1・私が、魔王?
偉大なる魔王、ダンギュバルム様が亡くなられた。
在位は千年に迫り、歴代最強、無敵と謳われたダンギュバルム様も、さすがに寿命には勝てなかったのだろう。
十日後、魔王城の大広間には城内すべての魔物、それから国内全ての魔族の長が集められていた。異形の魔物がひしめき合う広間はしんと静まり返り、じわじわと緊張が高まってきている。
そして誰もが食い入るように、広間の一点を凝視していた。
空の玉座に、燦然と輝く王笏。嵌め込まれた赤い宝玉は、人の拳ほどもあるかもしれない。先代魔王在位の間、偉大な王の魔力を蓄えた王笏は、王亡き後も重大な役目を負っていた。
その役目とは―――次代の魔王を選び出すこと。
攻撃力や魔力、その他全てを見抜き、最も相応しい王を選び出す。
腕に覚えのある者、膨大な魔力を誇る者。我こそは次代の王をと狙う者は少しでも玉座に近い場に立ち、ことが起こるのを今かと待ち受けていた。
「皆、揃いましたね」
そう声をかけて玉座の下へ踏み出したものがいる。先代の腹心だった、宰相フィブリスだ。
階の下で振り返ると、長い銀の髪が揺れて煌めく。人に例えるなら四十代くらいの官僚的な風貌だが、広間を見渡すその目は金色に輝き、袖からは銀の鱗がのぞいている。
「無論」
重々しく答えたのは、将軍ガルグィード。巌のような巨体から、圧倒的な迫力を放つ。彼が頭を垂れたのはただ一人、先代魔王だけだ。
その声に反応して、主だったものが頷く。
筆頭魔導士のイルウィン。
怪力自慢のモドン。
参謀長ベレスパード。
広間に集う殆どの者が、次代の魔王はこの辺りから選ばれると思っているだろう。
もちろん私もそう思って、玉座から最も離れた壁際で、耳をピンと立てて成り行きを見守っていた。まだ城では新米の子供みたいな私など、誰も相手にしない。だから儀式の参列だって、ほとんど野次馬だ。時々背伸びをしては、儀式の開始を待っていた。
さすがに在位千年近くなると、先代が玉座についた日のことを知っている者も多くはない。それでも聞いた話では、王笏が自ら次代の元へ飛び、彼がそれを掴み取った瞬間に魔王となるのだとか。もちろん他人が横から奪い取るなど、出来ないとされている。
宰相フィブリスが再び玉座へ向き直ると、広間に沈黙が広がった。息を飲むのも憚られる静けさの中、朗々たる声が響く。
「さあ王笏よ、先王ダンギュバルム様のお力をもって、我らが次代の王を示すがよい―――!」
嵌め込まれた赤い宝玉が、ごく僅かに光を放ち―――王笏がゆるやかに浮かび上がる。皆が思わず漏らす歓声が、オオオオオオ……ッと地鳴りのように広間を揺らした。
「すごい……!」
神々しくさえ思える光景に、私は出来るだけ伸び上がり、両手をぎゅっと握りしめた。興奮したときの癖で、長い耳がぴくぴく揺れる。
王笏ははさらに高く上った。手を伸ばしても、もう誰にも届かないだろう。そこで広間を見渡すようにくるりと回転し……急に動き出した。
「ああっ!」
「どこへ行くのだ!?」
玉座近くで待ち構えた者達が伸ばした手を、王笏はかすりもせずに超えて―――こちらの方向へ向かってくる。
皆が慌てて周囲を見回すけれど、めぼしい者がこんな後ろにいるはずがない。ぐんぐん進む王笏を、誰もが驚いた顔で見送っている。
私も、ぽかんと口を開けて固まった。ただし、他の皆とは違う理由で。
なんの前触れがあった訳でも、王笏が意思表示をした訳でもない。でも、何故か分かったのだ。あれは、私のところへ来るのだと。
「……なんで?」
思わず呟いたのと同時に、王笏が胸に飛び込んできた。
「んぎゃっ!」
鳩尾を強打され、勢い余って尻もちをついた。王笏はそんな私の前でふわふわと浮かんでいる。―――と、宝玉の色が変わり始めた。
血のような赤色が抜け、少しずつ透明になってゆく。同時に先代ダンギュバルム様の巨体に見合った重く太い握りが細くなり……黒光りするいぶし銀から、白金色に変わった。
王笏は主に合わせて姿を変える。まさに言い伝えの通りだ。
もっともその時の私に、そんなことを思い出す余裕はない。尻もちをついたみっともない格好のまま、ただ呆然とそれを眺めていただけだ。
私より先に我に返ったのは、もちろん周りの魔物たちだった。
「王笏が……!? 姿を?」
「獣人……子供か? しかも兎?」
「なぜあんな小娘が?」
ザワザワと呟き出した声は、たちまち広間じゅうに広がってゆく。それでも笏と見つめ合ったまま動けない私には、嵐の音のようにしか聞こえない。
「おい、このガキ! どういうことだ!?」
ふいに耳元で怒鳴られ、私ははっと我に返った。見ると牛の角をはやした巨人が、私のフードを掴んでいる。自分の倍も大きな相手に揺さぶられると、さすがにちょっと焦る。
「答えろ。いったいどんな手を使ったんだ、ああ?」
「……」
理由なんて私にも分からない。だいたい答えようにも、フードが顎に食い込んで苦しいんだけど。
「怖くて声も出ねえのか? へっ、やっぱりガキには相応しくねえよな」
どうやら体のわりに頭は弱そうな大牛は、片手で王笏を掴み取ろうとした。しかし、それまで動かなかった笏は、まるで生きているようにひらりと身をかわす。広間がまたざわめいた。
「何だこいつ!」
「きゃっ」
そいつは私をぽいっと放りだすと、両手で笏を追いかけた。
「うおっ、動くな! この、逃げんじゃねえっ!」
先代ダンギュバルム様は、いたって謹厳なお方だったはずだけど……。その力を蓄えた王笏は、ひらりひらりと身をかわし、からかうように牛を翻弄している。飛びかかっては何度も頭から床に突っ込む姿に、私は思わずくすりと笑ってしまった。
「……笑ったな、このガキ!」
いけない、聞こえちゃった。
また襟首をひっ掴まれたところで、後ろから威厳にみちた声がした。
「静まりなさい」
「げ、フィブリス様!」
「いたっ!」
宰相の登場にびびって牛が手を放したので、私はまたしても床に放り出された。こそこそと下がろうとするそいつを睨みつけて、宰相は続ける。
「決まりごとは、知っているはずでしょう。まったく、儀式を妨げるどころか、王笏を横取りしようなど。出てお行きなさい」
それから彼は私の方に向きなおった。
「怪我はないですか」
痛いのは王笏に突っ込まれた鳩尾だけだ。頷く私に、また勢いよく何かがぶつかった。
「ひゃっ!」
それはもちろん王笏だ。宝玉は完全に透き通って、広間の灯りを映して輝いている。ダンギュバルム様の頃の質量はなくなり、私でも片手で振り回せるほどに、軽く繊細な造りになっている。まるで……そう、魔女っ子スティックみたい。
その魔女っ子スティック……じゃなかった王笏が、どういうわけか私にまとわりついてくる。
「ちょっ……、なに? あはは、やめ! くすぐったい……!」
予想外の事態に、フィブリスも驚いている。
王笏は石の部分をすりすりと私にこすりつけ、胸元に、肩に、しまいには口元にまでくっついてきた。なにこれ、まるで……犬がじゃれてるみたい!
「やだ、ちょっとやめ……! あははは……! あっ、こら! ローブの中はだめ!」
フィブリスがしびれを切らして口を開いたのと、裾から入り込まれそうになって慌てた私が叫んだのはほぼ同時だった。
「止まりなさい!」
すると狂ったように動いていた王笏が、ぴたりと動きを止めた。そしてへたり込んだ私のお腹の上へ、すうっと移動する。
予想外の光景に、広間の皆も呆気にとられていた。フィブリスが思わず唸る。
「王笏が完全に姿を変え、怪しい動きはあれど命令に従っている。―――これは、間違いないのでしょうが……」
首をかしげるフィブリスに、後ろから事態を見守っていたガルグィード将軍が問いかけた。
「だがしかし、なぜこの兎なのだ? まるで王らしくないではないか。ふむ、魔力はありそうだが……」
まあ、そう思われても仕方ないだろうな。白い耳こそあれど、人間と変わらぬ体つき、しかも童顔。美女なら少しは違ったのかしら。
「しかし将軍、過去に王笏が間違った王を選び出したことは、一度たりともないのです」
「うむ、わしもそれは知っている。だがあまりにもな……」
「ええ、そうですね」
本来の魔王候補二人が首をひねっているうちに、私はようやく立ち上がった。王笏は離れてくれないので、仕方なく片手に掴んでいる。
「……それにしても……」
「いや将軍、疑っては」
「しかし宰相。わしの疑念は、今ここにいる者みな同じだと思う。少なくとも王に足る資質を示してもらわねば、どうにも納得できまい」
すると広間のそこここから、将軍に賛同する声が上がった。後ろに並ぶ次代候補と目されていた面々も、恐ろしく不機嫌な顔で頷いている。
説明してほしいのは、むしろ私のほうなんだけどな。
宰相は頷いた。
「仕方ありませんね。そなた、名前は?」
「……ミミィです」
すみませんね、ダンギュバルム様みたいな強そうな名前じゃなくて。
「皆、いったん解散します。後程また声をかけましょう。―――さてミミィ、少し話をさせて下さい」
突き刺さるような視線の中を、私はフィブリスと将軍に挟まれて、とぼとぼと奥の間へ連れて行かれた。手の中の王笏が、私を励ますように煌めいていた。