第三話 未来を変えるその為に
「ロザリンドお嬢様! ああ、お待ちになって!」
転生歴1年目。私は刺繍を放り出して部屋から逃げる。家庭教師やメイドたちが追いかけてくるけど、うまく撒いて目的の場所に向かった。
「もう! このままじゃ悲惨な未来が待ち構えているのに、ちまちま刺繍なんてやっていられないわ!」
追手の姿が見えなくなると私は1人で毒づいた。
「さ、お兄様のところへ向かおうっと」
スタンリー侯爵家の屋敷は城砦の中に造られている。スタンリー城と呼ばれる城の中には、屋敷の他にも使用人居住棟、訓練所、図書館、工房、牢屋、闘技場などなどの施設がある。
「無駄に広いせいでよく迷っていたっけ。1年も経てばさすがに慣れたけど」
スタンリー侯爵の所領であるアーチー地方は、ヴァルハラ王国との国境に面している。だからスタンリー侯爵家では独自に軍事力を持つことが許可されていた。
アーチー騎士団と呼ばれる騎士団はその代表格だ。主に歩兵、弓兵、騎兵(馬・翼竜)で構成されている。基本的に騎士階級の人間のみで占められるけど、有事の際には民間の徴集兵や傭兵も受け入れる。戦功を立てた平民が騎士爵という一代限りの貴族に取り立てられることもあるみたい。
お兄様は城内でアーチー騎士団員による教育や戦闘指南も受けている。一方、妹である私には刺繍や絵画、音楽に語学、そして家事――いわゆる淑女教育ばっかり。
はっきり言って私の性に合わないし、典型的なお嬢様だったロザリンドは悲惨な運命を辿ってしまった。だから私は淑女教育ではなく兄と同等の教育を受けて強くなりたいと思っている。
「お兄様~!」
訓練場で剣術指南を受けていたお兄様のところに駆けつけると、ちょうど休憩に入っていたみたい。お兄様は私をひょいっと抱き上げた。
「ロザリン! 今日も言いつけを破って来たのか? しょうがない子だなあ!」
「だって退屈だったんだもの!」
「今日は何をしていたんだ? 絵画? 刺繍? お前は部屋で大人しくしているのが本当に苦手だな!」
「私はお兄様と一緒に訓練する方がいいの! 部屋の中で過ごす時もお兄様と一緒にお勉強をする方が好きよ」
「女の子なのに戦闘や軍事について興味があるんだな。そんなことでは嫁の貰い手がなくなってしまうぞ」
「いいもん!」
お兄様はたしなめるように言うけど私は譲らない。未来のことを考えると淑女教育を受けるよりも実際的なことがしたい。
「ねえお兄様、私はお兄様のお力になりたいの。いっぱい勉強して訓練して、将来はお兄様のお役に立つのが私の夢よ。お嫁になんていかないわ!」
「おやおや、困った子だ」
口ではそう言うけど兄の顔はデレデレだ。私が頼み込めば大抵イチコロで、訓練や勉強に私の同席を許してくれる。両親はあまり快く思っていないようだったけど、お兄様が説得に回ってくれるので最後は折れていた。
「ランドルフ様、休憩は終わりです。ロザリンド様も訓練を受けられるのですかな? では、こちらの模造刀をお使いください」
「ありがとう!」
指南役の老騎士もすっかり慣れたもので、私のサイズに合わせた模造刀を用意してくれていた。その日も肩が上がらなくなるまで訓練を受け、訓練終了後はお風呂で汗を流して午餐をいただき、寝室に戻って泥のように眠った。
◆
今日は座学。図書館で歴史、地理、文化、国際情勢、軍事、時には経済について学ぶ。
「アメリア王国は200年の歴史を持つ王国です。広大な国土を持つ封建制国家であり王(king)の下に領主(Lord)が、貴族の下には騎士(Knight)が、さらには多くの平民が存在します」
「封建制国家って?」
「王と領主がギブアンドテイクの関係で成り立っている国家の形態さ。王が各地の領主を保護する代わりに、領主は王に忠誠を誓うんだ。大領主の下にはさらに複数の貴族や騎士がいて、領地の経営や軍備を担っている」
「ふーん。絶対王政とは違うの?」
「絶対王政国家は封建制国家よりも王の力と権限が強いんだ。より中央集権化が進んでいる。隣のヴァルハラ王国は絶対王政国家だな」
気になったことを隣のお兄様に小声で尋ねていると、教師である老先生は小さく咳払いをした。
「アメリア王族は古代魔法帝国の末裔であり、現存する数少ない魔法の使い手です」
「魔法!? 魔法が使えるの!?」
「今ではごく少数の権力者のみが使える神秘の力さ。アメリア王国で魔法を使えるのは王家の血を引く人間のみに限られているんだ。その為に王族の婚姻は厳重に管理されている」
「えー、つまらないの」
私が呟くと老先生はまたしても咳払いをする。
「アメリア王国は魔法の力によって近隣諸国を征服した歴史を持ちます。特に先代サイラス王は“覇王”との異名を持つほどの好戦的な性格で、圧倒的な武力をもち国土の拡大に乗り出しました」
「へえ~」
「今から20年前まではスタンリー城の周辺がヴァルハラ王国との国境でした。サイラス王の国土拡大後はさらに北にあるホーンズ要塞が国境との境目となっています。しかしサイラス王亡き後は王家による統治力が弱まり、反対に各地方における諸侯の影響力および権限が強まり――」
「ロザリン、ロザリン。大丈夫かい?」
「ううん……はっ!? だ、大丈夫よ、お兄様!」
この1年でアメリア語の読み書きは完璧にマスターしたけど、こういう勉強は眠くなる。
ていうか昼下がりに先生の淡々とした話し声って相性抜群じゃない? 下手な催眠術より効果あるって。
「ヴァルハラ王国は大陸の北端に位置する地理上の関係から、アメリア王国を介した貿易が行われています。しかし近年では関税が高すぎると不満の声が高まっており――」
「ぐぅぐぅ」
「ただでさえヴァルハラ人は20年前の戦いで国土の一部を奪われているので、根底には悪感情が存在し――」
「ロザリン、おい、ロザリン」
「スタンリー侯爵家はアーチー地方で防備の要を担いつつ、武力のみならず外交によっても争いを回避して領民を守るべく――」
「ん、なぁにぃ、お兄様……ふあぁぁ……」
何、もう朝? お兄様が起こしに来てくれるなんて珍しいなあ。
大きなあくびをして目を開く。私の視界に飛び込んできたのは、鬼のような形相と化した老先生の姿だった。
◆
お兄様は次期侯爵として恥ずかしくない振る舞いを習得する為に、礼儀作法の指導も受けている。淑女教育は投げ出した私だけど、お兄様と一緒のマナー講習なら文句を言わずに受ける。
「礼儀作法も大事だぞ。上流階級としてのマナーを身に着けていないと、王族や他の貴族と会った時に恥ずかしい思いをしてしまう」
「はい、お兄様!」
座学と実践の両方がある。ちょっと肩が凝るけれどお兄様と一緒なら楽しくやれた。
「ロザリンドにマナーを覚えさせるには、ランドルフと同じ教育を受けさせる方が良さそうね」
様子を見に来た母がそう言った。無理やり淑女教育を受けさせるよりも今の方が効果的だと判断したみたい。意外と柔軟な人だ。それ以来、私は晴れてお兄様と同じ教育を受けられるようになった。それでも時々チクリと文句を言われることもあったけど、概ね私の希望通りに事は運んでいった。
◆
「お兄様、お兄様!」
私はしょっちゅう兄のランドルフにくっついて回っていた。
「はあ~、お兄様って最高。イケメンで頭も良くて優しくて、まさに全乙女が理想とする最高のお兄様だわ!」
でも悲しいかな。ゲーム『戦場の薔薇』の中でお兄様は悪役令嬢の兄ポジションだった。
ヒロインのユージェニーとはまったく関係がない。私から見れば最高のお兄様でもユーザーからは嫌な女に甘いシスコン兄貴として不人気ぶっちぎりだった。
「ユージェニーはいい子だから、お兄様を悪く言うようなことはないと思うけど」
ちなみにいくら理想的なお兄様でも家族愛以上の感情は湧いてこない。血が繋がっているんだから当たり前か。私は兄とユージェニーをくっつけたいと考えている。その為にも兄のことを知る必要があると思っていたんだけど。
――転生歴2年目を迎える頃には、私はすっかり本心からお兄様に懐きまくっていた。