最終話 君とずっと
「タクロー? いないのか?」
部屋に戻った俺は、タクローに声をかけたが、返答がない。もしかしてタクローも戻ってしまったんじゃないかと焦りを感じ、先ほどよりも幾分大きな声で、タクローを呼んだ。
「そんなに大きな声を出さなくても、ここにいますよ」
タクローの声が、炬燵の中から少しくぐもって聞こえてくる。伸びをしながらのそりと体を現した。
「サクラを連れ戻したい。どうしたらいい?」
俺は、タクローの小さな体を揺すりながら、勢いよくそう聞いた。
「何故サクラ様を連れ戻したいんですか?」
「そんなのお前……好き…だからに決まってんだろうが!!!」
俺は恥ずかしさの余りタクローの顔をまともに見る事が出来なかった。タクローが何も言わないので、仕方なくちらりとタクローの様子を窺うとにやりと笑っていた。何となく馬鹿にされているようでむかっ腹が立つ。
「どうすればいいんだよ」
俺は半ば投げやりにそう言った。
「ミカエル様にお願いしたら良いと思います」
「お願い?」
「そう、祈るんです。神様にお願いごとをする時のように。全身全霊で祈るんです」
「今……、俺が出来る事はそれしかないんだな?」
タクローは大きく頷いた。俺もタクローに大きく頷き返す。正直、神や天使に祈りを捧げるのは柄じゃない。だが、サクラに二度と会えなくなるのだけは、耐えられなかった。手段は選んでいられない。
俺は、炬燵に肘をつき手と手を握り合わせ、静かに目を瞑った。
「え〜と、ミカエル様。お願いします。サクラに会わせて下さい。俺には、サクラに伝えたい事があります。あの時のような後悔はもう二度としたくないんです。サクラと話をさせて下さい。お願いします」
俺は、心の中でそう何度も何度も呟いていた。
『哲治。あなたは、サクラを本当に想っているのだな?』
俺の頭の中に伝わってくる声。これってテレパシーってやつなのか? この声は、ミカエル様に違いない。優しく力強い、全ての物を包み込んでしまいそうな圧倒的な偉大さがその声には滲み出ていた。
「はい」
俺は心の中でそう言った。
『サクラは、本当に君の事を幼い頃から大好きだった。父親である私がやきもちを妬いてしまうくらいに。私は君たちの3ヶ月を上から見ていたよ。君のお陰で、サクラはとても成長した。そして君も、サクラと共に成長したようだ。もう、過去の傷は癒えたのだな?』
「はい、過去の事は俺の中でけじめをつけました。彼女の事は本当に好きでしたが、これからは友達として付き合って行きたいと思っています」
『一つ、君は誤解しているようだが、天人と地上人が恋愛をしてはいけないという決まりはない。地上人が天人と出会う機会が極めて少ない為稀ではあるが、結婚した者も、子を授かった者もいる。かく云うこの私の妻も地上人だった。だが、私の妻は天上界で住むことを良しとしなかった。どうしても地上にいたいとな。妻は体が弱かった。いつ死んでもおかしくないような体を持っていた。だから、私は妻の願いどおりさせたのだよ。天上界にはな、願い池という池があるんだ。行きたい所、会いたい者を心で念じ、飛び込むとそこに行く事が出来る。サクラは幼き頃、母を想ってその池に飛び込んだんだ。そしてその時、君に出逢った。私の妻は君の近くにいる人物だったんだよ。君の家に昔女性が一人、一緒に住んでいただろう? それが私の妻だ』
確かに、俺が小さい頃家には女性が一人居候していた。母の幼馴染で、大親友だったと聞いている。小さい頃は、自分の伯母さんだと思っていたものだが。
とても奇麗で、年をまるでとらないいつまでも若々しい人だった。優しくいつも笑顔で周りを暖かい心にする人だった。元々心臓の弱い人で、俺が中学生の頃に発作を起こし亡くなった。
『私は彼女を酷く愛していたいたんだよ。出来ればずっと私の傍に置いておきたかった。君のお母さんにはお世話になりっぱなしだ。私と彼女のキューピッドだったからね。君のお母さんには、サクラが君の部屋にお世話になっている事もサクラの恋心の事も話してある。君のお母さんもこの私も君たちの事をとても応援しているんだ』
母が天使の存在を知っていた事も、伯母さんと思っていた人がサクラの母親だった事も、母が俺とサクラの事を全て知っていた事も俺にとっては驚きの連続だった。
母には大分長いこと連絡を取っていなかった。サクラの事をどう説明していいのか分らなかったので、控えていたのだ。
『長いこと、関係のない話まで話してしまったな。私もサクラには幸せになって欲しいんだよ、君なら娘を任せても安心だからね。明日サクラを君の元に行かせる。私が出来るのはそこまでだ。その先の判断はサクラに任せるとしよう』
「もし、サクラが俺の傍にいたいと言ったらこっちに残ってもいいんですか?」
『私には止める理由が思い浮かばないよ。その時には、娘をよろしく頼むよ』
「はい」
感覚で、ミカエル様が遠くに離れていったのが分った。
俺はゆっくりと目を開けた。どのくらいの間目を閉じていたのだろう、光が眩しく少し眩暈がした。
目の前で、タクローが心配げに俺の顔を覗き込んでいた。
「話せましたか?」
「ああ、俺の知らない意外な新事実が明るみになって、俺の頭は今混乱状態だ。とにかく、明日サクラをこっちに行かせると言ってくれたよ」
タクローを安心させるように笑顔を作った。タクローも安心したのか脱力した顔をしている。
「ありがとな、タクロー」
突然お礼を言われたタクローは、最初こそキョトンとした顔をしていたが、やがて嬉し恥かしな顔をしていた。
翌日、俺が朝目覚めると以前と同じように朝食を用意していた。
昨夜の俺は、明日サクラになんて言えば良いのかを考え始めてしまい、なかなか寝付く事が出来なかった。朝方やっと寝る事が出来、思いのほか熟睡してしまいサクラがここに来た音には全然気付かなかった。
「……サクラ」
「あっ、哲さん。お早うございます。哲さんの起きるの待ってたんですけど、退屈しちゃったんで朝御飯作って待ってました」
サクラは少し照れくさそうに俯きながらそう言った。
ほんの短い間会わなかっただけなのに、ひどく長い事会っていないような寂しさと懐かしさが俺を包んだ。そして、俺の気持ちを自覚したせいか、サクラを目の前にしただけで、鼓動が激しく打ていた。
「そっか、お父さんから何か聞いてるか?」
「いいえ、ただ哲さんの所に行くようにって」
そっか、と言ったきり言葉が出てこない。もどかしい想いを感じていた。
「あの、取り敢えずご飯食べましょうか」
見兼ねたサクラが俺を座るように即した。
口馴染んだサクラの料理を口に運びちらちらとサクラを見る。
「今日の哲さん、なんか変ですね? 綾乃さんとは……上手くいきましたか?」
笑顔を作って、サクラが聞いた。今の俺なら分かる。サクラの寂しそうな笑顔のわけが。俺と綾乃が付き合ったら嫌な癖に強がって、笑顔作って。そんな強がりなサクラにどうしようもなく愛おしさを感じた。
すっと立ち上がりサクラを背後からそっと抱き締めた。卵を包むように割れないように優しく、おっかなびっくり。
サクラは、びっくりしたのか、体を硬くしている。
「俺はサクラが好きだ。俺の傍にいてくれないか?」
俺はサクラの耳元にそう呟いた。
「でも、哲さんには綾乃さんが……」
サクラの声は震え、泣きそうなものだった。
「俺、やっと気付いたんだ。自分が誰を好きなのか。サクラがいなくならなきゃ分からなかった。俺ってホント鈍いよな。綾乃にはちゃんと断ったよ。俺はサクラだけが大好きなんだ。サクラは? 俺の事どう思ってる?」
「私は……、私は初めて会った時からずっと哲さんが好きです。ずっと傍にいたいのは私の方です」
ずずっと鼻を啜る音がしてサクラが涙を流している事に気付かされる。
「俺、全然忘れててごめん。沢山傷つけてごめん。沢山泣かせてごめん。でも、今日からは俺が傍にいる。どんな辛い事があっても俺が傍にいるよ」
俺はサクラを抱き締め手をより一層強めた。そして、肩を掴むとこちらに顔を向けさせた。
サクラの顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。俺はサクラの顔を袖でごしごしと拭いた。サクラは幼児が母親に鼻を拭かれているような顔をしていた。それが何だか可笑しくて、俺はつい笑ってしまう。俺に笑われたサクラは唇を尖らせて怒った。俺は笑いながらその唇に自らの唇をそっと乗せた。すぐに放すと、驚いたサクラはキョトンとした顔で俺を穴が開くほど見てくる。俺は照れ臭くてサクラを直視出来ない、年甲斐もなく俺の心臓は飛び出しそうなほどに高鳴っていた。顔が真っ赤になっているに違いない。
サクラが勢いよく俺に抱き付いて来た。
「哲さん、大好き……」
俺の耳元に俺にだけ聞こえる声で、天使の囁きが俺の心を震わせた。
俺だけの天使が俺だけの為に笑顔を見せる。少し幼いその笑顔が失われないように、俺はサクラを愛するだろう。
俺達はこれからいろいろなことがあるだろう。
時に楽しく、時に悲しく、時に苦しく、時に嬉しく、時に怒り、時に笑う……。
良い事も悪い事も、そう、君と二人で。
ずっと傍にいるよ……。だから、その笑顔をいつまでも……ずっと……。
〜完〜
〜〜〜 おまけ 〜〜〜
「サクラ、タクローは戻ったのか? 何かあいつがいないと寂しいな」
大学からの帰り道。手を繋いで歩く二人。嬉しそうに笑っていたサクラが少し表情を曇らせた。サクラもタクローがいないのが寂しいんだろう。
「ただいま〜」「ただいま」
二人揃って部屋に着くと、どたどたと誰かが玄関に走って来た。背が高く、日本人離れした容姿に長い脚、そして上品な服装に振舞。こんな奴俺の友達にはいない。誰だこいつ。
「お帰りなさい!!!」
「タクロー、こっちに来たの? 今度は猫じゃないのね?」
えっ? このイケメンさんがタクロー? 猫のイメージしかないから、なんだか調子が狂うが、本当にこいつがタクローなのか?
「哲さん、お久しぶりです。お元気でしたか。お会いしたかったです。やっと本来の自分の姿でお会いすることが出来ました。嬉しいです。ところで、サクラ様とは上手くいってますか?」
そう言って、最後ににやりと笑った。その笑い方が、間違いもなくタクローのものだった。懐かしさと、こ憎たらしさが同時に湧いてくる。
「そんな姿で会うのは初めてで、なんかタクローじゃないみたいだな。お前戻ったんじゃなかったのか?」
「一度は戻ったんですが、サクラ様と哲さんを見ていたら、なんだか私も恋がしたくなってしまいましたので。というか、実はこちらに好きな人が出来てしまって」
恥かしそうにタクローは、頬を赤らめている。こんなタクローはなんだか、見慣れないが、少し可愛らしく感じてしまった。隣に立っていたサクラをちらりと見ると、気持ちは同じようで、二人は頷き合った。
「よし、俺達がキューピッドになってやるよ」「私達がキューピッドになってあげる」
俺とサクラの声が重なった。タクローは恥ずかしそうに可笑しそうに、そして嬉しそうに笑った。タクローの笑顔、俺にはとても新鮮だった。
「「で? 相手は誰?」」
そしてまた、新しい三人の騒がしい毎日が始まろうとしていた。
こんにちは。
今まで、読んで下さった皆さん、本当にありがとうございました。
この作品、実はもう何度も何度も削除してしまおうかと思ったものです。私の中では、とっても酷い作品です。ですが、何とか最後まで書く事が出来ました。良かったです。
駄作ですが、感想&評価して頂けると嬉しいです。
宜しくお願いします。