第五十七話 わたし(俺)、怒りを選ぶ
雨が降っていた。
学園の中庭。
人は少ない。
彼女は、屋根の下に立っていた。
いつもより、口数が少ない。
「……ねえ」
先に口を開いたのは、わたし(俺)だった。
「昨日のこと、後悔してない?」
「してないよ」
即答。
でも、その後に、少しだけ間があった。
「ただ……」
視線を逸らす。
「思い出しただけ」
「何を?」
しばらく、雨音だけが続く。
「わたしね」
彼女は、ゆっくり言った。
「前に、あなたみたいな人を見たことがある」
胸が、わずかに締まる。
「正しいことをして」
「誰も傷つけないようにして」
「でも、上から潰された」
「その人は――」
一瞬、言葉を探す。
「最後、何も言わなくなった」
雨粒が、床に弾ける。
「だから」
彼女は、こちらを見る。
「黙ってる人が、怖い」
理解した。
(だから、前に出たんだ)
その時だった。
遠くで、怒鳴り声。
「だから言ってるだろ!」
「余計なことするな!」
演習場の方角。
反射的に、走る。
そこには、
教員と生徒。
一方的な叱責。
内容は、些細だった。
判断を待たず、動いた。
それだけ。
前世の光景が、重なる。
――声を荒げる上司。
――萎縮する部下。
(……同じだ)
「待ってください」
気づけば、
声が出ていた。
教員が振り向く。
不機嫌そうに。
「君は関係ないだろ」
「あります」
一歩、前に出る。
「その判断は、わたし(俺)が推奨した」
「責任は、こちらにあります」
「君は最近、調子に――」
「違います」
声が、低くなる。
「これは指導じゃない」
「恐怖で縛っているだけです」
空気が、凍る。
周囲の生徒たちが、
息を止めているのがわかる。
前世なら、
ここで引いた。
立場を守った。
今は、違う。
「やめてください」
「それは、正しくない」
沈黙。
教員は、舌打ちして去った。
残された生徒は、
震えていた。
「大丈夫」
そう言って、肩に手を置く。
ふと、気づく。
彼女が、
すぐ後ろに立っていた。
「……怒ったね」
「うん」
否定しない。
「初めて」
彼女は、少し笑う。
「あなたが、誰かのために怒ったの」
視界に表示。
《感情:私情介入》
《行動:意図的対立》
《孤独:減少》
《関係:不可逆進行》
雨が、止み始める。
「ねえ」
彼女が言う。
「そろそろ、呼んで」
「……」
一拍。
名前は、まだ伏せる。
でも、覚悟は固まった。
「次は」
「必ず」
彼女は、満足そうに頷いた。
怒りを選んだ。
それは、前世ではできなかった選択。
そして、それは――
もう、後戻りできない一歩だった。




