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第18話 忘れない

 その日を境に綾乃が大学に入り浸るようになった。正確にいえば、大学に入り浸るというよりも、俺の隣に常にいるという感じだ。俺の腕にしがみ付き、なかなか放そうとはしない。

 大学の連中は俺の右隣にくっ付いて放れない見慣れぬ美女に好奇の目を向けてくる。


「こんな美人が彼女だったとはね。確かに哲は顔はいいからね」


 陽介が綾乃を見て、初めて言った言葉がこれだった。哲は顔はいいからね? 何となく意味の分からない言葉も混じっていたが、面倒くさいので、聞かなかった事にした。


「いや、でもこんなに可愛い女の子がいたら、浮いた話が一つもなかったのも頷けるよな。さてはお前、ずっと彼女の事忘れられなかったんだろう?」


 案外智弘は痛い所を突いて来る。実際数か月前までの俺はまさにその通りだったのだから。サクラが来て、色んな事に無理矢理巻き込まれ、面倒な事も大いにあったが、その日々が綾乃を思い出さなくなる最大の理由だったのだと思う。やっと気持ちの切り替えが出来たと思った時に現れた綾乃。だからか、俺は素直に彼女の想いを受け入れる事が未だに出来ない。綾乃には申し訳ないが、自分の気持ちがどこに向いているのかいまいちよく分からないのだ。そんな気持ちで綾乃とやり直す事は出来ない。

 いつも俺の右隣に綾乃、左にはサクラがいた。普通に考えればこれは両手に花ってやつで喜ぶべきところなのだろうが、俺にはこの状況が苦痛でしかない。綾乃は必要以上にひっつくし、サクラは相変わらず元気がない。俺がサクラに構うと、未だに勘違いしているのか綾乃の鋭い視線が飛んでくる。いくら鈍感な俺でも綾乃のこんな視線に気づかないわけがないのだ。



 ある日の夕食時、サクラは俺にこう言った。


「私の事は気にしなくていいですから、綾乃さんに優しくしてあげて下さい」


 そうは言ってもサクラは今にも泣きそうで、こんなサクラを俺はどうして放っておく事が出来るんだ? 俺が何も言わないでいると、サクラはなおも続けた。


「綾乃さんにきちんと向き合って下さい。面倒がらずに誠意をもって」


 サクラは笑っていた。やっぱりサクラは天使なんだなって俺は考えていた。自分が苦しい時でも、結局他人の心配をしている。


「分かった。ちゃんと向き合ってみるよ」


 正直、サクラの言葉には少しぎくっとした。確かに、俺はサクラが心配だという言い訳を用意して、なるべく綾乃の事は考えないようにしていたのだ。

 俺は、綾乃の事をきちんと考えてみようと思う。確かに俺は綾乃に振られたと思っていた。だが、綾乃は親に引っ越しを強制的にさせられ、連絡を取る術なんかもどさくさに紛れて取り上げられた。綾乃は何一つ悪くない。綾乃は今までずっと俺を一途に思い続けてくれていたんだ。綾乃は悪くない……。そう、綾乃は悪くない。



「サクラ、明日どこかに行こうか?」


 俺がそう切り出したのは、サクラに綾乃と向き合って下さいと言われた日から数日後のことだった。綾乃にはまだ返事はしていないが、なるべく前向きに考えるようにしている。


「どこかに皆で行くんですか?」


「いや、明日は二人でデートをしよう」


 サクラは、キョトンとした顔をして俺の目を見ていた。俺の真意を探っていたんだろうと思う。


「いやなら、無理に誘わないけど…」


 俺はサクラの目を見つめ返し、そう言った。


「行きます! 行きたいです!!!」


 サクラは大きな声でそういうと笑顔を作った。キョトンとした顔はなれを潜め、目はきらんきらんと輝いていた。これまで、俺とサクラが二人でどこかに出かけた事は一度もなかった。初めてにして、最後のデートになるのだろう。

 サクラとタクローが帰る日が刻一刻と近づいて来ていた。



 俺とサクラは翌日、東京タワーに行く事になった。恐らくサクラの最後の我が儘だったんだと思う。俺が高所恐怖症だという事は当然知っていたが、それでもどうしてもそこに行きたいとサクラは頑なに言い張った。二度と行くものかと固く誓った俺だが、サクラのお願いには敵わなかった。

 サクラの願いが届いたのか、当日の空はどこまでも青かった。街はクリスマスが近い事もあり、カップルが普段よりも多いような気がした。いちゃいちゃと腕を絡ませる女が相方の男に上目遣いで微笑みかけている。

 サクラは、朝からご機嫌で笑顔を絶やさない。俺は、行き先が東京タワーでなかったならば、もっと楽しい気分でいられたんだろうが、少し気が重くなるのはいた仕方ない。それでも、サクラが喜んでくれているならそれでいいと俺は思った。


 東京タワーの展望台は、酷く空いていた。夜になればライトアップされる事もあり、もっと賑わうのだろうが、昼間は人がいない。俺達がエレベーターを降りた時には、一組の老夫婦がいたが、いつの間にかいなくなっていた。

 俺が窓際に寄らないようにしていると、サクラが走り寄って来て手を差し伸べた。


「きっと、手を繋いでいれば怖くないです」


 少し首を傾げ、俺に微笑みかける。その笑顔に吸い寄せられるようにサクラの手をとり、サクラの導くままにゆっくりと窓際に近づいていく。不思議な事に恐怖心がどんどん萎み、そしてついには奇麗さっぱり消え去ってしまった。

 俺は初めてそこから広がる東京の街並みと、遥か向こうに見える山々を見た。


「あっ、あそこに哲さんの大学があります。だから、アパートはあの辺かな」


 サクラは人差指である一点を指してみせる。俺は大学の位置を確認し、アパートの位置も探しだした。


「違うよ、アパートはあっちだ」


 気付くと俺は恐怖心を忘れ景色に夢中になっていた。今まで一体何が怖かったのかと不思議にさえ思った。恐らく俺が今平気でいられるのは、サクラの手の温もりを感じているからなんだろう。ちらっとサクラの表情を窺う。子供の様にはしゃいで色んな物を見ている。車がまるでミニカーみたいだと。


「サクラ。俺な、綾乃とやり直してみるよ」


 サクラは笑顔を引っ込めて俺の顔を見上げた。俺の顔を隅々まで見ると、ニコッと大きな笑顔を見せる。


「そうですか。良かったです。哲さんならきっと幸せになれます」


 俺は無言で、サクラの表情を見ていた。何故かサクラの笑顔を心に焼き付けておかなければならないと思えたのだ。


「私、地上に来て最初に会ったのが、哲さんだったこととっても感謝してるんですよ。すごく楽しかった。哲さんに沢山叱られちゃったけど、すごく優しくしてくれました。ありがとう哲さん。大好きです」


 突然の改まった言葉に俺は不安を感じたとともに、サクラの大好きという言葉に動揺していた。分かってる。サクラの大好きは人として好きだってことくらい。


「何だよ、それ。まるで別れの挨拶じゃないか」


 俺は動揺した心を隠してなるべく明るい声でそう言った。


「もうすぐお別れですから。もしかして最後に言いそびれてしまったら嫌なので、ちょっと早いですけど先に挨拶だけ」


 そう言って、俺の大好きなエンジェルスマイルを浮かべる。


「向こうに戻ったら、もう二度と会えないのか?」


 サクラは俺の問いに寂しそうに頷いた。


「そっかぁ、寂しくなるな。俺、お前の事ずっと忘れないよ」


「私もです」


 俺達は、手を繋いだまま、言葉を交わす事もなく暫く透き通るような空と、その下に広がるどこまでも続く街並みを見ていた。


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