6・大人か子供か?
「ぐぐぐぐぐぐ……」
ガランとゴロンに引き据えられて、モドンはさっきから真っ赤になって唸っている。その横にはガルグィード将軍が、剣に手をかけて仁王立ちになっていた。一見変わりない表情だけど、よく見ると額に青筋が浮いていてちょっと怖い。その後ろに、参謀長のベレスパードと筆頭魔道士のイルウィンが、なぜかいる。この二人、城内顔パスなんだろうか。後でフィブリスに聞いてみなくちゃ。
即位の儀は、私が王笏の光を掲げたことで無事成立した。最後はかなりぐだぐだになったけれど、フィブリスと将軍が強引に終了を宣言し、フィブリスが私を、将軍がモドンを連れてそそくさと広間を出た。広間はその後もざわついていたけど、気にしている場合ではない。
モドンにかけた魅了の術は、この部屋へ入った時には解けていた。ごくごく軽く術をかけたから、本人も自分が何をしたか、ちゃんと覚えている。怒りのあまり私が玉座に上るのを阻止しようとしたはずが、城中の魔物の面前で私に万歳を叫んだのだから……さぞや悔しいに決まってる。
もちろん、わざとそうしたんだけど。私はにっこり笑ってやった。
「まさか貴方が万歳なんて言ってくれるとは思わなかった。ありがとう、モドン」
「ぐぬぬ……! このガキが、馬鹿にしおって……!」
ぎりぎりと歯を食いしばり、モドンが私を睨む。その様子を見て、ガルグィードがはっとした。
「陛下、あの万歳はまさか」
「んー? 何のこと?」
私は無邪気そうに、こてっと首をかしげた。将軍の後ろからフィブリスがジト目で私を見ているけれど、王の私が言わないことを彼から言うことはできない。そういう真面目なところ、フィブリスは信用できる。
「……なるほど、分かりました。ご配慮感謝致します」
さすがに百戦錬磨の将軍だ。おぼろげながら、私がモドンを操ってあの場を収めたことを察したらしい。そして私がとぼけていることで、将軍に罪を問う気がないことも。
「だから、何言ってるのか分からないよ? フィブリス、私もう疲れたから、部屋に戻っていい?」
フィブリスは黙って頷き、ガランとゴロンに合図を送った。護衛の彼らは私について行くために、モドンを拘束していた手を離す。途端にモドンが跳ね起きた。
「このガキ……っ!」
今度はさすがに将軍にも、予想がついていたらしい。マントの裾を剣先で床に縫い留められ、モドンは顎から床に突っ込んだ。
「ぐっ……、なぜ止めるのです、将軍!」
これには私だけでなく、その場の皆がため息をついた。ベレスパードとイルウィンでさえも、憐れむような目でモドンを見ている。
「モドン、それ以上するなら私の部下を辞めてからにしてもらおうか」
いつも以上に低く抑えた将軍の声を、今になってやっとおかしいと思ったらしい。初めて不安そうな表情が浮かんだ。
「ガルグィード、あとは任せていい? ちゃんと説明してあげてね」
「はっ」
畏まった将軍に頷いて、私は床に這いつくばっているモドンに向き直った。
「その筋肉しかない頭で将軍の話が理解出来たら、今後どうするか、よーく考えるのね」
「……」
まだ将軍に押さえられているせいで、モドンは私を睨むだけだ。私は屈みこんで、モドンに囁いた。
「とりあえず、こんな子ウサギですけど、魔王に就任させていただきます」
「くそ……っ!」
私は立ち上がって、部屋を見回した。
ベレスパードとイルウィンの私を見る目が、少し変わっている。本当はここにあの二人がいなければ、もう少しモドンをとっちめてやりたかった。ああいう面倒くさい脳筋タイプ、好きじゃないんだもん。
でも、何考えてるか分からないあの二人には、まだ手の内を見せたくない。見た目通りのかよわい子ウサギ……って、思っててくれるほうが助かる。まあいいや、あとは将軍に任せよう。
ガランとゴロンを従え、ローブの裾をひるがえし、私は颯爽と(ちょこちょこ歩きで)部屋を出た。
「で、どうなったの? あいつ」
山盛りのクッキーに目を輝かせながら、私は尋ねた。そんな私をまたげっそりした目で見ながら、フィブリスが答える。
「表向きは、予定外の行動で式次第を乱した……ということで、しばらく謹慎となりました。今頃は将軍に雷を落とされているでしょう」
「……ああガルグィード、怒ってたもんね。気の毒に」
「まったく、そんなこと欠片も思ってらっしゃらないくせに」
フィブリスの目が眇められ、私はぺろりと舌を出した。
「バレたか」
「バレたか、じゃありませんよ」
律儀に「失礼」と言いながらフィブリスがお茶を口に含み、それから少し表情を変えた。
「しかし、あの時の判断は……なかなかお見事でした」
「えへへ、そうでしょ」
「かなりえげつないやり方でしたがね」
「……何のことかな?」
「私とモドンとでは、術のかけ方を変えていたでしょう」
思い出すと悔しいのだろう、フィブリスの目がちょっと泳ぐ。
「よく分かったね。さすがフィブリス」
フィブリスは鼻を鳴らした。
「貴女に褒められても嬉しくありませんね。―――とにかくモドンは、表向きは貴女に危害を加えようとしたことにはなっていません。ですから将軍にも咎めなしです」
「うん。実際ガルグィードに非があったわけじゃないしね」
私は頷いて、クッキーに目を向ける。うーん、チョコチップとナッツ、どっちから行くべきか。
「反対派だったはずのガラディナックらを従え、あのモドンに万歳を叫ばせる。広間の者らにも、強い印象を残したでしょうね」
「うん、わたひもそぇはかんがえは」
「……お返事は、飲み込んでからにしてください」
「はーい」
そうなのだ。彼らを従わせる私にいったいどんな力があるのだろうと、皆が不思議に思うだろう。……当のモドンは、私に操られたらしいと分かっている。なのにあの場にいた全員に、寝返ったと思われるのだ。ふんだ、ざまぁみろ。
多分、フィブリスも同じことを考えたんだろう。ちょっと複雑な顔をしている。
「まったく、思った以上にお人が悪い」
「うふふ、そんなことないよ。あ、フィブリスも食べる? 美味しいよ」
「……遠慮します」
そこへシャリムが入ってきた。ガルグィード将軍が、面会を求めているという。
私が頷くとフィブリスが立ち上がった。シャリムが茶器を片付けて出て行く。……クッキー、まだ取っといてね。
「陛下、今回は誠に申し訳ございません」
ガルグィードは跪いて深く頭を下げた。
フィブリスが「彼の立場上、一度は謝罪してくるでしょう」と言ってたけど、その通りだった。私は鷹揚に頷いて(そのくらいがいいって、これもフィブリスが言った)、ガルグィードに声をかける。
「ガルグィードが悪い訳じゃないから、もういいよ。でも、モドンは困る」
「はっ」
「私がこんな見た目だから、敬えと言われても難しいのは分かる。でも、式典でああいうことをする奴は……そのうち上司の命令も聞かなくなるんじゃないのかな?」
「……おっしゃる通りです、陛下」
ガルグィードはまた頭を下げ、それから不思議そうに私を見る。
「今、『こいつ意外と分かってるんだな』とか思ったでしょ」
「はっ!? え、いや決してそのような……」
いかついおっさんのガルグィードが、ちょっとかわいそうなくらい狼狽えた。そして救いを求めるようにフィブリスを振り返る。フィブリスは苦笑気味だ。
「ガルグィード、陛下の見た目に騙されてはいけません。この方は少なくとも、二百歳程度の精神をお持ちです」
―――げ、よく分かったねフィブリス。
人間として十五年。その後転生し、ミミィとして四十年。こっちの十年が人間の一年くらいに当たるらしい。前からそう思っていた。前世の記憶を加えたら、確かに私はそのくらいに相当すると思う。……見た目はせいぜい小学生だけれど。
「なるほど、それで得心がいきました」
ガルグィードは立ちあがった。近づいてきたフィブリスと目を合わせて頷き合う。
「加えて転生者としての資質に、先ほどの術。これは侮れませんな」
「振り回されるほうはたまりませんがね」
フィブリスが私をちらりと見て肩をすくめた。
とりあえず、ガルグィードが報告したのは次のことだった。
モドンはしばらく謹慎。将軍としてはいっそ降格させてしまいたいのだけど、表向きたいした罪でもないので、それはできない。ただ今後大人しくなるかは怪しいので、当面は、将軍の判断で式典などには参加できない任務を割り当てるつもりだという。
「うん、いいんじゃない? ただし、次はもうないよ」
「はっ」
思ったよりも冷酷に聞こえたのか、ガルグィードは少し意外そうな顔で退出していった。
本当はいちいち噛みついて来ないでくれるなら、モドンなんてどうでもいい。次は、私から見えないところに配置替えでもしてもらおう。
「あらあら陛下。お疲れになったのですね」
シャリムの声に、私ははっと顔を上げた。ぼんやり考えていたら、つい居眠りしていたらしい。
「少しお休みになりますか? それとも、さっき中断したお茶の続きになさいます?」
「お茶がいい! まだクッキーあるよね?」
ちょっとくらいの眠気なら、糖分が吹き飛ばしてくれるはず。さっそくチョコチップクッキーを頬張った私を眺めて、フィブリスがぶつぶつ呟いていた。
「いったいこの方は、大人なのか子供なのか……」
大人か子供か……と言えば、どちらかと言えば子供だろう。見た目よりは、ほんの少し年上だけど。
私には人間だった時の記憶がある。こちらの魔物たちとは少し考え方が違うかもしれないけれど、それだけだ。あんまり勉強も得意じゃなかったし、転生者だということが、魔王として何の役に立つのか分からない。
それに魔王になったからって、決して安泰でもなさそうだ。モドンとかイルウィンとか、得体の知れない奴らに囲まれて、王位どころか下手したら命を狙われかねない。でもガランとゴロンもいるし、何とかなるだろう。あんまり難しいことを考えるの、得意じゃないんだよね。
なりたくて魔王になったんじゃないけれど、もともと好きでミミィに転生したわけでもない。でも、魔王なんて滅多になれるもんじゃないし、せっかくだから楽しんでみたい。前代未聞の最弱魔王だけど、いつかはこの国で、煌めく最強の魔王として君臨してやろうじゃないの。
もう二百年ぐらいすれば私だってきっと、色気溢れる美女魔王になってるはずだ。―――ウサギだけれど。
とにかく。本日、私こと白魔道士のミミィは……魔王になりました。