スキャンダルに巻き込まれたスーパー店長と名門政治家一家のDK
バックヤードへと続くのは銀色のスウィングドアで、当然鍵はかけられない。
閉店後の店内で瀬戸店長が一人シメ作業を行っていたところに無言で荒っぽく入り込んできたのは、制服姿の男子高校生だった。
紺のチェック柄のスラックスと水色のシャツ、校章が金糸で刺繍された青のネクタイ。
この近郊では一番偏差値が高くて、そして学費も高いエリート私立高校のそれは一種のステータスシンボルだ。
しかし夜の10時も回ろうかという時間まで脱げないでいる彼に、瀬戸はエリートなりの苦労を思って同情した。
「おかえり、陸君」
同じく校章入りの学生バッグをどさりと床に投げ出して、爽やかで垢抜けたセットの髪をガシガシとかき回している陸に瀬戸は声をかけた。
中村陸は、このスーパーがある地域を選挙区とする国会議員の次男である。
中村家は絵に描いたようなエリート一家で、曽祖父の代から国会議員を輩出しており父親は東大卒の官僚から国会議員へと転進した。
3年前から副大臣を務めていて、閣僚の仲間入りは目前だと目されている。もちろんその次の世代にも、周囲は同じレベルを求める。
当然のように。
「腹減った」
「それチンして食ってて」
勝手知ったる様子でバックヤード内の従業員休憩室の椅子に身を預け脱力している陸に、テーブルの上にのっている惣菜を指差す。
無言でもそもそと動き出した陸が、いくつも並んだ今夜12時までの期限シールが付いた惣菜から唐揚と肉団子中華あんを選んでレンジへ向かうのを「この時間からそれを食えるって若さだな」と瀬戸は思った。
***
「こんな時間まで塾とは、お坊ちゃんも大変だな」
在庫チェック端末を操作しながら、瀬戸はチラリと陸へ視線を投げた。
ネクタイは緩められ、第二ボタンまでシャツを開けて気だるそうに遅い夕食をとっていた陸が、割り箸をそっとテーブルに戻す。
「スペアじゃなくなったからな。最悪だよせっかく2番目に生まれたのに」
「そりゃあ、悪かったな」
「ホント、愛美のせいで俺の人生設計が狂った」
彼がいうように、陸は中村家で2番目に生まれた子供だ。その上に、5歳年上の兄がいる。
当初跡継ぎとして期待され教育を受けていたのは、もちろん兄だった。そりゃそうだろう。
正式な妻から生まれた健康な長男で、資格は申し分なかった。
高校受験に失敗して、落ちこぼれるまでは。
「俺のせいじゃない。お前の兄貴が万引きなんてするからだろ」
高校受験に失敗し、破れかぶれになった長男は瀬戸が店長をしているスーパーで万引きをした。
場当たり的に行った雑な犯行はすぐGメンに見つかって、いま陸と愛美がいるこのバックヤードに連行された。
「俺は悪いことした奴を捕まえただけ」
2年近く前のあの日を思い出し、瀬戸はクックと小さく思い出し笑いを零した。
あの日、Gメンに腕をつかまれてやってきた長男は顔面蒼白で、万引きした品が入ったトートバッグの肩ひもをぎゅっと握ったまま硬直していた。
Gメンを返し、二人だけになった空間で瀬戸は長男を椅子に座らせてゆっくりとトートバッグの中を開かせた。
未清算のボールペンと、小さなチョコレート菓子をぶるぶる震えながらテーブルの上に出したとき、彼は自分の将来がどうなるかもう分かっていたのだろう。
「儲けたくせに」
「商売上手なんだよね俺」
「言ってろ」
万引き犯の素性は「中村先生のところの・・・」とヒソヒソ話でパートのおばちゃんが教えてくれた。
中村家はこの辺りでは有名なのだから当然である。
地元でこんなことをするなんて親に対する反抗だろうと思ったのだが、いざ対面するとガクガク震えていて、腹をくくった犯行でもなんでもなかったことを瀬戸は察した。
初犯だったので警察には通報せず、まず家族に引取りを依頼したのだが長男が連絡を取ったのは陸だった。
「あんときのうちの空気地獄だったからな」
「うーん、ごめんね?」
「800万くらい払ったろ」
「毎度ありがとうございました~」
「ふざけんな」
兄からスーパーへ呼び出された陸は凍てついた目で実兄を一瞥し、結局父親の秘書へと連絡を入れた。
未成年では身元引受人になれないのだから仕方ない。
長男だってそんなことは承知だったが、大人に電話する勇気が出なかった。
そのせいで自分の不始末の尻ぬぐいを弟にさせる恥の上塗りをしたことに、彼はその後気付いたのだろうか。
二人の父親、中村議員は当時副大臣になったばかりだった。
地元選挙区の大手スーパーで息子が万引きして捕まっただなんて、悪夢以外の何物でもない。
穏便に済まして欲しいと強く頼まれ、内々のうちに瀬戸は大人の対応をした。
「だって俺も大変だったんだもん」
シメ作業が終わり、瀬戸は移動して陸のそばにあるパソコンのシャットダウン作業をはじめる。
惣菜を胃に収めた陸は、すぐ横でパソコンのブルーライトに照らされている瀬戸の横顔を眺めていた。
34歳の若さで大手チェーンのスーパーを取り仕切っているのだから、瀬戸は優秀な人間の部類に入るだろう。
名の通った大学を出ていて、同世代では年収も多い。現場をもう数年経験したら本部勤務になる出世コースだ。
順風満帆な人生を送っているように見える瀬戸が、まさか数年前まで巨額の借金に負われて毎日呪詛を吐きながら生きていたとは誰も思うまい。
「借金作るだけつくってアル中で死んだクソ親父だろ?」
「お行儀悪いよ陸君、いいとこの子デショ」
「どこの家もうまくいかねえな」
「うちも陸のところもとりわけ特殊だよ。普通はもっと、普通」
中村家の醜聞を知った瀬戸はそのチャンスを無駄にしなかった。
瀬戸の人生を台無しにしてきた父親の不の遺産を、息子の不祥事をもみ消すために金持ちの父親が払ってくれるだなんて世の中は皮肉だ。
軽快な電子音が鳴ったのを合図に、瀬戸はパソコンの前から立ち上がった。
もうやるべき作業は残っていない。
鍵を手のひらで転がしながら通用口へ向かった瀬戸を、陸もパックを捨てて追いかけた。
「じゃあね、おやすみ、っ、んッ!?」
店を出て駐車場も突っ切り、通りにさしかかったところで二手に別れようとした瀬戸だったが陸に急に胸倉をつかんで引き寄せられた。
体勢を崩した瀬戸がぶつかったせいで、シャン!と敷地沿いの白いフェンスが音を立てる。
「ん、ぅぐ、っ・・・ふ、っ、」
高級住宅地の一角という立地のせいか、この時間帯に人気はない。
少し離れた大通りから時折車の走行音がこだまするだけの静かな夜道に、瀬戸のくぐもった声が響く。
襟を掴んで噛み付くように唇を重ねてくる陸に押されて、フェンスに押し付けられる。
んちゅ、ぢゅぅ、と濁音がつく水音が二人の唇の間からもれて、どちらも飲み込めなかった唾液が口の周りを冷たくする。
中腰の体勢がきつくて膝をついた瀬戸だが、相変わらず陸が放さないものだからその唾液を嚥下させられる形になってしまう。
不利なポジションになったなと内心ですこし焦る。
「んん゛っ、り、っく、!」
ペースも気遣いもない口づけに息苦しくなって、瀬戸が陸の肩を押して離れようとするがその抵抗が面白くなかったのか陸の舌による蹂躙は緩むことがない。
ばかりかよりしつこく、激しく、そしていやらしいことに的確さを増した。
「ふぁ、ん、ッは・・・、いき、っ、息させ、っ」
酸欠で目の前がクラクラしはじめてこれは本格的にやばいと思った頃、ようやく解放された瀬戸はあわてて息を大きく吸い込んだ。
「俺を拒まないでよ」
ポツリと呟いた陸の瞳はその苛烈な行動と発せられる怒気に近いオーラとは裏腹にひどく頼りなく揺れていた。
消えてなくなってしまう寸前の蜃気楼のようだなと、見たこともない景色が瀬戸の脳裏に思い浮かんだ。
すぐそばにある陸の肘をつかんで、体勢を立て直すと、瀬戸はまじまじと目の前の青年を見た。
幼少期の栄養が悪いせいかいまも細身な瀬戸と違って、陸は骨格も立派で体はすっかり大人だ。
しかしその大きくみえる背中でも、背負えるものはまだそう多くはない。
背負いきれなくなって、ボールペンに心を刺しつぶされ溶けたチョコレートのように本来の形を失って消えた兄。
その身代わりとなってしまった男の子。
「もちろん」
砂が付いてしまったひざをパンパンと払い仕切りなおすと、瀬戸は目の前に垂れていた青いネクタイを無造作に引っ張った。
今度はバランスを崩した陸が慌てて手をついて、ガシャン、とまたフェンスが音をたてた。
「責任はとるさ」
目の前にある、先ほどまでひとつに重なっていた唇に瀬戸のそれが重なる。
表面だけを触れ合わせる、慈しむようなしっとりとしたキスを、二人は目もつむらないで交わした。
○瀬戸 愛美セト マナミ 34才スーパー店長
○中村 陸ナカムラ リク18才DK