表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界で勇者に愛された俺、逃げたら勇者が迎えに来ました

作者: 小林加林






「見つけた」


 聞く者をゾクリとさせるような甘い声が、静かな空気を震わせた。

その場にいた全員が思わず顔を上げる。皆一様に、ぽかんと口をあけたまま固まった。

 珍奇な格好のコスプレ男が、そこに立っていたからだ。

金色に輝く甲冑に、翻る赤いマント。ファンタジーRPGの登場人物のようないでたちをしている。

(──え……ドッキリ企画?)

(仮装大会か何かの催し?)

(変質者……?)

 彼らの頭上に、はてなマークとともにさまざまな思惑が飛び交う。そんな状況にもかかわらず、ざわめきひとつ起こらないのは、その男が息を飲むほどの美形だったからだろう。

 胸元まで届く長い髪は、月光のごとく銀色に輝きを放ち、同じ色彩を帯びた睫毛がその双眸を囲んでいる。その瞳はまるで溶け出しそうな飴色の光を秘めており、見つめる者の心を吸い寄せる。まっすぐに通った秀麗な鼻筋と、洗練されたシャープな顎。傷一つない真珠のように滑らかな肌。そして、一瞬で視線を奪う鮮烈な赤い唇が、品のある微笑みを湛えていた。

 CGグラフィックのキャラクターを完全再現したかのような、圧倒的で完璧な美しさだった。ここが精密機械を扱う工場内であることを除けば……、であるが。


──ガチャンッ


 金属が床に叩きつけられる音に、見蕩れていた人々が我に返った。音のした方向を振り返る。

黒い作業着を身にまとった、若い男が立っていた。痩せ型でひょろりと背の高い彼は、最近入ったばかりの派遣社員だ。まだそれほど親しい者もなく、いつも黙々と作業をしている。よく言えば真面目、悪く言えば根暗そうな男だった。彼はなぜかひどく怯えた顔で、コスプレ男を凝視していた。


「探したよ、ユウスケ」


 コスプレ男が言う。その甘美な響きに、その場にいた女性社員は思わず吐息を漏らした。

──その時。

「う……わぁあああああああっ!」

 静まりかえった空気を引き裂くような叫び声を上げて、派遣の男がその場から逃げ出した。

近くの物をなぎ倒し、ぶつかった人が床に倒れこんだのにも目もくれず、扉に向かって全力疾走する。

入口の扉を開くためには、通行許可証をリーダーに通さなければならない。派遣の男は動揺しているのか、幾度も失敗して、ドアを無理矢理ガチャガチャと揺さぶっている。

「あああっ……わあああああっ!」

 彼の恐怖に駆られた叫びに、その場に居た人々はようやく異常事態が起きていることを認識した。

不審者に対抗すべくコスプレ男に向き直る。……が、そこにはもう誰もいなかった。まるで幻をみていたかのように、何の痕跡もなく、その姿はかき消えていた。

 唖然と顔を見合わせる者、警備に連絡を入れる者。現場はにわかに騒がしくなる。すぐに警備員が駆けつけて調べたものの、当然のように何も見つからなかった。検査場にいた全員が奇妙な幽霊を目撃したことは、すぐに噂となり関係者の間を駆け巡った。

 そしてその日を境に、あの若い派遣社員は忽然と姿を消した。建物の出入りを管理するセキュリティ記録にも彼の名前は残っておらず、どうやって現場を離れたのかすらわかっていない。事件は警察の捜査にまで発展したが、いまだ彼の行方を知る者はいない。





 ◇




 二十歳の頃、異世界で勇者をやっていた時期がある。


 急にこんなことを言ったとして、信じてくれる人はどれくらい居るだろう。多分、ヤバい奴だと遠巻きにされるか、寒いジョークだと薄笑いを返されるのが関の山だ。


 二十歳の誕生日当日。俺が召喚されたのは、子供の頃に夢中になってプレイしていたナントカファンタジーに、そっくりな世界だった。

 大勢の人々に囲まれた魔方陣の中央で、ジャージ姿のまま呆然とする俺に、長い髭をたくわえたじいさんが言った。

「あなたこそ、預言書に記されていた救世主様でいらっしゃいますね」

 ……と。なんだこいつ馬鹿かと思った。すぐに信じられるわけもなく、たちの悪いドッキリなのかなとカメラを探した。だが、それらしい物はどこにも見当たらなかった。それどころか、そこがテレビで見た海外の大聖堂のような建物の中であること、窓の外が明らかに日本とは異なる風景であることなどを目にしてしまい、俺はその場で一旦、考えることを放棄した。

 気絶した俺が次に目を覚ましたのは、その国の王城の一室だった。俺はそこでしばらくの間、上げ膳据え膳の丁寧なもてなしを受けた。落ち着きを取り戻した俺の元に、またあのじいさん(どうやら賢者と呼ばれているらしい)が現れて、俺がここに呼ばれた理由と、担う『使命』とやらの説明をしてくれた。


 この世界は、豊かな地上を乗っ取らんと目論む魔王とその配下の魔物たちによって、危機に瀕していた。世界の存続を賭け、六人の勇者がここに集結した。


この国の王子、アレクサンダー。

若きソードマスター、レオンハルト。

天才魔法使い、セオドリック。

ビーストテイマー、エミリオ。

治癒魔法士、ルシアン。

暗殺者、ダリウス。


 彼らはそれぞれが一騎当千の猛者であり、世界の命運は全て彼らの肩に掛かっている。……というような内容だった。

 それを聞いた俺の感想は…だって? 『あっそう。頑張ってね~』、だ。他に何がある? 救世主だかなんだか知らないが、俺は平和な日本育ちのへなちょこ現代っ子だ。そんな化け物みたいな奴らに混じって、なにかできるっていうんだ?

「俺は、きっと何かの間違いで召喚されたんだな」

 そう言った俺に、じいさん…改め、賢者はやんわりと微笑んだ。

「救世主様の役割は、戦いなどではございませんよ。戦いによって傷つき疲弊した勇者たちを癒やし、彼らに新たな力をお与えになることでございます」

「はぁ? つまり、マッサージとか、飯を作ったりとか……。そういう後方支援的なこと?」

「とんでもございません。そんなことは勇者にやらせておけば良いのです。救世主様の使命、それは勇者たちの内なる力を引き出すこと。あなた様の存在自体が、やがて彼らの秘められし力の源となるのです」

「???」


「魔王の力の根源は、妬みや恨み、憎しみといった負の感情です。それに対抗するには、通常の力技では通用しません。勇者がどれほど強くとも、愛の力がなければ。魔王討伐など、到底かなわないのでございます。さればこそ……」


「まって。ちょっと待って。ストップ」

「なんでございましょうか」

「愛の力って……? 誰が、誰に対する?」

 恐る恐る聞く俺に、賢者は至極当然といった顔で答えた。

「勇者達が、あなた様に対する、です」

「いやいやいや。俺、男ですけど?!」

「はぁ……」

「いや、はぁ……じゃなくて! おかしいでしょ! そういうのって普通、可愛い女の子の役割じゃないの? なんで俺?!」

 俺の渾身の熱弁を、賢者は不思議そうな顔で見つめ返してきた。

「特に不自然なことではないと思いますが……」

「多様性の尊重?! ……っていうか、そんな話、そもそも勇者たちだって納得しないでしょ。会ったこともない奴を相手に、愛の力とか言われてもさ。無理無理、そんなん絶対無理だよ。人間の感情なんて他人に言われて動くような、そんな単純なもんじゃないんだからさ!」

 むちゃくちゃな理論を振りかざす賢者に、俺は呼吸が続く限り猛抗議した。


 そんな俺の抵抗もむなしく……、やがて六人の勇者たちと魔王討伐へと旅立つ日がやってきた。

 勇者全員と顔を合わせるのは、その日が初めてだった。この世界に来てから、なんとなく感じていたことだが、城の使用人たち……いわゆるモブっぽい人々を含めて、ここはほぼすべての住人が見目麗しく、美男美女揃いだった。だが、いま目の前にいる六人は、その世界にあってすら驚くほど飛び抜けていた。顔形だけでなく、鍛え上げられた筋肉、神がかり的にバランスのいい体躯。

すべてにおいて平均値の俺は、彼らと並んでいることすら恥ずかしくなってしまうほどだった。

(えっマジ? 俺、この人達と恋愛しなきゃならないの……?)

 別に『使命』とやらを認めたわけではない。だが、俺はなんとなく気恥ずかしくて、彼らを直視することができなかった。



「私のことはアレクと呼んでくれ」

 最初に仲良くなったのは、この国の王子であるアレクサンダーだった。長い銀髪の彼は剣技、魔法、召還などあらゆることに精通しているバランス型で、この旅のリーダー的な立ち位置のようだった。最初から俺に対して親切で、何かと気にかけてくれた。馬に乗れない俺は、彼に抱えられるようにして騎乗することが多かった。そして……俺の初キスの相手になったのも彼だった。


 レオンハルトはこの国の公爵家の嫡男で、幼い頃からアレクとは親友同士だったらしい。金髪碧眼のいかにも貴族らしい貴族で、最初のうちは俺もどう接すればいいのかわからなかった。しかし、身分制度のない世界からきた俺の態度が、どういうわけか彼の心に刺さったらしい。気がつけばアレクと一緒になって俺の面倒を見てくれる、優しい兄ちゃんのような立ち位置になっていた。……まあ、本物の兄ちゃんならば抱き合って寝たりはしないんだろうけれど。


 魔法使いセオドリックは知識の鬼だった。俺が語る現代社会の道具や機械の話に一番食いついたのも彼だった。この世界の役に立つものを新たに生み出したいと、時間があれば二人して頭をひねった。やがて、光魔法を使った懐中電灯を作ることに成功した時には、二人して抱き合って喜んだ。六人の中では一番背が低くて圧迫感のない彼に、俺は昔からの友人のような親近感を抱いていた。でも実は着痩せしていただけで、脱いだらちゃんと凄かったんだけど……。


 ビーストテイマーのエミリオは、元々あまり人と話すのが好きではないようだった。しかし、大の犬派だった俺が、彼の親友でもある銀狼と仲良くなったことをきっかけに、徐々に打ち解けた。「人間は嫌いだ。でも……お前は違う」と彼に言わしめた時は、野生の獣を手懐けたような、妙な達成感を覚えたものだ。まさか彼が、夜も野生の本能を剥き出しにするタイプだなんて思わなかったけれど……。


 治癒魔法士のルシアンは、初対面では優しくて、親切で、とても気の利く人だった。でも、一緒に旅をするうちに気付いた。実は、ものすごく面倒くさがりだということに。興味のあること以外はどうでもいいと思っているようで、他人の傷は癒やすくせに自分の体調管理を疎かにしていた。治療師を失うわけにはいかないと思った俺は、現代の知識を使い栄養たっぷりの料理を彼に振る舞った。「男を落とすにはまず胃袋を掴め」という通説は真実だったようで、以来、彼の『興味のあること』リストに俺も含まれるようになった。興味があることに対する彼の探究心はすさまじく、俺について彼が知らないことなどないんじゃないかと思うほど、徹底的に探求し尽くされたものだった。


 暗殺者のダリウス。コイツと付き合うのが一番難しかった。何かとこちらを振り回し、意地悪をしては俺の反応を楽しむような奴だったから。俺は感情的にならないよう、いつも冷静を装っていた。だがある時、とうとう堪えきれなくなった。こみ上げるものを抑えきれず、泣きながら抗議したのだ。すると、彼はそれはそれは恐ろしい笑顔を浮かべて言った。「お前は泣いている顔が一番可愛いな」……と。コイツと夜を過ごした翌朝は、目を真っ赤に腫らした俺を見て、アレクがダリウスを叱り飛ばすのが常だった。



 魔王討伐の旅は、順調だった。

 ワイバーンが空を飛び、オークが村を襲うのを防ぎ、傷を負ったときは魔法で癒やす。そんなテンプレ的世界観に、俺は興奮を抑えきれなかった。もし、独りぼっちでこの世界に放り込まれていたら、恐ろしくてたまらなかっただろう。しかし、今の俺は常に鉄壁の防御で守られている。

「すっげー。VRなんて目じゃねぇな」

 本物の金貨の重みを感じ、かぐわしい花の香りに目を細める。俺はのんきにその行程を楽しんでいた。

 しかし、すぐにそんな余裕はなくなってしまう。

 旅に出る前には誰も聞かされていなかった真実を、賢者の遣いがもたらしてきたからだ。


「魔王を倒すために必要な力。それは『真実の愛』。救世主様の選んだ、たった一人の勇者のみが得られる力です。救世主様に愛された勇者が魔王にとどめを刺すとき、この世界には真なる平和が訪れることでしょう……」


 金色に輝く作り物の鳥が、囀るようにそう囁いた。


『真実の愛』──? その時、俺は確信した。

「あ、ここ多分、BLゲームの中だわ」と。ボーイズラブの世界ならば、俺のような平凡な男が救世主と呼ばれ、こんなとんでもない美形たちと愛を育み、何かとチヤホヤされているこの状況に、納得がいった。

「あーハイハイ。なるほどね。そういうストーリーだったから、こいつらは俺にメロメロになっちゃってたわけね。なるほどなるほど……」

 うんうんと頷いていた俺は気付かなかった。俺を取り囲むように立った六人の視線が、俺の遙か頭上でバチバチと火花を散らしていたことを。


 それからというもの、あちこちであからさまな「俺争奪戦」が繰り広げられた。俺の好きな物をプレゼントしてくれたり、隙あらば甘い言葉で誘惑してきたり。どこをとっても国宝級の美形達が俺に群がる様子は、同性とはいえ悪い気分はしなかった。いや、正直、かなり良かった。

 しかし、俺はここがゲームの世界であることを知っている。彼らが筋書き通りの行動を取っているだけだと気付いてしまっていたので、腹の中は冷静だった。

 BLゲームをプレイしたことはなかったが、ギャルゲーなら何度かある。

「……ってことは、同じようにそれぞれのキャラのルートがあるってことだろうな。じゃ、俺が元の世界に帰れるルートもあるんじゃね……?」

 元の世界に帰れるとしたら、グッドエンディングを迎えたときの可能性が一番高い気がする。

 俺の選択基準は決まった。誰が一番強いとか、好きだとか、上手いかとかではなく。

「誰を選べば、最良のエンディングを迎えられるか」。

 そうなると、自ずと答えはでた。以来、俺は不自然に見えないよう、徐々に徐々に重心を彼に向かって傾けていった。


「アレク……愛してるよ」

 ついに俺がそう告げたとき、彼は信じられない、というように大きく目を見開いた。

「ほん…と? 本当に……?」

 壊れ物のようにそっと触れる彼の指が、ちいさく震えていた。

「ユウスケ……お願いだ。もう一度、言ってくれないか……?」

 銀色の長い睫を震わせて、アレクが泣きそうな声で囁く。プログラムによって定められている反応だとわかっていても、胸が疼いてしまう。俺はこぼれそうになった苦笑をかみ殺して、もう一度呟いた。

「愛してる。アレク」

「ああ……っ」

 感極まったような声を上げて、アレクの体が俺を押しつぶした。たくましい腕で締め上げられて、息が止まりそうだった。

「ユウスケ……ユウスケ……っ信じられない。俺も愛してる。愛してる……愛してる……っ」

 何度も何度も繰り返しながら、体中に口づけを落とされた。慣れてしまった愛撫に心地よさを覚えつつ、俺は頭の中で、

「こんなことをするも、あと何回くらいかな……」

 などと考えていた。

 この国の王子であるアレクが、この世界の主人公の可能性が高い。そう思っての選択だった。






 魔王討伐の旅は終わった。アレクが無事にとどめを刺したのだ。

来た旅路を戻る間も、ずっとアレクは俺を宝物のように扱った。旅の仲間達の目の前でもかまうことなく愛を囁き、抱きしめてくる。悲しげに目をそらす彼らのことなど、まるで見えていないかのようだった。

 俺は焦っていた。魔王を倒したのに、元の世界へ帰る道が開かれなかったからだ。

「エンディングはいつだ……? 城にもどってから? 王様に報告したら、終わりになるのか?」

 無意識に親指の爪を噛んでいた俺の手を、大きな掌が包み込んだ。

「どうしたの、ユウスケ。お腹がすいた?」

 ちゅっと音をたてて俺の手にアレクがキスをする。俺は笑って首を振った。

「なんでもない。ちょっと考え事をしていたんだ」

 どんな絶世の美貌も、今の俺の気分を晴らすことなんて出来なかった。


  



 王城に戻った俺たちを迎えたのは、人々の歓喜の声だった。

連日のように開かれる祝賀パーティに、仲間たちと共に参加した。

 その隙間を縫って、俺はひっそりと賢者の部屋を訪ねた。


「こんな遅くに……救世主様、どうかなさいましたか」

 賢者が驚いたように言う。片時も俺のそばを離れようとしないアレクの目を盗んできたから……、とは言えず、俺は、

「急いで聞きたいことがあったから」

 と答えた。


「俺を、現代に戻してほしい」

 そう告げた俺を、賢者は不思議そうな顔で見つめ返した。

「ゲンダイ……と申しますと?」

「俺が元いた世界だよ。俺を呼び出したんだ。反対に俺を戻すことだってできるんだろ……?」

 俺に肩を掴まれて、賢者は困ったように眉をひそめた。

「しかし……それは……」

「なんでだよ。ちゃんと魔王は倒した。役目は終わったんだから、もう俺を帰してくれてもいいじゃないか!」

「……王子はこのことをご存じなのですか?」

 賢者の問いに、俺は一瞬だけ息を飲んだ。

「そんなの……仕方ないだろ……」

 ぐっと唇を噛みしめる。俺は賢者を睨み付けた。

「……俺の気持ちも考えてくれよ。俺はここに来たくて来たわけじゃない。勝手にお前らに呼び出されたんだ。強制的に! そんで魔王をたおせとか、真実の愛だとか……。そんなの俺の知ったことかっ!」

 一度気持ちを吐き出すと、止めどなくあふれ出した。こみ上げる熱いものが喉を詰まらせる。この世界に来てからずっとこらえていたものが、涙となって次々にこぼれ落ちた。

「なんで俺だったんだよ……もういいだろ……もう十分だろ……っ」

 顔を覆い、子供みたいに声を上げて泣いた。

「……帰りたい……っ……」

 静かな部屋に、俺の嗚咽だけが響いていた。賢者は静かに立ち尽くしたまま、何も言わなかった。







 城に戻ってからというもの、俺は床に伏すことが多くなり、アレクは次第に焦りを隠せなくなっていた。

 体にいいという薬草を近隣国から取り寄せ、国中から名医と名高いものを呼び寄せて俺の容体を診させた。

 万病に効くと聞けば、どんな稀少で高価なものでも構わず買い付け、俺に食べさせようとした。

 治癒魔法士であるルシアンも駆けつけて、手を尽くしてくれたが……すべて無駄だった。

 

「ああっ、ユウスケ……どうすればいい。もしも君を失うようなことがあれば、俺は生きていけない……っ」

 ベッドから起きられなくなった俺の手にアレクが頬をすり寄せて、悲痛な声を上げる。


 帰れないとわかったあの日から、俺は生きる気力を失っていた。

こんなわけのわからないゲームの世界で生きるくらいなら、いっそ死んだ方がマシだと思った。

(死んだら……もしかしたら、元の世界に戻れるかもしれないし……)

 昼となく夜となく、トロトロとまどろむように過ごした。かろうじて水分は取れていたが、限界が来るのは時間の問題だった。


 ある夜のことだ。人の気配に目をあけた俺は、枕元に立つ賢者と目があった。

「ひとつだけ……」

 賢者は静かに口を開いた。

「ひとつだけ、元の世界に戻れる……かもしれない方法が、ございます」

「……っ……!」

 かっと目を見開いた俺をみて、賢者は目を伏せた。

「あの日から、お気持ちに変わりはないようですね……。では、私にお掴まりください。参りましょう」

 その言葉が終わるやいなや、微かな浮遊感を感じた。目を開けると、暗い建物の中の、冷たい床の上にいた。


「ここは、あなた様を初めてお迎えした場所です」

 彼の言葉通り、その場所には見覚えがあった。最初の日、目にしたものと同じ大きな魔方陣が、床に赤い文字で描かれていた。

「反転呪式です。あなた様をお迎えした日のものと、真逆になっています。この方法が成功するかどうかは、わかりません。そして、私の魔力がこの呪術に耐えられるかどうかもまた、わかりません。救世主様、……それでも、お試しになられますか?」

 俺は迷わなかった。こくこくと頷く。

「かしこまりました。……では」

 自分では動けない俺を、賢者は魔方陣の中央に運んでくれた。

「救世主様。……我々の身勝手な願いで、この世界にお呼びだてしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」

 そう言った後、賢者は低い声でなにか呪文のようなものを唱え始めた。声に反応するように、魔方陣が赤く光り始める。やがて賢者が言葉を止める。しかし、魔方陣はくるくると回るような光を放ち続けている。その光がだんだんと強さを増していく……。

「あなた様が我が国の王子と手を取り合い、この国を治めてくださる姿を見とうございました。そのような私の勝手な欲で、あなた様に死を望むほどの苦しみを与えてしまったことを、深くお詫び申し上げます……」

 まばゆい魔方陣の光のせいで、賢者がどんな表情をしているのか、もう見えなかった。

 ふと、「独断で俺を元の世界に戻してしまったら、賢者はどうなるのだろう」という不安が胸をかすめた。でも、俺はその考えから目を逸らした。

どうしても、どうしてもうちに帰りたかったから。

 それに、ここはゲームの世界だ。全ては最初から決められている。だから、……きっと大丈夫。


 光はますます強くなり、とうとう目を開けていられなくなった。ヴゥン…ッとブラウン管テレビが消える時のような音を立てて、世界は闇に沈んだ。





 そして俺は……。

病院のベッドの上で、目を覚ました。


 二十歳の誕生日。あの日、道を歩いていた俺は、飲酒運転の車に轢かれたらしい。そしてそのまま三年もの間、目を覚まさなかったのだ、と。母が泣きながら教えてくれた。  


 ならば、あの世界で体験したことは一体何だったのか。

 昏睡の間に見た、長い夢だったのだろうか……?

 


 その後、長いリハビリ生活を懸命に乗り越えて……

俺は代わり映えのしない、平凡で、つまらない毎日の中へと戻っていった。








 ────そのはずだったのに。





  ◇






「目が覚めた?」


 ぼんやりと天井を見上げる俺の耳に、なつかしい声が聞こえた。

しっとりと耳障りのいい、甘い響き。ああ……誰の声だっけ……。


 数瞬後、我に返った俺は慌てて飛び起きた。


 どこだ。ここは。


 広い部屋の中だった。白い壁にはアールデコ調の模様が施され、部屋の中央に据えられたテーブルやソファは、まるで中世ヨーロッパの骨董品のように豪華だった。赤い天蓋付きの巨大なベッドに、俺は座っていた。

 格子のはめ込まれた窓から、暖かな陽の光が差し込み、ベッドの傍らに立った男の、美しい銀髪を輝かせていた。

 完璧な美しさを体現した男が、穏やかな微笑みを浮かべている。

その顔は、到底忘れたくても忘れられないものだった。

「あ……あ……」

 言葉が出ない。現実世界に現れた彼を見た時の衝撃を思い出すと、体が小刻みに震えだした。冷たくなった俺の頬を、男の指が優しく撫でる。

「どうしたの、ユウスケ。俺の名前……もう忘れちゃった?」

 寂しそうにそうつぶやき、男がゆっくりと体を倒してくる。片膝をベッドに乗せるのをみて、俺は彼とは反対側にずり下がろうとした。


 じゃらっ


 金属がこすれ合う音と共に、右足が何かに引っ張られた。体に掛けられていた布を剥ぐ。俺は思わず目を疑った。

足首には、罪人を繋ぐための鉄輪が嵌められていた。鉄輪から伸びた頑丈な鎖は、ベッドの端の支柱にくくりつけられている。

 ぞわ……っと全身に鳥肌が立った。

 震える指で鉄輪をはずそうとする。だが、太いボルトで留められていて、人間の力でどうにかなるものではなかった。

パニックを起こしたように、がちゃがちゃと乱暴に鎖を引っ張る俺の手を、大きな掌が押さえた。

「ユウスケ。落ち着いて。そんなことをしたら、君の肌が傷ついてしまうよ」

 耳元で、優しく囁かれる。


「ど……どうして……」


 かつて、俺を愛していると切なげに囁いた彼の反応は、プログラミングされていたもののはず。

なのに、どうして。


 どうして、ゲームの中のキャラクターが、現実世界まで追いかけてきたりしたんだ?

 どうして。もうゲームはエンディングを迎えていたはず。なのに……

 どうして……



「どうして? ……ああ。なんでこんなに迎えに行くのが遅くなったのか、ってこと? 長い間、待たせちゃってごめんね、ユウスケ。君のいる世界に渡る方法が、なかなか見つけられなかったんだ」


 どくっ、どくっ、と。不快なほど大きな音をたてて、鼓動が胸を叩いている。


「怒りにまかせて賢者を処刑しちゃったから、余計に時間がかかったんだ。……軽はずみな事をしたって、反省したよ」

「しょ……処刑……?」

 ドクッ。一際大きく、心臓が脈打った。

 魔法陣の中から見た、彼の静かな表情を思い出す。もしかしたら彼は、あの時すでに、自らにどのような罰が下されるのかを、予想していたのかもしれない。そう思った。

「そんな……そんなの……」

 彼はゲームの中のキャラクターだ。けれど、とてもそうは思えないくらい……アレクの一言は、俺の胸を深く抉った。


「君が消えてしまった日からずっと、君に会いたくて、会いたくて……たまらなかったよ」


 顔も、体も、声も、纏う香りも。全てが完璧に美しい男が、ゆっくりと俺の体の上にのしかかってくる。


「俺、頑張ったんだ。ねえ、ユウスケ。褒めてくれる?」


 俺はあまりの恐怖に、息をすることさえ忘れた。


「『一生、俺のそばを離れないで、ずっと愛して』って。ユウスケ、俺にそう言ってたもんね……」


 そんな事、言っただろうか。……言ったのかもしれない。閨ではいつも、適当な睦言を囁いていたから。


 ゲームには必ずエンディングが用意されている。もしくは、リセットボタンを押せば、やり直しがきくはずだった。

なのに……そのどちらも見つからなかった。


「あ、あ……アレク…、や、やめ……」

「また君に会えて、信じられないくらい嬉しいよ、ユウスケ。もう二度と、離さないからね……」


(ここは、ゲームの世界じゃないのか?)

 やり直すことも、逃げ出すこともできないなんて……。

 そんなのまるで、本当に人が生きている世界みたいじゃないか。


(そんな……嘘だ…)


 じゃあ、俺は……。





「愛してるよ。俺の…、ユウスケ」



 彼の声が、やけに遠くから聞こえる気がする。

……それが夢なのか現実なのか。

俺にはもう、何もわからなかった。







【オワリ】



初めて異世界転生モノに挑戦してみました。

エッツィでキュートでポップな話にするつもりが、何故かこうなりました。

よろしくお願いいたします。


※こちらの作品はpixivにも掲載しています。

pixivの執筆応援プロジェクト、お題『再会』で書いたものです。

たくさんの(当社比)方に読んでいただけたようなので……嬉しくて、こちらにも上げさせていただきました^^

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ