第十五話 戦火
終焉の始まりは唐突に訪れた。私はホーンズ要塞の軍備・防備を整え、ゲーム本編で描かれていたヴァルハラ王国による侵攻の対策を取った。だけどそのせいで運命の筋書きは大きく変わってしまった。
そう、私がユージェニーと結ばれたように――。
「申し上げます! ホーンズ要塞の前方に大勢のヴァルハラ軍が現れ、要塞は交戦状態に突入しました!」
「なんですって!?」
冬のある夜。お兄様と2人で残っている仕事を片付けるべく執務室で励んでいると、ボロボロの姿の数人の騎士が屋敷に飛び込んできた。
彼らはホーンズ要塞から伝令で走らされた兵たちだった。報告によると約1時間前、ホーンズ要塞の前方に突如としてヴァルハラ国旗を掲げる2~3000人ほどの軍隊が現れたという。
「それで要塞は!? まさか破られたというのか!?」
「そ、それが……連中は炎竜を駆り、氷雪を溶かすと同時に一気に攻めてきて……!」
「炎竜ですって!?」
私は驚いてお兄様を見る。お兄様も私と同じように驚愕の表情を浮かべていた。
「火炎山に住むという炎竜か。あれは人には手懐けられんという話の筈だが……」
「私たちがホーンズ要塞を強化していたから、確実に攻め落とす為に危険を冒したのね!」
私は拳を壁に叩きつける。迂闊だった……良かれと思ってホーンズ要塞を強化したのが裏目に出てしまった! これならいっそのこと要塞は手薄なまま迎え撃った方が、まだ楽に凌げたかもしれない!
炎竜は元々私が世界の概念で言うと、高火力の火砲を備えた空飛ぶ戦車のようなものだ。この世界でメインの空挺戦力である飛竜は、炎竜のように高い攻撃力は持っていない。飛竜に乗った兵が上空から敵を攻撃し、すぐにその場を離れるヒットアンドアウェイが基本的な戦術だ。
けれど炎竜となると話が違う。炎竜はあらゆる面で飛竜の上位互換と言っていい。今までの戦術や常識では通用しなくなってしまう。
炎竜は敏捷性・攻撃力・防御力に優れる反面で、人の手には慣れないとされていた。ヴァルハラ王国の最北端にある火炎山と呼ばれる活火山にのみ生息し、近付こうとする人間はもれなく炎に巻かれ死んでいた。
それがヴァルハラ王国の人間に手懐けられ、戦力として組み込まれるなんて!
「我々はもはや成す術もなく……騎士団長は我々に、スタンリー侯爵家へ伝令に向かうよう命じました! 今頃、団長や仲間たちは……」
「事情は分かった。よく生きて戻ったな、今はゆっくりと休め!」
「は……」
「――城内の者たちに告げる! 総員、戦闘態勢に移行せよ! ホーンズ要塞を陥落した後、敵が狙うのはこのスタンリー城だ!」
途端に城内は騒然となるが、ホーンズ要塞は本当に落とされたのかという疑いを抱く者もいた。いくら敵軍に襲われたとはいえ、あの要塞がそう簡単に破られるとは思えない。そんな不審の声を受けて私は言った。
「お兄様! 私に要塞の様子を確かめに行かせてください!」
「何を言うか、ロザリンド! わざわざ危険地帯に飛び込むなど――!」
「だってホーンズ要塞を突破された先には、ローズ村があるんですよ!」
「! そうか……」
お兄様は色をなし、一瞬考え込むような顔付きになって口を噤んだ。
「……ロザリンドと2人で話がしたい。10分ほどでいい。しばらく俺の部屋に近付かないでくれ。すぐに戻る」
「かしこまりました」
私はお兄様と共に兄の部屋へと向かう。窓の外は不気味なほどにしんと静まり返っているけれど、ホーンズ要塞の方角の空は夜だというのに赤く燃えていた。
――ちょうどローズ村の方角が。私は小さく悲鳴をあげると、縋るように窓を叩いた。
「お兄様、要塞が! ローズ村が!」
「……ああ。ローズ村が蹂躙されるのは時間の問題だろう」
「ああ!!」
ゲームでは誰ともフラグが立てられなかった場合、戦地と化した村で死亡するというバッドエンドがある。
まさか、私が運命をねじ曲げてしまったから――ジェニーと攻略キャラたちのフラグを折ってしまったから、この世界はバッドエンドルートに入ったの!? それではこのまま、彼女は死んでしまうというの!?
「ジェニーが……ユージェニーが……!」
私はへなへなとその場にへたり込む。なんてことを……私はなんてことを、してしまったのだろう。
破滅を防ぐ? 平穏無事に生涯を終える? そんなことはどうだっていい! それよりも、ユージェニーが生きていることの方がよっぽど大事だ!
私が破滅しようとも、愛する彼女が幸せならそれでいいじゃないか。私は今ようやく悟った。私は自分よりも彼女が大切だ。私自身の命よりも、彼女の命の方が何倍も価値がある。ユージェニーのいない世界なんて嫌だ。そんな世界には一瞬だって存在していたくない!!
「ロザリンド」
ふと気が付くと、お兄様が私の横にきて肩に手を置いていた。
「お兄様……」
「聞け、ロザリンドよ。お前は今すぐに軍装を整え、ロザリンド・スタンリーだと気付かれぬよう変装してローズ村へ向かえ」
「いいのですか!?」
「伝令は約1時間前にヴァルハラ軍による襲撃を受けたと言っていたな。今すぐローズ村に向かえば、まだ間に合うかもしれない。お前はユージェニーを救出したら彼女と共にアーチー地方から逃げろ」
「え……で、でも、それは……!」
ジェニーの無事を確かめに行きたい気持ちはある。だけどお兄様たちを置いてアーチー地方から逃げるなんて、そんなことは夢にも考えていなかった。ジェニーを保護したら、この城に連れてくるつもりでいた。
「オークス地方へ向かえば当面の戦火は避けられるかもしれん。あそこの領主とスタンリー家は昵懇にしているからな。匿ってもらえるだろう」
「! そうね! オークス伯に助けを求めれば、救援の戦力を出してもらえるかもしれないわ!」
アーチー地方の南西にはオークス地方と呼ばれる領地がある。オークス伯に助けを求めれば援軍を出してもらえる可能性がある!
「そうだな……だがロザリン、もしも上手くいかなかったとしても落胆はするな。ホーンズ要塞が落とされたとあっては、オークス伯とて派兵を渋る可能性もある。お前や少数の村人は匿ってもらえるだろうが……だがな、ロザリンドよ。もしそうなったとしても、お前は何も気にするな。すべてを忘れ、ロザリンド・スタンリーであったことも忘れ、ユージェニーと幸せに生きるんだ」
「何を言うのですか!」
「お前はスタンリー家の為によく尽くしてくれた。自分の楽しみすら捨て、スタンリー家の為に生きてきた。ようやく掴んだ幸福すら捨て去ることはない」
「お兄様……」
「前にも言ったな、ロザリン。お前とグレンが結婚したとしても幸せにはなれないだろうと。俺は兄としてお前の幸せを望んでいる。後のことはこの俺に任せろ。お前は俺が止めるのも聞かず単独でホーンズ要塞へと向かい、そのまま行方不明となった――そういう筋書きで通してやろう」
「お兄様……では、それでは……」
「これが最期の別れだ」
「――ッ!」
鋭い痛みが胸を貫く。お兄様は私の幸せを考え、通常ではありえないような寛大な措置を取ろうとしてくれている。妹である私の幸せを、誰よりも深く望んでくれているからこその選択だ。
スタンリー侯爵家当主の立場で考えれば、ありえない……でも、そのありえないことを……ランドルフは当主であるよりも前に、私の兄であることを選んでくれた。
「さあロザリン、行きなさい。泣いている暇はないぞ! こうしている間にも、ローズ村に火の手が迫っているのだからな!」
「――はい、お兄様!」
「お前は強い、並の男では敵わない。さらばだ、我が最愛の妹よ! 己の運命を切り開け!!」
私は涙を堪えてお兄様と別れを交わす。
私がこの世界で覚醒してから12年間、誰よりも近くで、誰よりも私を理解してくれたお兄様。子供の頃はわずか数年離れ離れになるだけでも、この世の終わりのように泣き叫んだ。
けれど今は涙を見せず、今生の別れを交わす。
その別れは、まるで半身を切り取られるかのような痛みを伴った。けれど世界そのものを失わせるほどの力はない。お兄様が私の半身だとするのなら、ユージェニーは世界そのものだ。半身がなくても――世界が残っていれば、きっと私は生きていける。
「さようなら……お兄様」
最低限の装備を纏め、軍装を整えた私は愛馬ネプチューンを駆り、ローズ村へと向かった。涙は雪の結晶と共に夜の森へと消えていった。




