7・懐かれる、って?
「陛下、こちらの書類に目を通してください」
「はぁい」
私はすぐに机に向かう。代々の魔王が引き継いできた執務室には、元の大きさが想像も出来ないようなブラックオニキス(的な石)から彫りぬいた、大きな机がでんと据えられている。私どころか、ガルグィード将軍の大きな身体でも横になれそうなサイズだ。椅子もそれに合わせた重厚な肘掛け椅子なんだけど、残念ながら幼児の私には、よじ登るだけでも一苦労だ。
「陛下、今日はこのゴロンがお乗せいたしましょう!」
「さあこのガランの足を踏んで、お座りください!」
ガランとゴロンが駆け寄って来て子供のように椅子に座らせられ、私は何度目かのため息をついた。
「二人とも、そこまでしなくていいから」
「何を仰いますか! 陛下がご苦労なさっている姿など見ていられません!」
うーん、やっぱり術かけすぎたかな? ちょっと首をかしげながら、私は横から白々しい目で見ているフィブリスに言った。
「なんか適当な足台かなんか、用意して。あとシャリムに、少し厚めのクッションも頼んで」
「……かしこまりました」
「……うう、陛下ぁ……」
残念そうな二人は無視して、私は書類に目を通す。ところどころフィブリスに説明をしてもらい、内容を理解した。
「うん、いいんじゃない?」
「よろしいですか。―――では、ここにご署名を」
「はーい」
ペンに魔力を通し、「ミミィ」と記すと、書の上で小さな光が弾け、複雑な紋章が浮かび上がった。こちらに転生したからにはこちらの文字ももちろん知っているけれど、王の紋章はまったく違う仕組みのようだ。これを見るのが楽しくて、実は書類仕事は割と好きだったりする。
私が魔王に即位して、今日で十二日目。
即位の儀の騒ぎの始末もつき、モドンは今も謹慎中だ。さぞ悔しがってご自慢の牙をぎりぎり言わせているだろうけど、そんなことどうでもいい。あの鬱陶しい脳筋が吼えないだけで、魔王城内はかなり静かだ。
とくに大きな予定がない限り、午前はこうして書類仕事を片付け、午後は会議や謁見にあてられる。その予定もないときはお勉強だ。なにしろこちらではまだ子供に等しい年齢だし、知っておくことはいくらでもある。間にシャリムが用意してくれるおやつを楽しみに会議や勉強をこなすと、だいたい一日が終わる。
先代のダンギュバルム様は酒豪でも知られていて、夜は宴会が開かれることも多かった。でも私は別にお酒なんて欲しくないし、だいたい私と飲みたい奴などいないだろう。まあお子様はお子様らしく、他の皆よりは早く眠りにつくようにしていた。
こんな感じで、私の魔王としての生活リズムがようやく出来てきたところだ。
「それにしても、思ったより残ったね。もっと辞めちゃうかと思った」
サインした書類を書記官に渡したフィブリスが、振り向いて頷いた。
「ええ、そうですね。まあ、未だ様子見もいるとは思いますが」
「うん」
今の書類は、魔王が代替わりしての新体制の人事に関するものだ。前にフィブリスに尋ねられた時に、私は「基本現状維持、辞めたいものは止めない」という方針で答えた。私には先代のような子飼いの部下がいないからなんだけど、いやいや働いてもらうこともない。モドンみたいに、あからさまに敵意を向けられるのもごめんだし。
さっきの書類によると、自分から辞めたのは一割にも満たない。私は三分の二も残ればと思っていたので、ちょっと意外だった。
「ですが陛下、貴女が本当に試されるのはこれからですよ」
「試される?」
「そうです」
フィブリスはちょっと表情を改めた。
「先代ダンギュバルム様の時代に、この近辺の紛争の種は一掃されました。貴方が勉強の合間に、あんな甘ったるいものを食べてのんびりしていられるのは、そのおかげです。これが戦乱真っ盛りであれば、貴女は今頃城の前で、閲兵でもすべきところでしょう」
―――それは確かだ。ダンギュバルム様の在位の半分以上……とくに前半は、戦乱につぐ戦乱だったと聞いている。でも反対勢力をことごとく打ち倒したおかげで、今はこの国に逆らうものは誰もいない。
「それに、ダンギュバルム様は良くも悪くも実力主義でしたから。たとえどんなに親しくとも、能力もないものを役につけたりは決してなさいませんでした。もしそうでなかったら、貴女の考えたとおりに現状維持で進めても、こうはいかなかったでしょうねえ」
「なるほど……だからか」
王が変われど、仕事に誇りを持ってちゃんと真面目に働ける。そういう人材を集めておいてくれた……ということか。
「このまま平穏な日々が続く限りは、それほど問題はないでしょう。ですが、代替わりしたことはすぐに広まります。中身はどうあれ、子供のような王だということも」
「中身は……って」
ささやかに不満を示したけど、フィブリスは知らんぷりだ。
「それに、城内の不満分子がこのまま大人しくしているとは限りません」
「……それは、分かってる」
「大変けっこう」
フィブリスが頷くと、サラサラの銀の髪が揺れた。
「今後、大なり小なり内紛が起こる可能性は高いでしょう。そしてそれを如何に捌くかで、貴女の評価が決まります」
「評価」
「さようです。その評価次第で、我が国の命運も変わってくるでしょう」
―――うーん、お城の外のことまでは、さすがに考えてなかったなあ。……ていうか、人間の国と魔物の国、くらいしか考えてなかったけど、ここ以外にもそういう国がいっぱいあるってこと……? これは、知っとかないとまずいやつかも。
「フィブリス、他の勢力について教えて」
さすがに知らないでは済まされない。ざっと説明だけでもと思ったら、フィブリスが部下に言いつけて、分厚い本を何冊も運び込ませた。
「うそ、そんなに必要……?」
「せっかくやる気を出されたのです。頑張ってください」
涙目になった私をよそに、フィブリスは腕まくりせんばかりに微笑んでいる。
「ううう、フィブリスってドS!?」
「どえす、とは何です? さあさあ、余計なことを言っている場合ではありませんよ……!」
「やだあ、こんなに……!」
―――あああ、もう絶対に、フィブリスの前でやる気は見せない!
何日かかけて、フィブリスの持ち込んだ大量の本を半分くらい消化したある日。私の執務室を訪れた者があった。生真面目そうなリス獣人……といった風貌で、名前はキクル。お城の宝物庫の管理をしているという。
「陛下、王笏がなにやらおかしいのです」
「王笏が……?」
選定の儀、即位の儀で大きな役割を果たした王笏は、儀式や謁見へ出ない日は宝物庫で保管することになっている。箱にはさまざまな魔法が施され、貴重品はたとえ管理の担当者でも、一人では開けられない仕組みだ。
「その箱から、時折ちかちかと光が洩れるのです。私は先代からずっと同じ務めをしておりますが、こんなことは初めてで……」
最近の私はここで勉強をさせられているほうが多かった。だから王笏を最後に出したのは、もう一週間前のことになる。詳しく確認すると、キクルが初めて光を見たのはもう三日前になるらしい。
「どうする、フィブリス? 一度確認したほうがいいんじゃない?」
フィブリスも頷き、宝物庫に行ってみることにした。
ガランとゴロンには宝物庫の扉の前で番をしてもらい、キクルの案内で奥へ進む。魔法でがんじがらめになった宝物庫には、鍵やら手順やら様々の決まりがある。でも王の私がいれば、その辺はかなり省略されるとフィブリスが言った。それでもここで呪文、こっちに手を置いて……と、充分めんどくさいけど。
「こちらです」
奥まった一画に、小さな扉があった。私が手をかけると、その扉はなんなく開く。
キクルによると、そこは主に王が身につける貴重な宝飾品や、儀式で使われる品が置かれる場所。手のひらに乗るほどの小さな木箱から、ゲームに出てきそうな大きな宝箱まで、大小さまざまな入れ物が置かれていた。
「あれでございます」
キクルが言うまでもなく、私にも分かった。台の上の細長い箱の隙間から、眩しい光が洩れてきたからだ。
「これは……! 陛下、いつもよりさらに光が強いようです」
「……おそらく、陛下が来たからでしょう。キクル、箱をこちらへ」
部屋の中央に、小さなテーブルがある。キクルが恭しく箱を捧げ持つ間に、光はますます明るさを増してきたみたい。
「……開けてよろしいですか」
フィブリスが頷いたので、キクルが何やら呪文を唱えた。すると箱の蓋がゆっくりと浮かび上がって、小部屋が眩しい光に満たされた……次の瞬間。
「きゃうっ!?」
突然胸元にドンと衝撃が走り、私は勢いあまって尻もちをついた。
説明なんて、無くても分かる。あの儀式のときと同じだ。箱を飛び出した王笏が、私に飛びついてきたのだ。そしてまたしてもチカチカキラキラと煌めきながら、私に宝玉を擦りつけている。
「ちょ……、フィブリス。これ、いったいどういうことなの?」
「さあ、ダンギュバルム様の代にはこんなことは一度も……」
さすがのフィブリスも首をかしげている。
王笏はしばらく目まぐるしく輝きながら私にくっついていたけれど、しばらくすると少しずつ光が治まってきた。
「……いったい、どういうことなのでしょう?」
「とりあえず、箱に収めてみますか」
頷いた私が王笏を手に取って立ち上がると、いっとき静かだった王笏が、また勝手に動き出した。
「ちょっと……!」
そして箱から逃げるようにくるりと私の後ろに回り込んで、ローブのフードの中に潜ってしまった。
「え、なんで?」
「失礼、陛下」
フィブリスが手を伸ばしたけど、王笏は右に左にぶんぶんと揺れて、その手から逃れてしまう。その勢いに振り回されてよろけた私は、テーブルに肩をぶつけてしまった。
「いったぁ!」
「うぉぉ、陛下っ、今の悲鳴は!?」
「ご無事でっ!? まさかお怪我を!?」
物音を聞き付けたガランとゴロンまで踏み込んできた。二人の勢いに恐れをなしたキクルは、棚の下に潜り込んで尻尾で体を覆ってしまうし、王笏は未だにフードごと私を振り回し、あのフィブリスが慌てた様子で私のローブを押さえている。
なんなの、これ? ちょっとしたカオスだ。
「ああもう、静かにしなさーい!」
思わず叫んだ瞬間、宝物庫がしんと静かになった。
私の命令には絶対服従のガランとゴロンはもちろん、あんなに暴れていた王笏までもが、ぴたりと動きを止めている。
全員が注視するなかで、王笏がゆっくりと浮かび上がった。するすると移動して、私の手の中に滑り込む。
「……どういうこと?」
「あっ」
キクルが何か思い出したように部屋を出てゆき、すぐに古い書き付けを綴じ合わせたものを抱えて戻ってきた。
「陛下、宰相殿。これは私と同じ宝物庫係の、古い業務日誌です。確かここに……」
そう言って探し出した頁を開いて指さす。
「これ、これです。『時として王笏は、常に王の傍にあることを望む』。私には、これまでこの意味が分からなかった。ですが、もしかしたら……今回のことは」
「私の傍にいたいって?」
私がそう言った途端、手の中の王笏が煌めいた。正確には、先端に飾られている、握りこぶしほどもある水晶が、だ。
「どうやらそのようですね。しかし王笏に懐かれるとは、まったく異例ずくめと言うか……」
フィブリスがため息混じりに言うと、キクルも頷いた。
「失礼ながら、よほど魔力の相性が宜しいのだと思います」
「魔力ですか、なるほど」
「それはいいけど。これ、どうしたらいいの?」
手の中で水晶を虹色に煌めかせ、風に吹かれたチューリップみたいにゆれている―――王笏が。なんと言うか、嬉しそうに見えなくもない。
その日から、王笏は私の部屋に置かれるようになった。
そしてこれが、思わぬ役に立つことになる。