夏王朝と南蛮
以前良渚文化から夏王朝へと言う話を書いたが、どうもこれどうかな?と思えてきた。玉器の存在がまずこれだが、玉器が出土するのは、殷からだと言う調査がある。それと言うのも稲作民の北上した勢力と融合したのはむしろ殷じゃないか?といわれていて、これらの集団から玉器が伝わったのじゃないか?と考えを変え始めた。
元々他にもあり、洪水伝説があり、それを治水した禹が良渚文化の経験からだという話があったのだが、それも確かな証拠じゃない。それっぽい話というだけに過ぎない。他に決定的だったのは、古代中国語が南蛮といわれたタイ族の発音とやや似ているとの事があったからになる。
タイ・カダイと言うのはややこしい言葉で、オーストロネシアだと言われつつも、シナチベットも捨てきれないとして、独立した系統になってしまっている。これがあったので、私は素直に南方の集団が夏の民族だと決め付けてしまって、禹も良渚文化から来た王族だとしてしまった。
だがこのタイカダイ語族の元は、アルタイ地方から来たとの話しもある。ハプロはO1Aがちらほら出るためオーストロネシアでも確かに正しい気がする。だがO2もかなり多い。元々南方からの北上稲作民から連想したものであるため、それが夏じゃなくて、殷のメンバーだったとなるとそれらが宙に浮いてしまう。
夏と言う王朝があったか?は怪しいが、夏と言う都市国家があったのは多分間違いないと思っている。それが後で殷に影響を与えた。まるでローマに対するエトルリアの関係と似ていると思う。エルトリアは都市国家でそれらを統一した国じゃなかったとある。そういうレベルのものなら確実にあっただろうと見てるから。
稲作民、南方の部族の北上は殷で解決するかと思う。後は良渚文化と玉器も同時に解決してしまう。王族じゃないのかもしれないが、殷が南方の文化を取り入れたとなる。殷の出自は難しくない。以前から噂のあった北方遊牧民と東夷が上手く説明できる。特に孔子のハプロが解明されたのが大きい。順序が逆だが、殷の王家のハプロがC2Cに特定できたので北方遊牧民と見て良い。
もちろん中国に深く入り込んだし、かつ細石石器の担い手であるため早くから中国に居た可能性はある。だが難しいのは古代の人骨でC2Cはあまり出ない。ひょっとしたら南方に出る可能性がある。すべてがシベリアに移住したわけじゃない。そういった集団が最初から動かずに古モンゴロイドとして残っている可能性がある。
詳しく系統を見て見ないと分からないのだが。今回の話しとややそれも絡む。でも殷は遊牧民=C2Cと見て良い。まず戦車の存在と、東湖との同種族の可能性が言われているから。東湖の後として、拓抜部のO2系が有名だが、同時に古い東湖の領土からC2Cの人骨からのハプロも大量に出ている。おそらく見つからないだけで、時代的にもう移動を開始してるためO1系もあると思われる。
そして殷=東夷だが、元々遼河文明は東夷と北狄が後に分かれただけで、当時は同じ地域と見なされていた。これに時代が下って遼河文明から南下したN系と山東省で長江文明のO1系が混ざったのが東夷になる。ここにC2Cの南下も絡んでいるため、遊牧民として残ったのが北狄と呼ばれるようになった民族でほぼ同種である。
先ほどのC2Cの話しがややこしいのはこれ。北上長江と南下遼河の流れからC2Cが南に広がっているため、古モンゴロイドのC2Cがはたして居たのか?は良く分からなくなっている。
殷はほぼ日本人と同族と見て良い。ただし、その後華夏人と混血が深くなるため、そのせいで、東夷と呼ばれる特殊な集団が出来てしまった理由に成る。殷の時代にはもう王族は知らないが、殷人=商人は漢民族に近くなってしまった可能性は高い。前回の話しと深く関わる部分。殷は元は華夏人の血が多分薄い。
さてタイガタイに戻る。じゃ中国語のタイ語系統ってなんなんだ?となる。これは調べてみると、中国の歴史が始まる時代の華人や周人が居た北西の中国人の方言として残っていて、その発音にタイ語に似た発音があるらしい。もちろん全域的には使ってない。遊牧民が優勢な地域であるため、古くから居る漢族の一部の方言と見れば良いとおもう。
夏は華人と似た地域の中国人だった可能性が高い。タイ人が一部の伝説どおりに北方から南下してきた説が正しいのじゃないか?と見ている。今タイ語がオーストロネシア語に近くなってしまったのは、多数派であるO1Aの集団の中に居て影響されてまるでO1B2の言語が遼河系になってしまったが、語彙だけオーストロアジアが一部残っているようなものに似てるのじゃないか?と見ている。
言語は語彙より発音に起源が出やすい。発音の方が変化が置きにくいからだと見ている。中国語の方言も大体こうなってて、日本語もそうなる。定説はオーストロネシア語であるタイ語がシナチベット語に影響受けただが、これまるで逆なんじゃないか?と見ている。大幅にオーストロネシア化してしまっただけじゃないか?と見ている。
ミャオヤオも似てるのだが、遺伝的にもO1系とかなり混血している集団も数多い。O2=M7系を純粋に残してるというのはそんなに多くないんじゃないか?と見ている。
ここでC2Cが絡んでくるが、すでにC2系がアルタイに居たか?は分からない。当時確実にあの付近に居たのはN系になる。だからO2系はN系と混血して農耕民族になる。この一部が遊牧民になったと見ている。
いつから羊を飼うようになったかは?はチベット高原でイラン系の民族が移住したような遺跡があるらしい。その民族が羊を持ってきた可能性がある。羊の遺伝子からは確実に中東から中国に伝わっている分析が出ている。ステップロードからじゃない、チベット高原からのイラン系民族の流入になる。チベット人にはR1Aがしっかり出るし、一部は高い頻度で出る地域もある。
タイガタイはO2系でも遊牧民ではなかった可能性はある。それと言うのも北方中国人が南下を始めたのは寒冷化のせいで、これによって、残った農業民が遊牧民化したのが始まりだからになる。ミャオヤオと似たような時期の移住かと思われるが、ミャオヤオはもっと南の方にいたO2系らしいのでタイ族のように完全に華北の中国人集団の地区から来たのとはちと違う。
これによって当時の北方に居た古代中国語話者がタイ語に近い発音をしていた可能性がある。それは華系のキョウ族とはまた違ったのかもしれない。Rの話をしたのは、R混血後のチベット人から遺伝的文化的に影響を受けたチベット周辺のO2系がキョウ族だと思われるから、ちょっと後の話じゃないか?と考えられる。
遊牧民としてのルーツが北方のC2Cとは違うのじゃないか?と見ている。C2Cの羊と系統すら違う可能性もある。ステップロードから来たR系の羊かもしれない。このあたりは羊の系統が大まかに中東から来たしか知らないから、詳しく分からない。