5・即位の儀
「―――はあっ!?」
数秒後、我に返ったフィブリスが己の姿に仰天する。さっきの二人と同じように、私の足元に跪いていたからだ。跳ねるようにして立ち上がり、わなわなと口元を震わせる。
「分かった?」
私の声も耳に入らないのか、床についていた右手を眺め、まだ茫然としている。いくら何でも、まさか自分がかかるとは思っていなかったんだろうな。
「やればいつでもできるのよ」
「……」
ちょっとやりすぎたかな? 未だにショックから立ち直れなそうなので、私はフィブリスに向き直った。別に彼を打ちのめしたいわけじゃない。
「説明が面倒だからやってみせただけだよ。これからも、フィブリスに使うつもりはない。それは約束する」
「陛下……」
「だいたい魅了で皆を操ってちやほやされたいなら、とっくにやってる。そんな面倒くさいことしたくないし、だいいちちっとも楽しくない」
嘘を言ってないのは分かるのだろう。頷いたフィブリスの目が平静に戻った。
「あいつらみたいな話の通じないのと付き合ってくのは面倒だからやったけど、たぶんこれからも使わないよ。身の危険でもない限り」
「まあ、そう聞いておきましょうか。……しかし陛下、あれの効力は?」
私は首をかしげた。さすがにあそこまで強く魅了をかけたのは初めてなんだけど……、それは黙っておこうかな。
「たぶん、私が解くまで続くと思うけど。あ、心配しなくても大丈夫。私のこと大好きな以外は、通常と変わらないから。ちゃんとお仕事もできるはずだよ」
「まったくこの子ウサギは……」
フィブリスが深いふかーいため息をついた。あの様子ならもう大丈夫だろう。私はシャリムを呼んでお茶を頼んだ。
「うわあ、これ美味しい!」
シャリムがお茶と一緒に運んできてくれたのは、なんとケーキだった。もちろんあっちの世界のような、ピシッと三角形にカットされた見栄えの良いものではないけれど、カステラにクリームとチョコレート(のようなもの)がかかった、まごうことなきケーキだ。こっちの世界にもこんなお菓子があるなんて、知らなかったよ! クッキーみたいなものは見たことあるけど、下っ端魔道士にはなかなか手に入らなかったんだよね。
「甘ーい、美味しーい! 嬉しい、こういうの大好き!」
私があまり喜ぶので、シャリムがお代わりを持って来てくれた。それもぺろりと平らげるのを見て、フィブリスが胃の辺りを押さえる。
「……そんな甘いもの、よく食べられますね」
彼の前にも同じ皿が置かれているけれど、フィブリスは手をつける様子もない。
「え、フィブリスは嫌いなの? じゃあ、食べてあげようか」
「まだ入るんですか。……って、仮にも魔王ともあろうものが、臣下の食べ物をねだるとは何事です!?」
「じゃあ、もったいないから食べなよ」
フィブリスはうっと呻いて皿を見つめる。本当に甘いものは苦手らしい。
「せっかくシャリムが用意してくれたのに、残しちゃ悪いでしょ」
そう言いながらフィブリスの皿を引き寄せ、フォークで掬って口に運んだ。ああもう、何年ぶりかのケーキだもん、今日くらいはいいよね。
「ううーん、美味しいー。シャリム、次からフィブリスの分は要らないからね」
「かしこまりました」
くすくす笑うシャリムをじろりと睨み、フィブリスは山盛りのクリームを薄気味悪そうに眺めていた。
「駄目です陛下、もっと背筋を伸ばして! ああ違う、玉座の三歩手前で止まるのですよ」
「……この辺?」
「そこは近すぎます! ……ああそうでした、貴女は足が短いんでしたね」
「失礼ね、身体が小さいと言ってよ」
プライベートエリアの執務室。安楽椅子を玉座に見立てて、私は式次第の練習をさせられていた。明日の即位の儀が終わったら、私の正式な魔王としての生活が始まる。
「大丈夫です陛下、お上手ですぞ!」
「そうですとも、お可愛らしくて見惚れてしまいますぞ!」
後ろから熱烈に応援してくれるのは、明日からの護衛として控えるガランとゴロン。勢いで魅了なんかかけちゃったけど、けっこう良かったかもしれない。
「ガラディナック、ゴロディメンティ。少し静かにしていなさい」
フィブリスが注意するけれど、今の彼らは私の命令が最優先だ。軽く頭を下げるだけで、応援をやめようとはしない。それにしてもフィブリス、よくあの名前を覚えてるよ。
一挙手一投足をいちいち注意され、さすがに疲れ果てたところでフィブリスがようやく許してくれた。
「……まあ、威厳が足りないのはもう仕方ないですし、後は転びでもしなければよいでしょう。―――二人とも、陛下がこのような方ですからね、明日は何が起きるか分かりません。しっかりお守りするように」
「はっ!」
「命に替えましても!」
うーん、二人にかけた魔法、効きすぎたかな?
後でフィブリスが教えてくれた。
あの二人は実は「アンチ新魔王」の急先鋒だったそうだ。「俺達があの小生意気なガキを引きずり降ろしてやる!」と、護衛に立候補してきたらしい。
なるほど、本当に首をひねられるところだったわけだ。私はフィブリスをじろりと睨んだ。
「それが分かってて、なんで採用したわけ?」
「そのくらいあしらえなくて、魔王の座につけると思いますか?」
フィブリスは涼しい顔で答える。う、さすが敏腕宰相、求めるレベルが違うわ……。
「貴女のような一見弱そうな王では、これからもあの手合いはいくらでも出てきます。実力なり恐怖感なり、とにかくこいつには敵わぬと見せつけることが重要です。……まあ、まさか魅了などできるとは思いませんでしたが」
「……もし私があっさり首ひねられちゃったら、どうするつもりだったの?」
聞かないほうがいいとは思ったけど、一応聞いてみる。
「……あの二人は気の毒に大罪人となりますが。あとはまた、魔王選出の儀からやり直すだけですね」
―――あーあ、やっぱり聞くんじゃなかった。
魔王城の大広間には、城じゅうの魔物と、国内の魔物達の長が集められていた。
三日前の次代魔王選定の儀と同じだけれど、あの日より欠席者が多いらしい。気持ちは分からなくもない。私みたいな子ウサギに「ばんざーい」なんてやりたくないよね。
「全員出席という決まりだというのに……」
フィブリスはぶつぶつ言っていたけれど、この三日一緒にいて分かった。
彼は私を敬うというよりは、どうやら秩序とか礼儀とか、そういうものを重んじる性格らしい。例え気に食わない子ウサギだろうと、それが王ならば敬わなくてはならない、と。うーん、ストレス溜まりそうだな。
でもだからって、私が頑張って王様らしくしてあげるとか、そういうことはしない。そしたら私がストレス溜めることになるし、だいたいそんなの楽しくないもの。
とは言え、私だって(見た目よりは)子供じゃない。いくら楽しくないからって、儀式を放り出したりはしない。
大広間の扉が開いた。
厳かな音楽が鳴り響くなか、私はフィブリスに教えられた通り、ゆっくりと正面だけを見て歩く。手にはあの王笏が、きらきらと瞬いている。そりゃもう嬉しそうにキラキラチカチカと、輝きどころか色まで変えて。まったく、どこかの世界の、ライブの小道具じゃないんだから。
(陛下、ご立派ですぞ!)
(我らがついておりますぞ!)
後ろから熱烈な囁きが聞こえ、さすがにげんなりしたので聞こえないふりをした。
広間の中央をしずしずと(フィブリスに言わせるとトコトコらしいけど)歩く私に、両側から容赦のない視線が突き刺さる。
値踏みする目、明らかに侮蔑を含んだ目、疑惑や妬みを隠さない目……。まあ、居心地は良くないけれど、これも仕方ない。
中には私に向けて何やら暴言を吐こうとした奴もいた。ところが全員、私の後ろで目を爛々と光らせたガランとゴロンを見ると、驚いて口を噤んでしまう。
「なぜあいつらが、黙って従ってるんだ……?」
離れたところから、そう呟く声がした。
即位の儀と言っても、入場してしまえぱそれほど私のすることはない。だいたいは宰相のフィブリスが言ったりやったりしてくれるし、私は威厳を保って立っていればいい。
私の後ろにはガランとゴロンが、足を開いて前で手を組んで立っている。昔見たことのあるギャング映画みたいで、ちょっと楽しい。
そして私が着ているのは、艶やかな織り模様のある漆黒のローブ。私のイメージをシャリムが頑張って形にしてくれて、フードの縁と前の合わせにピンクのレースが幾重にも重なっている。縫い取りには太めの銀糸、できる侍女シャリムは同じ糸で袖口に刺繍も入れてくれた。私としては大満足の出来だ。
もっともフィブリスはピンクのレースに眉を顰めたし、この場の魔物たちにも奇異な姿だと思われるだろう。
でもドレスを着たって似合わないと言われるに決まってるし、どうせ叩かれるなら好きな格好をしたほうがいい。
型破りの魔王だと言うなら、型破りのままで行こうじゃないの。
そんなことを考えながら玉座の前で広間を見渡していると、最前列にいるモドンと目が合った。途端に牙をむき出して睨みつけるモドンから、私はすっと目を逸らす。
「ぐぅぅ……っ!」
無視されたとでも思ったのか、モドンがぎりぎりと歯を噛みしめた。別に挑発なんかしていないんだけど、まったく彼こそ脳みその皺まで筋肉で出来てるに違いない。
そのモドンが、急に小さくなった。どうやら将軍のガルグィードに睨まれたらしい。そのガルグィードはいたって冷静な様子で大広間を見渡している。
参謀長のベレスパードは口をへの字に歪め、筆頭魔導士のイルウィンは相変わらずの無表情。ある意味みんな分かりやすい。
ガルグィードが睨みをきかせ、フィブリスがサクサクと進行してくれたおかげで、儀式ももうあと少しになった。
「では陛下、どうぞ玉座へお進みください」
フィブリスの声に軽く頷き、私は振り向いて階に足をかけた。
「ぐぬうっ、させるかぁ!」
突然、大声が響き渡った。
驚いて振り返ると、青筋をたてて歯をむき出したモドンが、こちらに走り寄ってくるところだった。
「!? やめよ、モドン!」
ガルグィードとフィブリスが声を上げたが、階のすぐ下にいたガランとゴロンのほうが早かった。一人がさっと足を払い、バランスを崩したところをもう一人が抑え込む。
広間は騒然とし、ガルグィード将軍が真っ青な顔で駆け寄ってきた。
フィブリスが皆を静めたが、将軍は怒りで震えている。この場で騒ぎを起こされれば将軍の責任にもなるし、まして直属の部下では自分の進退にも関わってくるだろう。
「モドン、きさまという奴は……!」
モドンはがばっと顔を上げて私を睨み、さらに何か喚こうと口を開けた。
―――ああもう、面倒くさい。
私はぱちんと指を鳴らす。途端にモドンの目つきが変わった。
―――うわ、気持ち悪い。こいつにこんな目で見られたくないよぉ。
でもこの場を収めるには、これしかない。ガルグィード将軍は公平だから、出来れば辞めさせたくないんだもの。目を合わせるのも嫌だけど、私はさらに目力を込めた。
大広間に、モドンの調子はずれな大声が響いた。
「ミミィ陛下、ばんざーい!」
その場の全員が呆気にとられて凍り付いた。けれどすぐに、ガランとゴロンが合わせてくれる。
「新王陛下、ばんざーい!」
私の必死の目配せで事情をさとったフィブリスがそれに合わせる間に、私はそそくさと玉座に上り、王笏を天に向けて掲げる。宝玉が煌めいて大広間を照らし、私は無事に……、どうにか無事に儀式を終えた。