捕まった先は
二手に分かれた後、ノンを追いかける人間は殆どいなかったため、しばらくすると追っ手は誰もいなくなった。何より、ノンには体力という概念がないため、走る速度が衰えず、且つ元々の速度も速いため現実的に誰もついていくことが出来なかったというのもあった。
「私の方の追っ手はこれで全部いなくなりましたが、ナスタさんは大丈夫でしょうか?」
自分のことを追いかける人間がいなくなったノンは再び来た道を戻ろうとする。しかし、ノンはあることに気が付く。
「私、どっちからきたのかわからない……」
これまでは空を飛び、何かあれば上空からみれば色んなことがわかったため、ノンには細かな地上の道を覚えるという習慣が全くなかった。それに加えて、ファームではナスタの行くがまま付いていくだけだったため、道を覚える必要性が全くなかったのである。
「とりあえず、ナスタさんも逃げ切れれば魔石抗に戻ってくるはずだから、魔石抗の方に行っておきましょう」
ノンは唯一の目印であるファームの中心にある層間エレベーターと反対方向に向かって歩いていくが、その行き先はナスタたちが従来いる魔石抗の17区ではなく、少し離れた区画の11区と示されていた。各区画は、中心の層間エレベーターや供給所、商業区は共通区画となっていて、区画が区切られるのは居住区より外側である。そのため、供給所にきていたノンたちは、共通区画にいたため、知らない間にノンは11区方面の路地を進んでいたのである。ノンはそうとは知らず、しばらくいつもの魔石抗を探し続けるのであった。
◇◇
ナスタは朦朧とする意識の中、暗闇から伸びる無数の手から走り、逃げる。しかし、ナスタの足は思うように進まず、懸命に走ってもなかなか進まない。そして走る最中、ナスタはふと足元を見るとそこには横たわったラインと、アングルがナスタの両足にしがみついていた。足元を見たナスタは足が全く動かなくなってしまい、迫り来る無数の手に絡みとられ、そして身動きがとれなくなりもがき苦しむ。
「ライン、アングル、ごめん! 僕のせいで!」
その言葉でナスタは目が覚める。ナスタは手足を固定された状態で椅子に座らされていた。自分の手が動かせないため、ナスタにはそれが汗か涙かわからないが、頬がうっすらと濡れていた。
(そっか、捕まっちゃったんだ)
ナスタは走り逃げる中で、路地から突然羽交い締めにされ、そして意識を失ったことを思い出す。周りを見ると、ファームのどこにでもある赤土の色をした壁や天井で部屋が覆われており、魔石を核にしたランタンが必要最小限かけられ、建物の中を薄暗く照らしていた。長家にしては生活感が無さ過ぎるし、魔石抗にしては部屋として整っていたので、どうやら、ナスタを捕らえた人間の仕事場のような雰囲気だった。そして、目の前には赤髪で、顔にシワが目立ち始めたカーキ色の外套を羽織った渋めの男性がナスタを無表情に見つめていた。
ナスタはすぐにノンに状況を知らせる。
(ごめん、ノン、捕まっちゃった。今いるところはわからないけど、とりあえず生きてるから)
すると、すぐにナスタの元へノンからの返事が返ってくる。
(ナスタさぁん、ここ、どこですか? ナスタさんはどこにいるんですか? 私、これだけ生きてるのにはじめて迷子になりました……)
こっちは殺されるかもしれないのに迷子だなんて、呑気なものだな、とナスタは内心呆れるが、四の五の言っても仕方がない状況のため、まずは現状把握に努める。
(今、どのあたりにいるの? 近くに何が見える?)
ナスタは目の前のジェントルマンに注意を払いながらノンとのやりとりに続ける。すると、ナスタが目を覚ましたのに気が付いたジェントルマンは顔に似合ったダンディーな声でナスタに話しかける。
「目を覚ましたか。お前がナスタだな?」
本人確認に嘘をついても仕方あるまいと頷くナスタ。
「手荒な真似をしてすまない。暴れられても困るから始めに行っておくが、おれはお前の味方だ。お前に協力をお願いしたいと思っている」
協力をお願いしたい割には椅子に拘束されているため、あまり説得力がないなとナスタは思いながら、とりあえず今すぐ殺されることはなさそうだと一安心しているとノンから返事がある。
(とりあえず追っ手を振り切ったので魔石抗に戻ろうと思ったら、私達のいた魔石抗がどこにいっても見当たらなくて……)
ナスタは2人同時に全く別の話をされているため、まずは目先の話を片付けることを決める。
(ノン、ごめん、今から目の前の人と話をするから、まずは層間エレベーターの方に戻っておいてくれるかな? また連絡する)
「上の空だが大丈夫か?」
目の前のジェントルマンからナスタは再度声をかけられ、慌てて目の前のことに意識を戻す。
「すみません。まだ意識が朦朧としていて。でも、あなたが僕の味方というのはどういうことですか? 味方の割には扱いがぞんざいな気がするのですが……」
ナスタは最初に思ったことを素直に伝えると、ジェントルマンは頬をかく。
「自分のしたことを考えたらやむを得ないだろ? 魔物に楯突くやつだ。普通に野放しにしてたらおれが殺されるかもしれない。心配するな、おれたちに害を加えないことがわかればすぐ離す」
ナスタは自分がしたことの世間的な解釈を改めて実感する。ナスタからしてみれば正当防衛だったが、世間一般からみたらナスタは犯罪者だ。そんな相手を野放しにはなかなかできないのもナスタは納得する。
「確かにその通りですね。でも、味方になってほしいってどういうことですか?というか、あなたは一体?」
ナスタが話を聞く気になったことを確認すると、ジェントルマンは近くにあった椅子を持ってきてナスタの正面に腰掛ける。
「あぁ、そうだな、まずは自己紹介だな。おれはトリントン。レジスタンスの取り纏めをやっている。」
「れ、レジスタンス!?」
ナスタはトリントンと自己紹介をする人間の言葉に思わず声をあげる。それもそのはず。レジスタンスなどの結成は魔物から禁じられており、万が一存在がばれればそこにいる人間は全て死刑となるため、ナスタはまさかそんな組織が存在しているとは思いもしていなかったのだ。しかし、ナスタのその反応にも慣れているようだ。
「まぁ驚くのも無理はないが、ばれたら存続できないんだから、一般人が知らないのも当然だろう?」
ナスタは言われて納得する。トリントンの言うことは至極当然のことである。そして、そんなトリントンがナスタに味方になってほしいと言った意味も理解する。
「なるほど、それで魔物に楯突いた僕を味方にいれたい、ということですね」
トリントンが頷く。
「そういうことだ。どうだ?」
ナスタはその場で考えるが、どちらにしても行く宛がない身である。そして、ナスタがもう一つ思い当たる点を口に出す。
「もし参加しないと言ったらここから生きては出られないんですよね」
ナスタの言葉に、片眉をピクリと動かす。
「なかなか察しが言いようだな」
ナスタは大きく溜め息をつくとその思いを口にする。
「わかりました。ご存知のように行く宛すらありません。ご協力させていただきます」
ナスタの言葉にトリントンはそうか、とだけ告げると、その場からいなくなりナスタがいる部屋の奥にある扉からどこかに出て行ってしまう。ナスタは、今度は何が出てくるのかと体に自然と力が入る。しかし、どうやらその心配は不要だったようで、すぐにトリントンは扉から手に本のような物を持って現れる。
再び姿を見せたトリントンはとりあえずナスタを信用したようで、椅子に括り付けられた足と、後ろで結ばれた手をそれぞれ解放する。ナスタはようやく自由に動かせるようになった手足をぶらぶらと動かしたり立ち上がったりし終わるとトリントンはナスタに声をかける。
「窮屈な思いをさせてすまなかったな。それじゃあ、まずはレジスタンスの契約書に契約してもらおう」
そう言ってトリントンはナスタの前に手に持った飾り気も何もない黒い表紙をした本のような物を広げる。本と言っても中身は両面見開きの紙が1枚あるだけで、それも、左側片面に秘密の遵守や、死亡しても責任はとれないこと、本契約書の他の契約者に協力をすることなどの契約内容が書かれていて、もう片方の右側片面は手の幅ほどの魔法陣が書かれていた。
ナスタは一通り内容を確認すると、トリントンの顔を見る。
「内容を理解したら魔法陣の上に手を当てて魔力を込めて『コントラクト』と詠唱してくれ」
ナスタは頷き、そして魔力を込めて詠唱する。
「コントラクト!」
しかし、ナスタの言葉に対してトリントンの持っている契約書は何も反応せず、それと同時に現れたのは、どこかで迷子になっていたノンだった。