第五話 氷の王子グレン
転生歴3年目。私は8歳、お兄様は13歳になった。今までスタンリー家で教育を受けていたお兄様だけど、今年から王都に修行へ行くことになっている。スタンリー家の嫡男として王立騎士団で手ほどきを受けながら、王侯貴族と親睦を深めるのだそうだ。兄本人も積極的に見識を深めたいと言って、なんと5年間も家を離れることになった!
「やだやだやだやだやだ! お兄様と5年間も離れ離れになるなんて、絶対にいやだあああ!」
「ロザリン、泣くんじゃない。何も永遠の別れというわけではないんだ」
「今までずっとお兄様と一緒だったのに! 5年も会えないなんて嫌あああ!」
駄々をこねる私に両親は匙を投げ、お兄様が説得することになった。お兄様の部屋でベッドに寝転がり、手足をバタバタさせる。いくら私でも今回はお兄様と一緒に修行に出るわけにはいかない。私はスタンリー家に残って今まで通りの暮らしをする。
お兄様は家を出る前に、私が今まで通りの――戦闘指南、政治、軍事の勉強なんかをできるように両親を説得してくれていた。それはありがたい。でもお兄様と離れるのは嫌!
「休みが取れたら必ず帰ってくるさ。それにロザリン宛に手紙も書こう、な?」
「本当!?」
「可愛い妹に嘘をつく筈がないだろう」
「毎日書いてくれる!?」
「毎日は無理だな。ははは!」
お兄様はいつでも私に優しい。ゲーム内でもロザリンドに優しかった。
「まったくお前ときたら。普段はどことなく大人びているのに、時折ひどく子供じみて見えるな」
「うっ……」
そりゃまあ、だって前世では17歳の女子高生だったし。転生歴3年目だから、トータルすると20歳の精神年齢だ。前世なら立派な大人にも関わらず、幼児のようにジタバタしている私って一体……。さすがに恥ずかしくなったので大人しくする。その様子を見たお兄様は、私が諦めたと解釈したようだ。
「俺がいないからといって勉強をサボるんじゃないぞ」
「お兄様が毎月3回お手紙を送ってくれると約束するなら怠けないわ!」
「しょうがない子だな。分かった、約束するよ」
「ありがとう! お兄様、大好き!」
その晩は同じベッドに枕を並べて眠ることになった。
なかなか寝付けなかった私は、お兄様の寝顔を観察する。長い睫毛に滑らかな肌。妹である私から見ても、お兄様はかなりのイケメンだ。ゲームでは23歳という設定だった。大人になったお兄様はきっと今以上に素敵な男性になり、多くの女性の心を射止めるだろう。
こんなにカッコ良い兄が、どうしてゲームでは一番の不人気だったんだろう? 答えは簡単。シスコンだからだ。
お兄様はヒロインのユージェニーを何よりも優先するタイプじゃなかった。あろうことか悪役令嬢の兄として、主人公と悪役令嬢を同じぐらい大切にしていた。そこが乙女ゲーユーザーから支持を集められなかったポイントだろう。
(って、だったらダメじゃん! 今の私、どう考えてもお兄様をシスコンに導いているじゃん!)
お兄様×ユージェニールートに入る為にも、兄には妹離れしてもらわないといけない。
考えようによっては王都行きが妹離れのチャンスだ。王都はこっちと違った刺激が多い。都会で面白おかしく暮らすうちに、次第に私のことも忘れていくだろう。
(でも毎月3回手紙をくれるって約束した……ううん、お兄様には妹離れしてもらわないと……でもやっぱりお兄様が私を忘れるなんて嫌だあああ……ああ、涙を拭く為のハンカチを送ってえぇ……)
その夜、私は悶々と悩み続けてなかなか眠りに就けなかった。そんな私の隣でお兄様は安らかな寝息を立てていた。
……兄妹離れする必要があるのは、私も同じようだった。
◆
いよいよお兄様が王都へ旅立つ日がやって来た。王都まではお父様と私も同行して、数日間滞在する予定になっている。
「ロザリンドも8歳だ。そろそろ王様へ拝謁しておいた方がいい」
というわけで、王宮。私は王族にお目通りする。第一王子はラザラス様。この方が次期国王だけどゲームのルート次第では戦時中に亡くなってしまう。その場合は第二王子のグレン様が国王になる。
ちなみにグレン様はロザリンドの婚約者だったけど、アーチー地方へやって来た際にヒロインのユージェニーを見初める。ゲームのロザリンドは敵国にすり寄って情報を売る売国奴だったので、婚約破棄は妥当だった。2人の王子の下にはアン様という王女様がいる。アン様はこの時点ではまだ赤ちゃんで、侍女に抱かれていた。
「久しいな、ランディ。お前が王都へやって来るのを待ちわびていたぞ」
お兄様とグレン王子には面識がある。年齢が一つ違い――王子の方が年上――ということもあって、何かと話が合うみたい。兄は王都へやって来る度にグレン王子と顔を合わせ、友情を育んでいた。
「はっ、グレン様。ありがたきお言葉にございます」
「そう固くなるな。今日からは同じ師の下で学ぶ同士だ」
グレン王子は玉座のある階段を降りて、兄の前に来ると握手を交わす。
「それが噂の妹か」
「――!」
王子は私に目をくれる。その瞬間、私の身体に冷たいものが走った。
(なんて冷たい目をしているの……まるで人に向ける視線じゃないわ!)
王子の眼差しは人に向けるものというよりも、商人が品物を物品する視線に近かった。相手を人ではなく物として見るような目。私にはそう感じられた。
でも、それも一瞬のこと。王子はすぐに爽やかな笑顔を浮かべると私に手を差し伸べる。
「グレン・ジャスティン・レイ・アメリア第二王子だ」
「アーチー侯スタンリーの娘、ロザリンド・スタンリーと申します」
王子の手には力が込められていた。私も微笑みを浮かべて王子の手を握り返し、力を込めて数回上下に振る。
御しやすいと思われるよりも扱いにくいと思われた方が、縁談が遠のくかもしれない。私は一目でこの人が好きになれないと直感した。ゲームでもグレン王子とロザリンドの間には、心が通い合っていなかった。もちろん婚約者としての礼は尽くしていたようだったけど。そういえばグレンルートではヒロインにこんなことを言っていたっけ。
『果てなき野望を抱き、権勢拡大に情熱を燃やしていた俺の心に癒しを与え、不毛の氷原に花を咲かせたのはお前だけだ。ユージェニー』
回りくどい表現だけど、つまりロザリンドのことはまったく何とも思っていなかったという意味だ。
グレン王子はゲーム内で『氷の王子』と呼ばれていた。金髪碧眼で端正な容姿をしているけど、切れ長の瞳は鋭くて冷たい。その冷たさを貴公子然とした振る舞いで隠しているけど、この先の運命を知る私はどこか空々しく感じていた。
「ロザリンドよ。そなたの兄、しばし借り受けるぞ」
玉座での謁見が終わると、私たちは王宮を出てすぐ近くのところにあるスタンリー侯爵家の別荘に向かう。数日後には王都に兄と召使を残して私たちはアーチー地方に戻った。
それからは約束通り、兄は毎月3回の手紙を欠かさずに送ってくれた。私もすぐに返事を書いては送り返す日々が続いた。