第四話 ヒロインとの出会い
「お兄様、遅いな~。まだ帰ってこないのかな~」
その日の私は狩猟に向かった兄の帰りを待ちわびて、外の様子が一望できる二階の窓から森を眺めていた。お兄様は馬術と統率力を磨く訓練になるといって定期的に狩猟に出向いている。やがて狩猟に出た一団が戻ってくるのを見ると、私は急いで駆け出した。
「お兄様、お帰りなさいっ!」
私を見つけるとお兄様は馬から降りる。私は走ってきた勢いのままお兄様に抱き着いた。
「ロザリン! 見てごらん、今日は鹿モンスターを狩ってきたぞ!」
「わあ、すごい! さすがお兄様ね!」
「今夜は鹿肉のローストだ!」
やったあ! 本物のジビエだ!
鹿モンスターは普通の鹿肉とあまり変わらない味だから、食材としても評価が高い。城の裏手にはスタンリーの森と呼ばれる森が広がっていて、モンスターや獣が出没する。繁殖期に増えすぎると森から抜け出して近隣の農園を荒らすので、定期的に狩って数を調整しているのだ。
「あ~あ、私も一緒に行きたかったなあ」
「ロザリンはまだポニーにしか乗れないじゃないか。でもそうだな、来年は一緒に狩りに出られるかもしれないな」
「ええ!」
さらに1年後、お兄様の予想は的中した。私は8歳になると専用に仕立てられたズボンとブーツを履いて馬に跨り、武器を持って狩猟に同行するようになっていた。
◆
「そっちへ行ったぞ、ロザリン!」
「ええ、お兄様!」
猟犬に追い立てられた獲物が目の前に飛び出してくる。私たちはお兄様の号令に従って、槍で獲物の猪型モンスターを狙った。私はモンスターを弱らせる役目で、最後はお兄様の槍が獲物を仕留める。
「おおお! ロザリンド様、ナイスアシスト!」
「初めて狩りに出られたとは思えませんね!」
狩猟に同行している猟師たちが称賛の声を浴びせる。
「おーっほっほっほ! どうということはありませんわ!」
転生歴3年目。私はすっかりお嬢様が板につくようになっていた。まあ元々オタクだったし、ネットのお嬢様部でお嬢様語はマスターしていたし。
「さあ、どんどん狩っていきますわよ! この森のモンスターを駆逐してやりますことよ!」
「駆逐はダメだぞ、ロザリン。モンスターとは言え森の生態系の一部だ。あくまで余剰分や人里を荒らすモンスターを狩るだけだ」
「え、ええ、そうね。お兄様!」
「今日仕留めたモンスターは昨年ローズ村の畑を荒らしていた種族だ。もう少し狩れば今年の増加は防げるだろう」
お兄様は馬上で髪をなびかせ、白い歯をのぞかせて笑う。13歳になって声変わりを果たしたお兄様は、最近ますますカッコ良くなっている。
「さあ、次の獲物を狩るぞ!」
「ええ、お兄様!」
すっかり狩りの楽しさに目覚めた私は我を忘れ、興奮して馬を走らせる。
「おいロザリン、どこへ行くんだ!?」
「ロザリンド様~!」
ふと気が付くと私はお兄様たちとはぐれてしまっていた。
「あ、あら? ここはどこかしら? まあいいわ、帰りましょう」
乗っている馬は狩猟慣れした馬で、もう何度か森に入っている。帰り道を覚えているから心配はいらない。
「……――ッ!」
「えっ?」
その時、遠くで小さな悲鳴のような声が聞こえた。
気のせい? それとも鳥の声? ……ううん、あれは人の声だ。それも女の子の悲鳴。一緒に森に入った仲間の中に女の子はいない。ということは、近くの村の子供が迷い込んでしまった?
いけない! 私は馬を駆って悲鳴が聞こえた方向へ向かった。
「いやあ! 助けてー!」
辿り着いた先で、私と同い年ぐらいの女の子が猪型のモンスターに追いかけられていた。女の子は躓き、今まさにモンスターが襲い掛かろうとしている。
「危ないッ!」
私は素早く馬をモンスターの後ろに滑り込ませると、後ろから槍で突っついた。怒ったモンスターは注意をこちらに向け、勢いをつけて突進してくる。
「ふん!」
馬を操ってひらりと躱す。猪突猛進のモンスターは私の後ろにあった大木に激突して目を回してしまった。私は馬から飛び降りてモンスターの首に槍を突き立てる。切っ先は吸い込まれるように動脈へと食い込んだ。仕留めたという手応え。モンスターはぶるぶると震え、やがて動かなくなった。
「はあはあ、大丈夫?」
「う、うん。ありがとう、助けてくれて」
「どういたしまして」
振り向いて女の子の無事を確かめると、私の心臓は止まりそうになる。
柔らかそうな栗色の髪にエメラルドのような緑の瞳。滑らかできめ細やかな肌に、ふっくらとした頬。桜色の唇にバラ色の頬。私が助けた女の子は、目を疑うほどの超絶美少女だった。
か、可愛いいいいいいい!
え、何、この子!? お人形さん? お姫様? 天使? 森の妖精!?
「こ――こんなところで何をしていたの!? 見たところ近くの村に住んでいる子供でしょう? 今の時期スタンリーの森にはモンスターが出るから危険だって聞かされていないの!? 女の子が1人で森へ入るなんてどうかしているわ!」
あまりの美少女を前に興奮して一気に捲し立てると、女の子は目を丸くする。
「え、でも、あなたも……」
「わ、私はいいの! 私はお兄様たちと一緒なんだから! 今はちょっと離れているけどね。迷子じゃないのよ! 帰り道はちゃんと分かっているんだから!」
うう、なんだかさっきから余計なことばかり言っているような。だってこんな可愛い女の子を前にしたら調子が狂っちゃう!
……気になる女子にイジワルしちゃう男子の気持ちも分かるかも……。
「あ、あのね。私もお兄ちゃんと一緒に森へ入ったの」
「あら、そうなの」
でもビクビクしている女の子を見ていると、さすがに罪悪感が芽生える。そうだ、ツンデレムーブをかましている場合じゃない。この子は怖い目に遭った直後なんだから、優しくしてあげなくちゃ!
「で、そのお兄さんは、どこにいるの?」
「ええと、気が付いたら1人になってて……」
「そう。私の馬が帰り道を知っているから大丈夫よ。あなたも一緒に来なさい。ところであなたの名前は――」
その時、森の奥から声が聞こえてきた。
「おーい、ジェニー! どこだー!」
「あっ! アーロンお兄ちゃん! こっちだよ、お兄ちゃん!」
「……ジェニー? アーロン? えぇっ!? ということは、ひょっとしてあなたが――」
乙女ゲー『戦場の薔薇』のヒロイン、ユージェニーの愛称はジェニーだ。
確かに目の前の少女にはユージェニーの面影があった。ユージェニーはロザリンドの一つ年下だから年齢的にはおかしくない。
後にアーチー騎士団の団長になるアーロンとは幼馴染同士だけど、同じ村や町で生まれ育ったわけではなく、子供の頃に遊びに来た伯父夫婦の家で親しくなったという設定だった。
(確か子供時代にアーロンと森に入って迷子になって、モンスターに追いかけられたんだっけ。それで落とし穴に落ちて泣いていたところをアーロンに助けられたのが思い出として語られていたっけ――)
私は横目でちらりと仕留めたモンスターを見やる。
……まさか、このモンスターが!?
私が仕留めてしまったからユージェニーとアーロンの思い出は発生しなくなってしまう!?
まあこの世界ではお兄様×ユージェニーのルートを目指しているから別にいいけど。
「どうしたの?」
「え。いえ、別に……」
ちなみにお兄様とユージェニーが幼い頃に森で出会った設定はない。もちろんロザリンドとも面識がない。ゲームではおしとやかなお嬢様だったロザリンドは、兄にくっ付いて森に入ることなんてなかった。中身が私になったせいで、こんな幼い段階で接点ができてしまうなんて! 私はユージェニーに向き直る。
(くっ……可愛い! なんて可愛さなの!? これが乙女ゲーヒロインが持つ魅力!? 美人や美少女には見慣れている方だけど、オーラが全然違う!)
転生して3年目にもなると、上流階級の子女と顔を合わせる機会も増えていた。貴族の子供はさすがに美男美女揃いだった。
でもユージェニーはオーラが違う! さすが上流階級の美女たちを差し置いて複数のエリートイケメンから惚れられるだけはある。同性の私でさえ惹きつけられてしまいそうだ。ていうかもう完全に惹かれていた。この子、可愛すぎる!
(でも、ここで私とユージェニーが知り合うわけにはいかない! それじゃ運命の筋書きが大きく変わっちゃう!)
狙わないと難しいお兄様ルートにユージェニーを誘導するには、私がしっかりフラグ管理しなくちゃいけない!
ここでユージェニーと私が知り合ってしまえば、芋づる式にお兄様と面識が生まれる。そうすると他の攻略キャラたちと知り合うタイミングも変わってきて、先の予想が立てにくくなってしまう! それは困るから阻止しなくちゃ!
「お兄さんが近くにいらっしゃるみたいね。それでは私は失礼するわ!」
「えっ?」
「さようなら!」
「あっ、待って!」
私は愛馬に跨るとその場を後にした。追ってこないのを確認すると、物陰に身を隠して無事に再会できたかどうかを確かめる。
「ジェニー! 良かった、さあ帰るぞ!」
「う、うん……」
ユージェニーたちは森から出て行った。彼女たちの姿が見えなくなると私もお兄様を探しに戻る。
「ロザリン! 探していたんだぞ! よく無事でいてくれたな!」
「ごめんなさい、お兄様。ねえ、私も1人でモンスターを仕留めたのよ! こっちにいるからついてきてちょうだい!」
「なんと! さすがはロザリンド様!」
私の獲物はお城に持って帰り、お兄様の獲物は近くの村々に送られる。その夜はスタンリー家と近隣農家の食卓にモンスター肉料理が並んだ。
◆
私はユージェニー・キャロル。今年7歳になりました。
普段はオークス地方にある街でパパやママと一緒に暮らしているけれど、今年はアーチー地方のローズ村にある伯父さんの家に遊びに来ています。パパたちは『じょうそうきょういくのため』だって言っていたけど、意味はよく分かりません。
ローズ村には動物がいっぱいいて、原っぱや森も多いから私は毎日近所のアーロンお兄ちゃんとあちこちを駆け回って遊んでいました。
そんなある日のこと。森で迷子になってモンスターに追いかけられていたところを、おとぎ話に出てくるようなカッコ良い女の子が助けてくれました。
銀色に輝く髪に、金の瞳。怖いぐらいにキレイなその子は、まるで女神様のようでした。
「さようなら、ジェニー。また来てちょうだいね」
村を離れる日、私は伯父さんと伯母さんに見送られて迎えに来たママたちと一緒に馬車へ乗り込みます。あの子に会いたいと思っていたけど、また出会えることはありませんでした。それでもあの子の姿は私の心に残っています。
……私もあの子のようになりたい。村に来た時にはなかった気持ちを抱きながら、私は街に戻っていきました。