第六十話 わたし(俺)、沈黙と向き合う
静かすぎる朝だった。
挨拶は返ってくる。
授業も、演習も、滞りなく進む。
――何も起きない。
それが、一番不穏だった。
「……来るね」
彼女が、小さく言う。
「うん」
「水面下で」
昼前。
問題が、形を持って現れた。
掲示板。
彼女の名前の横に、赤い印。
《演習参加制限:一時的》
理由は、書かれていない。
(なるほど)
直接叱らない。
責めない。
ただ、場から外す。
前世で、何度も使ったやり方だ。
「私、何かした?」
彼女の声は、落ち着いている。
でも、指先が、わずかに震えている。
「してない」
「だから、これは罰じゃない」
「排除だ」
職員室へ向かう。
扉を叩く。
返ってくるのは、
曖昧な説明。
「トラブルを避けるため」
「一時的な判断」
「深い意味はない」
深い意味がない判断ほど、
人を傷つける。
「正式な規定は?」
「……今は、柔軟に」
柔軟。
便利な言葉だ。
視界に表示。
《制度対応:沈黙》
《責任所在:不明》
《ハラスメント形態:間接》
(これが、制度)
声を荒げても、
数字を突きつけても、
今は、動かない。
彼女が、後ろに立つ。
「大丈夫」
そう言おうとして、
言葉を飲み込む。
大丈夫じゃないからだ。
演習場。
彼女の席だけが、空いている。
視線が、そこを避ける。
(……前世と同じだ)
誰も悪者にならない。
でも、誰も助けない。
「今日は」
わたし(俺)は言う。
「演習の進め方を変える」
生徒たちが、顔を上げる。
「参加者が欠ける理由を」
「考えてから、始める」
沈黙。
「考えられないなら」
「今日は、やらない」
ざわめき。
「それは、規定外では?」
教員の一人が言う。
「ええ」
「でも、教育です」
判断は、
結果だけじゃない。
場を見て、
違和感に気づく力。
それを、今、教える。
視界に表示。
《裁量:停止選択》
《教育目的:倫理判断》
《孤独:維持》
放課後。
彼女と、並んで歩く。
「……迷惑、かけた?」
「違う」
即答。
「巻き込まれただけ」
「そして、見えた」
「何が?」
「制度は」
「声を上げないと、動かない」
彼女は、少し考えて、
笑った。
「じゃあ」
「声、上げる?」
「うん」
「今度は、一緒に」
沈黙と向き合った。
逃げなかった。
それだけで、
前世とは、違う。
でも、これは始まりにすぎない。
水面下で、
何かが、確実に動いている。




