2・本当に、魔王?
「さてミミィ、そこへおかけなさい」
宰相フィブリスにすすめられて腰を下ろそうとすると、後ろから割れ鐘のような声が響いた。
「いや宰相殿、そんなことでは甘い。ひっ捕らえて口を割らせるべきだ」
驚いて中腰のまま振り返ると、将軍の後ろについて、他の三人も入ってきたところだった。
大声を出しているのはモドンだ。ガルグィード将軍の部下だけど、怪力自慢の二つ名通り、やることなすこと全てを力押しして話をきかないと評判だ。
「それは穏やかではありませんね。彼女は罪人ではありませんよ」
フィブリスが穏やかに諭したけれど、モドンは引き下がる様子もない。
「調べてみねば分からん! そもそもこんな小娘が、魔王に選ばれるはずがない!」
「宰相殿、儂もそう思う。よくよく調べられよ」
唾を飛ばして喚くモドンに加勢したのは、参謀長のベレスパードだった。もちろん今まで話したことなんかなかったけど、しわくちゃの茶色い顔で上目遣いにねちゃねちゃ喋るこのジジイ、正直言って苦手だ。
「立ち会われるのは構わぬが、暫く口を控えていただけますかな」
「無論ですとも」
それまで黙っていたイルウィンが、涼やかな声で答えた。筆頭魔道士という地位にしては一見あまりにも若く見える彼は、城一番の女たらしだという噂。もっとも私みたいな幼児体型は問題外らしく、ちらりと冷たい視線を向けただけだ。
「それでは、いくつか尋ねます」
宰相と将軍は、目の前に座った。残りの三人が、横からじっとりとした目で眺めている。
「貴女はなぜ、自分が王に選ばれたと思いますか?」
「分かりません。こっちが知りたいくらいです」
「……では、貴女の力を見てもいいですか」
「どうぞ」
この国には不思議な魔道具がいくつもある。フィブリスはそのうちのひとつ、掌に乗るほどの黒い珠を持って来させた。いわゆるステータス的なものを映し出すことができる宝玉だ。
「ではミミィ、ここへ」
頷いた私が手をかざすと、珠の色がにじみ出るように広がり、次々に文字が浮かんできた。
「ほう、やはり魔力は高……」
言いかけたガルグィードが、ぽかんと口を開けて固まった。フィブリスも絶句している。代わりに口を開いたのは、やはりモドンだった。
「ふ、ふざけるな! こっ、攻撃力3とは貴様、馬鹿にしてるのかっ!!」
モドンの怒声に、シャンデリアの灯が揺れた。叫んだ当人も思わず肺を空にしてしまったのか、荒い息をついている。ベレスパードもその隣で似たような表情で私を見ていた。
はっと我に返ったように、フィブリスが首を振った。
「モドン、落ち着きなさい。……まさか私も、攻撃力3とは思わなかったですが。しかし3とはね……」
いつもは冷静沈着なフィブリスがぶつぶつと呟いている間に、ガルグィードのほうが落ち着きを取り戻したらしい。
「フィブリス、それはひとまず置け。そう、魔力は高いぞ。ふむ、これはさすがと言って良かろう。イルウィン、筆頭魔導士のそなたよりも少し劣るくらいかな?」
イルウィンは黙って頷く。後で知ったことだけど、彼の魔力は現在この国の最高値だった。
「ガルグィード様。ではなぜイルウィンでなく、この小娘が選ばれたのです」
ベレスパードが細い目をさらに細くして私を睨んだ。そこでようやく平静に戻ったらしいフィブリスが答える。
「……他の能力も考えあわせ、総合的にイルウィンを上回っているはずです、本来は」
「だが、こやつの攻撃力ではそうならないでは―――」
「モドン、まだ話は途中だ。少し黙っておれ」
将軍のひと睨みで、モドンは口をつぐんだ。
「体力と防御力は……まあ当然か、子供並みだな。いや、これを見ろフィブリス!」
「これは、予想外ですね」
ガルグィードの示す指先を、その場にいた皆が注視する。
「回避と素早さは標準以上。それに精神力と危機察知。なんと運が……ほぼ最高値だと……?」
「……聞いたこともない形です。しかしこれなら、たとえ世界が壊れても一人生き残れるのでは」
「攻撃は効かないが、倒れもしないということか」
なかなかな言われようだけれど、私もこうして自分の能力値を見るのは初めてだった。思いがけず魔力以外にも高い数値が並ぶので、私も首をかしげるしかなかった。
「う……運だと!? まさか、運で王になったとでもいうのか。どこまで馬鹿にしてるんだ! もう我慢ならん!」
理解しがたいものごとに出会ったとき、暴力でどうにかしようとする奴は必ずいる。モドンは私に殴りかかろうとした。
「ちょっ……!」
びっくりして身をすくめた私の頬を、奴のマントが掠める。全力の拳を躱されてもんどりうったモドンが、緑色の顔を土色に染めた。
「このガキが……!」
「止めよ、モドン」
キレたモドンを止めようとする将軍をフィブリスが制し、黙って首を振ってみせる。
「なぜ止める、フィブリス」
「いいから、少し見てみましょう」
何とか言ってよ! と思ったけれど、それ以上言う暇はなかった。待って、モドンのやつ。剣を抜いちゃったよ? さすが怪力自慢だけあって刀身もぶ厚い大刀を、叩きつけるように振り回す。私は部屋中を逃げ回った。
「ちょっと、女の子に何するのよぉ!」
「黙れ、ちょこまかと逃げ回りやがって、この……っ!」
「ばか、危ないじゃない!」
巨大な剣が空を切り、それほど実践向きではないらしいベレスパードが飛びのいた。
「うわっ、モドン! 儂まで巻き込むでない!」
「うるさい、それどころではないわ!」
他の三人は平然として見守っている。
「……なるほどな、フィブリス」
「ええ、少し分かってきましたね」
意味ありげに囁き合う二人の後ろへ私が回り込むと、モドンは何を思ったか、宰相と将軍の間に剣を振り下ろした。
「このおおおっ!」
轟音と地響きに、天井からぱらぱらと何か降ってきた。将軍たちがさりげなく避けたので、私の前に、巨大な剣が突き刺さっている。イルウィンとベレスパードが凝然として、剣の持ち主と私を見比べていた。
「そこまでだ、モドン」
将軍がモドンの剣を抜き、床を滑らせた。モドンは思わずキッと顔を上げる。
「もう分かったろう。そなたが我を忘れて仕掛けても、かすりもしない。これが証拠だ」
「……しかし、こやつは卑怯にも逃げ回っただけで!」
「ミミィはまだ、一度も魔法を使っていませんよ」
これは言っておかなきゃと思った私は、勇気を出して口を挟んだ。
「あの、魔法って言っても。私白魔道士なので、ほとんど攻撃できませんよ」
フィブリスはちょっと眉を上げたけど、構わないことにしたらしい。
「それに、ごらんなさい。この剣を前に、彼女は一歩も下がっていない。それがどういうことか分かりますか」
そう指摘されると、モドンは何も言えなくなった。ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、私を睨みつけている。フィブリスは微妙な顔で振り返った。
「歴代の魔王とはかなり毛色が違いますが、どうやら認めねばならないようですね」
「……あの私、無理に王様にならなくてもいいんですけど……ひゃっ?」
言った瞬間、王笏が急に光った。その光が例の黒い珠に当たると、さらにいくつかの文字が浮かび上がる。
―――そこには『転生者』と記されていた。
その文字を見て、私は立ちすくんだ。まさかここで、それを暴かれるとは思ってもいなかったから。ところがその場の反応は、私の予想とは違うものだった。
「『転生者』……? それは……」
言いかけて、フィブリスがはっと顔色を変えた。ガルグィードもベレスパードも、ほぼ同時に何かを察したらしい。イルウィンは変わらず無表情、モドンだけが理解できないようで、ぎらぎら光る目で部屋を見回している。
「転生……者? なんだ、今度は何を」
喚きかけたモドンを、フィブリスが指で制した。
「モドン、プラーナス王という名に覚えはありませんか」
「そのくらい知っとるわ!」
モドンは鼻息も荒くまくし立てた。
「何代前だかの、有名な……」
「そうです。底知れぬ魔力と智謀を誇り、誰にも考え及ばぬ奇策を次々と編み出し、傾きかけたこの国を一気に立て直された御方です」
モドンは苛立たしげに足を踏み鳴らし、フィブリスの方へ向き直った。
「だから、宰相殿。それとこやつと何の関係が……!」
「まだ分かりませんか。かのプラーナス王も、転生者だったのですよ」
フィブリスによれば、何百年に一人、あるいは何千年に一人。この国の記録を辿ると、幾人かは転生者という記述があるのだという。
「プラーナス王は特に有名ですが、どの転生者も稀有な能力を誇りました。彼女も転生者だというなら、もしや」
「……もしや、まだ知らぬ力を秘めているやも知れぬ。そういうことか」
「まあ、そうです。将軍」
ついに我慢できなくなったのか、ベレスパードが口を挟んだ。
「プラーナス王の偉業は儂も存じておるが。宰相殿、それは本当に、全ての転生者に当てはまるのか?」
「記録にある限りは、ですね」
フィブリスもいくらか心もとない様子だ。それでも自らに言い聞かせるように頷いて、私を見る。
「……ですが今回は、王笏がわざわざそれを伝えたというところに、意味があるのでしょう」
「まあ、そう言われればそうなのかもしれんが……」
ガルグィードまでも頷いて、私は少なからず驚いた。自分が転生者だということに、そんな意味があるなんて。
「しかし、今回はこれだぞ!?」
モドンが私を指さして怒鳴った。
「宰相殿、将軍。参謀長にイルウィンも、本当にこんなのが王で良いのか!?」
「成長期を迎えれば魔力がさらに増え、いつかはイルウィンを超える可能性がある。補助的なものが中心とはいえ、最高値の能力もある。モドンの攻撃を躱したうえに、転生者としての可能性。少なくとも否定はできませんね」
またしても歯を食いしばるモドンの後ろで、イルウィンがちらりと私を見た。その冷たい視線に、背中がぞくりと粟立つ。え、やだ。本当に寒気が……。
「ふぁくちゅん!」
ひどく場違いなくしゃみが出て、私は小さくかがみ込んだ。すると俯いた私のうなじを、何かがシュッと掠めていった。
「……え?」
視線の先で、切れたカーテンがはらりと落ちた。
「……は?」
慌てて振り返ると、イルウィンと目が合った。ほんの一瞬ポーカーフェイスが崩れて、愕然とした表情が覗く。そこで初めて、彼が何か魔法で私を狙ったのだと理解した。
「……己を超えるかと言われては、我慢ならなかったか。しかし、図らずも彼女の運とやらを証明してしまったな」
「まあ、気分的には納得し難いでしょうが、もはや反論の余地がない。こうなっては、ミミィを王と認めましょう。転生者と伝えれば、場もどうにか収まるでしょうし」
フィブリスとガルグィードは、勝手に話をまとめにかかった。他の三人は恨みがましい目で私を睨んでいるけれど、もう口を挟もうとはしない。
ああもう、どうしてこんなことになってるんだろう。だいたい私、その王様みたいな知識とか才能とか、たぶんないと思うんだけど。本当に大丈夫なのかな。
「ではもう一度、広間に皆を集めますよ、陛下」
フィブリスの言葉に、ベレスパードがまた大きなため息をついた。
どうやら私は、やっぱり魔王になるようだ。他に誰も喜んでないけど、王笏だけが何だか嬉しそうに煌めいていた。