第十四話 嵐の前の静けさ
季節は巡り、冬が近づいていた。次の誕生日で私は18歳を迎え、王家に嫁ぐことになっている。結婚の半年前にはグレン第二王子がアーチー地方にやって来て挨拶を交わした。ゲーム本編ではこの訪問でヒロインのユージェニーと出会う流れになっていたけど、私が妨害したおかげで二人の出会いイベントは発生しなかった。
ちなみに、どうやって妨害したのかというと――。
「王子様、あまり村の方へ行かない方がよろしいですわ」
「何故? 何か不都合なものでもあるというのか?」
「い……今の時期は堆肥が臭いますので……」
「よし、行くのは止めておこう」
……と、たったこれだけでグレン王子とジェニーの出会いは回避できた。王子の滞在中は城に近付かないようにとジェニーにも言い含めておいたので、彼女は忠実に守ってくれた。
(でもそうなると、また別の問題が残ってしまうのよね……)
ジェニーと出会っていないグレン王子は私との縁談に乗り気の様子だった。まあ私個人に興味があるというよりも、スタンリー家と縁を結んで王家の力を強くするのが目的みたいだけど。
かつて『覇王』と呼ばれた先代サイラス王の血をもっとも色濃く受け継いでいるのは、グレン王子だ。恐ろしいほどの野心家で、父の代で求心力を失った王家の立て直しに情熱を燃やしている。しかしそれが災いして、今では王家は第一王子派と第二王子派に割れつつある。
正当な順番でいけば第一王子が次期国王だけど、第一王子は父親似でカリスマ性に欠ける。そこへサイラス王を思わせる第二王子が控えているものだから、古き良き時代よ、もう一度というわけだ。水面下ではグレン王子を擁立する政治家や官僚も少なくない。
スタンリー家の娘と結婚すれば、第二王子派閥をさらに大きくするだろう。それがまた私にとって憂鬱な問題だった。私とグレン王子が結婚すれば、王家は本格的に割れてしまうかもかもしれない。
(まったく、次から次へと悩みが尽きない世界ね)
悩みは他にもある。グレン王子がアーチー地方から帰った直後、父が心臓発作で死んでしまったのだ。今ではお兄様が正式に爵位を継承し、スタンリー家の当主となってあらゆる仕事を正式に引き継いでいる。
そして最大の困り事は――。
「ふう……」
「どうした、ロザリン。溜息をついたところで仕事はなくならないぞ」
「分かっているわ。けれど溜息だってつきたくなるでしょう。この1ヶ月というもの、国境付近の緊張が高まるにつれて比例するように仕事が増えているんですもの」
「いよいよ開戦間近といったところだな」
「縁起でもないわ。でも……そうね。いつまでも現実から目を逸らしていたって仕方がないものね」
兄の執務室で仕事を手伝いながら、窓の外を見て溜息を漏らす。
乙女ゲー『戦場の薔薇』は戦場を舞台にした作品だ。戦下で燃え上がる恋、戦場に咲いた一輪の薔薇。やがて彼女と恋に落ちた攻略キャラが戦争を終結に導き、戦勝国が決まる。
けれど私とジェニーが恋に落ちてしまったこの世界では、どんな未来に向かうのか。あのゲームには百合ルートなんてなかったから、この先どうなるかはまったく読めない。
「アメリア領内におけるヴァルハラ王国製品の流通規制と排斥。出入国も規制。帰国できなくなったヴァルハラ人は大変な思いをしていると聞くわ」
「反対にヴァルハラ王国から出られなくなったアメリア人もいる。噂ではアメリア人収容所に収容されていると聞くが……」
「困ったものね」
一応ホーンズ要塞の戦略的欠陥を補い、飛竜を利用した空挺部隊対策の防備も備え、要塞に配備される騎士や傭兵の練兵を徹底して戦力を増強し、塹壕戦や籠城戦になった時の為に物資や食料などの安定した兵站戦も確保してある。おかげでゲーム本編よりもかなり攻め難くなっていると思う。
「お前は男に生まれていれば、後世に名を残す英傑になれたかもしれないな」
私の仕事ぶりを見たお兄様は、よくこんなことを言っている。私は溜息をついた。
「あら、男に生まれたのならお兄様と仲違いしていたかもしれませんわよ。私たちに対立する意志がなくとも周囲が勝手に私を担ぎ上げたかもしれないわ。私は女だからそんな面倒な事態にならずに済んでいるのよ」
「それもそうだな。凡庸な兄と武勇才知に長ける優秀な弟が揃えば――勢力を二つに割きかねん」
「お兄様?」
「いや、なんでもない。仕事を再開しようか、ロザリン。お前がアーチーにいる間にできる限りの仕事を片付けておかないとな。安心して嫁げないだろう」
「そうね……」
お兄様が何を考えていたのかは分かる。王家の現状を憂いていたのだろう。お兄様はグレン王子と親しいから、実の兄弟同士で争いに発展しかねない今の状況に心を痛めているんだ。ましてや自分の妹との結婚が決定打になりかねないのだから、優しいお兄様が心を痛めるのも当然だ。
私だって本音を言うのなら嫁ぎたくない。でも王家との約束である以上、簡単には反故にできない。
私は窓の外に目を移す。今は11月の末。農園では収穫期が終わり、世の中はすっかり冬支度に入っている。ちらほらと雪も降り始め、今夜も窓の外では雪が舞っていた。毎週のように開いていたお茶会もしばらくお休みだ。忙しさと寒さから森にも入れず、私とジェニーを結ぶものは手紙のやり取りとなっていた。
「ロザリンド様。ローズ村よりお手紙が届いております」
「ありがとう」
仕事を終えて部屋に戻ると執事がユージェニーからの手紙を持ってきた。私は高鳴る胸を抑えつつ封を切る。
『愛するロザリンドへ。
お元気ですか? 寒い日が続いていますが、どのようにお過ごしでしょうか。
貴女のことですから、寒さにも負けず、お忙しく過ごしておいでなのでしょうね。
私はローズ村で初めての冬を迎えます。
ローズ村は11月になると、もう雪が降り始めるのですね! 前に住んでいた街では年が明けないと雪は見られなかったので、とても新鮮です。
一昨日の朝は、村の湖に氷が張っていたんですよ!
近所の子供たちと一緒にスケート遊びをしました。私より子供たちの方が上手で、からかわれてしまいました。
ロザリンドはスケートは得意? 運動神経抜群の貴女なら、きっと得意でしょうね。いつか貴女とも一緒にスケートができたら素敵ですね。
そうそう、伯母から特製のハニーミルクティーの作り方を教えてもらいました。寒い時期に身体の芯から温まりますよ。いつか貴女の為に淹れてあげたいな。
ねえ、ロザリンド。寒い季節は人恋しさを募らせるものね。貴女とは会えない日が続いているけれど、私はいつも貴女のことを考えています――』
「私もよ、ジェニー」
手紙から目をあげた私はそっと呟く。会えない期間が長いほど互いの恋しさが募っていた。彼女からの手紙を読み終えると、私はさっそく返事を書き始める。
『愛するユージェニー。
お手紙ありがとう。貴女からの手紙を、私はいつも心待ちにしています。
雪には慣れないとのことですが、体調を崩していませんか? 貴女は少し無茶をするところがあるから心配です。
……いけないわね、私ったら。まるで保護者のようなことを言って。自分がこのような物言いをされれば反発するのにね――』
まるで日記を書くように、頭に浮かんだことをスラスラと書く。ジェニーは不思議な娘だ。彼女になら私の中身をすべて見せてもいいと思える。取り繕った表面だけではなく、内面の深い部分にまで触れてほしいと自然に思えてしまう。きっと彼女になら子供の頃から記している日記を見せても恥ずかしくないだろう。
『――愛をこめて ロザリンドより』
署名の横に口付けを落とし、丁寧に封をすると執事に渡してローズ村に配達するようにと言いつけた。




