

羽間は店の中に戻り、枡永に大倉美也希と光田、それと沖皇の関係性を洗い直すと伝えた。


48 


大山は川北総合病院に来ていた。一時復帰したものの、山内の病状が良好ではなく、また入院していたからだ。定年間際ではあったので本人は意地でも出勤すると言っていたのだが、さすがに周囲から止められ、そして自宅で倒れて搬送されていた。

「署長、大山です。」

「おお、タカ。入れ。」

山内の病室に入った大山は一瞬顔をしかめた。決して良好ではない気が充満していた。

山内の周囲は明るかったのだが、病室の中は何となく黒味がかっていた。転生を自覚してから、大山にはそのような状態が感じられるようになっていた。

「お休みかと思いました。」

「馬鹿もん。だが・・・俺も若くはないからな。気持ちはまだ30代なんだが、身体がついていかん。ついさっきも女房が来てな、あなたは気持ちだけ若いから困るのよ、だとさ。わっははははは。」

大山は苦笑いした。警察学校を出て、ほんの一時期巡査を経験した後はすぐに刑事になり、山内に徹底的にしごかれた。心構えから捜査の手順、書類の書き方、対人を良好にするやり方などを仕込まれた。早く両親を亡くしていた大山にしてみれば、実の父親のような存在だった。

その山内から前副署長退任に後に打診されたときには、山内を補佐できると思って喜んでいたものだ。だが間もなくして山内の健康状態が悪くなり、大山は婦人から悪性腫瘍だと聞いて愕然とした。しかし一方では、山内は次にどんな人生を送るのだろうかと考えたりもした。自ら転生を経験しているため、そんな思いも出てくる。

「で、どうなんだ?光田の件は。」

「はい。まだ犯人決定までは至っていません。川南署に同級生の岡島がいますので、現在は合同で捜査しています。それと、あの尾加田もですけど。」

「あいつが?来てるのか?そりゃあ賑やかだろう。」

「はい、まあ・・・ですね。」

「あいつはいい。あの天性の能天気ぶりは救われる。大事にしろよ。俺もそんな奴に何度も助けられたもんだ。で、沖皇は?」

「現在は羽間と枡永がメインで進めています。絶対にクロなんですが、まだ掴み切れていません。」

山内は頷いて、少し考えた。

「俺の勝手な推測を言ってもいいか?」

「はい、お願いします。」

「あいつらのような奴らは、俺も何度か見てきた。捜査で判明して間違いないのは、市長と経済界を掴んでいるってことだ。袖の下をかなり積んでいるはずだ。だがその過程で、必ず誰かが見抜く。その人間を、奴らはどうにかして排除しようとする。飛ばしたり、社会的に押さえ込んだりな。そして反社どもとも繋がっている。裏を押さえて初めて面に出ることができる奴らじゃないかな。奴ら自身が相当にヤバいと睨んでる。だから我々の突破口は、反社と排除の手口だ。まずわかっていることは川南の北西と組んでる。あそこを押さえていなければ、逆にまずい。だから、本庁のマル暴と組むことだ。何か出てくる。それから市長を調べると、これも何か出てくる。必死で隠しているだろうから、必要なら公安に出てきてもらうことも考えていい。それから、どうにも解せないことは、なぜ川北かってことだ。狙うなら川南だろう。その辺も調べてみればいいな。排除については・・・もうわかるな。」

「光田・・・ですね。」

「俺の勝手な想像だがな。」

大山は感心した。

山内は入院が長く、あまり知識はないはずなのだがここまでの構築力を持っている。

経験値というものはすごいものだと思った。

「はい、ありがとうございます。その線で捜査します。」

「お前のことだ、そのくらいは掴んでいるだろうがな。」

「とんでもないです。署長の総括で、逆に自信が持てました。」

「ほら、できているじゃないか。」

「あ・・・いや、その。」

「わははははは!」

山内は豪快に笑った。だが山内が眉をひそめた瞬間を、大山は見逃さなかった。痛みがあるのだろう。あまり長居してもいけない。

「では署長、仕事に戻ります。ゆっくりおやすみください。」

「ああ・・・そうさせてもらうよ。ああ、それからな。」

「はい?」

「お前・・・そろそろ籍入れろよ。白水くんと。」

「はい、いずれ。」

「なあタカ。」

「なんでしょう?」

「俺の願いを聴いてくれ。」

大山はなんのことだろうと考えた。

「俺は署内でも結構な人数の仲人をやってきた。だが、もうそれもできそうもない。だから・・・お前たちの仲人をやらせてくれんか。」

「署長・・・。」

「お前たち次第だってことは重々承知だ。だが、俺の願いと言うか、夢なんだ。お前は俺の本当の意味で弟子だし、息子代りのようなもんだ。」

大山は目頭が熱くなってきた。ここまで考えてくれていることに感動すらしていた。

「わかりました。あいつとも話しておきます。」

「ああ・・・まあ、軽く考えておいてくれよ、な。」

大山は敬礼をして、病室を出た。山内は大山が去った後で、腹を押さえた。医者も妻も病名は告げなかったが、間違いなく悪い奴だとは自覚していた。生命を奪うような。

だからこそ、無理な願いが口をついて出てきてしまっていた。

(すまんな、タカ・・・)

そして寝ようとした時、急に周囲の様子が変わった。やたら花の香がする。

(なんだこれは?)

病室の殺風景なレイアウトが、華やかで貴族風なものに変わっていた。

(うわあ、もうお迎えか?)

いよいよその時が来たのかと思っていると、目の前に美しい女性が現れた。髪を結い上げて、カスリを見事に着こなしている。若い頃に映画で見ていた女優に似ていた。

『やまうちさん』

(わわ、幻覚か?)

『ちがいますよ。おむかえでもありません』

「え?話しかけたのか?」

『ええ。わたしは、あなたのもうひとりのおくさんです。』

「なんだって?俺は浮気していないぞ?」

『いまはまだおわかりにならないとおもいます。いずれおあいするでしょう。きょうは、ごあいさつです。』

「よくわからんが・・・死神ではないんだな?」

『はい。ではいずれまた・・・。』

女性は姿を消した。そしていつもの病室に戻った。

(何だったんだ?)

山内はベッドを出て、病室から外を眺めた。いつもの風景があった。

までこれを見ていられるのかわからなかったが、もう1人の妻だと名乗る変な奴がいると思うだけで、少し心が軽くなった。幻覚にしては随分ありがたいものかもしれないと考え、山内はまたベッドに戻った。


49 


川北市から離れた海辺にある前田産業は、海鮮や船を扱う、海に関する商社を目指していた。養殖業などでも積極的に技術を取り入れ、エビやサバなどを販売していた。長い間SKディストリビューションと取引していたのだが、急に沖皇物流と取引するようになっていた。

だが、社内では反対の声が渦巻いていた。

「社長!なんで沖皇なんですか!あれじゃ高すぎて利益出ませんよ!」

常務の高岡が今日も前田社長に食ってかかっていた。まるでカタギには見えない風貌の前田は、タバコをふかしながら反抗する部下を睨んでいた。

「お前たちば守るためぞ!しょんなかろうが。いいか、何度も言わせんな。お前たちが露頭に迷わんごつしよっとたい!」

「だから!なぜそうなんですか!そこを言ってくれないから面倒になるじゃありませんか。」

高岡は先代の頃から前田産業に勤務していたベテランだった。商社になる前からのキャリアがあり、現社長は子供の頃から知っていたために遠慮はなかった。ここしばらく、社長の態度がどうにも気になっていたこともあって、連日何かしらで噛みついていた。

「高岡さん、もうおやめください。」

「・・・そもそもお前が来てからおかしくなったんだろうが!お前が口挟むな!」

前田の秘書として採用された七条植子だった。

「高岡さん・・・会社の決定権は社長にあるんですよ?」

「そんなことわかるわ!先代から仕えているこの俺に、たかが半年くらいのお前が物申すなど片腹痛いわ!」

「高岡、先代のこつば言うな。お前たちに言うてもわからんことや・・・もういい。もう言うな。これ以上は、もうなかぞ。」

前田はタバコを揉み消すと、高岡を睨みつけた。

「俺に嫌な決断をさせんな!よかな!」

高岡は顔を真っ赤にして何か言いかけたが、前田の言葉の裏にあるものを感じて飲み込んだ。

「・・・わかりました。失礼します。」

高岡は植子を睨みつけると、社長室を出て行った。植子はコーヒーを淹れて、前田の前に置いた。前田は歯を食いしばり、拳を握りしめていた。それを面白そうに眺めていた植子は、先ほどまでの冷ややかな表情とは違って、下種な笑いを浮かべていた。

「あら社長?どうされました?」

「・・・いつまでや・・・いつまでこぎゃんこつ、せんばならんとや!」

前田は立ち上がって植子を睨んだ。

「・・・うるさいよ。座れ。」

植子は無表情になり、前田は植子の声に気圧されるようにまた座った。植子は眼鏡をはずし、前田の前に置いた。


「まだわかってないんだね、あんた。」

植子は前田の顎に手を置いて、自分に向けさせた。

「あたしが来てから、ヤクザが来なくなったでしょう?仕事やりやすくなったじゃないの。それもこれも、あんたがあたしに手を出さなかったらねえ。」

「うるさい!お前たちが仕組んだことだろうが!俺はお前が赤西の女だなんて知らなかったんだ!」

植子はヒールを脱いで、前田の膝に乗ってきた。少し開いた服から、豊かな胸が見えていた。秘書の冷たい顔ではなく、エロさといやらしさで作られた顔になっていた、

「ほおら気持ちいい。社長さん?あんた、あたしにメロメロだったじゃない。別にいいじゃない。あたしが赤西の女だからってさ、誰とやったっていいんだしねえ。そのかわり、手痛い返しはつきものだけどね。」

前田が川南のクラブで指名していた女が植子だった。植子はありもしない辛い過去話で前田を落とし、前田と一夜を共にして骨抜きにしておいて入社し、ありとあらゆる方法で前田を脅していた。

もちろんその背後には睦海興行があり、さらにその奥には沖皇物流がいた。気がついた時にはもう遅かった。あらゆる弱みを握られた前田は、植子の言うがままにするしか手はなかった。

「お前ら・・・社員に何かしたらタダでは済まさんからな!刺し違えてもお前らを・・・。」

前田は最後まで言えなかった。植子が人差し指を立てて、前田の口に当ててきたからだ。

「どうするの?シャッチョさん?あんまりヤクザ舐めない方がいいわよお?しばらくは、甘い汁吸わせてもらいますからね。」

植子は前田から降りて眼鏡をかけ、再び秘書の顔になった。

「では社長。これから挨拶回りに行ってきます。」

植子は慇懃に前田に一礼し、部屋を出て行った。植子は別に挨拶回りに行くために部屋を出てきたわけではなかった。植子が向かったのは、海岸だった。

何隻か漁船があり、その先にはボートマリーナがあって、そこのカフェに向かった。

「お待たせしました、副社長。」

待っていたのは、沖皇盛成だった。カフェの奥にある贅沢な造りの個室で待っていた。

「遅いじゃねえか。どうしたんだ?」

「フ・・・可愛い飼い犬をヨシヨシしていたんですよ。」

「そうか・・・あいつはお前には頭があがらんしな。こっち来いよ。」

植子はいやらしい笑みを浮かべると、盛成の横に座って盛成に体を預けた。盛成は植子の肩に手を回して、自分に引き寄せた。赤西の女だった植子は、赤西の義兄弟盛成とも関係を持っていた。もちろん、赤西には絶対にバレないように盛成が手を打っていた。

この逢瀬も、もちろん沖皇と赤西の連絡役ということを、適当な証拠をでっちあげて安心させていたからできたことだ。

「お前とも久しく会ってなかったな。」

「んもう、いじわる。」

盛成は植子の顎を掴むと、キスをしてきた。植子も盛成の首に手を回して熱烈にキスを返してきた。舌と舌がいやらしく絡み合う感覚を味わっていた植子だったが、いつもよりエロく感じていた。

「副社長、なんだかすご・・・。」

言いかけて、植子の目が開いた。

「ム・・・ムググググ・・・?」

盛成の舌が口の中で割れて、植子の舌に潜り込んできたのだ。

(もっと気持ち良くなるからな・・・)

盛成ではない声が植子の脳内に響き、潜り込んできた舌は喉から鼻に抜け、そして眼球の後ろを通って脳内にまで達した。植子の身体は痙攣を始め、眼球は反転して白目になっていた。しばらくして盛成は植子から離れた。

だが植子はキスしたままの状態で固まっていた。盛成は植子を面白そうに見て、額に指を当てて一言つぶやいた。

「動!」

その言葉を発したとたんに植子の身体は崩れ落ち、そしてゆっくりと起き上がった。

「お前は俺になる・・・そして共に戦うのだ・・・。」

 盛成は恐ろしい表情になり、一言を発した。

「元!」

植子は我に返り、辺りをキョロキョロと見渡した。

「あら、あたし・・・?」

「今日もいい思いさせてもらったぜ、植子。」

「え・・・あら、もう終わったの?変ねえ、全然覚えてない・・・。」

「散々いってたからな。」

「え・・・嫌だあ。」

植子は記憶にない程のエクスタシーがあったのだとわかると、さすがに恥ずかしくなった。

「俺はもう帰る。まだこれからも頼むぜ。」

「・・・はい。」

盛成は植子を会社に戻し、自分は川北に向かった。


50 


山高は金杵麿と共に、川北市に戻ってきた。ただし、金杵麿が指定した場所は山高ですら戸惑う場所だった。

「ここは・・・ええ?」

「なんじゃ、なにか問題でもあるのか?」

「いえ、問題ってことはない・・・です。しかし、意外でした。」

金杵麿が指定した場所は、川北市に最近できたテーマパークだった。農業地域なので、販売所はもちろんあるし、食堂やプール、トランポリンや卓球場などが楽しめる屋内遊技場などがある。

だが、金杵麿が指定したのはその中でも最も意外な場所だった。そこはホラーハウス、いわゆるお化け屋敷だった。

「大和さん、ここで何を?」

「おいおい説明しようかなあ。まずは、入ろう。」

初老と高齢の男性2人が入っていく様に、受付の女性はもちろん周囲の来客たちも違和感の視線を思い切り出していた。

「ど・・・。」

「どこに行くのか、か。すぐにわかる。」

金杵麿は井戸から幽霊が飛び出すエリアまで行き、立ち止まった。すると、明らかに大人男性2人だったのでやる気が出なさそうな幽霊が出てきて、お化けのポーズをした。

金杵麿は面白そうに、バイトの幽霊を見て指差した。

「ムン!」

その幽霊は動かなくなり、そのままの態勢で固まった。

「さて、行こう。」

「行く?どこに?」

金杵麿は笑うと井戸を指差した。

「この井戸?だってこれは作り物ですよ。行くと言われても・・・。」

「お前さん、意外と面倒じゃなあ。来いったら来い!」

金杵麿はまず山高から入るように促した。山高は首を傾げながら井戸の中に入っていった。

「うわ!」

すぐそこにあるはずの床がなく、山高は井戸の底に落ちた。

「やれやれ・・・それじゃわしも・・・と、その前に・・・ムン!」

金杵麿は落ちていく前に幽霊を指差した。

「うらめ・・・あれ、もういないや。」

幽霊は肩をすくめて井戸に入り、床に座ってタバコを吸いながら次の客を待った。一方で山高は落ちてすぐに何かにぶつかり、慌てて立ち上がった。

「ここは、どこだ?」

「ここはのう、わしの修行場じゃよ。」

山高は声のする方を見た。そこには先ほどの作務衣と違って、修験者の格好をした金杵麿が立っていた。

「ここが修行場?しかしここはまるで・・・。」

山高と金杵麿の周囲のみ明かりが指していて、周囲は真っ暗だった。

「左様。ここは森の中でも建物の中でもない。わしは行者様由来の一子相伝じゃと申したであろう?ここはのう、猿田彦様がこしらえたものでな。そうじゃなあ・・・お前さん方の言葉で申せば、無限の隙間・・・となるかな。」

「無限の隙間?いえ、聴いたことがないです。」

「・・・言葉が思いつかんが・・・こうすればわかるかな?」

金杵麿が手に持った杖を回すと、その都度違った映像が周囲に現れた。見たことがあるものもあったが、荒涼とした赤い星、荒れ狂う電子の渦などが次々に現れた。

「・・・わかったような気がします。ここは、鏡遷しの隙間ですね?」

「左様じゃ。猿田彦様が見つけ、磨いて伝えてきた鏡遷しの術は、重ねれば重ねるほどにわずかな時間のずれが生じる。その隙間は無限に存在もするが、ただの一点でもある。そのような場所は鍛錬を積み、奥義を伝授された子供もしくは弟子にしか入ることは許されん。わしはあのお化け屋敷に入った時から念を送っておいたのでな。お前さんとわしだけは入れたということよ。」

「そうか・・・そんな場所で。我々な道場での修行でしたが、さすがは役行者流です。しかしどうしてあの井戸からなんですか?」

「お前さんもやかましいお方じゃのう!わしの趣味じゃ!」

「・・・え?」

「伝授された者が最も入りやすい場所を作ることができる。わしの場合、あのお化け屋敷が好みなんじゃ。それがなにか?」

「は・・・はあ。」

山高はそれ以上聴くのをやめた。趣味となると理由などはない。そこが行きやすいという、ただそれだけなのだ。歴代の伝承者たちもそれぞれの入口を持っていたのだろう。

山高は辺りを歩いてみた。すると歩くたびに場所が広がっていくのがわかった。山高が家をイメージすればイメージ通りの家が現れ、その他思ったものはすぐに現れた。

「こういう場所なんですね、大和さん・・・大和さん?」


金杵麿はいなくなっていたので、山高は辺りを見回して歩いた。

「ここじゃ!」

上から声がしたような気がして見上げたが、そこには何もなかった。しかしやはり声はそこから聞こえてくる。山高はここが無限に存在するパラレルワールドに共通する唯一の空間であることを思い出し、ここには上下左右などの概念は存在しないことに気がつき、声がどこから来るのかという考え自体を捨ててみた。

今聞こえていると思っていることは、それ自体が存在しないのだと。そして声の本質を探ろうとして目を閉じた。

「さすがじゃのう。天台の裏衆は伊達ではないな。」

目を開けると、目の前に金杵麿はいた。

「ここは、己が中心となる。己がしっかりと立ち位置を確定しなければ、方向も定まらんし、実体すら曖昧になる。お前さんはまず自分をしっかり保つことができたので、わしが見えた。」

「先ほどは、大和さんがいらしたから確定できていたわけですね。私1人になったと思い込んだ時から、もう何もわからなくなりました。ここはそういう世界・・・ニュートラルな世界なんですね。」

金杵麿は満足そうに頷き、杖を振った。すると目の前に荘厳な伽藍が浮かんできた。

「ここはお前さんの力を発揮しやすいようにしておかんとな。この中であれば、お前さんは違和感なく力を発揮できるであろう。行者様はもっと広大で複雑な世界を構築できたそうじゃが、わしはこれでいい。これくらいでなければ、人間ではなくなるのでな。」

役小角は、かつてその力を逆に使われてしまい、自分が作った世界に長年封じ込められていたと山高は聞いていた。猿田彦という存在が、どれだけのシャーマンであったかがうかがえた。いくら天台の裏衆と言えども、ここまでの力は持てない。

「さあ、中にお入りなされ。」

山高は伽藍の中に入ったが、入った瞬間にまた驚いた。柱や飾り、配置、全てが記憶に残っているのだ。

「ここは・・・私が最初に入った伽藍じゃないですか!間違いない!」

「それはそうじゃろう。お前さんの記憶がここに出てきておるわけじゃからな。お前さんが戦わねばならんのであろう?」

「はい。」

「だったらより戦いやすい位置でなければいかんじゃろう。わしはどこにでも行けるのでな。ここは、わしの世界じゃ。」

普通の人間ではない裏衆だから受け入れられたが、それでも山高には驚愕だった。ここには時間の概念もない。どの世界のどの時代にも行ける空間なのだ。

だとすれば急ぐという感覚も捨てなければならない。山高は全ての概念を捨て、己の修行という一点のみに考えを絞った。すると伽藍の奥まで見通せるようになり、山高はそこにある自分の修行場に歩いていった。


51 


かおるは自宅マンションの居間で止観を行っていた。戦いの前に自分がやれることは全部やれた。それでようやく安心して総括ができるようになった。

かおるの精神構造は非常に複雑で、かつ繊細だった。悪い気があれば確実に影響を受けるし、ポジティブで平穏な気があればそれも影響を受ける。ただ影響を受けるだけではなく、その分の報酬や反動も与えるシステムになっていた。自分に攻撃的かつ邪悪な気に影響されればそれ以上に手痛い反撃を与え、逆の場合にはより幸せを与える。

ここしばらくは邪悪な気がじわじわと暗雲の如く迫ってきていて、自分の力を最大限に発揮できる環境造りで大変だった。さらにリフレッシュのためにまほろば堂の春道やヒサに、心を清めてもらう必要もあった。かおるが止観を本気で行うためには、これらのことを行っておかなければならなかったのだ。

かおるは自分の部屋に独鈷を四方に置き、なおかつ東西南北に四神を置いた。四神とは玄武、白虎、朱雀、玄武の像である。この状態で戦うわけにはいかないが、止観を行うためには十分な結界だった。

座りの良いビーズクッションにゆったりと腰を降ろし、目を閉じて結跏趺坐を行った。天台裏衆の真言を唱え、そして金輪際の絵を心に描く。金輪際とは、古代インド神話にある須弥山の一部のことだ。


風輪、水輪、金輪で構成された台があり、その上に須弥山があって、金輪の際にそびえたっている状態を表現したもので、基本はそれをイメージすることで毘沙門天たる性の力を出すことができる。だがこれはマインドだけのものなので、あらゆる要素に対抗してより堅剛となってゆく。

その中に入ることで、初めて毘沙門天の明王となる。だがここに入って戻ることはほぼ不可能となる。ゆえに、金輪際とは『今後一切無い』という意味となっていった。

かおるは須弥山の麓である金輪に、自分の部屋を置いていた。まずはここに入ることから始まる。

かおるは北条政子の転生であると同時に、天台の裏衆でもある。ここまで来ることすら普通は困難なのだが、かおるは修行が終わるとすぐにここを作ることができた。

その部屋は、かおるが目覚める前の自分の部屋が再現されていた。産まれてからずっとここにいた、平穏で楽しさしかない部屋だ。好きだったぬいぐるみや、当時の男性アイドルのポスター、修学旅行先で買ったおみやげなどが置いてあり、枕元に本棚があるベッドもあった。このまま目覚めなければ良かったのかもしれなかったが、かおるの性が許さなかった。

4人の兄弟姉妹がいて、いつも遊んでいた。祖父敏雄と祖母フサ、そして父親時雄と母親牧子もいて、にぎやかだった。牧子はすでに裏衆だったのだが、娘の力を見抜き、さりげなく天台宗の寺に案内した。

そこでの衝撃は凄まじかった。牧子が普段から意味がわからなくても「あんたには定めがあるんよ」と言い続けてきたセリフが、この瞬間にかおるの全身を貫いた。全細胞が変化していくような感覚の後、かおるの能力は暴走した。

マインド的に不安定になり、周囲の友人関係も一変した。仲良かった友人が急に転校したり、親しくなったかと思えばすぐに離れてしまった。一時期はグレたこともあった。暴れるだけ暴れた後、牧子は裏衆道場がある鞍馬に連れていった。

そこから、かおるの第二の人生が始まったのだ。そしてかおるの定めとは、今回の戦いのことも含まれていた。だからこそ、かおるには目覚め前の部屋が必要だったのだ。加えて、裏衆は通常男子系統なのだが、北条政子の魂の強さは女子系統になっていた。

ここに来ると魂の奥底から安らぐことができる。そして、別のこともできた。かおるは自分の部屋の窓を開けて、外を見た。そこには多くの画面が浮かんでいて、かおるか感知できるあらゆる人物や物事を眺めることができた。

まるで無数のモニターが目の前にあるようだった。その部屋はかおるが人間世界にまだいるギリギリの場所だったので、かおるが見たいものは自由に見れるし、アンテナを張っていれば何かしらが目の前に現れる。止観しながらも、かおるの心はこの場所で活動していた。

まず見たのは、かつての夫でもある頼朝の転生である大山の姿だった。大山は悲しんでいた。

(そうか、山内さん・・・。)

悲しみがダイレクト伝わってきた。その対象が、大山が第二の父と慕う山内ならば仕方ないことだ。だがそれは大山で乗り越えるしかない。

次に見えたのは美也希の姿だった。美也希は、悲しい運命を送らざるを得なかった、政子と頼朝の娘である大姫の転生でもあった、美也希の心は、かおるが思わず微笑むほどに純粋だった。

これまでの境遇は不幸だったが、因果を背負うこともなく素直だった。これなら安心できる。

次に見えたものは、混乱を乗り越えようとしている、麗子と小四郎の姿だった。麗子はかつて政子が追放したと伝わっていた伊賀の方の転生であり、小四郎は弟だった執権北条義時の転生だった。過去の事実は全く違ったのだが、麗子の因果は今世で解消できるだろう。小四郎は、これからが本当の戦いになってくるだろう。

次は羽間だった。羽間の姿を見ると、かおるとしても政子としても安心が一気に感じられる。佐々木盛綱という無骨な男は、とことん頼朝を支えてきた。それは今世でも変わりない。そしてその横に、2つの姿も会った。

(玉藻前が従っているの?なんてこと?それに・・・小宮山祥子も?後白河院の影も、か。ケンちゃん、やはりモテるわね。)


そして一瞬かおるの顔が変わったのは、同じ天台裏衆でもある山高の姿だった。なにかよくわからないが、強烈という表現では間に合わないほどの別次元の力が山高を覆っていた。

(これは・・・なに?全く正体が掴めない。あたしたちとは次元が違う。そう、力そのものが違う。質が違うから、まるで掴めない。でも山高さんをサポートしてる・・・意味がわからない。けど、味方なら、それでもいいかな。)

他にもいくつかぼんやりと見えるものがあったが、まだ感知できるほどではなかった。それからかおるは、まだ目の前に現れていない存在についてアンテナを張った。

今回敵となる存在たちについてだ。間違いなく、敵方の主力はあの4人だ。前世でも4人で向かってきていた、あのグループだ。すでにアンテナにはビンビンと反応してきていた。コンプレックスありまくりのトップがいて、煽り役がいて、従う者たちがいる。

だがそこに、違う存在も察知していた。それは明らかに色が違った。漆黒以上に黒く、しかも汚れていた。かおるはここに触れない方が良さそうだと判断して、他を探った。

ところが他も同様に黒かった。同じ質の邪悪さだった。

(しかもこれ・・・拡散している?どういうこと?これだけの邪悪さを拡散できるなんて・・・。)

かおるは政子の記憶を総動員してみたが、それでもわからなかった。ただぼんやりとイメージとして残ったものは、蛇の姿だった。かおるは蛇に集中してイメージを掴もうとした。だがそこからは全く進むことができなかった。

(裏衆の力が通じない?その上ってこと?須弥山の住人?・・・いや、違う。人間でありながら、その上にまで辿り着いた者が・・・そうか、かつていたわけね。それが何なのか・・・。)

かおるはあらゆる映像を眺めたが、どれひとつとして納得できるものはなかった。諦めかけた時、突然無数にあったモニターが消え、なぜか春道のイメージが浮かんできた。

(エロ爺?なんで?)

春道はどこか遠くを見ていた。そして周囲に7つの影が現れ、合体してひとつの球体になった。その球体はかおるも実感できた。

天台裏衆の根幹をなす八部衆たちだった。彼らは仏を守る最大の存在たちだ。その彼らもまた激しく反応していた。それでかおるは閃いた。

(そう・・・か!彼らが反応すると言うことは・・・敵の裏にあるのは、蛇骨?もしくは蛇骨の眷属?それが敵に?・・・いや、違う!前の戦の時にも憑いていたんだ!その復讐で?・・・だから、山高さんにあの力が憑いたわけ?そうか・・・そうだったのか!)

かおるは窓を閉め、ベッドに横になった。心が荒れていたのが、徐々に穏やかになっていく。

(総力戦・・・か)

かおるは目を閉じ、同時に現世の自分の部屋で目が覚めた。全身に汗をかいていた。それに動いていないのに筋肉痛も発生していた。おそらく全身の筋肉が緊張していたのだろう。かおるは立ち上がって服を脱いでシャワーを浴びた。化粧台の鏡に映る自分の姿を見て、かおるは思った。

(政子・・・本気の本気よ。)


52  


美也希は、川北第一高校の前に来ていた。ここはかなり歴史ある高校なのだが、つい最近建て替えしたばかりだったので新築同様だった。美也希は中卒だったので、笑いながら楽しそうに部活したり帰ったりしている生徒たちを眩しそうに、そしてうらやましそうに眺めていた。大山と小四郎の指示で、生活指導はしても仕事はさせたらいけないとされていたので、いつでも自由に市内を見て回ることができていた。

『仕事?あたし、やってみたいけどな。』

『ミヤッペはまだダメよ。あなたは正式入社じゃないんだから。今のところお客さん。入ったら鬼のようにしごくわよ。』

麗子との会話が思い出された。麗子はかおるとの食事で飛び出していったまま、今日は出社していなかった。だから暇だったのだ。

(高校か・・・いいなあ。)

荒水島には高校はなく、小中がひとつになった校舎があるだけで、生徒数も少なかった。まるで島の保育所のような感じだったので、美也希は嫌いだった。その頃から散々父親の悪口を聴かされてきたので、母親とも仲が悪くなってきていた。

再婚した大倉とも仲良くなれず、結果として島には居場所がなくなっていた。本土にある高校を見に行くと言って島を出てきたまま、家出をしてしまっていた。美也希は高校を見下ろせる丘に上がり、座って膝に顎を乗せて高校生たちを見た。

テレビで見たことがある風景がそこにあった。楽しそうなドラマも見ていて、イケメンの男子生徒と恋に落ちる話ではやはりときめいた。

(高校か・・・。)

自分の感情をまだ整理できていなかったので、それだけしか浮かんでこなかった。そう言えば、志水太郎はどうしているのだろうかと思った。まだ怪我で入院していたはずだったのだが、無性に会いたかった。

家出して知り合い、2人でヒッチハイクしたり、夜の工事のバイトをして食いつなぎ、辿り着いたのが川北だった。

初めて男を知ったのも太郎だった。産まれて初めて人に頼るということも知った。周囲はみんな敵で、太郎しか仲間はいないと思っていた。だが麗子と知り合い、かおるとも知り合って、世の中もいいものだなと思えてきていた。

だからこそ会いたかった。やり直そうよと言いたかった。そしてできることなら、一緒に高校に行かないかと言いたかった。妄想の中では、美也希は高校生になっていた。今見ている若者たちのように、バカバカしいことで笑ったり、コンビニ行ったり、フェスで騒いだり、授業受けたり、部活したりしていた。

(でもそれは・・・無理だろうなあ・・・)

現実問題として、家出してきた2人だった。おそらく美也希は残れるだろうけど、志水はどうなるかわからなかった。そう思うと涙が出てきた。今までSKの暖かい環境の中にいたので感じていなかったが、現実にはまだ居場所はなかった。

「あれ?美也希ちゃん?」

声がした方を見てみると、羽間ともう1人の男が高校横の道を歩いてきていた。

「あ、刑事さん!」

「何やってんだ?」

「えっと・・・ぼーっとしてた。」

「会社は?」

「まだ何にもしなくていいって。」

「そうか・・・じゃあ、何か飲みにいかないか?暑いだろ。」

「うん。行く。」


「あれ?美也希ちゃん?」

声がした方を見てみると、羽間ともう1人の男が高校横の道を歩いてきていた。

「あ、刑事さん!」

「何やってんだ?」

「えっと・・・ぼーっとしてた。」

「会社は?」

「まだ何にもしなくていいって。」

「そうか・・・じゃあ、何か飲みにいかないか?暑いだろ。」

「うん。行く。

美也希は丘を駆け下りて、2人のところまで来た。

「ああ、美也希ちゃん。こちらは大山さん。俺の上司で、川北署の副署長。先輩、こちらが大倉美也希さんです。」

「はじめまして、大山です。」

大山が挨拶して羽間は美也希を見たが、美也希の表情に少し驚いた。美也希は、嬉しそうな、だが悲しそうな複雑な表情をしていたのだ。

「美也希ちゃん、どうかしたの?」

そして羽間は、美也希が前世を記憶している女性だったことを思い出した。となると、大山と美也希は何らかの関係にあったのかもしれない。

「美也希ちゃん?」

「え・・・?あ、ああ、ごめんなさい。大倉美也希です。」

美也希は頭を下げようとして、目の前に大山の手が見えてびっくりした。大山は握手を求めてきていたのだ。美也希はおずおずとその手を握り返した。

(あ・・・なに、この感じ・・・あたたかい・・・)

「どうかしましたか?おい、羽間、お前ひょっとして・・・。」

「へ、屁なんかしていませんって!」

「そうか?お前さっきから散々やってるだろ。俺が気がつかないと思っとるんか?そもそもお前から屁のこと言い出したってことはそう言うことだろ!」

「今はしてないですって!」

美也希は握手をしたまま大人たちがアホな会話をしている様を見て呆気に取られて、そして大声で笑い出した。

「あっはははははは!お、面白―い!」

大山はそれで気がつき、手を離した。

「ああ、ごめんね。いやね、こいつといるといつもこうなっちゃうんだ。変わらんな、お前も。」

「先輩こそですよ。いつもは難しい顔しかしてないのに、2人になるとどうしてそう俺をいじるんすか。もう子持ちなんですよ、俺も。」

「さなえだろ?あいつがいたらもっといじられるぞ。そもそもお前たち、なんで結婚したんだ?あんなミニオンと。」

「あいつは一応俺の嫁なんですってば!」」

もう美也希は立っていられないほどに笑いが止まらなかった。

「へ、変なおじさんたち!」

「もういいですよ、全く。美也希ちゃん、俺たちがいつも行くレストランがあるんだ。ジュースも美味しいから。おじさんたちが奢るよ。」

「うん!」

大山が口パクで、経費落ちにはならんぞとしていたが、羽間は遠慮なく『ラ・クア・クチーナ』に美也希を連れて行った。

「いらっしゃい・・・あら、そちらのお嬢さんは?」

「ママ、こちらは大倉美也希ちゃん。今はSKさんにいるんだ。」

羽間は大山と美也希を座らせて、道子に近づいた。

「ええとミックスジュース2つとアイスコーヒーね。(あの子が光田さんの)お願いね。」

「・・・オッケー。」

道子はそれだけで全てを察した。そもそも、ここは事実上川北署専用なので、その辺りは十分に心得ていた。

「美也希ちゃん、ミックスジュースで良かったかな?ここのは美味しいんだ。」

「うん!・・・あ、はい、いいです。」

「そのままでいいよ。さては伊加ちゃんに厳しくされたな?よーし、後でおじさんが・・・。」

「いやいやいや!麗子ちゃんはいい人よ!あたしのことをミヤッペって呼んでくれて、すっごく嬉しかったの。あたし・・・この街には誰も知り合いいないし、中卒で友だちも少なくて。全部悪い人に見えてたけど、やっとなんか・・・こう、なんて言えばいいのかなあ・・・あったかい気持ちになれたんだ・・・です。そして・・・。」

「どうしたの?言ってごらん。」

「・・・ずーっと、本当のお父さんのことを憎んでいたの。あの・・・聴いてもらっていい?」

「いいよ。」

美也希は自分の生い立ちについて語り始めた。荒木島という小さな島で産まれた美也希だったが、記憶しているのは美味しい食事と暖かい笑い声だった。だがそれがいつかは判らなかったが、生活が一変した。父親はいなくなり、家を追われて母親と2人で凍えていたことを覚えていた。それから一旦本土に渡って保護施設に入り、母親が引き取りにくるまで寂しく辛い生活だった。

しかし引き取りに来た母親の姿は全く変わっていた。元々スナックで働いていたので派手な顔立ちではあったのだが、キラキラした服を着てきつい臭いの香水だったのだ。そして横には恰幅のいい、しかし人相の悪そうな男がいて、これからはこの人が新しいお父さんなのよと言われた。

それから島に戻ったが、島では誰も仲良くしてくれなかった。母親の再婚相手は大倉昭二という男で、静かでささやかだが楽しい島に大きい工場を建てて、そのために近場の魚がいなくなってしまった。

島民たちは撤退運動を起こしたのだが、リーダーとなるべき人間がことごとく買収されてしまい、ただでさえ好きになれなかった昭二と喧嘩ばかりするようになり、毎日荒れた生活を送るようになった。

中学を卒業したその日、進学予定だった高校を見に行くと言って島を出て本土に憑いて、そのまま持ってきた貯金で家出をしてしまった。

家を出たのはいいが、寒い日本海沿いを1人で歩いているうちに涙が止まらなくなってきた。

どうやって、どこに行ったらいいのかまるでわからなかったが、そこで不良たちにボコボコにされて血だらけになっていた男をみつけ、持っていた非常用の絆創膏などで応急処置をしてやった。

「その男が、志水太郎なんだね?」

「うん、そう。かわいそうで・・・あたしもそうだったんだけどね。で、仲良くなって・・・。」

志水太郎は孤児だと言っていた。孤児院から抜け出してウロウロしていたら絡まれたらしかった。お互いの境遇を認め合った2人は、それから主に夜間工事のバイトや、時には落ちていた財布のカネを使ったりして、とにかくここから逃げた。


誰1人知り合いがいない土地で、2人でやり直したかった。だが失踪届が出ていたようで、張り紙や警察の聞き込みなどが目に付くともうその土地を離れなければならなかった。

そうして辿り着いたのが川北だった。

「・・・そうか・・・警察内では喋りにくかったんだね。ありがとう。」

「ううん、スッキリしちゃった。でも、太郎はまだ入院しているんでしょ?」

「ああ。まあ、あの状況なんで仕方なかったけど、悪いことをしたよ。でももうそろそろじゃないかな。」

「会える?」

「まだダメだよ。彼の取り調べが終わっていない。それにね。

羽間はミックスジュースを一口飲んで続けた。

「彼は孤児だって言ってたんでしょ?」

「うん。」

「一応調べたんだけど、彼は孤児じゃない。抜け出してきたのは少年院なんだ。」

美也希は目を丸くして、開いた口が塞がらなかった。

「・・・嘘でしょ・・・嘘だよ!太郎は孤児なんだよ!そう言ったもん!」

「美也希ちゃん、落ち着いて。警察が調べたし、少年院からも失踪届が出ていたから間違いない。彼の本名は信濃駒一。彼の両親はあそこから少し離れたところの漁師でね。場合によってはすぐに送らなきゃならないかもしれない。」

「嫌!太郎は太郎だもん!今すぐ会わせて!」

美也希は立ち上がったが、大山が肩を掴んで落ち着かせた。

「大倉さん。まだこいつの説明が終わっていないよ。落ち着いて。」

感情が高ぶっていた美也希だったが、大山の顔を見つけているうちに心が穏やかになってきた。

「わかった。ごめんなさい。」

「まあ、そういうことなんだ。色々調べなきゃならないってわかったでしょ。だからまだ、会えないんだ。」

美也希は麗子から貰ったハンカチで目を拭いたが、涙は止まることはなかった。

「う・・・うえーん・・・太郎・・・太郎・・・なんでよお!太郎!」

美也希の周囲には温かい雰囲気ができつつあったとは言え、やはり太郎は心の拠り所でもあった。共に辛い思いをして逃げ出してきた2人の間には、他人には伺い知れない絆ができていたのだろう。美也希の涙は止まらず、大山も羽間もどうしていいのか判らなかった。

「ほい、これ、サービス。」

道子が美也希の前に置いたのは、ホカホカのパンケーキだった。横にフルーツがあり、ココナツクリームがたっぷりかかったハワイアンスタイルだった。

「あんたたちね、こんな若いお嬢さん泣かせてどうすんのさ。これだからオスデカったらダメなんだよ。ほれ、ええと美也希、ちゃん?これ食べな。」

美也希は泣きながら顔を上げ、食べたくないという風に首を振った。

「あのさ・・・辛いのは自分のことみたいにわかるよ。あたしもねえ・・・死にたくなったこと、山ほどあんだよ。」

道子の言葉がけは優しかったが、言葉の奥に悲しみが感じられた。美也希はその感情に反応して、涙でグチャグチャの顔を上げた。

「あたしもね、家出、少年院、暴走族とやってきたんだよ。」

「・・・え?・・・そうなの?」

道子はさらに、横にフルーツが乗った黒みがかった茶色のものが入ったカップを置いた。

「ああ。ほら、これ見てごらん。」

道子は腕をまくって見せた。

「ママ、これ・・・。」

「ケンちゃん、あんたたちにも見せたことないはずだよね。これがリストカットの跡で、これが根性焼きの跡さ。さすがに彫物はしなかったけどね。」

道子はその腕で、美也希の肩を掴んだ。

「こんなあたしだ、警察なんざ死ぬほど嫌いだったんだ。でもね、その時に担当してくれたのが今の署長さんでね。もうとことん腹割って話聴いてくれてさ。それで今度は恩返しさ。そうやってるとさ、どんどん楽しくて頼もしい仲間が周りにできてきたんだ。あんだけどん底を味わったから、逆に助けてやりたいんだよ。それでもダメな奴は始末してやりたいんだよ。いいかい。」

道子は美也希の横に座った。

「あんたにはさ、まだまだたっくさんの未来があるんだ。幸せだって、楽しいことだってたくさんある。地獄だけ見たらいけないよ。あのさ、地獄ってもんはさ、本当にあるんだよ。この世にね。あたしは何とかそれを乗り切ってきた。生まれてこなきゃ良かったって死ぬほど考えてたあたしがだよ。喧嘩三昧で地獄のミチって言われていたもんだ。あんたさ、自分の顔みたことあんだろ?」

美也希は少し頷いた。

「あんたは本当に天使みたいに可愛い顔してんじゃないか。そんなシケた面してんじゃねえよ。ほら、これ食べな。」

美也希は言われるままに、カップの中身をスプーンですくって口にした。泣き顔がたちまち変わり、美味しさで目が丸くなった。

「・・・美味しい!」

「そうだろ?これはハワイのアサイー。元気出るよ。さあ、パンケーキも食べて。」

美也希は少し元気になって、パンケーキをカットして食べた。

「美味しい!すっごく美味しい!」

「あたしはね、人生をリセットしたくてハワイでこれ食べたんだ。食べながら涙が止まらなくてねえ。現地の若い男が慰めてくれてさ。それが今のダンナさ。」

「え?それ初耳だよ。あの人、ハワイにいたの?」

「タカちゃん、そんなこといちいち言わなくたっていいじゃないか。今は今だ。で、どうだい、このパンケーキ。」

「美味しい!ちょっとしょっぱくて、これなら本当にご飯だよ。」

「だろ?本場仕込みの味だよ。さ、元気出して!夢を諦めたらいけないし、幸せは戦って掴むもんだ。戦うんだよ、自分の人生と。」

「・・・あのさ。」

「なんだい?」

「あたしが戦ったら、応援してくれる?」

「ふざけたこと抜かすんじゃないよ!当たり前だろ!」

美也希はまた涙が溢れ出してきた。しかし今度は、顔は笑っていた。嬉し涙だった。

「ありがとう、えと・・・。」

「ママでいいよ。」

「ありがとう、ママ!あたし、戦う!絶対に幸せになってやるんだ!」

美也希は泣きながらパンケーキをガツガツと食べた。

「美味しい・・・ひっく・・・美味しい・・・えへへへ。」

それを嬉しそうに見ながら、羽間は大山に精神感応で会話していた。

(うまくいきましたね、殿。)

(ああ・・・今度はちゃんと幸せになってほしいからな。)


53 


麗子は目が覚めた。朝日が差し込んでいていた。枕元のスマホを見たら、もう昼前になっていた。

「いけない!仕事が・・・・」

起きようとしたが、大きな腕が麗子の素の腹に乗っていた。麗子はその腕を愛おしそうにさすりながら、腕の持主の顔を見た。

(社長・・・)

麗子はあの夜、小四郎のマンションで泊まって一夜を過ごしていた。激情に身を任せ、とことんお互いを求めあった。そしていつしか寝入ってしまったようだ。麗子は小四郎の腕を動かして、ベッドから出た。

小四郎の寝室は広く、起きてすぐのところにクローゼットがあり、その先にイタリア製の立鏡が置いてあった。麗子は鏡の前に立って、自分の裸体を眺めた。心なしか、体つきがふっくらしていた。

痩せている麗子なのだが、色気というコーティングがなされていて丸みを感じさせていた。

小さくはなかったバストはさらに膨らみを増していて、大人の色気が発散されていた。

(不思議・・・)

麗子は脱ぎ捨てた自分の下着を着て、その上にクローゼットにあった小四郎のTシャツを着た。


その姿もじっくり眺めてみた。

「あたし・・・変わったのかなあ・・・。あれ、お母さんからだ。」

スマホを見ると、母親から留守電が入っていた。普段は家に帰っていたので心配になったのだろう。麗子は部屋を出て、家に電話をかけた。

『麗子ちゃん!どこ行ってたの?』

「ごめんね、仕事が押しちゃって連絡できなかったの。会社に泊ったから大丈夫・・・うん、今日は帰れると思う。じゃあね。」

母親はまだ何か言いたそうだったが、それ以上は言わずに電話を切った。麗子の声に、何かを感じたのかもしれない。前に来たことがあり勝手はわかっていたので、麗子はコーヒーを淹れ、冷蔵庫にあったベーコンと卵を焼いてトースターにパンを入れた。

あれこれ準備をしていると、ズボンだけ履いた小四郎が目をこすりながら起きてきた。

「ああ・・・すまんな、伊加。」

「いいえ、もうすぐできますよ。顔を洗ってきたらどうですか?」

「そうだな。」

しばらくして髭も剃ってきた小四郎が戻ってきた。

「おお、美味そうだな。」

2人はテーブルに座って、淡々と食事を済ませた。言葉を出すのが野暮ったく感じていたのだ。

「美味かった。ありがとう・・・でさ。」

「社長・・・言われなくても大丈夫ですよ。誰にも言いませんから。すみませんでした。あたしが悪い・・・。」

「・・・違うんだよ、伊加。」

「はい?」

「俺さ・・・バツイチって知ってるだろ?」

「え、ええ。」

「手痛い別れだったしさ、それを忘れたくて会社起こした部分もあったんだわ。」

「・・・それが?」

「まあその・・・俺にとっちゃ、会社が家で、社員が家族みたいなもんなんだ。」

「・・・はい。」

麗子はまだ、小四郎が何を言いたいのか判らなかった。

「夕べさ・・・俺ははっきり思ったんだ。」

「・・・ですよね。あたしも家族の一員だし、家族とこうなっちゃいけませんよね。本当にごめんなさい。」

「違う!」

小四郎は強く言い、拳を握りしめた。

「違うんだよ、伊加・・・お前は別だって・・・。」

「・・・え?」

「お前は違うんだよ!本当の家族なんだ!」

「仰ってる意味が、あの、判りません!」

「つまりだ!本当の家族になれ・・・って・・・。」

「え・・・?」

「今すぐでなくていい!返事をくれ!俺はお前を・・・お前を!妻にしたいんだ!」

「社長・・・。」

麗子は体の中が熱くなってきた。どうせ一夜のことで、やり手社長に遊ばれて終わりだと言い聞かせていたのだ。正直ここしばらく小四郎を好きになってきていて、そう思うのは辛かったが、これはダメだと思おうとしていた。

だから小四郎の言葉にどうしようもなくなってきていた。

「社長・・・それは・・・。」

「後でいいって!」

麗子は自分の中の『女』と、総務課の人間としての立場と激しく葛藤していた。どちらも大切なのだ。光田に会社への奉公と、キャリアアップのノウハウを叩きこまれ、小四郎が言っていたように会社ごと家族と思えるようになってきていたからだ。

「社長・・・わかりました。でも!・・・でも・・・あたし・・・。」

自分の中で処理できなくなると、人間は何らかの行動を取る。酒を飲んだり、趣味に逃げたりする。麗子の場合は、泣くしかなかった。

嬉しかった。好きな相手から結婚してくれと言われたら、それで嬉しくないはずがない。だが、そうなると会社から離れなくてはならないのだと思う。それは悲しいことだった。

すると小四郎は立ち上がって麗子の後ろに回り、そして背後から麗子を抱きしめた。

「すまん・・・だが、感じたんだ。お前が俺の第2の人生を共にする女なんだって。俺は・・・。」

麗子の手が、小四郎の手をそっと掴んだ。

「伊加・・・?」

「社長・・・お願いがあります。」

「・・・なんだ?」

「一度だけ、名前であたしを呼んでいただけます?」

「名前で?」

麗子はこくりと頷いた。小四郎は少しためらい、そして小さく言った。

「・・・麗子・・・。」

「もっと大きく・・・。」

「麗子!」

(これ・・・。)

麗子は目を閉じた。心の底から、激しく暖かい気持ちが溢れてきた。その声で決めたかった。声の中にある真実を感じてみたかった。そして、麗子は決心した。

「ずっと・・・。」

「なんだ?」

「そう・・・呼んで・・・。」

「麗子・・・?それじゃあ・・・。」

麗子は立ち上がり、小四郎に向かいあった。

「じゃあ、あたしもちゃんと・・・お願いします、小四郎さん。」

そしてごく自然に2人は抱き合い、長くキスをした。


54  


山高は目が覚めた。いつから眠っていたのかさえ覚えていなかった。

(俺は・・・どこにいる?)

辺りを見渡すと、草が茂る中に寝ていたようだ。身を起こすと、どうやら小高い山の中腹付近にいるようだ。麓から下を見ると、広大な海が見える。

「海か・・・うん?」

山高は自分の声に驚いた。自分の声ではない声が、自分の口から出てきたからだ。しかもそれは、若い青年のものだった。

「俺はどうしたんだ?どうした藤九郎?」

藤九郎という、これも知らない名前を自分で名乗っている。頭がぼうっとしてきて、山高は再び横になった。そして目を閉じて整理しようとした。

「おーい!藤九郎!」

誰かが自分を呼ぶ声がした。

「おーっ!」

返事をした瞬間から、山高としての意識は消えていた。

「どうした三郎!」

「殿がお呼びじゃ。」

「ほう?北条の姫と結ばれて、わしらにはとんとお呼びがなかったのじゃがのう。」

「嫌味を言うておる時ではないぞ。つい先日耳にしたのじゃが、馬場殿が挙兵され、敗れて腹を召されたそうじゃ。」

「なに?」

馬場殿とは、源家の頼政のことである。清和源氏の事実上の棟梁であり、平清盛に重用されていたはずだった。

「なぜじゃ?三位までなられたお方が・・・。」

「後白河院の皇子以仁王様と共に兵を上げられたとのことじゃ。おそらく相国の孫を皇位につけたことが得心いかぬのではなかろうか。殿にも令司が届いておるとのことじゃ。」

「・・・待てよ。そうなると・・・殿が危ない!相国は源家を滅する義を得たはずじゃ。おそらくはそのことではないのか?」

「左様か!殿がかねてよりも顔色が優れんのもわかる。いざ参ろうぞ!」

「おう!」

藤九郎こと安達盛長と、三郎こと佐々木盛綱は馬を駆けて伊豆の頼朝の屋敷に到着した。屋敷には北条時政と政子、家人の工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、天野遠景、加藤景廉らがいた。頼朝は心から信頼している2人が到着して、笑顔を見せた。

そして語り始めた。

「おう、藤九郎と三郎も参ったか。さすれば、皆の者、急に呼び立てしてすまぬ。皆の者はすでに存じておろうが、馬場時政殿が平家打倒の兵を挙げ、そして敗れた。わしは以前より、頼政殿と共に挙兵された以仁王様からの令司を受けておった。わしは静観しておったのじゃが、とうとうこの伊豆にも相国の手が伸びてきおった。それは父上様からお話願おう。」

頼朝の義父時政は眼光鋭く、一同を見渡して語りだした。

「頼政殿の孫である有綱殿がこの伊豆におられるのじゃが、有綱殿を追って大庭景綱めが来おった。おまけに伊東めを懐柔しおってのう。おかげでわが北条や工藤は蚊帳の外じゃ。このままでは殿をお守りできぬ。となると、わしらも危うい。いつ相国がここを攻めてくるやもしれぬ。それでじゃ。」

時政は腕を上げて頼朝を示した。

「わしは、源家の棟梁を佐殿にお願いし、逆に平家打倒の兵を挙げようと思う。一同、いかがじゃ!」

頼朝の官位が兵衛府佐であったことから、北条家ではそう呼んでいた。実はすでに根回しは済んでいたのだが、頼朝が兄弟のように接していた盛長と盛綱にはあえて声をかけていなかった。根が正直な2人は、前もって知らせておくと漏れる心配もあったからだ。

そしてこのような状況で伝えた方が、彼らは燃えるはずだったし、事実そうだった。安達盛長は頼朝を支え続けた乳母の比企尼の長女を嫁にしており、佐々木盛綱は義朝から仕えた生粋の源家武者である。一同が挙兵の意を同じくした後に、時政と頼朝はまず盛長を呼んだ。

「藤九郎、お主には人たらしの才がある。皆が左様に申しておる上に、わしも同じく思う。お主には、千葉や三浦らを取り込んでもらいたい。」

「なんと!かような大役を?」

「左様じゃ。父上からも推挙があった。」

 時政は大きくうなずいた。

「左様じゃ、盛長殿。佐殿が申された通り、お主を悪く言う者は全くおらぬ。お主は人当たりも良く、裏切らぬ。殿の使者となるにはうってつけじゃ。」

「承り申した!」

この瞬間から再び闇に包まれ、目が明いた時には静かな庵の中にいた。この時目が明いた瞬間に、今は出家して蓮西と名乗っていることも知っていた。そして目の前には、同じく出家して西念となった盛綱が座っていた。

「のう三郎・・・今でも殿がおられるように思えてならんのじゃ。」

「藤九郎もか?同じじゃよ。」

「しかしかように剃髪して顔を合わせると・・・我らも老けたものよのう。」

「わしも疲れたわ。義仲殿、義経殿、行家殿、範頼殿という源家が次々に討たれゆく様を見ていて、無常を思うた。」

「左様。頼家殿がああでは、今後も不幸は続くやもしれぬ。」

頼家は頼朝の後継者として征夷大将軍に就任していたのだが、日常の素行や、他の御家人が頼朝にのみ従っていたことから、合議制で将軍府を運営していくことにしたばかりだった。頼家は焦り、自分が将軍であるにも関わらず、自分をないがしろにしていると思い、暴走が多かった。

事実その後、母政子の言うことも聞かなくなり、やがて実験を握った時政によって将軍職を追放され、殺害されてしまう。盛綱は酒を盛長に注いだ。

「我ら大殿につき従うた者は、止めることはできぬでなあ。」

「ああ・・・もう我らの出る幕はない。せいぜい、鎌倉のために奉公するのみじゃ。ところで三郎、お主は政には加わるのか?」

「いやあ・・・わしは武者で終わる。いくさ場こそわしの本領じゃ。わしは生涯、大殿を守り抜くのみよ。」

「お主らしいのう。わしはもうしばらく残る。思うことは多いが・・・。」

盛長は庭を見てポツリと呟いた。

「鎌倉なくば、坂東武者は暴れるでのう・・・。」

その後盛長は鎌倉に残り、末裔は長く鎌倉に仕えることになる。

そして再び闇に包まれ、次に目が覚めたのは、鞍馬にある天台裏衆道場だった。鞍馬の道場は、特に屋敷があるわけではない。道場は鞍馬山そのものだった。

裏衆として認められるためには、運もある。誰かが裏衆系譜だと認めなければここまで来ることはない。だが、見逃すこともない。必ず、やってくる。

裏衆として与えられた後続遺伝子がそうさせるのだ。山高はモヘンジョダロで大黒天の姿を見た後、親から言われ続けていた定めが何かを探っていくうちに、自然と鞍馬に来ていた。裏衆たちは鞍馬寺への一般参拝者としてやってくる。そして必ず、彼らしか目に止まらない小道に入っていく。

細い道を過ぎると、大きな柿の木がある。この通常ではありえない大きさの柿の木が、道場への入口だった。裏衆となる者は、ここで立ち止まる。そこで言葉にならない啓示を受ける。

柿の木は開祖光求が残した、道標だったのだ。柿の木が発する音は裏衆の後継遺伝子と反応し、その隠されてきた力が振動と共に目覚める。啓示を受けた彼らは、鞍馬の山中に残された様々な道標を求め歩く。そしてすべてを探し終えた後、彼らはなぜ自分が裏衆として選ばれたのかを感じとる。

裏衆は現世にあって人の目に映らないもの、そして災いなすものと相対するために戦わねばならない。彼らは肉体的にも変化し、かつて忍が訓練で得ていた体力を一瞬で得る。

だが、ここまでの記憶とは別の感覚があった。山高が悟ったものは、金剛力士としての自覚だった。だが今感じているものは、違うものだった。

鞍馬での修行の記憶だけではなく、この記憶は金杵麿が現した伽藍の奥にある記憶の倉庫のようなものだ。金杵麿の修行場でもある場所で、鏡遷しの隙間にできた特殊次元なので、ここは金杵麿の意志でもあれば、そこから自由に記憶の扉を見ることができる場所でもある。金杵麿の意志が加わることで、別の意味が感じられた。

(なんだこれは・・・?)

山高がそう思った瞬間に、目の前に扉が現れてゆっくりと開いた。そしてそこには明らかに堅い金属、鋼で作られた独鈷が浮いていた。触れてもいないのに、山高はそれがこの世で最も堅い物質であると直観した。

(なに・・・鋼剛杵だと?・・・金剛杵より強いもの?)

鋼剛杵を見せていた扉は再び閉じ、同時に山高は悟った。それは、金剛力士の武器でもある金剛杵の最上位にあたる鋼剛杵を探し、扱える力を得よという意志なのだと。

(そうか・・・鋼剛杵、より強い鋼で作られた金剛杵を。)

金剛力士としての力はもうないのだが、鋼剛杵を手にすることができれば十分に戦えるということなのだ。


『ということじゃ。』

突然、金杵麿の声が響いてきた。

「大和さん?どこです!」

『わ主に力を貸すと申したわしの意味が、これでわかったであろう。貸すには貸すのであるが、それに値する力を得なければ何の役にも立たん。その力を探し出せと言うことじゃ。』

「よくわかりました。金剛杵こそわが金剛力士の武器。しかし金剛杵の力は大黒天の時に消耗している。この度の戦いに私が来た理由がこれという訳・・・え?と言うことは、大和さん、あなたが?」

『左様。わしもお前さんと会った瞬間からわかった。どんな戦いなのか、どういう意味があるかなど、わしには関係ない。ただ、お前さんの力になるのが、わしの定めなのよ。』

「ですが、探す、とは?」

『それは、わしとお前さんで見つけると言うことじゃ。共に、な。』


55  


「それ、本当か?」

『ああ、こういうネタに関しては絶対に信頼おける深井先輩からだ。間違いないわ。市川って奴をマークしといた方がよかぞ。それに、中央アジアで散々いい奴も悪い奴も見てきた俺からしても、あいつは臭う。それも相当に臭う。何が一番臭うかっつーと、仮面の厚さが半端なかったとたい。あれから気になって見張ってたんだが、特に何もなかったとばってん、顔見てたら反吐が出そうになったばい。あのイケメン、俺は好かん!』

岡島は尾加田の情報に正直驚いていた。市川は2回ほど顔を合わせたことはある。だが岡島は何も感じていなかった。

尾加田が言っていたのは、人間なら誰でも持っているペルソナのことだった。社会で生きていくためには絶対に必要なことなのだが、それが必要以上に厚いと見抜いたのだ。

(だが剛のあの野生の勘は頼りになる。それに深井くんからとなると・・・。)

「わかった。深井くんとは最近会ってなかった。今度タカと顔出してみるわ。助かったぞ!」

『おう。こげんこつならいくらでも力になるけん。何なら国内のカザフ人を総動員して・・・。』

「じゃあな!」

尾加田なら本気で集めたりするかもしれなかったので、岡島は話を切り上げた。かなりの確率で冗談では済まなくなる。岡島は早速大山に連絡した。

「・・・という訳だ。SKは川北で何とかせんといかんやろ。」

『意外だったなあ。あの市川が・・・わかった。それは任せろ。』

大山はまず、かおると精神感応した。

(どう思う?)

(間違いないわ。あたしの止観でも意味がわからない黒い影があったし。でもそれなら、殿は関わらない方がいいわ。)

(じゃあ、小四郎からか?)

(やってみる。)

かおるは、もう一度止観して、SKに集中してみた。まずは小四郎と麗子だった。思った通りに2人は付き合い、そして結婚するだろう。

(のえ・・・これで成就できるわね。)

それが伊賀の方の本名だった。次に美也希だ。まだ成就してはいないが、ここも何とかなるだろう。そしていよいよ、市川に集中してみた。

(これは!)

かおるは接触をギリギリで避けた。接触しようと思った瞬間に、途方もない暗黒が迫ってきたのだ。

(これは・・・いつからなの?)

もはや市川は人間とは思えないほどに侵食されてしまっていた。かおるは、市川に直接触れることは諦め、小四郎の記憶から探ることにした。市川が入社した時には、まだ侵されてはいないようだ。ではその後にどこかで接触していたことになる。

次々に映像が現れ、そして止まった。

(・・・睦海興行?なんであそこに行ったの?)

かおるは注意深く、その辺りの行動にアクセスしてみた。すると、ある程度の詳細がわかってきた。一文字尊久の紹介だったようだ。川北商工会議所会頭として、沖皇に総合物流センターを任せた負い目があったのかもしれない。

一応睦海興行も化粧品などの通販を行ってはいたようだ。市川にはさらに深い闇が見えたが、そこは恐ろしくて触れることすらできなかった。だが、かおるの毘沙門天の性は知らせていた。

(市川くんが・・・光田さんを?部下だから会ったわけ?そして・・・ひどい・・・)

浸食された市川が光田を誘い出し、殺害したようだ。かおるは深い悲しみに包まれた。だが立ち止まるわけにもいかない。そこでの人物を追ってみると、知った顔で泊まった。

沖皇尊成の顔だった。

(あの人が?やっぱり。でも何も感じないけど・・・)

かおるは尊成の心に潜ってみた。すると様々な情報の奥に、固い岩のようなもので覆われた部分があった。そこを見てみたが、到底開きそうもなかった。

だが、かおるはそこが肝心だとわかった。なぜなら、似たものを知っていたからだ。

かおるは毘沙門天の性を持つ。毘沙門天は天部でもあり、その記憶はアカシックレコードに通じている。そこに、似た記憶があった。

それは、日本では天岩戸として知られているものだった。似てはいるのだが、とことん邪悪だった。つまりこの岩の概念は、現世では開いてはいけない高次元に通じる扉であり、おそらくは地獄として認知されているものだと、かおるは判断した。

市川は睦海興行を紹介されてはいたのだが、実は行かされていたのだ。

(となると、一文字もってこと?)

かおるは尊成の記憶から一文字の場所を探ってみた。一文字は、睦海興行の地下室に監禁されていたようだ。その心へとアクセスしてみた。

(うわああ!)

ものすごい闇が、一文字の中にあり、ほんのわずか遅れていたら、やられていただろう。瞬時に引いたから良かったようなものの、一文字も侵されてしまっていた。失踪した時に、侵されてしまったのだろう。

(これは、かなり危険ね。)

どういう経過で侵されたのかは探れなかったが、どうであれ結果は結果だ。対処しなければならない。沖皇物流の幹部である尊成、為人、盛成、懐の幹部に触れるべきではあったのだが、尊成の中にある得体の知れない邪悪な岩を知っていると迂闊には振れることはできない。

かおるは全力で抜け出せるように複数の隠れ場所をキープして、そしてまず為人からアクセスしてみた。思った通りに侵食されてはいたのだが、元来温厚なので、何らかの刺激がない限りは動くことはなさそうだ。懐も同じだったので、最後に盛成に触れてみた。

「うっ!」

かおるは思わず声に出してしまった。

(こいつが・・・本体!)

尊成は邪悪で堅剛な岩というイメージだったのだが、盛成はさらに凶悪だった。破壊そのものと言っていい。

かおるにはその理由は理解していた。前のいくさの際に、煽り立てた男がいなければあそこまでのことにはならなかったはずだからだ。

(そうか、この男から侵入してきたのか。それと尊成からも。)

邪悪なものは、まず尊成に憑いたのだが、どこかゆっくりしたところがあるので、盛成に照準を当てたのだろう。相手にも焦りがあるのだろうかとも考えたが、それ以上は判らなかった。

だが、ひとつだけ理解できたことがあった。それは、もしあの戦いの尻ぬぐいとなれば、それなりの犠牲も払わねばならないかもしれない、ということだった。


60 


大山、岡島、尾加田の3人は、川南の深井所有ビルに集まっていた。尾加田が集まらないと過去の悪さをバラすとまで言うので、仕事の合間を見計らっての集合だった。

「おお!タカ!岡島も!よう来たなあ!まあ座れよ!」

場所は例の秘密基地だった。深井は満面の笑みだったが、岡島と大山は多少愛想笑いだった。

「先輩、久しぶりです。」

「タカ、おめえは副署長になったらしいじゃねえか。なにしろ硬派だったからなあ。わからんでもなか。岡島はスケベだったからなかなか昇進せんだろ。なんせ岡島は各地の短大に出向いて行ってはナンパしまくっていたからな。」

「ちょ・・・なんですか先輩!」

「がっはははははは。それでも今じゃ立派な警官様ときたもんだ。剛によ、なんとか集まらないかって相談したんだが、やっぱりおめえらだな。よく来た!」

大山と岡島は尾加田を睨んだが、尾加田は口笛を吹いて誤魔化した。

「で、あの睦海興行が・・・。」

「ああ、その話は後!まずは麻雀だろ。」

高校時代、この4人でよく囲んでいたものだ。

「一局くらいはいいだろ。どうだ?」

(どうする?)

(しゃあないだろ、ちょっとだけ付き合うか。)

大山と岡島は目で会話して、オッケーした。秘密基地には雀卓もあり、世話好きな深井は近所から出前も取ってくれた。

「タカは親子丼で、岡島は焼きぞば、剛はカツ丼で良かったかな・」

「先輩、よく覚えてますね。」

「当たり前だろ、岡島!おめえらにどんだけ飯食わせたと思ってんだ!覚えるわ。」

飯をかきこみながら麻雀を一晩中やっていたものだ。懐かしい思い出ではあったが、なにせ大山も岡島も勤務中なのだ。

「一局で半荘のみでいいですか?」

「いいよ。」

麻雀も久しぶりだった。

「カザフでは麻雀なかったからなあ。あー、懐かしい!」

「おい剛、お前麻雀やりたくて俺ら呼んだのか?」

「タカよう、そう言うなって。楽しいじゃねえか。あのネタだって深井くんと俺の接点からだぜ。ちっとは付き合うのが人情ってもんじゃねえのか?」

「俺らを脅しておいて、よく言うわ。」

「脅しだあ?ごくごく普通のこった。」

「剛、お前久しぶりに臭い飯でも食って・・・。」

「岡島!その経験ねーっつーの!」

そんな馬鹿馬鹿しい会話をしながらも、正直なところ岡島も大山も楽しかった。

「おっと来た。よっしゃリーチ!」

「深井くん、もう?」

「雀荘の親父だぜ?そりゃそうさ。」

「敵わんなあ・・・で、市川がそこに出入りしてたんでしょ?」

「ああそうだよタカ。あいつも営業で来やがってな。それで覚えてたんだ・・・あー、かすった!」

岡島は当たり牌を積もり、唸って安牌を出した。

「あーいかんな・・・で、タカ、あれから捜査は進んだのか?」

「いや、まだだ。決定打がない。まず北西から調べないと・・・おっと危ない。」

「あそこは一度解散してるだろ。それがネックなんだ。ちゃんと誓書もある。指定に対するわけにはいかないのさ。・・・よっしこっち来た。それじゃ俺も久々リーチ!」

「・・・これだな。それでだ、一文字が失踪しただろ。それで聞き込みなんかは?」

「そこが難しいところさ。一文字はあそこの相談役でもあったから、一応の捜査はしている。で、何もない。」

 牌を積もって入れ替えた尾加田が、さも自分がやりたそうに岡島に言った。

「岡島、俺が探っておこうか?・・・うわー、これ来たか。」

「お?お前やれんのか?」

「元組員の弟を世話したことがある。それなら少しはわかるかもな。」

「お、助かる!・・・よし、張った。リーチ!」

「おお、当ったりー。リーチドラが・・・裏乗った!ドラ5で跳満!」

「うええええ、西単騎待ち?先輩、そりゃないっすよ。」

このような会話をしながら、4人はさり気なく捜査情報や段取りを始めていた。

これが深井のやり方で、この方がただ会話するよりも話が早い。

過去も何度もそうやってきていた。

「・・・半荘だけだったな。というわけで、俺がトップ。よっしゃ!」

深井は喜んでいたが、内心では麻雀会議がうまくいったことで喜んでいたようだ。

「商売柄、賭けるわけにはいかないんで、このヤマが終わったら我々で奢りますよ。」

「お、副署長さんなら経費落ちか?」

「落ちません!」

3人は深井のビルを出る前に、一度打ち合わせを行った。

尾加田は裏筋から、岡島は睦海興行と一文字を、大山は沖皇物流と経済界の癒着について探ることで一致した。

別れ際、大山はビルを見上げて呟いた。

「やっぱり、あの先輩は永遠に先輩だな・・・。」

大山は敬礼して去っていったが、深井はそれを見ながら酒を飲んで悦に入っていた。


61  


美也希は小野道子と話した翌日、羽間に呼び出された。

「え・・・そうなの?」

「あちらの県警からと協議しているんだが、どうしてもと言われているそうだ。」

美也希の義父である大倉昭二からはすでに捜索願が出されていたのだが、昨日から強引にでも連れて帰ると言ってきていた。

「あの親父さんなら、そう言うと思うよ・・・でも嫌だ。帰りたくない。」

「そのことも伝えてはいる。こちらでまだ捜査しなければならないからと言ってはいるんだが・・・どんな親父さんなんだい?」

「とにかく嫌い!元々は光田季彦さんの・・・。」

「あのね。もういいだろ?本当のお父さんと言いなよ。」

「・・・そうだね。もう憎んでないしね。お父さんは会社持ってたんだ。島の海産物を売る仕事の。そこの社員だったんだ。最初はわからなかったけど、今考えると・・・会社を乗っ取ったみたい。」

「なに?」

秘守のために詳細は知らされていなかったのだが、初耳だった。

「なぜそう思うんだい?」

「うん・・・あのね、あたし子供だったけど、お父さんの会社のビルで遊んだ覚えがあるんだ。で義父さんは、そこの会社の社長になってた。あたしはお父さんを憎んでたから、最初は喜んだよ。でもね、従業員がみんな暗くて嫌いになった。そしてお母さんもどんどん派手になっていってさ。あの香水の匂いだけで息ができないくらいだった。そして島の子からね、あんたの親父さんは盗人だって言われ出したんだ。何言ってんだって思ってたけど、島を出てから太郎と話しててそう思った。」

美也希はまだ太郎の本名を言わない。実際に会うまではそう言い続けるのだろう。

「そうだったんだ・・・わかった。その線でも調べておくよ。でないと困るしね。」

「うん、ありがと。」

「それにしても、本当に変わったね、美也希ちゃん。」

美也希は小首をかしげて眉をひそめた。以前には見られなかった、可愛らしい仕草だ。

「そう?あたし、わかんないよ。」

「伊加くんやかおるさん、ママたちと話して楽になったのかな。」

「ああ・・・そうかも。あのさあ・・・それじゃ足りないよ。」

「えと・・・他に誰かいたっけ?」

「あたしの目の前にいるよ。」

「え?俺?」

「うん!」

美也希は少し恥ずかしそうに、しかし元気よく答えた。本気でそう思っているようだ。


「そ、そりゃ嬉しいけど、俺は別に何もしてないじゃん。」

「ううん・・・あたしを守ろうとしてくれてる。それがすっごく嬉しい。本当のお兄ちゃんみたいだもん。麗子ちゃんも、かおるさんも、ママもみんな好き!」

産まれてからどれだけ悲惨で悲しい人生だったんだろうと羽間は思った。確かに守ろうとはしている。美也希の中にあった素直な心がそう反応しているのだろう。

それはそれで喜ばしいことだ。

「そうか。いいことだよね。でも貴重な話だった。そこまではわからないからね。向こうにもそう伝えておくよ。今はSKの社員でもあるしね。それと・・・もうひとつ聴いておきたいな。親父さんのこと。」

「なに?他には知らないよ。」

「いや、何というか、感覚的なことでいい。親父さんと暮らしていて、夏なのに寒く感じたってことはないかい?」

「・・・あ、そう言えば、あたし、島では冷え性だった。出てから治ったけど、そういうこと?」

すでに佐々木盛綱の転生である自覚があり、これまでも多くの経験を経てきた羽間にはそれなりの能力が芽生えていた。それに常に羽間の横にいる小宮山祥子がこう言っていた。

(ケンちゃん、この子の義父さんは危険よ。何かに操られている。)

邪悪なものに憑依されている人間と接すると、寒さを感じるものだ。

「そうだ。これ、大事なことなんだよ。他には?」

「うーん・・・これ、違うかもしんないけど・・・。」

「いいよ、話してみて。」

「ええとね、従業員さんと話してるでしょ?でもなんか、人形に話してるみたいだった。」

「人形?」

「うん。何て言うのかな、ちゃんと目が合っていないみたいに感じてもいたよ。あれが気持ち悪くて嫌だったんだ。」

「それで、そういうとこを見た時って、美也希ちゃんはどうもなかったの?」

「気持ち悪かったけど、別に。」

羽間は、美也希は何かに守られていると実感した。それが何かは判らなかったが。

「わかった、ありがとう。今日はこれくらいにしておこう。あ、そうだ。忘れてた。」

「なあに?」

「明日、信濃駒一・・・志水太郎が退院するそうだ。それから取り調べになる。特に問題なければ、会えるよ。」

「ほ・・・本当に!会えるの?本当に本当?」

「ああ。」

「わーーーーーー!」

美也希は顔をクシャクシャにして喜んだ。

「会えるなら必ず連絡する。それまで待っててね。」

「うん!」

美也希が去った後、羽間は緑川産業に出向いた。

「あら、刑事さん。こんにちは。」

緑川小百合は今ではここの社長だった。社長室に通された羽間は呆れたように言った。

「狐さんが社長か。世も末だな。」

「あら、ご挨拶ね。答えてあげないわよ。」

「わかったよ。で、大倉昭二って奴は何に操られているんだ?」

「ちょっと待ってね。結界張るから・・・さて、これで大丈夫。」

「結界?そんな危ない奴なのか?」

「当然でしょ。相手は言魔なのよ。」

「・・・なんだそりゃ。」

小百合は立ち上がってタバコに火をつけた。

「言魔は、一言で人の心を操り、野を焼き、獣を殺す。八蛇教ね。」

「八蛇教?」

「古代にね、猿田彦とは別のルートで日本に入ってきた邪教なの。暗黒の力、あらゆる力の根源を操る危険なもの。猿田彦は強力な力を持つシャーマンで、大陸の巴蛇が八卦と合わさって誕生した悪魔と戦ったの。それぞれが別々のルートで日本に入ってきて、日本では猿田彦が勝った。でもその悪魔もひっそりと隠れて生き延びた。一子相伝でね、弟子や子供に代々伝えていく。最初が安羅万有。それの後継者が代々の蛇念坊・・・。」


羽間はメモしていたが、やめて立ち上がった。

「その蛇念坊って奴が、大倉を?」

「そうね。あたしも一度会ったことがあるわ。」

「大陸でか?」

「そう・・・あたしが妲己だったことは知っているでしょ?」

妲己は殷の紂王に愛された女で、妲己におぼれた紂王が殷を滅ぼしたと伝わっている。

「お前も相当だったからな。それ以上の悪って・・・」

「違うわ。」

「なに?」

「あいつは紂王に憑いたのよ。あたしは紂王の暴走を止めようとしたの。狐は大衆の味方だからね。あいつがいたらとんでもないことになる。でも予想以上にとんでもない奴でね。あたしなんか一発で飛ばされちゃって、気がついたら項羽の愛人になってた。」

「虞か・・・。」

漢の高祖と覇を争った項羽の愛人が通称虞美人である。

「でも、あいつらは猿田彦に敗れて弱って、大陸の悪鬼たちにも見放された。それで身を隠して日本に来たってわけ。」

羽間は小百合の近くに来て、置いてある高級ブランデーに手を伸ばしてグラスに注いだ。酒でも飲んでいないとやっていられない話だ。香りいいブランデーを一口飲んだ。

「ぷは・・・仕事中だけど、たまにはいいか・・・そいつが大倉を・・・待てよ・・・ひょっとして、他にも操っている奴らがいるのか?」

「大当たり。」

「おい、それは誰だ!」

「たくさんいるわ。沖皇兄弟、一文字尊久、七城植子、市川誠二、大倉昭二・・・。」

「それじゃあ・・・この戦いの裏に、蛇念坊がいるのか!」

小百合はタバコを揉み消して、羽間のグラスを持って一口飲んだ。

「そもそもはね・・・あの方たちにも憑いていたのよ。」

「な・・・なんだって!あのいくさもそうだったのか!?」

「ええそう。あのお方・・・後鳥羽上皇にもね。」

羽間や大山、かおる、山高らが戦う相手は、鎌倉将軍府討伐の院宣を発した後鳥羽上皇、土御門上皇、順徳上皇、仲恭上皇らであった。いわゆる承久の乱であり、鎌倉将軍府と御家人たちに敗れた四上皇はそれぞれ流刑その他の罰を受けた。

「俺らは後鳥羽院の怨念だとばかり思っていた・・・だが、そうではないんだな?」

「そうね・・・後鳥羽院がコンプレックスの塊で鎌倉を憎んでいたことは事実よ。でもその甘い臭いに乗ってきたのが蛇念坊でね。」

「しかしどうして上皇様に?それが合点いかんが。」

小百合は手元のスイッチを入れた。すると壁が動いてスクリーンになった。

「蛇念坊が破れて潜伏したのが本土だったら、あれだけ大名たちがいた時代にわからなかったはずがないでしょ。だから、離れた島にいたの。それがここ。」

小百合が指さしたのは、日本海にある小さな島だった。

「ここか・・・でもこれ、手書きじゃないのか?古い地図なのか?」

「いいえ、新しい地図よ。そして隠岐の島がここ。」

「近いな。でもどうしてこれが掲載されていないんだ。」

「そりゃそうよ。ここは特別だもん。正式な地図には掲載されてないない島。」

「なんでだ?」

小百合はブランデーをまた飲んで続けた。

「ここに近づかないようにね。いつも霧に囲まれてる。悪魔が住む島ってね。」

「悪魔だって?なんだそりゃ。」

「ここにはね、昔は人がいなかったの。そこに八蛇教の教祖安羅万有が潜んだ。それで、大和政権が誕生して出雲と組んだ頃に、この島の山に封印されたわけ。猿田彦の末裔にね。」

「猿田彦の末裔?そんな人たちがいたのか。」

「そうよ。それが役行者。」

前鬼後鬼を従えて脅威の術を使ったとされる、古代きっての呪術師である。


「役小角とも言われていてね。代々その名を名乗っていたみたいね。それでこの島は封印されて以来人も住まないようになったけど、いまだに地図には記載されないの。」

「でも、なんで上皇様に?」

「隠岐の島は大陸から渡来した人たちの中継地点だったの。上皇様は鎮魂のために護摩を行っていたようね。多くの方々が流された場所だし。その護摩の念を感じたので、蛇念坊が察したわけね。蛇念坊は、憑依できる対象をキャッチできるの。」

「それで、その護摩に紛れて念を送ってきたってわけか。」

「そう。そして憑依された上皇は挙兵したのはいいけど、時代の波に乗れなくて敗れた。無理だったのよ、あんなこと。そして上皇は隠岐に配流されて、再び蛇念坊に支配されたまま亡くなられた。そして転生された。転生された先は、世界中の気が交差している未来。インターネットが普遍的になった現代こそ、そのタイミングなのよ。加えて、川北には古くからの気が溜まっていた。そんな場所はたくさんあるわ。火山の噴火で島ができるのと同じね。」

「・・・そうか・・・そうだったのか!不思議だったんだ。なぜ現代の川北にってね。他にも色々と・・・お前も含めて怪しい者が復活してきた。謎が解けたよ。で、この島の名前は?」

「この島は、近くの漁師たちは蛇島って呼んでいる。念を感じたからかもね。そしてそのすぐ近くにある島があるの。荒々しい海の渦に囲まれて、渡ることが困難なことから付けられた名前が荒水島・・・知ってるでしょ?」

羽間は全身を電撃が走り抜けた。光田季彦、大倉美也希の出身地だ。

「そういうことか!なんてことだ!」

「でね・・・ここからが肝心。憑依された人たちの数を数えてみて。」

「ん・・・8人?」

「そう。蛇念坊が操る人間が人間でなくなったとき、巨大なエネルギーが現れて破壊の限りを尽くすものと言ったら?」

「・・・八岐大蛇か・・・。」

羽間はあまりのことに、言葉が出なくなった。古代の因果が繰り返し、こうして現れると言うのか。

「あたしはさっきも言ったけど、民衆あっての存在。だから守りたいの。今度は単なる刑事事件じゃ済まない。お願い。なんとかして。」

小百合は羽間の両手を取ってじっと目を見た。正体を知らなかったら、すぐに落ちてしまいそうな目だった。

「もちろん、やるさ。俺たちだってそうだ。佐々木盛綱は、民を守る殿に尽くした。おれも、そんな先輩のために尽くす。」

「ありがとう。」

小百合は羽間から離れて椅子に座った。

「急いだ方がいいわ。動き出しているから。」


62  


最近の川北市はマンションを始め、多くのホテルが建設されていた。その中のひとつである『ウォーターフロントリゾート蛍』の和室に、かおると小四郎、そして麗子がいた。小四郎がかおるに報告があると言ってきたので、昼食を一緒にすることにしたのだ。

かおるはそれが何なのかはとっくにわかっていたのだが、あえて知らないふりをしていた。

「そうなの!良かったわ。おめでとう。」

結婚を前提として付き合うことにしたとの報告さった。

「家には?」

「まだ言ってない。俺、ほとんど帰らなかったからなあ。言いにくいんだよ。」

2人の父親四郎はもう他界していて、母牧子が1人で実家の鎌倉に住んでいた。

「ちゃんと自分で言うのよ。お母さん、喜ぶから。それで麗子ちゃん。」

「は、はい。」

「あなたは、この人が好きなの?」

「はい・・・。」

「それとも会社が好きなの?」

「姉貴!」

小四郎は思わず声を上げた。

「何言ってんだよ!」

「いいの。とっても大事なことなんだからね。ねえ麗子ちゃん。あたしがなぜこんなことを尋ねているのか・・・今のあなたならわかるはずよ。答えてくれる?」

麗子は言おうとして、喉に何か詰まったように声が出なかった。言いたいことは明確だったのだが、なぜか詰まってしまっていた。

「麗子、どうしたんだ?」

「小四郎、ちょっと黙ってて。麗子ちゃんを見守ってあげて。」

麗子はなぜか、周囲がぼやけているように感じていた。自分の身体はここにあるけれど、心は遠くにあるように。そしてそのイメージの中ではある場所にいて、1人の老女がいて、自分と話している。

怒りと悔しさが交錯しながらも、この場面を2度と見たくないという思いもあった。そして自分の中にある執着を感じ、ものすごく醜いものだと思った。意味不明な感情が入り乱れている時、小四郎が麗子の膝に手を置いた。

その瞬間にあらゆる雑念が消失した。

「あたしは・・・あたし・・・もし会社がなくなっても・・・小四郎さんについていきます。会社は好きです。仲間もたくさんいて、温かいです。でも・・・何よりも小四郎さんが大事です。絶対にそうです!あたしは、小四郎さんを愛してます!」

麗子の目に涙が溢れてきていた。かおるはハンカチを取り出して、麗子に手渡した。

「麗子ちゃん、よく言ってくれたわ。ありがとう。これであなたは・・・大丈夫よ。」

「姉貴、さっきから何を言っているんだ?」

「小四郎さん、いいの。これでいいの。あたしがなぜ、かおるさんが苦手だったかやっとわかった。そしてあたしが持って生まれたことを解決するために、今ここにいるんだって。」

「・・・2人ともどうしたんだ?変だぞ!」

かおると麗子は目を合わせ、そして同時に笑った。

「何がおかしいんだ?」

かおるは麗子にアイコンタクトを送り、麗子も頷いた。

「じゃあ、そろそろ小四郎も目覚める時かな。」

「目は覚めてるよ!・・・え?な、なんだこれ。」

小四郎の周囲もぼやけ始め、まるで霧の中で会話しているような感覚になった。

「なんだこれ!おい、何とか言ってくれ!」

だがかおるも麗子もぼやけ、ものすごい勢いで記憶が逆走を始めていた。何世代もの景色が流れていき。そして止まった時には大きな和風屋敷の広間に座っていた。

同時に小四郎は、今の自分が誰で何をしようとしているのかが理解できた。屋敷の中で、小四郎は座敷に座っていた。

「わしに追討院宣とはな・・・とうとうやりおったわ。」

小四郎は自分のものではない声で、呟いていた。

「あのまま大人しくされておれば良いものを・・・わしの面子も潰れたわ。」

相手をしていたのは、初老の武士だった。

「別当殿、いかように思われる?」

「実朝公亡き後を狙ってのこと。天下二分を良しとされるのが嫌なのでございましょうな。京では、お公家衆の間でも眉を潜める者多いと聞き及んでございます。」

「先の将軍は宮と親しゅうされておった。それがなくなったが故、か。お公家衆でさえも思うところあると申すは?」

「治天様は子を次々に院に登らせ、今では院と朝廷が逆転しておる由。誰も諫める者はおられませぬ。言わば・・・。」

老武士は軽く笑った。

「駄々っ子でございます。」

「さすれば?」

「坂東武者は、棟梁たる鎌倉が従うものである限り従いましょう。弱腰では、掴んでおれませぬ。それに、朝廷の荘園を与える格好の機会であろうと存ずる。」

小四郎の記憶の中にある誰かは、持っていた扇子で膝を叩いた。

「よし!腹は決まった!だが、坂東が従うのはわしではない。ここは頼朝公にお助けいただこう。」

「と申すと?」

「尼将軍よ。」

老武士はニヤリと笑った。

「さすがにございますな、執権殿。頼朝公を頼みつつ、鎌倉を統べなさるか。」

武者は立ち上がり、屋敷から見える箱根の山を見た。

「わしは頼朝公に教えを乞うた。いつか言われたことを思い出す。お主に源家の血が流れておれば、武者を統べる器があると。それはつまり、わしが表に出る時には頼朝公の影と共でなければ務まらんということじゃ。姉上はまさに頼朝公の影を背負うておられる。のう別当、左様に思わぬか?」

老将中原広元はカラカラと笑って白湯を飲んだ。彼は後年、大江広元と名乗ることになる。

「北条殿の統べは決まりましたな。さすれば。」

中原広元は北条義時に向かって頭を下げた。

「執権殿、お下知を。」

そこで記憶は止まり、小四郎はさきほどの和室にいた。かおると麗子は、じっと小四郎を見ていた。小四郎の目の前にいるのは姉と麗子なのだが、今の小四郎には違って見えた。

「・・・そういうことか?」

「左様にございます、殿。」

麗子は正座をして、頭を下げた。

「麗子・・・いや、のえ・・・これでいいんだな?」

「はい。わたしの因果も、これにて消えます。」

小四郎は納得したように頷き、かおるに語りかけた。

「姉上・・・ご苦労様です。」

「よい。これが我の役目。さすれば、これからどうなるか、おわかりであろう?」

「はい。来るべきいくさに備えます。」

小四郎とかおる、麗子の3人の間には、すでに精神的ネットワークが構築されていた。3人は今後のことについて瞬時に共有し、そして再び元に戻って会食を楽しんだ。


63  


県北にある康安寺近くにある小さな堂である、まほろば堂の戸がゆっくりと開き始めた。周囲には人は誰もいない。強力な結界が張られていたし、さらにかなり広範囲に人を寄せ付けない力も作用していた。

中から顔を出したのは、丸い顔のやや猫背の老人だった。

「この姿で顔を出すのも久しぶりじゃな、婆さん。」

「あんたのような面を世間様に出すんじゃないよ。もう閉めな。」

「そう言うな。わしらの出番が来たようじゃ。」

「もうかい?わたしの千里眼ではもう少し先のはずじゃが。」

「早まったのよ。色々目覚めよったのでな。」

老人2人は春道とヒサだった。ヒサは三毛猫を膝に抱いて火鉢の前に座っていたが、春道の答えに表情を曇らせて立ち上がった。

「間違いではないかえ?」

「婆さんの目をあざむくほどの力がな、動きよった。」

「それは?」

「安羅万有じゃ。」

「なんじゃと!」

ヒサは大声を出した。

「あ奴はあの島から出れぬはず・・・なぜじゃ?」

「わしらに気取られぬほどにゆるりと・・・力を増しておったようじゃな・・・なるほど、一子相伝といいつつ、その実は魂の入れ替えをやっておったのか。あ奴、小狡さは変わっておらんの。」

「力が結界を破れるほどに増したと?しかし解せんな。そこまで弱い結界ではなかったはずじゃが・・・何か見える・・・これは?」

ヒサは宇宙の果てまで見通すと言われる千里眼を最大に発揮させた。周囲には目に見えない渦が発生していて、力が激しく動いていた

「・・・見えた・・・あ奴!阿修羅の力を得よったようじゃ。」

「ほう。どうやって?」

「前に後白河が使った力を、こっそり我が物にしおった。」

「なるほど・・・八神の力があれば、猿田彦の結界とて破れる・・・それも相当な力がなければな。つまり、それが揃ったわけかのう・・・厄介じゃな。」

「爺さん、厄介どころではないぞ。」

「ああ、そうじゃ。わしらも少しは動かずばなるまい。じゃが・・・迦楼羅は眠っておるし、龍も乾闥婆も緊那羅も夜叉も他の次元におる。金剛のみ・・・なるほど、うーむ・・・鋼剛杵を作ろうとしておるのか。」

「役行者か。力を貸そうかのう。」

「あ奴は違うところで好き放題動いておるからのう・・・そうか、阿修羅の力を削げばよいやもしれぬ。」

「いかにして?」

「あの方を明神していただくしかなかろうな。」

「なんと!お前さん、できるのか?」

「まあ、やってみるしかあるまいて。」

春道はまほろば堂の扉を閉めた。堂の中は無限に広い空間になっていた。春道はあれこれと準備を始めた。護摩壇を出し、周囲は森で囲み、そして八角形の形に独鈷を置いた。

「爺さん、佐次郎を呼ぼうか。」

「おう、良い考えじゃ。呼んでくれ。」

ヒサが手招きすると、奥から1人の若者がやってきた。

「佐次郎や、お前さんならあのお方を呼びやすいのでは?」

「そうですね。婆藪仙は大丈夫です。呼びかけに応じていただくためには・・・依代がいるでしょう。」

「依代か。何を使う?」

「これに・・・。」

佐次郎が出したものは、少し汚れた着物だった。

「羽衣か。では・・・」

佐次郎が広げた着物に、ヒサは念を込めた。しばらくすると着物は浮き上がり、そこに人がいるかのように舞い降りた。

「今はこれしかできん。後は爺さんと佐次郎じゃな。」

佐次郎とヒサは護摩壇の前に座し、同時に目を閉じた。徐々に2人の額から光が発しだし、その光は護摩壇に届いて火のような形になっていった。燃えていない火は徐々に大きくなっていき、激しく輝いた。

「・・・内空閑・・・伊賀・・・叡山・・・。」

ヒサの口から次々に単語がこぼれ出していった。明神として現世に姿を現すためには、現世での記憶が必要になるからだ。このまほろば堂の中では時間軸というものは存在していないので、これらのことは外界では瞬時のことでもあるし、永遠でもあった。外界的捉え方で表現しているだけのことである。

しばらく2人の言葉がこぼれていたのだが、突然止まった。ヒサと佐次郎は顔を合わせ、そして護摩壇を見た。護摩壇の前に、光に包まれた男女の姿があった。

「おお!・・・おいでくださった!」

春道も駆け寄り、座して頭を下げた。

(我らを呼ぶものは誰ぞ。)

背が高い、男性の光から音が聞こえてきた。耳で物理的に聞くのではなく、ダイレクトに心に響くものだ。

「我ら、あなた様の性を継ぐ者にございます。お力を・・・。」

(わたしたちの力を使おうと?なぜです?)

女性からも音が響いてきた。

「敵は・・・安羅万有の化身、蛇念坊にございます。」

ヒサは単純に答えた。

(何と・・・現世に・・・猿田彦様はいかがした?)

「ご子孫が力を出してはおりますが、今回の復帰は強すぎます。」

しばらく沈黙があり、女性の音が響いた。

(わかりました。良いでしょ?)

男性は頷いた。

(では、我らの力を使うが良い)

男女からは強い力が発生し、3人に降り注いだ。3人はその光に包まれ、集まって球体の光に吸い込まれていった。そしてまほろば堂から飛び出していった。残された男女は顔を見合わせ、飛んでいった先を見た。

2人は懐かしそうに顔を見合わせ、会話した。会話自体は表現困難なのだが、あえてすればこのようなものになる。現世表現しかできないからだ。


(光求さん、彼らだけで大丈夫やろうか?)

(我らの性を継ぐ者たちじゃ。それに、かような姿で語るのも久しぶりじゃ。しばし語ろうか、りつ。)

男性は天台裏衆を確立した光求で、女性は妻のりつだった。

(兵太がまた、暴れておるようじゃ。)

(あの人は、あたしたちがいないとあかんやろうしね。)

(ああ、あ奴は我らが助けねばな。)

(あの子たちに力を与えたから、どうにかしてくれるやろ。後は、兵太がいつ帰ってきてもいいようにしておこうかね)

 2人とも仏の世界から現世に呼ばれたので長くはいることができない。しかし彼らはこのわずかな逢瀬を心から楽しんでいるようだった。しばらく会話した後、2人の姿は消えた。

 

64 


山高の修行は続いていた。時間軸とは関係なく、金杵麿が作り出した次元の隙間で自らの力を溜めていった。この空間からはあらゆるパラレルワールドに行くことができ、干渉こそできないが、知識と力を蓄えることは十分にできていた。

山高は自分の中に、大黒天との戦いで消耗したエネルギーが別の形で蓄積されていく様を感じていた。だがこの力は金剛力士が通常は持っていない質の力だった。

このままでは持て余してしまう。

「このままでは埒があきませんね、大和さん。」

『そろそろかのう。鍛える時期に来たようじゃ。』

「いかにして鍛えるのです?」

金杵麿の声は消え、山高の目の前にあの老人の姿が現れた。

「鍛えるとは、かようなことじゃ。」

金杵麿の胸から強い光が派生し、山高の胸に突き刺さった。

「うわあ!」

「耐えよ!耐えて、この力を己の力で練り上げよ!」

金杵麿の力は本当に強く、山高は耐えるだけで精一杯だった。声を出すこともできない。激しい力に押しつぶされそうになりながら、山高は心をわずかに動かしてどうしたらいいのかを考えた。

金杵麿は鍛えろと言った。鋼剛杵にまで鍛えるということはどういうことか。

独鈷は『煩悩を突き崩す』といわれる悟りの智慧を具現化した形状だ。雷をイメージしたもので、中央には大日如来となる柄があり、両端には槍状の刃となっている。刃の数によって独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵・七鈷杵などと呼ばれ、鈴がついた独鈷鈴などもある。

だが今回は形状もだが、鍛えると言っている。となるとさらに強い形状でなければならない。

(では強い形状とはなんだ?)

山高は耐えながら考えた。しかし答えがわからない。

(耐えればいいのか?)

(力を己の力で練り上げるだと?)

考えようとすればするだけ、金杵麿の力は増してきていた。

(考えてはならんのか?)

裏衆の修行は己の継承性を見出すためのものだったが、これはまるで質が違う。鍛錬でもない。打ち負かすものでもない。

山高の思念は段々と薄れてきた。ギリギリの中で、山高の魂の根底を成している部分が妙に活動を始めていた。

(これは、なんだ?)

これまで自覚したこともない部分が、イメージではうすぼんやりと光り出し、徐々にその光度を増してきていた。山高はその部分に意識を置いてみた。

(これは!)

この部分の意味が、はっきりと山高に伝わってきた。その意味を理解した時、山高に当てられていた金杵麿の力が急に弱くなったように感じた。

しかしそれは同時に、常人では受け入れ難いことだった。裏衆でもあり、転生を記憶している山高でなければ簡単には受け止めることはできないことだった。

(そういうことだったのか・・・。)

受け入れ難い事実ではあったのだが、山高はそれを受け入れることができた。さらには、そのことが誇りにすら感じ始めていた。そして、もっとこの部分に触れたくなった。

山高は、イメージとしてこの部分に手を伸ばして、中に侵入させた。

(うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!)

潜在意識のレベルでの悲鳴が飛び出した。ここが悲鳴を上げるということは、触れてはならない状態で接触した感覚だった。文章では表現不可能な悲鳴が魂の奥底から沸き起こり、その悲鳴は山高自身でもあり、異次元のものでもあった。己なのか力なのか、それとも別の者なのかわからないまま、山高は果てしない開放感に包まれていた。

この開放感の意味も理解していた。人がその存在をやめる時に感じる、あの開放感だ。山高はこの開放感に浸りきっていた。

『戻るがよい』

金杵麿の声が聞こえたと思った瞬間、山高はあの鏡遷しの空間にいた。目の前には金杵麿がニコニコしながら座っていた。

「大和さん・・・意味がわかりました。」

「ああ・・・わしが、お前さんの力を貸すと決めたのは、これを知ったからよ。力を使うてもらうしかなかろう。わしの定めでもあるでな。」

「・・・ありがとうございます。」

金杵麿は立ち上がり、山高も立つよう促した。

「これでわしの役割は終わりじゃ。もう会うこともあるまい。」

「私もそう思います。」

「うん、見事じゃ。全ての定めを受け入れておる。さすがじゃ。」

金杵麿は満足そうに頷き、山高の肩に手を置いた。

「お前さんに会えて良かった。わしらの役目は多様にある。そのひとつが、お前さんのような定めの者を導くことよ。猿田彦の系譜は、まだまだ続く。そしていつか、また違う形で出会うやもしれぬ。出会わぬかも、しれんがな。もしそうなったら、お前さんも気づいてくれるじゃろう。それだけは間違いない。では、さらばじゃ。」

金杵麿は杖の先端を額に当て、念じた。

「ムン。」

次の瞬間、山高はお化け屋敷の出口に立っていた。

「ここは・・・そうか。」

山高は振り向いて一礼し、そして去っていった。歩きながら、山高は手に念を置いてみた。するとそこに先端が鋭く尖った独鈷が現れた。

(鋼剛杵の・・・完成か。)

再び念を送ると、鋼剛杵は消えた。

「さて・・・まだまだやることがある。」

山高は空を見上げ、息子に電話をした。

「ああお前か。私だ。今、話せるか?」

『どうしたの?全然連絡しないから心配してたんだよ。』

「いいか、今すぐ眠れ。」

『どういうこと?』

「いいから・・・頼むよ。」

『・・なんかまたあるの?大黒天のことで。』

「そういうことだ。ところでな。」

『何?』

「・・・いや、何でもない。それじゃあな。」

山高は電話を切って目をとじた。涙がこぼれてきていた。

(元気でな。)

そして両手を上にあげて、真言を唱えた。

「ヴァジュラ!」

そして山高の姿は消えた。


65  


「台風接近?嫌だな、台風。」

美也希はテレビの速報を見ながら呟いた。麗子から控えるように言われていたチョコ菓子をボリボリ食べながら。

美也希は台風には苦い思い出があった。島の暮らしで台風は本当に危険なのだ。家が飛ばされるかと思うほどの恐怖の中で過ごすというのは、何度経験しても慣れないことだった。

麗子から少しずつ仕事もさせられてはいたのだが、ファイリングとデータ管理くらいだったので結構時間はあった。しかも最近の気象予報では『経験したことのない規模』とか『命を守る行動を』とか言われるので、助かる反面恐怖も増すのだった。

美也希は椅子から立ち上がって、洗面所に行った。鏡の前で自分の姿を見てみた。当初全く馴染んでいなかったのだが、今では結構馴染んでいた。少し大人になれたような気になって、気持ち良かった。

(あとは、太郎と会えればいいな)

志水太郎の本名は信濃駒一と言うらしいのだが、美也希にとっては太郎でしかなかった。ヒッチハイクやバイトをしながら旅をしてきて、川北で不良に絡まれて模造刀を買った。結果そのことで太郎は怪我をして入院して、さらに取り調べも続いていた。

美也希にとっては恋人でもあり、戦友でもあった。初めての男でもあったし、家庭でも学校でも孤独だった美也希が心を許せる唯一の友でもあった。このSKディストリビューションという会社は本当に居心地よく、川北署も小野道子も大好きになっていたのだが、太郎と会って話したい欲求は高まるばかりだった。

「でも・・・もうすぐ会えそうだし・・・。」

自分に言い聞かせるように呟いて事務所に戻った。今度は、そこにあった麗子のカーディガンが目に留まり、デスク前にある鏡の前で足を組んでみた。使っていいと言われていたからだ。

(うふ・・・大人みたい・・・。)

年ごろの若者らしいナルシズムに浸っていると、麗子から持たされたスマホに電話が入っていた。

「もしもし、麗子ちゃん?どしたん?」

『ミヤッペ!すぐ玄関に来て!』

「え?どしたの?」

『いいから!』

意味がわからなかったが、とりあえず玄関に歩いていった。廊下を左折すると玄関なのだが、角から出てきたのは羽間だった。

「おお、来たね。」

「羽間さん、どうしたの?」

羽間はにっこり笑って、玄関を指差した。美也希は首を傾げながら角を曲がって玄関を見た。

「!」

美也希の両手は口に当てられ、全身に電気が走ったように感じた。玄関には麗子と太郎が立っていた。

「ミヤッペ、こっちに・・・」

しかしすでに美也希は走り出していた。涙が流れていたが、涙がどんどん後ろに流れるくらいに走った。

「太郎!」

「美也希!」

2人は抱き合い、そして倒れた。

「痛ててて、まだ良くなってないんだ。足が。」

「太郎!太郎!たろうーーーーー!会いたかった!会いたかった!」

「・・・俺もだ、美也希。」

美也希の涙は止まらなかった。麗子が近づいてきて、美也希の頭を軽く叩いた。

「こら。社会人の心得忘れたの?」

麗子の声に美也希は我に返り、太郎から少しだけ離れた。

「ほら起きて。これからいつでも会えるんだから。」

美也希は涙を吹きながら立ち上がり、駒一の手を取って立ち上がらせた。


「ごめん。痛かった?」

「そりゃお前、退院したばっかやん。」

「・・・馬鹿。本当に会いたかったんだから。」

「さあ、お茶にしましょ。」

麗子は羽間と共に社長室に向かった。

「おお!君が大倉の彼氏か。いい面構えしてるな。」

小四郎が出迎えた。

「まあ座ろう。伊加、コーヒー淹れてくれ。」

羽間と美也希と駒一は、デカい社長室の大きなソファに腰を降ろした。

「社長、この度は身元引受人になっていただいて、ありがとうございます。」

「ケン、やめろよ。受けない訳がないだろ。」

駒一の両親は漁師なのだが、共に病気で来ることができなかったのだ。

「え?じゃあ、社長さんが変わりに?あ、ありがとうございます!」

「大倉、いいってことよ。信濃くんのご両親が来れないんじゃあな。ついでに、君と同じで、パート扱いで勤務してもらって、給料も出すようにしたからね。」

「俺の両親・・・病気じゃねえんだよな。」

「・・・信濃くん。言わなくていい。」

 羽間が制したが、美也希は首を振った。

「なんで?あたし聴きたいよ。」

「あいつら、シャブ中なんだよ。だから俺、逃げ出してきたんだ。俺の身体、あちこちに傷があっただろ?あれ、俺は喧嘩だって言ったけど、本当は・・・。」

「・・・そうだったの・・・?」

羽間はため息をついて、語った。

「それを承知で、社長は身元を引き受けてくれるそうだ。」

「・・・どうして?社長、こんなあたしたちにどうしてそこまでしてくれるの?」

美也希は本当に信じられなかった。横に駒一がいるのであれば、他の誰もが低く見てしまう。

「理由はね・・・ちゃんとあるのよ。」

麗子がコーヒーを持ってきた。

「どういうことなの?麗子ちゃん、教えて!」

羽間と麗子と小四郎は顔を見合わせ、頷いた。

「それはね、かおるさんが教えてくれるわ。」

「あの人が?全然わかんないよ。どうして?」

小四郎は軽く空咳をして、立ち上がった。

「あのな、大倉・・・世の中は見えることばかりじゃねえんだよ。」

「え?」

「これだけは言っておこう。俺たちがこうしてここに集まっているのは偶然じゃねえってこった。」

美也希は意味がわからずに尋ねようとしたのだが、駒一がそれを制した。

「美也希、俺、病院でかおるさんに会ったんだ。」

「え、そうなの?」

「それで俺、全部わかった。だから、美也希も会えばいい。それだけでいいよな?」

麗子と羽間は同時に頷き、少し間を置いて小四郎もそうした。

「え・・・何か良くわかんない・・・かおるさんに会ったらいいの?」

「姉貴は・・・ああ、いいそうだ・・・ここに来るって言ってる。」

「・・・何でわかるの?エア電話?」

全員が軽く笑った。美也希は何がなんだかわからないまま、ずっと駒一の手を握っていた。


66  


「なんだって?」

岡島がたった今耳にしたのは、睦海興行全員が川北に向かったという情報だった。様々な情報を汐田と共に鑑定調査している最中だった。

「はい。つい先ごろ、北西たち15名が会社を後にしました。全員が会社車です。」

「それで、どこに行っているんだ?」

「まだわかっていません。」

「よし、引き続き追跡しろ。」

岡島は眉間に皺を寄せた。

「汐田さん、どう思います?」

「今までの流れだと、間違いなく沖皇もしくは物流センターだと思うがな。しかしなんでまた、こんな仰々しいことやるんだ?」

「そうですよね。市川が繋がっているのならそうでしょう。うーん・・・わかりませんね。」

岡島は大山に連絡した。

「と言うことだ。そちらでも対処しておいてくれ。」

『わかった!それに新情報だ。光田季彦が殺人現場に向かった時刻に、コンビニの監視カメラに市川誠二が、光田の車を追っている映像があった。バイクで追いかけていた。そのバイクの車輪後が、現場から100m離れた川岸で発見された。調べられる。』

「よし!頼んだぞ!」

汐田は好物のフレンチコーヒーを飲みながら、これも好物の葉巻に火をつけた。イチゴの香りがするものだ。

「フーッ・・・いよいよだな。まだまだ増えるぞ。」

「どう言うことです?」

「あははは・・・キャリアの勘って奴たい。まあ適当に聴いておいてくれよ。何がどうなってそうなるのかは判らん。ばってん、こう・・・何て言うかなあ、イメージだな。」

「ベテランの勘は絶対必要じゃないですか!もっと聴かせてくださいよ。」

「簡単に言えば、戦争だよ。」

「極道と民間のですか?」

「ああ。川北には極道はいないから抗争じゃない。奴らも一応はカタギだ。となると、何らかの圧力をかけに行ったんだ。問題はその相手だ。」

「そうですね。報告を待つしかないです。」

「奴らの元組員って、外部には何人くらいいるんだい?」

「ええと・・・おそらくは30名ほどでしょう。」

「そいつらも合流するんじゃないかな。」

「なんですって?」

「そこの管轄は川南だろう?手を打っておいた方がよかばい。」

岡島はすぐに組織暴力対策課に連絡を取り、元組員の居場所から一歩も川南から出ないようにと依頼した。バタバタしている岡島に再び連絡が入った。

「警部!睦海興行の中に、一文字尊久もいます!」

「なんだと!なんでだ?」

岡島は蛇念坊のことは知らなかったので、何がどうなっているのか理解できなかった。誘拐され、睦海興行によってどこかに監禁されているというのが見解だった。ところが、同乗して行ったと言うことは、あのビルにいたと言うことだ。

「待てよ・・・ということは、あの一件は偽装だったのか?最初から組んでたってのか?それとも・・・ええい!後回しだ!」

事実、元組員らの抑えだけで精一杯だった。後は川北に任せるしかない。おまけにかなり強い台風が接近してきている。捜査するにせよ、引き留めるにせよ一大事になる。

そこで岡島のスマホが鳴った。

「なんだ、剛か。今忙しい・・・。」

『んなこた判っとる!北西ご一行様が出て行っただろ。ありゃ戦争だろ。』

「そうだよ!」

『手は足りてるのか?』

「まあ、ちっと足りんが、どうにかするわ。」

『後は俺と深井くんに任せろ。元組員だけ抑えとりゃよかとだろ?』

「なに!・・・昔のツレか?」

『ああ、もうとっくに深井くんが声かけしててな。同級生、先輩、後輩で元ワルたちを抑えておくけん、お前たちゃ心配せんでやっとけ!』

「すまん!恩に着る!しかし、無茶はするなよ!絶対に手は出すな!」

『わーっとるって!一般人の知恵を使いまくるわ!』

元不良の繋がりがこんな時に役に立つとは思ってもいなかった。

(剛、頼むぞ!お前は一般人じゃないが。)

岡島は動員できる全員に顛末を説明し、元組員の居場所周辺にいて民間人を助けるよう指示した。

汐田は葉巻をふかしながら何か思いついたように体を起こした。

「岡島さん、今思ったんだが、市川が光田の犯人だとしたら・・・SKは大丈夫か?」

「・・・そうですよね。となると、あそこも何かしらやられる可能性はありますよね。」

「これも俺の勘だが、市川が犯人だとすると、入社した後かもしれんぞ。」

「え?どういうことです?」

「だってよ、市川は光田の下だったんだろ?大さんから聴いたんだが、結構な光田信者だったらしい。そいつが犯人だとしたら、入社してしばらくしてから殺意が芽生えたってことなんじゃないかな。その後で沖皇から何らかのアクションがあって、そそのかされたってことも考えられる。ヤクザだからな。そのくらいはやるだろう。ライバル潰しかもしれんな。しかしなぜ殺しまで・・・。」

汐田はそこまで言って、眉間に皺を寄せて顔を上げた。

「舟橋亀子・・・まさか、まだあいつが?いや、もう死んでいる・・・?」

「誰です?」

「前には、そんな事件があったんだよ。元ヤクザの老人たちを戦闘員にしちまった事件が。あの時はその辺は未発表だったんだが、まだ未解決のはずだ・・・コロ?生き返る?・・・これは、ヤバい!ちょっと出てくる!」

「汐田さん!どうしたんですか!」

汐田は岡島を無視して、川南署を出て自家用車に乗ろうとした。舟橋亀子の調査のためだったが、その時に電話が鳴った。

「おお、山さん!具合はどうだい?今ちょっと忙し・・・。」

『すまんな、汐さん。舟橋亀子の件だろ?』

「え・・・どうしてそれがわかるんだ?」

『たぶんだが、俺は長くなさそうだ。時々妙な夢を見る。たぶん亀子の何かは生きていると思う。』

「よせよ!吸血鬼じゃあるまいし。」

『どうかな。・・・ウワバミが出たんじゃないか?コロはそれで生き返ったんだろ?』

「あ、ああ。」

『そのコロは、今どうしてるんだ?』 

「さすがに死んだよ・・・。」

『同じ手口でやられたんじゃないのか?コロにウワバミの血をやったって婆さんを探したらどうだ?』

「あの祈り婆さん?・・・わかった、調べてみるよ。すまんな、また見舞いに行くからな!」

『無理しなさんなよ。あんたは俺より年上なんだぞ。』

電話を切り、汐田は家に戻った。1人暮らしで、犬のコロだけが友だった日々が蘇ってきた。一度死にかけたコロを救ってくれたのが、近所に住む変わり者の老婆だった。

(確か竜門さんだったな)

汐田の家は林のすぐ近くで、その老婆は林のすぐ横にある小さな家に1人で住んでいて、占いなどで生計を立てていたはずだった。表札には『竜門タメ』と書いてあった。

「ああここだ・・・すみません!」

声をかけると、奥からすっかり腰が曲がった老婆が出てきた。

「ほい。おや汐田さん、ごきげんよう。」

「あの竜門さん、ちょっと聴きたいんだけど、うちのコロに飲ませてくれたのはウワバミの血だったよね。」

「へ?・・・ああ!あれな。いやあすまんこって。あれはそんなもんじゃなかったい。」

「へ?」

「ほれ、そこの林で捕まえたマムシがおったんじゃ。マムシ酒でもつくろうかと思うたったい。ばってんがなかなか死なんもんで、首ば切って血だけ取っとったとよ。飲んだらよかかなーち思うてねえ。そしたらあんたんとこのワンちゃんが死ぬごたって聞いて、嘘も方便たいって思うてあげたとよ。なんもなかとたい。」

「なんだ。それならまあよか・・・ばってん、どこにおったとね?」

「ほれ、そこん石があったい。そこにおったとよ。ところでワンちゃんは・・・あら、もう行ってしもうた。せからしかお人たい。」

汐田はその石のところまで歩いていった。ごく普通の石でしかなさそうだ。汐田は鑑識用の手袋を装着して、石を調べてみた。重いが、動かしてみたら少し動くようだ。

体力には自信がある汐田は石を左右に振って動かしてみた。やがて少しだけ石は動き、よく見ると石は窪みにすっぽりとはまっているようだった。汐田は動かして少し見えた底を覗いてみた。

「うわあ!」

汐田は石から手を離して後ろに下がった。石の下には穴があり、そこには無数の蛇が蠢いていて、壮絶に臭かった。

「なんだこれは!」

その時には汐田は気がつかなかったのだが、石には八匹の蛇が絡み合っている紋章が彫られていた。


67 


「お待たせ。」

あれからすぐにかおるはSKに来た。もうとっくに状況がわかっていたからだ。

「かおるさん!みんな、変なの!太郎まで変になっちゃってるし。かおるさんならわかるって。どういうことなの?」

美也希はかおるが口を開く前に猛烈な勢いで語りかけた。それは無理もない。一度麗子と共に前世体験をしているのだが、まだ受け入れるまでには至っていなかったからだ。

「ミヤッペ・・・まあお座りなさい。」

かおるは美也希を座らせ、自分も腰掛けた。他の者たちは自然に2人から離れ、駒一だけが美也希と手を繋いでいた。

「駒一くん、大丈夫よ。」

駒一は美也希の顔を見て手を離した。

「いや!手を繋いでいて!あたし、怖い!」

「美也希、まず俺を信じてくれよ。」

「太郎?」

「あのさ、まず俺、美也希に謝らなきゃな。嘘言ってごめんな。俺、色んなことから逃げたかったんだ。ずっと心苦しかった。でもな、これは美也希が自分で知らなくちゃならないことだ。そして、終わっても何も変わらない、」

「・・・意味がわかんないよ。」

「俺を信じるか?」

「・・・うん。」

「嘘つきでもか?」

「うん。だって、太郎は太郎だもん。」

「よし・・・じゃあ、かおるさん、お願いします。」

駒一は静かに手を離し、美也希は不安そうだったがずっと駒一の顔を見ていて、落ち着いたようだ。ゆっくりと、かおるに向き合った。

「ミヤッペ。この間、麗子ちゃんとご飯食べたでしょ?覚えてる?」

「うん。」

「あの時、どんな経験した?」

「あたしがお姫様みたいな服を着てたこと?」

「ええ、そう。あれを経験してどう思った?」

「どうって・・・だって夢じゃん。」

「うん、その感想。」

美也希は駒一をチラ見してから答えた。

「どうって・・・うん、なんか・・・懐かしかったなあ。前にそうだったみたい。でもさ、んなわけないじゃん?」

「どうしてそう思うの?」

「だってあたし、島の生まれだし、あんな服着たことないし。」

「本当にそう思うの?」

「・・・どういうこと?」

「ミヤッペはね、なんか自分が変なことが見えたりするでしょ?」

「うん。」

「じゃあね、さっきの夢を思い出してみてちょうだい。そしてその夢に、これはいつのことって訊いてみて。」

「夢の中のあたしに訊くってこと?」

「そう、目を閉じた方がいいわね。」

「わかった。」 

美也希は目を閉じて、前に観た夢のことを思い出してみた。だがその時、かおるもまた同時に目を閉じていた。美也希が自分の夢に照準を当てた瞬間、夢は現実として感じていた。

美也希はいきなり自分がどこかの屋敷にいたと感じた。当然、あの服を着ていて、髪の毛は長かった。そしてごく普通の格好として感じていた。

「姫!」

縁側を走る音が聞こえ、まだ若い少年が部屋の中に飛び込んできた。

「太郎様、いかがされたの?」

「これを見つけた!」

太郎が差し出したのは、花びらがピンク色になっている竜胆だった。

「まあ綺麗!どこにあったの?」

「屋敷の裏手に生えておった。わしはかような花は見たことがない。まず姫に見せたくてな。」

「美しゅうございます。」

2人はその後すごろくなどをして遊んでいたのだが、侍女の1人が静かにやってきて2人に声をかけた。

「比企の方様がお越しにございます。」

比企の方は頼朝の乳母であり、長女は安達盛長に嫁いでいた。長く頼朝を支えてきていて、近年ではよく大姫の館に顔を出してきていた。

「お方様、ようこそ。」

「よい。おお、すごろくかえ?」

比企の方は2人としばらく遊んでいたが、侍女の1人を呼んで耳打ちした。

「え?」

「声を出すでない。よいな、我が申したこと、伏せておけ。かような時ゆえ、静かにな。」

「は・・・はい。」

比企尼は子供たちの横に座り、姫に声をかけた。

「大姫様、そなたのベベを貸しておくれでないかい?」

「おばば様、なぜにございまするか?」

比企尼は少し笑って、大姫の髪を撫でた。

「後で語るゆえな。」

「はい、わかりました!」

大姫と呼ばれた姫は、頼朝と政子の娘であり、太郎と呼ばれた若者は平家打倒の兵を挙げた信濃の源義仲の長男、義高だった。

「義高殿。」

「はい。」

「聴いておるか?父上のことは。」

「いえ、父上がなにか?」

義仲はすでに兵を挙げていて、この年には頼朝と敵対していた叔父の志田義広と新宮行家を庇護したことにより、頼朝と対立することになっていた。義高は和睦のために昨年3月に鎌倉に下向してきていて、大姫と結ばれていた。大姫と義高は大層に仲が良く、周囲からも良い夫婦じゃと言われていた。

ところが事態は急変していた。

義仲は平家を負かして京に入っていたのだが、京での狼藉ぶりに業を煮やした後白河院が頼朝に義仲追討の院宣を出していたのだ。

「ようお聴きなされ。義仲様はつい先ごろ、九郎義経殿によって討たれました。」

「え・・・なにを・・・そんな・・・嘘じゃ!」

「お静かに!急を要します。このままでは義高殿のお命が危うい。今からお逃げなされ。大姫にも知れてはなりませぬ。誰にも知れずに、逃げるのです。」

比企尼は義高の近習で、信濃から来ていた義高と同い年の海野幸氏を呼んだ。そして事の顛末を聴かせ、寝床に入っておくように命じた。幸氏は即答で頷いた。

「待て!それでは幸氏が討たれてしまう!」

「殿!わしは当の昔に命などないものと思うており申す。行きなされませ。」

「よくぞ申した。姫が来ぬうちに、お召を変えなされ。そして幸氏は寝床に入っておれ。」

幸氏が寝床に入るのと同時に、大姫が侍女と着物を持ってきた。

「おばば様、これで良いの?」

「ああ、これで良い。ああ、殿は気分が優れぬようでの、先に休まれるそうじゃ。そっとしておきなされ。」

「はい、どうされたのでしょうね。」

「これ、姫と薬草を採ってきておくれ。」

比企尼は侍女に命じて、近くの山で薬草を採りに行かせた。

「義高殿、今じゃ。」

義高は大姫の姿を遠目に見て、流れ落ちる涙を袖で拭った。比企尼は侍女たちに命じて大姫の服を着た義高と共に屋敷を抜け出し、源氏である足利を頼って鎌倉を出た。

「いやあああああああああああああ!」

美也希が頭を抱えて号泣しだした。駒一が近寄ろうとしたが、かおるに制止された。

「いやいやいや!太郎様!行かないで!いやいやいやいやいやあああああ!」

かおるは目を開けて、美也希の肩に手を置いた。美也希はなおも泣き続けたのだが、鳴き声は少しずつ小さくなってきた。かおるは頷いて、駒一を手招きした。美也希の横に駒一を座らせて目を閉じさせてから、かおるは美也希に声をかけた。

「大姫や・・・太郎は横におるぞ。目を開けなさい。」

美也希はゆっくりと顔を上げ、横の駒一を久しぶりに見るかのような表情になった。そしてまた泣き出した。

「太郎殿!義高殿!会いたかった!われは、ずっとずっと待っておった!ようやく・・・ようやく・・・義高殿!」

若い美也希の声ではなく、幼い子供のような高い声になっていた。かおるは駒一の手を取り、美也希の手に乗せた。

「大姫、太郎殿のぬくもりを感じたか?」

「・・・はい、母上。」

「もはや別れることもない。転生しようとも、必ず夫婦になると誓うか?」

「・・・はい。」

「太郎殿は?」

「無論にございます!」

かおるはにっこりと笑うと、2人の肩に手を置いた。

「駒一くんも、目を開けなさい。」

駒一は目を開け、目の前にある涙でぐしゃぐしゃになった美也希の顔をじっと見た。そしてハンカチを出して、美也希の顔を拭いた。

「ありがとう、太郎・・・あたしたち・・・良かったんだね。」

「ああ。俺・・・俺・・・美也希!」

「え?」

「け・・・。」

「なに?」

「俺と、結婚してくれ!」

美也希は目を見開き、そしてまた泣き出した。

「・・・馬鹿・・・。」

「美也希?」

「今さらなんだよ!あたしはずっとそう思ってた!友達以上家族未満だと思ってたけど、本当はずっと、一緒になりたかったんだ!あんたしかいねえじゃん!何百年も前から思ってたんだかんね!絶対に結婚するに決まってんだろ!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!」

「美也希!」

駒一は美也希を引き寄せ、抱きしめてキスをした。かおるは半分呆れたように2人を見ていたが、横を見ると別の2人もキスをしていた。

(ま・・・いいけどね。)

かおるはパンパンと手を叩き、4人は我に返って離れた。

「これで・・・あたしがやるべき仕事のひとつがやっと終わったわ。それじゃあ・・・締めるわね。」

かおるは椅子とテーブルを少し寄せてスペースを作り、そこに正座した。

「4名とも、座るがよい。」

重々しい声だった。4人はかおるの声に誘われるように、かおるの前に正座した。

「執権義時殿、伊賀様・・・今世でも契りを交わし、生涯を全うするか?」

小四郎と麗子は顔を見合わせて返事した。

「もちろんです、姉上。」

「はい、御台様。」

かおるは、今度は美也希と駒一に問うた。

「大姫と義高殿、生涯を共にし、子を作り幸せになると誓うか?」

「はい、母上!」

「はい。」

かおるは満足そうに頷いてにっこり笑った。

「我らが転生してきたには多くの訳がある。そのひとつが、あの時の因果を消すこと。もうひとつが、その上でさらに大きな因果を消さねばならない。そしてこれは、我と弟にしても消せるかどうかわからぬ。皆の力を貸してほしい。」

 全員が頷いた。

 そしてかおるは一気に現世の表情に戻った。

「あー良かった!それじゃあ・・・。」

立ち上がって社長室にある扉を開いた。

 中には酒や炭酸飲料水などがたくさん置いてあった。

「みんな!飲もう!」


68 


「大倉・・・昭二様ですか?」

SKディストリビューションの受付には、1人の痩せた背の高い男が立っていた。サングラスをかけてニヤニヤしていた。

「そうや。ここに、市川て言う営業がおるやろ。」

「市川でございますか?市川誠二のことでしょうか?」

「ああ。」

「はい、市川は弊社社員ですが、どのようなご用件でしょうか?」

「物流を頼もうと思ってな。」

「左様でございますか。失礼ですが市川とは面識がございますか?」

「いや、お初や。だが、知人から話を聴いていてね。相談したかったんや。ほいこれ、名刺。」

「はい、では市川と連絡を取りますので、そちらにお座りになられてお待ちくださいませ。」

男はロビーのチェアに座り、辺りを見回しながら待った。サングラス越しでも目つきは鋭いとわかり、まともに見たら恐怖を感じることだろう。


「大倉様!市川は間もなく参ります。数分お待ちください。」

ほどなくして市川が受付に降りてきた。

「お待たせいたしました。市川で・・・。」

「お初でございます。大倉昭二と申します。」

市川は途中で話せなくなっていた。まるで魂が抜けたかのようだった。

「それでは、お話しましょうかね。そこのカフェでどうです?」

「・・・はい。」

2人は会社を出て、近くにあるカフェに入った。

そこは個室になっている、タブレットでオーダーするカフェだったので、2人は早速できるだけ奥まった個室に入った。タブレットでコーヒーを2つインプットすると、大倉は市川の顔を見てニヤリと笑った。

「あんたか。蛇念坊様からすぐに行けと言われて来たんだが、若造じゃねえか。お前さんが一番とは・・・。」

コーヒーがロボットによって運ばれてきた。ここはとことん人と接さない主義のようだ。

「少々拍子抜けやな。」

『誰に向かって申しておる?』

市川の口から洩れてきたのは、市川の声とは似ても似つかぬ老人の声だった。

「蛇念坊様!もういらしてたのですか!」

『大倉よ。お前には強烈な自我がある。これまでは役に立つのでそのままにしておいた。だがそうもいかぬようになってきた。』

「どういうことでございますか?」

『向こうも集まってきおったのでな。」

「・・・鎌倉方が?」

『そうじゃ。わしがここに参っておるのも、今しかないからよ。あの時によく似ておる。』

「で、私は何をすればよろしいので?」

市川の表情は変わらないまま、口からは薄気味悪い笑い声が聞こえてきた。


『・・・わ主は何もせずともよい。』

「しかし、蛇念坊様の下僕として生きてきたのですよ。何かさせてください。」

『無用じゃ!』

そして市川の口から、あの一言が発せられた。

「代!」

その声と言うよりも音に近い響きは、大倉の全身に一気に染みわたり、第七のチャクラ『サハスラーラ』に到達した。

「ぐえ。」

大倉は目がぐるりと回転して白目になり、表情はなくなった。表情がない市川からはさらに音が漏れだした。

『間もなく、龍の力がやってくる。お前たちは我に従い、定めを受け入れれば良い。・・・わ主は、消えるために生きてきたのよ。良かったな、ふふふ。』

そして再び、市川の口から一言が飛び出した。

「元!」

2人の顔には表情が戻り、今まで何をやってきたのか全く覚えていなかった。

「あ、あの・・・大倉さん。なぜ僕たちはここに?」

「知らんよ。あんたが連れてきたんじゃないのか?」

「いいえ!・・・おかしいなあ。」

2人はそれから普通の商談に入り、大倉はホテルではなく、なぜか市川と一緒に歩いて山の方に向かって行った。



ここからが怒涛の展開になっていきます。

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