第十二話 つながる心と心
転生歴12年目。私は17歳になった。次の誕生日で18歳を迎えると、私は王家に嫁ぐ予定になっている。その半年前にグレン王子が結婚前の挨拶の為、アーチー地方にやって来る。
(ゲームではその訪問でユージェニーを見初めるのよね)
その後は何度かお忍びで彼女に会いに行き、数回の遭遇でフラグが立てられればグレン王子ルートに入る流れだった。
人を物のように見るグレン王子を私は好きになれないけど、客観的に見れば魅力的な人物だ。それにグレン王子はユージェニーだけは物のように見ない。王子にとってユージェニーは、有象無象とは異なる唯一無二の人間だ。
(その気持ちは分かる。すごく分かる)
でも王子×ユージェニールートに入るとまずい。だから王子と出会う前にお兄様とユージェニーの仲を確固たるものにしないといけないんだけど……うぅ、辛い。
この頃になると、さすがに自分がユージェニーをどう思っているのか自覚するようになっていた。
私はユージェニーが好き。彼女を誰にも渡したくない。
(でもあのゲームに百合ルートなんてなかったし、私は来年王家に嫁ぐ予定だし……)
どんなに好きでも不毛だ。実りはない。最近の私はまた溜息が目立つようになっていた。
幸い今のところ、お兄様とユージェニーの仲自体は良好だ。お茶会ではお互いウィットに富んだジョークを交わし合うような間柄になっている。
「ユージェニー、この後はまたロザリンと森へ行くのかい?」
「はい。私、あの森が大好きなんです。けれど私1人では危ないとロザリンド様がおっしゃってくださって、一緒に行ってくださるんですよ」
「うちの森で人死にが出るなんて、ぞっとしませんもの」
「おい、ロザリン。すまないね、ユージェニー。素っ気ない言い方をするが、根がいい子なんだ。君のことも相当気に入っているようで、よく話をしているよ。それなのにいざ本人を前にすると憎まれ口ばかりとは、まるで子供のようじゃないか」
「お兄様!!」
「おっと、図星をつかれて怒ったぞ。ははははは!」
「もう! 行きましょう、ユージェニー!」
「は、はいっ! ランドルフ様、失礼します」
「ああ、行っておいで」
お茶会の後はいつものように森へ入る。最初は馬を怖がっていたユージェニーだけど、私が教えたおかげで今では2人乗りできるようになっていた。
「ネプチューンは私以外の人を乗せるのを好まないのだけど、あなたは例外のようね」
「そうなんですか? 光栄です」
ユージェニーと2人、密着して馬のリズムに揺られる。柔らかい髪がくすぐったい。いい匂いもする。服越しに体温を感じ、さらに鼓動も伝わってくる。私がユージェニーを感じているように、ユージェニーも私を感じている筈だ。それでも心の底にある気持ちだけは伝わっていない。
(ああ、やっぱり私はユージェニーが好き)
一目会った時からどうしようもなく惹かれていた。彼女は乙女ゲーのヒロインで、ただそこにいるだけで他人を魅了する力がある。
(しかもすっかり忘れていたけど、私はあのゲームで一番好きなのは主人公だった……)
乙女ゲーヒロインは同性から見ても魅力的な子が多い。攻略キャラ目当てでゲームを始めても、最終的にはヒロイン沼に落ちていることもあるほどだ。私は男向けもいけるタイプで、女の子に萌える習性もあったから尚更だ。
このままお兄様ルートに入ってくれれば私は無事に済む。お兄様とユージェニーが幸せになり、私と彼女は仲の良い義姉妹になる。
でもその光景を想像すると胸が痛い。私、バカみたいだ。自分で計画したことが上手く行きそうなのに、心が痛むなんて。
「ロザリンド様、どうかなされましたか?」
「な……なんでもないわ」
「ロザリンド様……」
森の奥、泉の前までやって来ると私たちは馬を降りる。
「前におっしゃいましたよね。動物とはいえ、体を密着されると気持ちが伝わると。人間同士なら尚更です。……ロザリンド様、何かお悩みなのではないでしょうか? 私でよろしければ聞かせていただけないでしょうか。悩み事は人に打ち明けるだけでも心が軽くなると言いますもの」
「……あなたって子は」
つくづく敵わない。観念して苦笑すると私は語り始めた。
「来年私が結婚するという話は聞いている?」
「はい……お相手は第二王子のグレン様ですよね。お似合いの夫婦になられると思います。グレン様は絵でしか見たことがありませんが、逞しくて美しい立派な男の人です。きっとロザリンド様を幸せにしてくださいますよね」
「……実は私、あの結婚に乗り気じゃないの」
「えっ!? ど、どうしてですか!?」
「私の性格を知っているでしょう? 私は王宮で大人しく王妃様を演じられる器じゃないわ。それに――他に好きな人もいる」
「そう……なのですか?」
「ええ。もっとも私のような身分に生まれた以上、個人の好き嫌いで配偶者が選べるとは思っていないけれど。今回の縁談は言ってしまえば家同士の約束事、アーチー地方と王家の結びつきを強化する為の取り決めね。だから乗り気じゃなくても仕方がないのよ」
「……ロザリンド様の好きな人とは、誰でしょうか?」
「それは言えないわ。言ったところでどうしようもないもの。……風が出てきたわね。そろそろ戻りましょうか」
馬に揺られて帰る途中、ユージェニーは思いつめたように口を開いた。
「私にも好きな人がいるんです」
「そ、そう? 誰なの? 私のお兄様?」
「いいえ、違います」
ユージェニーはきっぱりと言い切った。ほっとしたような残念なような……って、ほっとしちゃダメじゃない!
「私は小さい頃、伯父夫婦のところに遊びへ来ていた時期があります。その時にこの森で知り合った人のことが、ずっと忘れられないんです」
「幼馴染の男の子のこと?」
「いいえ。モンスターに追われている私を助けてくれた、同い年ぐらいの女の子です。真っ白な馬に跨って、あっという間にモンスターを倒す姿は凛々しい戦乙女のようでした。私は泣いて逃げるばかりだったのに、その子は颯爽と現れてモンスターを倒してくれました。とても綺麗で、格好良くて……私もあの子のようになりたいと、ずっと思い続けていました。また会いたいとも……ずっと、ずっと。そうしたら夢が叶ったんです」
「……」
「あの時、私を助けてくれたのはロザリンド様ですよね?」
ユージェニーはじっと私を見つめる。私は何も言えなかったけど、肯定も否定もしない態度は雄弁に事実を物語っていた。ユージェニーはそっと目を瞑る。
「分かっています……平民の私が、しかも同性であるあなたにこんな気持ちを抱くのは分不相応だと。友人として接することが許されるだけでも身に余る光栄です。これ以上を望むのは間違っている……何度も自分に言い聞かせました。それでもあなたは、こんな私にいつも優しく接してくださいました。そんなあなたに会うたびに、私の気持ちは強くなっていきました。それに……ロザリンド様の瞳。私を見る時の瞳は……うまく言い表せません。優しくて、でもどこか切なげで。あの視線を注がれるたびに、私の心はますます締め付けられました」
瞼を開いたユージェニーが私を見上げ、私たちは見つめ合う。私に視線を注がれた彼女がこちらの思いに気付いたように、私も彼女の気持ちを理解した。
何よりも――体を密着させると、そこから気持ちが伝わる。ユージェニーの視線と体温は、千の言葉よりも雄弁に彼女の気持ちを表していた。
ユージェニーも私の気持ちを分かっている。だからこそ自分の思いを打ち明けてくれたんだ。
だけど同性同士で、身分の差もある私を相手に心を打ち明けるのは、想像もつかない勇気が必要だったろう。それでも彼女はひたむきに思いを伝えてくれた。だったら私も真摯に返さなくちゃ。
「私も……私だってあなたが好きよ、ユージェニー。子供の頃に出会って以来、ずっと忘れられなかった。あなただけじゃないわ。私も一緒よ」
「ロザリンド様……嬉しいです。本当にこんな日が来るなんて、まるで夢のようです」
「夢じゃないわ」
「本当に?」
「ええ」
ユージェニーは再び瞼を閉じた。私に背中を預けて、何もかも私に委ねて。私は吸い寄せられるように、桜色の唇に自分の唇を重ねた。
◆
「ただいま、お兄様」
「おかえり、ロザリン。おや、何かいいことがあったようだな。今のお前は世界一の幸せ者だと顔に書いてあるぞ」
「そ、そんなことはないわ!」
城に戻ってサロンに入ると、お兄様が読んでいた本から顔を上げて、締まりのない顔をした私を茶化す。慌てて否定するけれど、お兄様は苦笑いするばかりだ。
「躍起になって否定するな、ロザリンよ。さて、積もる話もあるからな。俺の部屋に行こう」
部屋に移動するとお兄様はメイドたちを下がらせて、部屋の中で兄妹水入らずになる。
「お前の機嫌がいい理由は察しがつく。ユージェニーだろう。隠そうとしても無駄だ。俺は兄として最愛の妹を常々見守ってきた。お前があの娘に恋い焦がれているのは俺の目には明白だったぞ。そしてあの娘もお前を慕っているだろうとな。そうか、心が通じ合ったのか。良かったな、ロザリン。兄としてお前の幸せを祝福するよ」
「……ありがとうございます。でも私は、来年にはグレン王子と……」
「分かっている。お前はグレンと結婚する。個人間の感情を越えた家と国家の約束事だ。俺はまだ次期当主という身であり、発言力が弱い。お前とグレンの婚約を回避できなかったこと、兄として不甲斐なく思う」
「そんな、お兄様の責任ではないわ。私も仕方のないことだと納得しています。だからこそ……ユージェニーに惹かれてしまう自分が怖かった。彼女に惹かれて、たとえ結ばれたとしても私は――今だからこそ打ち明けますけど、私はお兄様とユージェニーが結ばれてくれればと考えていましたの」
「ほう? 確かに彼女は魅力的な娘だが、俺にはできないな」
「どうして?」
「魅力を感じているからこそ、不幸にさせるような選択はできないということだ。あの娘はお前に夢中だ、ロザリン。たとえお前がグレンに嫁いだとしても、お前を忘れることはないだろう。恐らくはご両親のように聖職者の道に入るのではないか。聖職者であれば生涯未婚でも通るからな」
「……」
「後悔しているのか、ロザリン?」
「……分からないわ。あの時はユージェニーの真摯な気持ちに応えるのが正しい選択だと思った。けれど、この後のことを思うのなら――」
「何をもって幸せとするかはその人次第さ。たとえ1年に満たない期間であっても、生涯ただ1人と思える相手と情熱の限りを尽くせたのであれば、その後の人生を満ち足りたものとして過ごせるだろう。たとえ添い遂げることができなくても、な。ロザリン、今のお前は生き生きしているよ。この兄が知る限り、今が一番幸せそうだ。これから約1年――王家に嫁ぐまでの間、俺は極力お前とユージェニーが共に過ごす時間を作ってやりたいと考えている」
「お兄様……ありがとうございます」
「そんな顔をするな、さあ笑ってくれ。お前に涙は似合わない。涙を拭いて、夕食に向かおうじゃないか。今夜はお前の好きな鴨のローストだとコックが言っていたぞ!」
私はお兄様と一緒に食堂へと向かう。
……お兄様だってユージェニーに惹かれていた筈なのに、私の幸せを思って身を引いてくれた。私はお兄様とユージェニーが結ばれる姿を想像するだけで嫌な気持ちを抱いたというのに。
やっぱりお兄様は、私にとって世界一素敵なお兄様だ。お兄様の背後で密かに涙ぐんでいた私は、さっと涙を払う。泣いていてはいけない。これ以上、お兄様を心配させてはいけない。
――ここに来て、運命の筋書きは大きく異なってしまった。けれど私は後悔していなかった。自分が選んだ幸せを確かに噛み締めていた。




