第六話 火種
転生歴6年目、私は11歳になった。お兄様が王都へ行ってからもう3年の月日が流れた計算になる。
城内の訓練場では月に一度、訓練を兼ねた武芸試合が行われている。剣技や格闘技の試合も行われるけど一番の花形は馬上槍試合だ。
使われる武器は本物じゃないし、殺傷能力の高い技も使用禁止。それでも鎧を着て盾を構え馬上で対戦相手と戦う実戦方式だからみんな本気になるし、何よりワクワクする!
「でりゃあああっ!」
「お見事! この勝負、ロザリンドお嬢様の勝利です!」
「これでロザリンドお嬢様の初優勝が決まったな!」
「まさか本当に優勝なされる日が来ようとは……」
「ご両親もお嘆きに――い、いえ、きっとお喜びになられるでしょう!」
体格差や体力がモロに影響される競技だから、さすがに年齢は分けられている。私が参加しているのは10歳以上14歳以下の騎士見習いが参加可能な少年の部だ。私は今日この大会の馬上槍試合で初優勝を飾った。
「聞きましたよ、ロザリンド。ついに武芸トーナメントで優勝してしまったんですってね……」
「なんということだ……」
夕食の席で呆れたように母が呟いた。父も眉根を寄せて顔を曇らせる。
「11歳の女の子が、同年代の騎士見習いの大会で優勝してしまうとは……」
「分かっています。遅いとおっしゃられたいのでしょう。お兄様が私の年齢の時には数回の優勝経験を持っておられましたものね」
できれば去年のうちに初優勝を飾っておきたかった。優勝経験もないまま年齢オーバーしてしまう騎士見習いも少なくないので、彼らからすると贅沢な悩みだろうけど。
でも私はスタンリー家の娘として、そしてランドルフお兄様の妹として立場と責任があるんだから!
「違います! 他の名門の令嬢を見てごらんなさい! あなたのように男の子に混じって戦闘訓練に明け暮れている娘はいないでしょう! ああ、いよいよお嫁の貰い手がなくなってしまいますわ……」
「お母様。私は前々から申しておりますように、他家へ嫁がずお兄様の補佐役としてスタンリー家に残り、家の為に尽くしていきたいと考えておりますの。そういう生き方を選ぶ女の方もいらっしゃるのでしょう?」
貴族の娘であってもお嫁に行かず、男兄弟やその子供たちの為に生家を支える生き方をする人もいる。さすがに私のような好戦的なやり方を選ぶ女の子は滅多にいないようだけど。
「他家の娘であればそれも可能だろう。しかしお前は――」
「お父様?」
「後で私の寝室に来なさい。大切な話がある」
「? はい」
食事を終えると私は言い付け通りお父様の寝室に向かった。お父様はメイドを下がらせて私をソファに座らせると話を切り出す。
「お前は政治や軍事の勉強も積極的に行っているようだな。ならばアメリア王国、ヴァルハラ王国の両国においてアーチー地方が地政学上重要な土地だというのは分かるだろう」
「はい」
「ヴァルハラ王国からアメリア王国を攻めようとすればアーチー地方を制圧せねばならない。アーチーを制圧すればヴァルハラは一気にアメリアを攻めやすくなる。それだけにアメリア王家からはアーチー地方が重要視されている。侯爵家である我らスタンリー家と今以上に親密な関係を築きたがっているほどだ」
「先代サイラス王の亡き後は王家の支配力が弱まって、反対に各地における諸侯の力が強くなっていますものね」
「お前は本当によく勉強しているな。ああ、いっそお前が男の子だったら――」
「私が男の子ならお兄様と跡継ぎの座を巡って争っていたかもしれませんわ。そうならなくて良かったと思っておりますの」
「うむ。言われてみればそうかもしれんな」
「妹なら跡継ぎ争いに巻き込まれることもなく、お兄様のお役に立てますもの」
「そのことだが」
お父様は溜息をつくと私を膝の上にのせた。
「スタンリー家はお前の兄ランドルフが継ぐだろう。そしてお前は第二王子、もしくは大公家へと嫁ぐことになる可能性が高い。第一王子の婚約者は既に決まっているからな」
「……政略結婚ね」
「さすがに飲み込みが早いな」
「そう、そういうこと。私たちの意志の問題ではなく家同士の問題なのね」
お父様は重々しく頷く。
アメリア王国は封建制の国だ。領主にとって王は忠誠を誓う主君だけど、その忠誠は絶対的なものとは限らない。王家と諸侯の関係が悪化すれば反旗を翻される恐れがある。
特にアーチー地方は広大で領民の数も多く、生産力が高い。ヴァルハラ王国との国境に面している関係もあって領主の権限が強く、独自に軍事力を備えることも許可されている。つまり独立できるポテンシャルは十分あるということだ。
王家の支配力が弱まり、各地の諸侯が力を見せ始めている今だからこそ王家はスタンリー家と縁を結びたがっている。スタンリー家としても近頃のヴァルハラ王国との関係は悩みの種だった。王家と縁を結んでおけば有事の際に強力な援軍を要請できる可能性が高くなる。
つまり両方にとってwin-winの関係ということだ。
「でも、まだ正式なお話は来ていないんでしょう?」
「それはそうだが」
「でしたらこの話をするのは気が早いわ。グレン王子や大公家の方々にだって、他にいいお相手が見つかるかもしれないじゃない」
このまま武芸や勉強を重ねて女らしくない女に育てば、妻として相応しくないと判断される可能性もある。そうすれば縁談自体が来なくなる可能性もあるんじゃないかな。王族は外の貴族よりもさらに世間体にこだわるから、妻の役割を果たしそうにない女は最初から除外されるかもしれない。そうなってくれたら願ったり叶ったりだ。ていうか、そうなってほしい。
「ねえお父様。あちらからお話が来ない限り、私はスタンリーの家にいてもいいでしょう?」
「うむ、それは、まあ」
「やった! でしたらこんなお話はもうお終いにしましょう。それよりもお仕事のお話を聞かせて!お父様は先日までホーンズ要塞でお仕事をしていらしたのでしょう? お話を聞かせてくださいな!」
ホーンズ要塞はアーチー側で構築された国境要塞だ。
少し前から貿易を巡ってヴァルハラ王国とアメリア王国の関係が悪化していた。ヴァルハラ人が強引に関所を突破しようとしたり、国境付近で示威行為とも見られる行動を繰り返したり――そのせいでアメリア国内でも反ヴァルハラ機運が高まっていた。
ついにはヴァルハラ人の武装集団がホーンズ要塞の向こうに現れ、アメリア王国――というかアーチー騎士団と衝突した。幸い小規模な衝突で済んだけど、あれでさらに関係が悪化してしまった。つい3ヶ月ほど前の話だ。お父様は侯爵として要塞で防備を固め、前線の指揮を執っていた。
「お前が好みそうな話はないよ。ヴァルハラとの問題も後は外交で片付ける。これからしばらくは平穏に過ぎるだろう」
確かに当面はそれで片付くだろう。でも火種は残ってしまった。はっきりとは言わないけどお父様の態度もそれを雄弁に語っていた。
……何より私はこの先の運命を知っている。ロザリンドが18歳の時にヴァルハラ王国とアメリア王国の戦争が始まる。
「ねえお父様、私が前に言ったことを覚えている? 私が11歳の時にヴァルハラ王国との関係が悪化して、18歳の時に戦争が始まるだろうって」
「そんなことを言っていたか? 覚えていないな。いずれにせよ後からなら何とでも言えるだろう」
お父様は最初から私の言うことを信じていなかった。それどころか覚えてすらいない。お兄様にもそれとなく打ち明けたことがあるけど、普段は優しい兄もその時ばかりは苦笑するだけだった。
『そんなことを言うものじゃない。あまりおかしなことを言っていると、不信の目で見られてしまうぞ』
私はギリシャ神話に伝わる悲劇の予言者カサンドラにはなりたくない。お兄様にたしめられて以来、私は未来のことについて口を閉ざすようになった。子供の私が何を言ったところで大人はまともに取り合ってくれない。だったら変な目で見られるよりも、上手く立ち回りを計算した方がいい。
「それでは失礼しますわね。お父様」
「ああ」
お父様の言うように、それ以上は興味を惹かれるような話はなかった。武力衝突が終わった以上、後は面倒な政治の話ばっかりだ。夜が更けたのを口実に私は許可をもらって自分の部屋に戻り、ベッドに入って横になった。