第3話
風裂祭まで、あと一週間。
スカイタウンから届いた公式の告知書が、村の広場に掲示された日から、トレインの日常は少しずつ、色を変え始めた。
朝の風の匂いが、どこかよそよそしい。
夕暮れの雲が、見知らぬ形をしている。
それだけで、胸の奥がそわそわと波立った。
期待。
不安。
高揚。
怯え。
どれがどれだかわからない感情が、トレインの胸を、日ごとに強く締めつけた。
そんなある日、訓練を終えて帰る途中の草原で、トレインは彼女を見つけた。
リリム・クローバー。
アストリアの風見師の家に生まれた、幼馴染だ。
風を読むことにかけては、村で一番の天才と称されていた。
彼女は、草の上に寝転び、腕を組んで空を見上げていた。
風に揺れる赤茶の髪。
膝に置かれた古ぼけた風見盤が、かすかな風にカラカラと音を立てて回っている。
「……サボりか?」
トレインが声をかけると、リリムは面倒くさそうに顔だけこちらに向けた。
「違うよ。訓練だもん、これでも。
風を聞くには、まず寝っ転がらないと」
「どんな理屈だよ……」
苦笑しながら隣に腰を下ろすと、リリムは目を細めて、空を指差した。
「今日の風は、北西から来てる。山の匂いを運んできてる。たぶん、三日後には雨だよ」
トレインは、風を吸い込んだ。
たしかに、ほんの微かに、湿った土と木々の匂いが混じっている気がする。
リリムは小さく笑った。
「ねえ、トレイン。風裂祭は楽しみ?」
問いかけられて、トレインは言葉に詰まった。
楽しみか?
もちろん、そうだ。
でも、胸の奥で、何かが小さく震えている。
それが怖いのか、嬉しいのか、自分でもよくわからない。
「……まだ、わかんねぇ」
そう答えると、リリムはふわっと笑った。
「それでいいんじゃない?風は、先に全部を教えてくれたりしないから」
風は、行き先も、答えも、すべて後からしかわからない。
だから、人は空に手を伸ばす。
そう言いたげな顔で、リリムはまた空を仰いだ。
しばらく無言で並んで座ったあと、トレインは立ち上がった。
腰の短剣を軽く握り直し、何度も使い古した訓練弓を肩に担ぐ。
「…まぁ、もう少しトレーニングするよ」
「うん、行っといで」
リリムは手を振った。
風見盤が、かすかにきらめいた。
丘を駆け上がり、トレインは村の外れへ向かった。
柔らかい風の流れを感じながら、足を止めず、呼吸を整える。
弓を抜き、狙う。
短剣を振るい、風に溶け込む。
目を閉じ、耳を澄ます。
——風裂祭はもうすぐだ。
遠い空の彼方に、自分を待つ世界がある。
その一歩を踏み出すために、彼は今日も風と向き合う。
小さな村の小さな少年が、
誰にも知られぬまま、世界を変える風に手を伸ばし始めていた。