逃亡
魔導書を取り返しにきた魔物をなんとか倒すことができたナスタは、自分の家の中を改めて見回す。そこには既に事切れたアングルとラインが横たわり、部屋の中はそこら中が水浸しになっていた。2人の死を改めて実感し、そしてパステルもいなくなった今、ナスタは全てを失った気がしていた。呆然と立ち尽くすナスタだったが、ぽつりと一言だけ呟く。
「とりあえず、2人をなんとかしてあげよう」
ナスタは一番大きな麻袋にラインとアングルをそれぞれいれると、1人ずつ、魔石抗の開始ポイントに運ぶ。
「ごめん、どこがいいのかわからないけど、一番みんなで笑いあったところだと思うから」
ナスタは開始ポイントにビッケルで2つの穴を横並びに掘り、2人を埋葬すると、手を合わせる。
「僕のせいでこんなことになってごめん」
ナスタはそれだけ口に出すと、今まで押さえ込んでいた悲しみが、これまでのみんなとの思い出とともに堰を切ったかのように溢れ出し、ナスタの頬を濡らす。
それからしばらく、2人の墓前でナスタはこれからのことを色々と考える。少なくとも、ナスタはこの場所にいれば再び魔物に襲われるだろうから、今の生活環境は捨てる必要があった。一方で、それを捨てて生活できる自信もナスタには全くなかった。
「仮にこの環境を捨てたら、僕はどうやって生きていけるだろうか? そもそも、僕に生きる価値なんてあるんだろうか……」
ナスタの言葉を横で心配そうに様子を伺って聞いていたノンがナスタに声をかける。
「せっかく生き延びたのに、そんな悲しいこと言わないでください」
ノンの消え入りそうな声に、ナスタはしばらく沈黙してしまう。しかし、ノンの言葉は少しだけナスタを前向きにさせたようだ。
「でも、仮に生き延びたとしても、この先どうやって生活したらいいんだろう? あの家からはとりあえず離れないと…… それに、いつかは食事もなんとかしないといけないときがくるかもしれない」
「それであれば、グランドにでたらどうですか?あそこであれば食料の自給自足はできると思いますし。それに、さっきの魔物が言っていたことから考えると、パステルさんはどこかの魔族の元で生きている可能性が高いです。魔族は少なくともファームにはいないはずですし、グランドの方がいろんな情報を入手しやすいと思います」
ノンの「パステルが生きている」という言葉にナスタは顔をあげる。
「そっか、パステルはまだなんとかなるかもしれないんだね。それなら情報を集めるためにもグランドにいくのはいいかもしれない。でも、そもそもどうやってグランドにいくか、だね」
ナスタの言葉にノンは眉間にシワを寄せ、難しい顔をする。
「その点に関してはお力になれる部分がなくて…… すみません」
申し訳なさそうな顔をするノンに、ナスタは今にも涙が溢れそうな顔で首を振る。
「いいんだよ、ノン。これは自分が巻いた種だからね。僕の方こそ、こんなに頼りない契約者でごめん。もっと僕がしっかりしていたら、周りのみんなも、ノンも、苦労をしなくても済んだだろうに」
落ちこんだナスタを見たノンは必死にナスタを励ます。
「そんなことありません!少なくとも私はナスタさんと契約できてよかったと思ってますし、何も苦労していませんよ?だから、そんな寂しい顔をしないでください!」
ノンの大きな声にナスタはハッとし、ノンを見返すと、なぜだかノンの目から涙が溢れていた。
「あ、あれ?すみません、何で励ましてるつもりの私が泣いてるんでしょうね……」
それを見たナスタの目も潤むが、なぜか笑ってしまう。
「あはは、何でノンが泣いてるの?」
最後は2人で涙を流しながら笑いあう。2人は、特に何を話すわけでもなく声にならない感情を共有していた。
そして、しばらくすると吹っ切れた顔をしたナスタが改めて涙が乾ききっていないノンの目を見つめる。
「ノン、ちょっと前に僕の役に立ちたいって言ってくれたよね?それで、お願いがあるんだけど……」
ノンは改めてナスタからのお願いに背筋をピンと伸ばす。
「はい、何でしょうか?」
「僕とグランドを目指すのを手伝ってほしい。そして、パステルを探し出して、ラインたちが願ったように、魔物たちによる人間の支配をなくしたい」
ナスタの言葉を聞いたノンは微笑む。
「てっきり僕の心を体で癒してほしい、とか言われるのかな、と期待しました」
「人が真面目な話をしてるのにふざけないでくれるかな?」
ナスタのナイフよりキレのあるツッコミにノンは悶絶する。
「うっ!? せっかく少しでも元気になってもらおうと言った可愛い冗談だったのに。でも、冗談はさておき、もちろん、私の力の限りご協力させていただきたいと思います」
座り込んでいたナスタは立ち上がると、ノンに手を差し出す。
「改めて、これからよろしく」
ノンはナスタの手を掴み、手を引っ張り、その反動で立ち上がると勢いでナスタの唇を奪う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。今のは新たな契約のための事前報酬ということで」
そうしてナスタは笑い、くるりとまわって背を向けるノンの背中を見ながら、触れた唇を撫で、悪くないものだと思うのであった。
◇◇
ナスタたちは魔石抗から長家に一度戻ると、魔物と戦った部屋の掃除をして少しでも魔物が再び来たときに見つかりにくいようにと、魔石抗に隠れることにした。長年生活した長家は、決して良い家とは言えなかったが、それでもナスタにとっては生活の基盤であり、ラインやパステルたちとの思い出の場所でもあったため、その場を去らなければいけないことに寂しさと憤りを感じていた。
また、長家は出たものの、グランドに行く方法は具体的に全く見えていなかった。一番現実的な方法は通常通り、必要数の魔石を集めて層間エレベーターを使うことだったが、それにはいくら魔法が使えるからと行って数年単位でかかることはほぼ間違いなかった。それでも、まずは毎日の魔石のノルマを納めなければ支給食にすらありつけないため、結局長家を出たという点と、ノン以外誰もいなくなったという点以外は無機質で、静かになってしまったがこれまでと何も変わらない数日を過ごしていた。
変化があったのはナスタたちが長家をでてから4日後の夕暮れ時だった。この日も味気ない人工太陽の光がいつも変わらず少しずつ弱くなり、薄暗くなっていく頃、ナスタとノンはこの日のノルマのマナとガワを納めるついでに支給食を取りに供給所に取りに来ていた。
しかし、供給所に行く途中の道の真ん中に普段はない人集りができていた。人集りにきがついたナスタはその中心に足を運ぶと、そこには立て札に張り出された紙に驚きの内容が書かれていた。
-魔物に楯突くこの人物を捕らえた者には、グランドへの移住権を与える。尚、生死は問わない。
「な!?」
立て札にはその文言と、ナスタの似顔絵、その他、細かな条件が書いてあり、内容を読んだナスタは思わずその場で声をあげるが、すぐにノンが口を抑える。どうやら、そのままその立て札から離れたため幸いにもナスタの存在には誰も気が付かなかったようだ。
「ナスタさん、このままではまずいです。何とかしないと」
ナスタは何も言わずにコクリと頷き、極力他の人と目が合わないように顔を下向けながら、人混みで溢れる路地を抜けて魔石抗へと足を早める。しかし、伏せ目がちに歩くナスタはすれ違う人から不信に思われ、そして、遂に立て札を見た人間にナスタの存在がばれてしまう。ナスタたちの方をすれ違いざまにじっと見ると、通り過ぎた後にナスタたちの後ろから声がする。
「こいつだ!こいつが反逆者のナスタだ!」
その声が聞こえると同時にナスタとノンは走り出す。最初は気が付いた1人と、その場にいた数人が追いかけてくるだけだったが、ナスタたちが逃げる間に、2人を追いかける人数がどんどん増えてくる。
(ノン! 万が一のときに、僕とノン両方捕まるのが一番良くない!それぞれ離れて逃げ切ろう!)
ナスタはノンに念話を送るとすぐに承諾の返事が返ってくる。
(あそこの路地で分かれよう)
走り逃げる先には十字路があり、そこでナスタは右に、ノンは真っ直ぐに進むと、何も事情を知らず追いかけている一部の人間を除き、殆どの人間はナスタの方についてくる。
ナスタは息があがり、肺の使いすぎで胸の奥の方からヒュウヒュウと音がしていた。足取りも徐々に怪しくなってきている。少しずつ逃げるペースが遅くなってくると追いかけてくる群衆との距離が近くなってくる。
(本当は人間相手に魔法なんて使いたくないんだけど)
ナスタは牽制のために魔法を使うことを心に決め、その詠唱を始める。
「総てに破滅せしめる虚無の剣、我に……」
しかし、ナスタが詠唱に意識を集中したその瞬間、ナスタが走る路地の横から手が飛び出してくると、ナスタの体と口を抑える。
ナスタは突然の出来事に両手をばたつかせて抵抗するが、口元を塞ぐ手から感じる不思議な香りによって、ナスタは意識を失ってしまった。