私のコレクションを捨てた夫は、煌びやかな世界から捨てられる
「エリネット、お前の集めてた人形どもは、全部業者に頼んで捨ててしまったよ」
夫の言葉に私は愕然とした。
自室の棚に飾ってあった、私の生きがい――人形たちは影も形もなくなっていた。
子供の頃から、私は人形が大好きだった。
両親にねだったり、自分のお小遣いでなんとか買ったり、少しずつ私の人形は増えていった。
どういう人形が好きかと聞かれると、一言で答えるのは難しい。
女の子の可愛らしい人形も好きだし、かっこいい男の子の人形も好きだ。
動物の人形も集めたし、勇猛な騎士の人形も持っている。
種類や値段には一切こだわらず、あえて言うならフィーリングに合った人形を集めているという感じ。
集めた人形たちで自分の世界を作るのが楽しかった。
男女の人形を隣り合わせてデートを演出したり、馬の人形に騎士の人形を乗せてみたり、兵士が竜に立ち向かうような構図を作ったり……。
組み合わせ次第で、人形は無限の世界を生み出してくれる。
こんな私も社交の世界に出る年になり、ついには婚約、結婚した。
夫となった伯爵家令息ディラス・ガローレは、私が自室の片隅に人形をコレクションすることを許してくれ、素敵な結婚生活が待っていると思われた。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
「お前を夜会に連れ回すくらいなら、露店で買ったアクセサリーを身につけた方がマシだな」
「エリネット、私は紅茶の淹れ方も知らぬ女と結婚した覚えはないぞ」
「これだから子爵家程度の出身の女は……」
ある時期からディラスは、露骨に私に辛く当たるようになった。
些細な穴を突いてきたり、言いがかりをつけてきたりする。
その矛先は私の人形たちにも向けられる。
私のコレクションを見るたび、その顔をしかめる。
「いつ見ても何のポリシーも感じられないコレクションだな。これじゃ来客に自慢することもできんよ」
確かに私のコレクションは雑多だ。
しかし、私の人形たちは私が楽しむためのコレクションだ。
誰かに見せつけたり、誇るために集めているのではない。
こう言い返したかったが、私にもコレクションを置くことを許されている負い目があるので、言い返しはしなかった。
子爵家出の私がガローレ夫人であることが、実家のためになる。
そう思って、夫から何をされようと、あるいは夫が何をしていようと、歯を食いしばって耐えてきた。
ところが――全てを捨てられた。
私の人形たちはもうどこにもいない。
可愛らしいロングヘアの少女も、金髪碧眼の青年も、甲冑をまとった騎士も、鱗に覆われた竜も、みんなみんな消えてしまった。
私はどうにかディラスをまっすぐ見据え、尋ねた。
「なぜ、こんなことを……」
「お前のコレクション、前からうっとうしかったんだよ」
ディラスは顎を上げ、私を見下す。
「だいたい恥ずかしくないのか。二十歳を過ぎた女が人形遊びだなんて」
この言葉で、私の中で何かが切れたのが分かった。
「もう……耐えられません」
私は絞り出すように声を出す。
「別れましょう。これ以上、あなたと夫婦は続けられません!」
この一瞬、ディラスの口の端が吊り上がるのが分かった。
が、すぐに真顔に戻る。
「そうか……残念だ。しかし、仕方あるまい。愛という糸が切れてしまった夫婦同士で一緒にいても不幸を生むだけだからな」
何が愛という糸が切れただ。切ったのはあなたじゃない。
そもそもあなたが人形を捨てるという暴挙に出た理由は分かってる。
あなたには私より若い愛人がいて、その子に乗り換えるため、手っ取り早く私と別れたかっただけ。決定的な証拠はないけど分かっている。
いびっても私がなかなか音を上げないから、「コレクションを捨てればさすがに怒るだろ」と思い立ったのだろう。その目論見は見事当たった。
子もいなかったし、私にわずかばかりの慰謝料が支払われることで、離婚は成立した。
調停の場で、ディラスはこう言い放った。
「ああ、そうそう。お前の人形代ぐらいは払ってやるよ」
ディラスは親指と人差し指でコインのジェスチャーをし、得意げに笑む。
私は両目にこみ上げるものをかろうじて抑え込み、
「結構です」
とだけ答えた。
生きがいを失った私には、もう彼とこれ以上戦う気力は残っていなかった。
***
それから数ヶ月、実家であるラルカ家に戻った私は空虚な日々を送っていた。
何をしようとしてもかすかな気力さえ湧き上がらない。
私が愛した人形たちはもうこの世にはいない。その事実が私から活力というものを根こそぎ奪い取った。
肉体から魂が抜けるというのはまさに今の私のことだと思った。私はまだ生きているのに。
家族も私の人形たちへの愛を知っており、安易に「人形を捨てられたぐらいで落ち込むな」「また集めればいいじゃないか」などとは口にしない。
我ながらどう接していいか分からない状態となり、ぼんやりと一日一日を過ごしていた。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
ある日、私は夜会に出ることを決意する。
父や母は「無理しないでいい」と言ってくれたが、これ以上迷惑はかけられない。
私は橙色を宿す茶髪をシニヨンにまとめ、白のシルクのドレスを着て、リハビリのつもりで夜会に出た。
しかし、ここで妙な展開となる。当初会場予定だったお屋敷で何らかのトラブルがあり、夜会に使えなくなってしまった。
急遽、この日の夜会は近くにあった人形館で開かれることとなる。
普段は博物館のような形で開放されている場所だ。
「人形が沢山置いてあるな……」
「なんだか人形に見張られてるみたい」
「もっと他の場所はなかったのかよ……」
大量の人形がある部屋で喋り、飲み食いするというのはあまりに奇妙な状況だ。戸惑っている参加者が殆どだった。
しかし、私にとっては――
(素敵……)
さまざまな種類の人形たちが、まるで私を歓迎しているように思えた。
ディラスに捨てられた人形たちが脳裏に浮かび、思わず涙ぐんでしまう。
どんなに悲惨な目にあっても、やはり私は人形が好きなのだと思い知る。
他の人間が不平不満を漏らす中、私は一人、館内の人形に目を奪われ、わずかに生き返った心地だった。
すると、声をかけられた。
「お好きなんですか? 人形」
振り返ると、耳にかかるほどの艶やかな金髪、マリンブルーの瞳、長身で白いコートを着た青年が立っていた。
外部の人と話すのは久しぶりなので、私は緊張しつつ「ええ」と返す。
一瞬、ディラスのように人形好きのことを貶してくるのではと思い、身が強張った。
「僕もなんですよ」
「え……」
全身が弛緩するのが分かった。
「僕も人形が好きで、この人形館にも一度足を運びたかったんですが、なかなか機会がなくて。ですが、今日はいい機会に恵まれました」
にっこり笑うその顔は、まるで玩具を前にした少年のようだった。
その後、私たちはお互いに名乗るのも忘れて、人形を見て回った。
私はある兵隊の人形に目をつけた。
「この兵隊の人形、よくできていますね。剣の握り方がちゃんと王国剣術のそれです」
「ほう、こういった人形にも興味がおありで?」
女が兵隊の人形に食いついているのが意外なのだろう。
「はい、私、あらゆる種類の人形が好きですから」
「あなたとはますます気が合いそうだ」
どうやらこの人も私と同種の人間らしい。種類を問わず人形を愛するタイプ。
結局、私たちは夜会そっちのけでずっと人形トークを繰り広げていた。
帰り際――
「! そういえば、名乗っていなかった。申し訳ない」
「私もです……」
社交の場であるまじきミスをしていたことに気づき、二人して恐縮してしまう。
「僕はレクトール・ヴィンセンと申します」
私は驚いた。ヴィンセン家といえば、王家とも関わりの深い名門、公爵の家系だ。
そんな人と私はずっとおしゃべりしてしまっていた。
もし今日の夜会が人形館で行われていなければ、私はこの人に近づくわずかなチャンスすらなかっただろう。
「私はエリネット・ラルカです。こん……」
今後ともよろしくお願いします、と言おうとしてためらった。
私とレクトール様ではあまりにも釣り合っていない。身の程をわきまえない過ぎた言葉だと思ったからだ。
すると、レクトール様は私の右手を取った。
「今後ともよろしく。エリネット」
「……はい」
ディラス相手では決して味わえなかった“うっとり”という気分を味わう。
かくして離婚歴のある子爵家の私が、公爵家の嫡子であるレクトール様と知り合うことができた。
もちろん私は一度離婚したことを打ち明けたのだが、「よくあることですよ」と流してくれた。
それから私たちは数回デートを重ねた。
といっても人形を趣味とする者同士、カフェで人形トークをし、人形専門店を回り、人形職人の工房に足を運び……と人形尽くしのデートになってしまったのだけど。
私、こんなに幸せでいいのだろうかと思うほどに楽しかったことは言うまでもない。
***
光栄にもレクトール様の邸宅に招かれることになった。
レクトール様はすでに親元から独立しており、ヴィンセン家領地の一部を任され領主として辣腕を振るっている。
さて、そんな彼の邸宅は予想通りというか期待通り、人形の宝庫だった。
古今東西、あらゆる種類の人形が集まっている。
とはいえ、集めるのはあくまで彼とフィーリングが合ったものだけ。あれもこれも、むやみに集めるような下品なことはしていない。人形集めはあくまで趣味なので、使用人に管理を手伝わせるのは主義に反するとおっしゃっているし、数多く集めるほど管理が雑になってしまうことをよく分かっている。
しかしそれでも、数も質も十分充実したものであり、私は初めて見る人形の数々に目を輝かせた。
すると、レクトール様がやけに神妙な表情で切り出す。
「君にぜひ見てもらいたいものがある」
「え?」
「もしかすると、君を驚かせてしまうかもしれないが……」
今までのコレクションですでにだいぶ驚いているけど、どういうことだろう。
私はレクトール様に連れられ、さらに奥の部屋に入る。
そこで私は信じられない光景を見た。
「やはり、ね……」
驚愕している私を見て、レクトール様がつぶやく。
部屋の中には、捨てられたはずの、かつての私のコレクションがあった。
なぜ? どうして? ここに?
疑問符が溢れて、私の頭の中はパニックに陥る。
「順を追って説明しよう」
レクトール様が目を細める。
「しばらく前のことだった。僕も懇意にしている廃品回収業者が、荷馬車でこのコレクションを持ってきたんだ」
おそらく、ディラスが私のコレクションの処分を依頼したのもその男だろう。
『旦那は人形を趣味にしていらっしゃるから、つい持ってきちゃいましたよ』
『これは……!』
「僕は驚いたよ。これほど持ち主の愛情を感じられる人形たちは初めてだったから。誰か知らぬ相手に“負けた”と本気で思ったよ。そして僕はその業者から、人形たちを言い値で買った」
「……」
「だが、それは僕のコレクションにするためじゃない。これほどのコレクションを意味なく捨てる人間がいるとは思えない。だから僕が買って、こうして置いておけば、いつか持ち主に会える時が来る……そう思ったんだ」
私の人形たちを買ったのは、収集欲を満たすためではなく、どこの誰かも分からないコレクターを想ってのことだった。
まったく、なんていう人だろう。こんな感想しか出てこない。
そして、あの人形館でレクトール様は私と出会う。
交際を重ねるうち、だんだんと買い取ったコレクションの持ち主は私ではないか、と思い始め――
「やはり……君だった」
「レクトール様……」
私が顔を向けると、レクトール様はうなずく。
それが合図となり、私は人形たちの元に走った。
「みんな……会いたかった!」
数ヶ月ぶりの再会、しかも一度は捨てられた人形たち。なのに、汚れはなかった。
レクトール様が丁寧に保管していてくれたおかげだろう。
本当にありがとう、レクトール様……。
私は涙を流した。それは久しぶりに流す嬉し涙だった。
***
それからおよそ一ヶ月後、レクトール様は大々的にパーティーを開いた。
自身の人形コレクションを披露したいという名目である。
レクトール様のコレクションは私以外の者から見ても素晴らしく、展示された人形たちに、訪れた貴族らは感嘆の息を漏らす。
「これはどこの人形ですか?」
「アルーサ王国で百年以上前に作られたものでして」
「どんな基準で集めておられるんですか?」
「自分が気に入った人形、という感じですね」
「レクトール様にとって人形とは?」
「人生に彩りを与えてくれる、大切な友人たちですよ」
質問にも淀みなく答えていく。
私はレクトール様の後を、顔にヴェールを纏い、白いドレス姿で従者のような形で付き添った。
時には客にお茶を振る舞うこともした。
そして、レクトール様はある一人の参加者に近づいていく。
私が一瞬尻込みすると、レクトール様は優しく私の左手を握ってくれた。
そこには――
「これはレクトール様、このたびはご招待下さり光栄です」
元夫ディラスがいた。おそらく彼にとっての一張羅であろう上等なスーツを着ている。
そう、彼こそが私たちの“主賓”である。
ディラスとレクトール様は初対面だが、自分を売り込むため、ここぞとばかりにディラスはよく回る舌をフル稼働させる。
「コレクションの数々、拝見いたしました。どれも大変素晴らしいものでした」
「そうおっしゃって頂けて光栄ですよ」
「人形というのは芸術作品ですな。見ているだけで職人の魂が、人形に秘められた歴史が、伝わってくるようです。私は人形を尊敬します。それがどんな人形であろうと」
心にもないことを言うディラスに、私のはらわたは煮えくり返るようだった。
おそらくレクトール様も同じ気持ちだろう。
しばらくディラスに好きに喋らせた後、こう切り出す。
「よろしければ、とっておきのコレクションをご覧になりませんか?」
「とっておき!? ……ぜひ!」
ディラスの目が爛々とした光を帯びる。
ここで気に入られれば公爵家と繋がりができる、立身出世に繋がるなど、軽快に算盤を弾いているのだろう。
しかし、その顔はまもなく青ざめることになる。
レクトール様が見せる、とっておきのコレクションというのは――
「あの人形たちです」
「……え!?」
ディラスの顔色が変わった。
さすがに覚えていたようね。
そこにあるのは、彼が捨てたはずの私のコレクションだった。
捨てられた当時の姿のままで残っている。棚まで完全再現してね。
この男からすれば、華麗に葬り去った者たちがあの世から蘇ってきたような感覚だろうか。実際には葬られる前に救われていたわけだけど。
「いかがです?」
「あ、いや……大変結構な人形たちで……」
ディラスの声が震えている。
さすがにこの状況を偶然と思うほど呆けてはないみたい。
「しかし、あなたはそんな結構な人形たちを一度捨てたそうだね。それも持ち主に無断で」
「……!」
いきなりの核心を突く言葉に、ディラスが大きく目を見開く。
「さて、ここで僕の婚約者を紹介しておこう」
「こ、婚約者……!?」
「さ、ヴェールを外すよ」
レクトール様が私の顔に覆いかぶさるヴェールを外した。
ディラスは私を見て驚愕し、私はにっこりと微笑む。
多分、これが一番ダメージになるだろうと思ったからだ。
「エ、エ、エ、エリネット……!」
レクトール様が周囲を見回す。
首尾よく注目が集まっている。
「エリネット、君のコレクションを全て捨てたのはディラス殿だね?」
「ええ、ここにいる元夫ディラスです」
周囲がざわつく。
「お前、何を言って――」
「彼は私の人形を勝手に全て捨てて、二十を過ぎた女が人形遊びなんて恥ずかしくないのかとまで言ったんです」
そのまま私はディラスからされた仕打ちを赤裸々に語った。
人形を披露するパーティーで、人形を粗末にした輩を糾弾する。これほど相応しい場もないだろう。
レクトール様が睨みを利かせているおかげで、ディラスは何も言い返せない。
もっともあの絶望的な顔を見て、私がデタラメを言っていると思う人はいないだろうけど。
私が全てを吐き出した頃には、ディラスは立っているのも精一杯という有様になっていた。膝が震えるを通り越して笑っている。
だけど、この断罪はまだ終わらない。
「ディラス殿、あなたがこんな仕打ちをしたのにも理由があるそうだね」
「へ……」
「どうしてもエリネットと別れたい理由があったとか……」
ディラスの顔がますます白くなる。
探偵小説における、事件の真相を暴かれる犯人のようだ。
「我がヴィンセン家には当主直属の優れた情報部隊がいる。滅多なことでは動かせないが、この件を伝えたら父は動員を許可してくれたよ。婚約者エリネットの名誉のためにも、あなたがなぜそのようなことをしたのかきっちり調べ上げ、必要とあらば公表させてもらう。むろん、“相手”がいるならその相手も無事には済むまい」
ディラスはついに立っていられなくなり、その場に膝から崩れ落ちて、虚空を見上げうめき声を上げた。
その姿はさながら糸が切れたマリオネットのようだった。
レクトール様は周囲に一礼する。私もカーテシーで続く。
参加者たちは私たちに拍手を送ってくれた。
あなた方の勝利だ、と言わんばかりのあたたかで柔らかで熱烈な拍手であった。
その後、レクトール様は本当にディラスの経歴にメスを入れた。
調査の結果、不倫が明らかになり、そのことが由来して私と別れようと画策したことも分かった。
私は正式に抗議をし、遡及する形でガローレ家から取れるだけの慰謝料を取った。
人形を捨てられた時のあの絶望を思うと、手心を加える気にはなれなかった。
なぜならあの時、私は本当に死んだのだから。自分を殺した相手に、手心を加える人間などいないだろう。
愛人だった女にも容赦はしなかったことを付け加えておく。
そして、ディラスは不貞の罪で断種の後、家族から義絶されたという。
私のコレクションを捨てた報いは、自らが貴族社会から捨てられるという形で返ってきたことになる。
さよなら、ディラス。煌びやかな世界から永遠に――
***
それから私はレクトール様と結婚した。
邸宅の一角に、今でも私の人形たちは飾られている。
「君のコレクションを見ていると、僕もこの一員に加わりたいと思ってしまうよ」
「レクトール様ったら……」
時にはレクトール様と人形について語り、時には遊ぶ。
本当に幸せなひと時だ。
やがて、私はレクトール様の子を宿した。
この子が人形に興味を持つかは分からない。
人形を好きになるように無理強いはしたくないし、その点に関してはレクトール様も同じ意見だった。
だけど――人形たちのいいお友達になってくれたら嬉しいな。
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。