3・それらしく?
大広間に、再び全員が集められた。宰相フィブリスに先導されて私が玉座の前に立つと、ざわっ……と不穏な空気が広がった。痛いほどの視線に晒されながら、天井を眺めてフィブリスが口を開くのを待つ。
だってフィブリスが「その舌足らずな声でしゃべられると余計な反感を買いますから、今日のところはとりあえず黙っててください」って言ったんだもの。
「本来この儀式において、王笏に選ばれるとは先代に選ばれたも同じ。今回のように選定を疑うなど、あってはならぬことでした」
そこで言葉を切り、フィブリスは広間を見渡した。
「ガルグィード将軍とともに確認をし、王笏の選択に間違いのないことを確かめました。後ろの三人が見届け人です」
私の横で将軍ガルグィードが、いかめしい顔で頷いた。少し離れて例の三人。モドンは音が聞こえるほどギリギリと歯を食いしばり、ベレスパードは上目遣いで苦虫を嚙み潰したような顔。イルウィンだけは我関せずといった無表情で、何を考えているのか全く分からない。
どう見ても、誰も喜んでいるようには見えない。それは大広間にいる者の多くが同じ気持ちのようで、フィブリスが私について話している間も、低いざわめきは止まなかった。
「では、慣例にのっとり、即位の儀は三日後に行います。今日はこれで」
結局私は一言もしゃべることなく、大広間を出た。
大広間の扉が閉まった瞬間、中からわっと怒号のような喧騒が聞こえてきた。振り返ってガルグィードが苦笑する。
「やれやれ、これはしばらく大変だな」
「全くです。しかしこの方に威厳を期待するには、あと二百年ほどは待たなければなりませんね」
フィブリスも失笑し、ついてきた三人に言った。
「こちらも解散にしましょう。分かっていると思いますが、余計なことを洩らさぬように願います」
「分かったな、モドン」
モドンは黙って頭を下げ、出て行った。残りの二人もそれにならう。ガルグィードが改めて私を見た。
「ミミィ……いや、新王陛下。はっきり言って前途多難ですぞ。正直に申し上げるが、わしも完全に納得しているわけではありません」
「……でしょうね」
「ですがこうなった以上、無駄な争いは避けたい。わしからも軽挙妄動は慎むように言っておきますが、どうかご理解のうえ、―――無理は承知だが、何とかそれらしくあるよう、努力していただきたい」
「それらしく?」
私は首をかしげる。
「さよう。王とは、一族全ての命を預かるものです。不運なことに、先代ダンギュバルム様と貴方は、何もかも正反対だ。当然比較され、反感は増すだろう」
さすが将軍。内心どれだけ不満なのかは分からないけど、言ってることは公正だ。決して声を荒げることなく言いたいことを言うと、堂々と退出していった。
フィブリスはそのまま私をつれて、城の最上階へ向かった。最上階は魔王のプライベートエリアだ。豪華な執務室に入ると、ものすごい美女が待っていた。褐色の肌も艶やかな美女は、スケスケのドレスの裾からトカゲのような尻尾を覗かせている。そして何より目を引くのは、薄布から零れ落ちそうな、ぷるんぷるんのお胸。美女は優雅に首をかしげた。
「あら、宰相様。新しい魔王様はご一緒ではありませんの?」
「ミミィ、彼女はシャリムです。シャリム、目の前にいらっしゃるでしょう」
シャリムは長い睫毛をぱちぱち瞬かせた。
「え、……は? 何、まさかこの子が……」
「そのまさかですよ。よろしく頼みます」
「えええええええ!!」
執務室に甲高い悲鳴が響き渡った。
「だってねえ、まさかこんな子供が魔王様なんて思わないじゃない……」
まだぶつぶつ言っているシャリムを無視して、フィブリスは説明を始めた。
「さて、三日後の即位の儀まで忙しいですよ。まずは貴方が王になるにあたって、いろいろ決めねばならぬことがあります」
はじめに、いわゆる組織的なこと。具体的には、宰相のフィブリスをはじめ、将軍、参謀長、その他の役職は据え置きで良いかどうか。
「普通、王に選ばれるような者には、たいてい部下などがいます。ですからそういった者で周りを固めるのが普通です。私もダンギュバルム様が即位したことで、宰相に取り立てられました。ですが」
そう、城に来て日も浅い私には、部下どころか親しい者すらいない。一応上司みたいなのはいたけど、仕事を割り振られる時しか話したこともないし。それにそんなことを言うなら、筆頭魔導士のイルウィンこそ上司になってしまう。
「フィブリス様、私は」
私が言いかけると、フィブリスが慌てた。
「ああ、今から少しでも王らしくしていただかなくては。いいですか陛下、即位前とはいえ、もう私達臣下に様などつけてはなりません。まずは私のことは『フィブリス』と」
え、ついさっきまで雲の上の存在だった宰相を、いきなり呼び捨てなの? さすがに戸惑っていると、フィブリスはさらに続ける。
「他の者も同様に。でなければ役職でお呼びください。ああそれと、敬語もお使いになりませんよう。分かりましたか?」
「……フィブリス」
「そう、それで良いのです。何ですか、陛下」
「私、敬語を使わないと、なんて言うか……ちゃんと喋れないんだけど。本当にこんなんでいいの?」
すると意外なことに、シャリムが笑った。いつの間にかショックから立ち直ったらしい。
「いいんですよ、ここでは。玉座にいる時だけは、それらしい言葉遣いをお教えしますから」
「それでいいの?」
「大丈夫。このシャリムがついてますからね」
そう言ってにっこりと微笑んだ美女に、私もつられて笑った。
「良かった。よろしくお願いします」
「ほら、それはいけません」
「ひゃ」
さっそくフィブリスに突っ込まれて首をすくめると、シャリムががばっと私を抱きしめた。質感たっぷりのお胸に、むぎゅっと押し付けられる。
「んもう、何なのこの可愛すぎる生き物は! 決めたわ、私が絶対あなたを守ってあげる!」
よく分からないけど、どうやら私はシャリムのツボにぴったりはまったらしい。……嫌われるよりいいかな?
「えーと、なんて言うか……どうぞよろしく……」
少しして興奮がおさまったのか、シャリムは静かになった。彼女はなんと私の(というか魔王の)侍女なんだとか。
「では、先ほどの続きですが」
「ああ、役職ね。とりあえず、据え置きでもいい?」
私があっさり言うと、フィブリスは目を丸くした。
「でも辞めたい人は辞めてもらって」
「それでいいのですか」
「うん。不満があると、ちゃんと働けないだろうし。後任は、今回はフィブリスと将軍に任せる」
「今回は?」
フィブリスはすっかり面食らっているようだ。私は頷いて、シャリムが出してくれたお茶を一口飲んだ。わ、美味しい。
「だって、相談されても分からないし。そのうち仕事ぶりとか性格とか分かったら、口出すから」
「なるほど賢明ですね。ではそのようにしましょう。……しかしモドンやイルウィンも、そのままでいいのですか? 今日の様子ではかなり不満そうですが、彼らは地位を手放すことはないと思いますよ」
「うーん」
確かにあの様子では、私をたてるどころか、いつ命を狙われても不思議じゃない。でも、辞めさせたらそれはそれで……。
「いいよ、本人が辞めたくないならそれで。でも、フィブリスから見て危険そうなら、そのときは任せる」
「……子ウサギかと思えば、意外と強かですね」
私の意図に気付いたフィブリスが苦笑した。そう、この言い方だと、フィブリスにも管理責任みたいなのが生じる。
「だって、見ての通りか弱い子ウサギだもん。だから、将軍にもよく頼んでおいてね」
「そのへんが『転生者』たる所以ですか」
「そうなの? 普通、そのくらいのこと考えない?」
「さて、どうでしょうか」
さらりと返したものの、フィブリスの私を見る目が少し変わったようだった。
「ところで、よろしければ伺っておきたいのですが」
フィブリスが改まって尋ねた。
「何?」
「貴方が転生者であると、先ほど伺いましたが。具体的にどういうことなのです?」
「私は、元々は人間だったの」
そう話し始めると、さっきの話を聞いていないシャリムが目を剥いた。
「どういうことです? 人間が魔物になれるなどと聞いたことはありませんが」
「そういうことじゃなくて。今の私はちゃんと、ミミィとしてこの世界で生まれたよ。もうすぐ四十歳になる」
「四十歳!? なんと、本当にまだ赤子同然では……」
フィブリスが、らしくもない声を上げた。
この世界にも、人間はいる。先代ダンギュバルム様の御代にはなかったけれど、過去には交流も諍いもあり、ときには迷い込んできたりすることもあったらしい。
「でも、この世界じゃないの。こことは全く違う世界で、私は人間として生まれた」
また口を開いたフィブリスが、思い直したように先を促す。
「で、その世界の私は、若いうちに死んだみたいで。いつの間にかミミィになってたの」
言ったってどうせ分からないからほとんど端折ったけれど、本当はそんな簡単じゃなかった。
高校へ入ってすぐの「親睦合宿」とかいう行事で、バスを連ねて近県の高原へ出かけた。あいにくの悪天候のなかでどうにか日程をこなした帰り道、それは起こった。
突然の衝撃、轟音、悲鳴。たぶん、事故か土砂崩れか、とにかくバスが崖から転落したのだと思う。私も、というか大抵の生徒は疲れて眠っていたし、今となってはもう分からない。
で、気が付いたら。私はすでにミミィになっていた。その辺の記憶は不思議にぼやけていて、ミミィとして生まれ育った自分が突然前世を思い出したのか、それともあの時のミミィに転移して過去の記憶を受け継いだのか、これも分からない。
JKのはずが三十四歳になっていてがっかりしたのは覚えてるけど。でも向こうとは歳の数え方も違うし、むしろさらに若い(というより子供)と理解した。
なんか、よくあるラノベっぽい世界と思ったけど、どう考えても勇者でも聖女でもなくただのモブだし。ミミィは白魔道士だから、魔力はそこそこあって当然と思ってた。あんまり物事を深く考える質じゃないし、むしろ怖いから考えないようにしてた。このまま何とか、そこそこ快適に暮らせればいいやって。だいたい帰れそうにないしね。
「だから、特にすごい知識も記憶もないの。こんな私が、まさか魔王になるなんて思わなかった。」
話し終えた私にフィブリスが何か言おうとしたけれど、シャリムのほうが早かった。
「大丈夫よ、私がついてますからね!」
シャリムの肩越しに、フィブリスがため息をつくのが見えた。