第八話 ユージェニーとの再会
転生歴11年目。早いもので私は16歳になった。この間にいろんなことがあった。まず15歳の時にお母様が病気で亡くなってしまった。厳しいところもあるけど、基本的に優しくて上品な人だった。前世の記憶を取り戻した直後は困らせることもあったけど、最期までの数年間は仲の良い母娘として接することができたと思う。
お兄様は13歳から18歳までの間、王立騎士団で修行を積んでアーチー地方に戻ってきた。けれど少し遅れて王都へ行ったアーロンは、そのまま王立騎士団に残ることになった。
(まさか王立騎士団に腕が認められて、引き抜かれることになるなんてね……)
ちょっとした誤算だったけど、アーロンは強くなると見た私の目に狂いはなかったみたい。私やお兄様に恩義を感じているアーロンはこっちに戻ってこようとしたけど、せっかく認められたのだからそのまま残ればいいと言って説得した。今では王都に母親を呼び寄せ、若き騎士として活躍している。
義理堅い彼は今でも時々手紙を送ってくれる。手紙には私やお兄様への感謝の言葉が綴られていた。
◆
「ふう……」
「ロザリン、この頃は溜息が多いな」
「お兄様」
今ではお兄様が家の仕事を本格的に取り仕切るようになっている。お父様は2年前に身体を悪くしたこともあって、家督を譲って隠居を考えているみたいだ。お母様が亡くなって以来だいぶ老け込み、頭には白いものが目立つようになった。
「だって近頃はあまり外に出られないんですもの」
私もお兄様も相変わらず鍛錬を続けているけど、最近はそれよりも家の仕事で忙しい。趣味の狩猟にもあまり出られなくなってしまった。今日も午前中に処理しなければならない仕事を終えて、休憩中に窓から外を眺めているとつい溜息が漏れる。
「ええ、もちろん執務室で行う仕事の重要性は理解しているつもりですわ。けれどずっと屋内に篭っている生活は私の性に合いませんの」
「気持ちは汲むがな、ロザリン。お前も少しは家で大人しくしている習慣を身に着けた方がいい。グレン王子との婚約も決まったのだからな」
「……ええ、分かっていますわ」
王子との婚約が決まったのは去年のこと。お互いの意志は関係なく、スタンリー家とアメリア王家の間で話が纏められた。お兄様は反対意見を挟んでくれたようだけど、まだ当主ではない兄の発言力は弱く、結局私は18歳になったらグレン王子のもとへ嫁ぐことになってしまった。
「婚約が憂鬱か? ロザリン」
「こんなことを言ってはいけないと思いますけど、私はどうにもグレン王子が苦手ですの」
休憩中はメイドたちを下がらせているので、私は正直な気持ちを打ち明ける。
「8歳の時に初めてグレン王子と顔を合わせてから、何度か会う機会がありましたけど……」
第一印象は最悪だけど交流を重ねていくうちに仲良くなり――なんてことは全然なかった。一切なかった。むしろ会えば会うほど初対面の時に感じた本能的な忌避感が強まっていった。
ゲームのロザリンドは彼に夢中だったようだけど、私はグレン王子の冷たい目がどうしても好きになれない。
「正直だな。王子との縁談をそこまで嫌がる娘は、国中を探してもお前ぐらいのものだろう」
「そうかしら? お兄様は私とグレン王子が結婚して、幸せになるとお思いで?」
「……難しいだろうな。お前は上流階級の女性の中でも群を抜いて自立心が強い。王族は俺たち以上に自由が少ない。第二王子の妻となるのであれば民から称賛されるに足るレディでなければならないだろう。貞節で慎み深く、優しく夫に寄り添う妻――ロザリンにそんな生き方ができるとは思えないな」
「おっしゃる通りだわ」
聞きようによっては失礼な物言いだけど、実際その通りだと私も思う。
だってその生き方は、世間や両親から求められても実践することのなかった生き方だ。
「そう落ち込むな。馬で森へ行ってきてはどうだ。お前の馬も久しぶりに遠出したがっているだろう」
「でも」
「仕事なら心配するな。ロザリンが手伝ってくれたおかげでだいぶ片付いた。後は俺だけで大丈夫だ」
「ありがとうございます、お兄様」
婚約が決まってからというもの、お兄様は今まで以上に私を気遣ってくれている。私は乗馬スタイルに着替えると厩舎に行って愛馬のネプチューンに跨った。
「行くわよ、ネプチューン!」
1人で領地の森へ向かう。今の時期のモンスターは大人しいけど、念の為に防具と武器も持って行く。
「ん?」
森の奥へと進んでいくと、森の音に混ざって馴染のない音が耳に届いた。
……人間の歌声だ。こんな森の中で? 不審に思った私は歌声が聞こえる方へ馬を歩ませる。音の源に近付くにつれ動悸が速まる。危険を感じてのことじゃない。感覚的にはむしろその逆で――。
「!!」
開けた空間に出た私は息を飲んだ。木々の間の静かな空間の真ん中に、夢のように愛らしく美しい少女が佇んでいた。
(かっ、可愛い……!)
彼女は目を瞑り、両手を胸の前で組んで歌っている。栗色の髪を耳の下で二つに結び、陶器のように滑らかな白い肌が木漏れ日に彩られている。その佇まいを見ただけで、私は彼女が誰なのかを理解した。
(天使だ、天使の再臨だ……!)
ユージェニーだ。『戦場の薔薇』のヒロイン、ユージェニー・キャロルだ。間違いない。
「……誰?」
ユージェニーが歌を止めて顔を上げると、私と視線が合う。
こんな出会い方、ゲームにはなかった。ゲームではユージェニーは森を散策しているうちに迷ってしまい、森を抜けた先にあるスタンリーの城の裏で散歩に出ていたお兄様に発見されるという筋書きだった。ロザリンドと知り合うのはその後だ。
「あ……」
「あなた……ここはスタンリー家が所有する森よ。一体何をしているの?」
唐突な既視感が私を襲う。子供の頃もこの森でユージェニーと巡り合った。あの時もこんな会話を交わしたような覚えがある。ユージェニーは見るからに怯えた表情になり、胸の前の両手を組み直す。
「ご、ごめんなさいっ! 私はつい先日、ローズ村に引っ越してきたばかりなんです! 散歩していたら迷ってしまって、いつの間にかここまで来ていたんです。まさかスタンリー様の土地に入っていたなんて……」
「あら、そうなの。その割には気持ち良く歌っていたようだけど」
「だってここはとても気持ちのいい場所ですから。不安も忘れてつい歌ってしまったんです」
「おかしな子ね」
私がついクスクス笑うと、彼女も安心したような表情を浮かべた。
「失礼ですが、あなたはロザリンドお嬢様ですか?」
「どうしてそう思うの?」
「ローズ村でも有名なんです。スタンリー侯爵家にはランドルフ様とロザリンド様という素敵なお子様がいらっしゃると。ロザリンド様はお美しく聡明で、さらには勇敢で高潔な素晴らしい女性だと伺っています。愛馬である白い馬に跨った姿は、神話に出てくる戦乙女のようだというお話で――あなたはその噂通りの方ですもの」
「ふ、ふん! つまらない噂が流れているようね! まったく……」
その手の称賛は日常茶飯事だけれど、ユージェニーから言われるとなぜか調子を崩してしまう。私はぷいと顔を背ける。自分でも顔が赤いのが分かった。……これじゃあ典型的なツンデレお嬢様だ!
「そうよ、私はロザリンド・スタンリー。……で、あなたは?」
「私はユージェニー・キャロルと申します。ロザリンドお嬢様」
「お嬢様はいらないわ。それであなたは迷子なんでしょう? ローズ村に引っ越してきたのよね? しょうがないわね、出口まで案内してあげるわ」
「そんな、滅相もございません! ロザリンド様を煩わせるなんて……」
「スタンリー家の森の中で遭難者が出るより遥かにマシよ。あなた、馬には乗れる?」
「いいえ」
「そう。なら歩いていきましょうか」
「あ、ありがとうございます」
私は馬から降りて手綱を握り、先導して歩き出す。ユージェニーは小走りについてきた。
「ローズ村には家族と一緒に引っ越してきたの?」
「いえ……前に住んでいた町で、両親が死んでしまったので……ローズ村の伯父夫婦のところにやって来たんです」
「そう」
ということは、もうすぐゲームの時間軸に突入するということか。うう、ドキドキしてきた。果たして破滅エンドを回避できるかどうか。私は横目でユージェニーを見やる。何も知らない彼女は私の視線に気が付くと、屈託のない微笑みを向けてきた。
(ああ、やっぱり可愛い、可愛すぎる……! さすが乙女ゲーのヒロイン! 天然で人を魅了する魔性の力が備わっているわね!)
ユージェニーが覚えているかどうか定かじゃないけど、子供の頃にもこの森で私と彼女は会っている。あの頃も可愛かったけど、今はさらに可愛くなっている。かなりの美少女だ。
(それも上流階級の洗練された美とは違う、天然物の美しさ……! 上流階級の令嬢が丹念に手入れされた庭園の花だとするなら、ユージェニーは野に咲く花だわ! それでいて粗野で野暮ったい感じはない。まさに奇跡としか言い様のない美少女!)
これは複数のエリートイケメンに言い寄られるのも納得だ。ゲームイラストでも可愛かったけど、実物はもっと可愛い。三次元は二次元に勝てないなんて誰が言ったのか。少なくともユージェニーに限って言うと、目の前にいる三次元バージョンの方が最高だ!
だってなんかいい匂いもするし……香水? まさか、そんなタイプじゃない。じゃあ何もつけていないのにお花の香りがするってこと!? くっ……恐るべし、乙女ゲーのヒロイン!
「あの、どうかなさいましたか?」
「い、いえ! ええと……そうだ。亡くなった両親は何の職業に就いていらしたの?」
「父は小教区の司祭を務めていて、母は父の仕事を支えていました。でも数ヶ月前に病気で立て続けに死んでしまって……」
「……そう。お悔みを申し上げるわ」
「ありがとうございます」
ゲームの記憶を辿る。ユージェニーの両親は、町で流行した病気の患者の為に教会を開放して看病に当たった。病気といってもただの風邪だったんだけど、内科は主に教会の管轄で薬を出していたから、患者が大量に押し寄せた。その大量の患者たちの看病にあたるうちにユージェニーの両親は揃って肺炎になり、娘の看病も虚しく亡くなってしまったという設定だった。
「さあ、ついたわ。あそこが森の出口よ。森を出て真っ直ぐ歩けばローズ村の入り口に繋がっているわ」
「ありがとうございます! なんとお礼を申したらいいのか……」
「さっきも言ったけど気にすることはないわ。それよりもユージェニー。あなた、次の日曜日は空いているかしら?」
「え?」
「私の家では日曜日の正午過ぎにお茶会を開いているの。よ、よろしければあなたを招待してあげなくもないわよ!」
「え……とてもありがたい申し出ですが、どうして私なんかを誘ってくださるんですか?」
「へ、変な勘違いをするんじゃないわよ! 聖職者としての務めを全うしたあなたの両親を悼んでのことなんだから! 別にあなたをどうこう思ってのことじゃないんだからね!」
「あ、ありがとうございます。ロザリンド様のようなご立派なお方に悼んでもらえるなんて、両親も喜んでいることでしょう」
「フン、それじゃあいいのね? 分かったわ。後日改めて招待状を送らせてもらうから、あなたの住所を教えないさい!」
「はい!」
彼女の姿が見えなくなると私は馬にまたがって来た道を戻った。屋敷に戻るとお兄様の元へ行って、ユージェニーを次のお茶会に招待したと伝える。
「ローズ村の娘をゲストに? 俺は構わないが珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
「ユージェニーという娘は気丈に振る舞っているように見えて、内心では打ちひしがれているようだったわ。彼女の両親は立派な聖職者で、数ヶ月前に殉教なさったそうよ。敬意を払うのは当たり前でしょう」
「なるほど、それもそうだな」
お兄様は納得してくれたので、早速ユージェニーの家に招待状を出す。招待状は私が自らしたためる。手紙にペンを走らせながら、私の胸は緊張と興奮で高鳴っていた。