破滅せしめる虚無の剣
後悔するナスタのことは露知らず、扉の向こうから何やら人間の声らしからぬ話し声が聞こえる。幸か不幸か、魔族による世界統一の中で成された言語の統一化により、相手が魔族であれ、魔物であれ、何を話しているのがわかってしまうのが今のナスタには辛かった。
「封印の間に誰かが立ち入ったなんて、どっから入るんだよ?」
「さぁ?どっかで探索してたやつらが間違えてこの封印の間にぶち当たって壁をぶち抜いて入っちまったとかですか?」
そうそう、正にそうなんです、と頷くナスタだったが、その続きの言葉を聞いて戦々恐々とする。
「まぁそれはあるかもな。だとしても、ここの存在を知った人間を生かしておくわけにはいけねぇな」
ナスタはどうしようか考えながら扉の外のやりとりに聞き耳を立てるが、何やら外の連中は扉の前でカチャカチャと音を立て、しばらく入ってこない様子からすると、幾重にも掛けられたら鍵を外しているのがわかる。この隙に逃げることもできたかもしれないが、結局あけた穴を埋めることができなければ、追いつかれて殺されるのは目に見えていたため、動けずにいた。
「でも、もし本当に誰か人間が侵入してて、仮にあの破滅の魔導書と言われるこの無の魔導書をその人間が契約したら、手には負えないんじゃないですか?」
ナスタは、そんな手があったかとノンの方を見ると、ニヤニヤしながらノンは小声でナスタに囁く。
「私と契約しますか?私、あなたとだったら上手くやっていける気がします。そうすれば、あの外の2人くらい簡単に何とかできますよ?」
思わずイェスと即答しそうになるナスタだったが、外の2人の会話の続きを聞いて思わず思いとどまる。
「バーカ、あの魔導書が魔族も契約しないでこんなところに封印してある理由を考えて見ろ。何でも、この魔導書が封印されてるのは契約時に必要ない魔力量が多すぎて使えないかららしいぞ。しかも、その精霊が誰とでも契約したがりで、色んな魔物や魔族がその言葉に唆されて契約したものの、結局精霊に魔力を根こそぎ持って行かれて殺されちまうそうだ。もちろん、使えれば強いんだろうが、この無の魔導書が破滅の魔導書と呼ばれる由縁はそこだ」
ナスタは思わずジト目でノンを見ると慌ててパタパタと手を振り必死の弁解をする。
「ち、違います。あの頃は食欲旺盛だったというか感性豊かだったというか、その、なんていうか……で、でも、今は全然そんなことしないです!」
そうこう言っている間に、外の鍵は全て外れ、いよいよ封印の間の扉が開かれようとしていた。
「ここで死ぬわけにもいかないけどノンに魔力を吸われ死ぬのも嫌だ。一体どうしたら……」
決めきれないナスタをノンがまくしたてる。
「早くしないと見回りの魔物が入って来ちゃいますよ! 契約するなら私の魔導書を手に持ってください! 絶対に悪いようにはしませんから! 私を信じてください!」
いよいよ扉が開かれ、外の声の主2人が封印の間に入ると、ナスタとノンの存在に気がつく。一方でナスタは牛と人を足して2で割ったような魔物2人の片方と思わず目が合うと、その場で立ち竦んでしまう。
「おい! おまえ等、そこで何してるんだ!?」
「いや、何してるんだって、この冴えない小僧が侵入者だろ。さっさと処分して戻ろうぜ。」
手にした剣をだらりと握りしめながら魔物は近づいてくるが、ナスタは既に正気を失ったのかぶつぶつと何かを言っている。
「帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい……」
それに気がついた片方は気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながらナスタの方に近づく。
「んー? 何ぶつぶつ言ってんだ、こいつ? あ? 帰りたい、だと? ここに入っておきながら生きて帰れるわけねぇだろうよ!」
そう言いながら魔物は手に持った剣をナスタに向かって振り上げると、ナスタは覚悟を決めたのか魔物に体当たりをかまし、そのまま封印の間の中央にある胸の高さ程の台の上に置かれた魔導書に向かって走り、魔導書を手に取る。すると、ノンもスルスルと魔物の間を縫ってナスタのいるところにやってくる。
「おい、お前、誰にぶつかってんだ!」
まさか先ほどまでびくついていた人間が自分に体当たりしてくるとは思ってもいなかった魔物は怒りを露わにするがそれを見ていたもう1人は何やら楽しそうにしている。
「まぁそんな人間如きにイライラするなや。で、人間よ、それからどうするんだ? まさか、契約しておれたちを倒そう、なんて面白いこと言うんじゃないだろうな」
覚悟を決めたナスタは真正面から魔物2人を見据え、そして言い放つ。
「そのまさかだよ! ノン、僕は君と契約したい!」
「ようやく決心が付いたのですね! でも、信じてくれて嬉しいです! では、この魔導書にあなたの魔力を込めて『コントラクト』と唱えてください!」
ノンが矢継ぎ早に説明している間にも、ナスタに突き飛ばされ、怒りを露わにしていた魔物はナスタに向かって走り始めていた。
「そうはさせるかよ!」
しかし、それをもう1人の魔物が声で制す。
「いいじゃねぇか、やらせてやれよ、どうせ契約したところで魔法なんて使えるわけないんだ、最期くらい、やりたいようにやらせてやろうぜ、それが下位種族に対する思いやりってもんだろ」
ナスタは人間に対する下位種族という発言にピクリと反応するが今はそんな細かいことを気にしている場合ではない。
「ああやっていってることですし、さぁ!」
ナスタはノンに促されるまま、魔導書の表紙に魔力を込めて赤く光った右手を置き、そして唱える。
「コントラクト!」
その瞬間、ナスタは魔導書においた右手を通してごっそりと魔力が吸い取られるのがわかる。ナスタがあわや、意識を失うかと思ったそのとき、ノンの声が頭の中で響く。
(これで私との契約ができましたよ、よろしくお願いしますね、ナスタさん)
ナスタの右手の光が収まるのを見ていた魔物2人は唖然としていた。余裕そうにしていた1人も明らかに顔色が変わっている。
「もしかして、契約できたのか?」
「どうやら、そうらしいです、ね」
(あまりナスタさんの魔力にも余裕がありません、省エネでいきます! 2人が戸惑っているうちに今から言う言葉をそのまま口に出して繰り返して下さい!)
ナスタは言われるがまま言葉を紡ぐ。
総てに破滅せしめる虚無の剣、我に力を与えよ
「アッシュブレード!」
ナスタは詠唱が終わると同時に、真っ白な腕の長さほどの一振りの剣が手元に現れる。しかし、ナスタは大きく肩で息をしている上、その背中にはいやな汗が流れていた。
(やはりだいぶ辛そうですね、でも、これさえあれば何とかなります!)
「そんな剣一本で何が変わるって言うんだよ!」
そう言いながら、ナスタに体当たりを受けた魔物がまず先にナスタへ斬りかかる。すると、まるでその虚無の剣自身が意志を持っているかのようにナスタの動きを導き、ナスタへ振り下ろされた魔物の剣を正面でかわしながら、そのまますれ違い際に魔物の胴を横にぶったぎる。
「グギャァァァァー!」
ナスタの剣が触れた魔物の体は血すら出ず、その存在がきれいになくなっており、上下がきれいに分断されたかと思うと、そのまま青白い光の粒となり消滅した。そして、その様子を見ていたもう1人は仲間がやられたことに逆上する。
「貴様ぁ! 大人しくしていればいい気になりやがって! フレアアロー!」
魔物の詠唱とともに何本かの小さく燃え上がる炎の矢が魔物の前に現れ、そしてナスタ目掛けて飛んでくる。いきなりの相手の魔法にナスタはたじろぐが、その飛んでくる炎の矢ですらナスタの持つ剣にかかれば捉えるのに造作もないことのようだった。飛んでくるタイミングに合わせてナスタは剣を振らされ、その剣に炎の矢が触れるとジュッと音を立てて炎の矢を消滅させる。
あまりの出来事にナスタ自身が驚いているが、この剣の勢いは止まるところを知らなかった。炎の矢を迎撃した勢いで、ナスタを前掛かりにさせ、魔物の方へ走らせると、慌てて剣を構える魔物に向かって上段から斬り降ろす。咄嗟に魔物は自分の剣でナスタの剣を受けようとするが、魔物の剣は受けた部分が消滅し、そのままナスタの剣が魔物の体を斜めに斬り抜く。
「ち、ちくしょう、人間如きが……」
ナスタは膝をつき、そして青白い光の粒となって魔物が消えていくのを確認しながら、その場で意識を失ってしまった。