第12話 大地
それから何日かは平穏な毎日を過ごしていた。
俺は大学の講義やレポートで忙しい毎日を送っていた。それと並行して、家族が一人と一匹増えたのを期にバイトも始めた。近くにあるコンビニで夕方からバイトをしている。大学にも近いだけあって、友人知人が様子を見にやってくる。その約半分がもとから常連なのだが、その中の一人になっているのが大地(お忘れの方は第3話を参照して下さい)なのだ。
大地はほぼ毎日このコンビニに立ち寄っている。俺のバイト終了時間が合えば、うちに遊びに来る事だってある。
そんなある日。
「哲、今日お前ん家に行ってもええか?」
いつもはおちゃらけてるこいつが今日はどうしたことか嫌に神妙であった。いいよと、俺が言うと、大地は少し微笑んだ。
「俺、お前が終わるまで立ち読みでもして待ってるわ」
おおと相槌を打ち、俺は仕事に戻った。仕事と言っても、今日は客が全く来ない。現に客は大地ただ一人なのだ。
今日のバイトのメンバーは、俺と高梨美紗という女子高生だ。
女子高生と言うと聞こえはいいが、高梨は暗いというか内気と言うか話しかけてもすぐに下を向いて俯いてしまう。大きな黒ぶち眼鏡がアラレちゃんを思い出させる。俺は高梨がメガネを取った所を見た事があるが、中々可愛らしい顔をしている。恐らくあの眼鏡は伊達眼鏡だ。何故あんな大きな眼鏡で顔を隠しているのか分らないが、俺から見たら高梨は不思議ちゃんだ。中々俺に心を開こうとしないが、不思議と俺は彼女がそんなに嫌いじゃない。
バイトの時間が終わり、店長とアラレちゃんもとい高梨にお疲れさまでしたと挨拶をして外に出た。外には大地が退屈そうに待っていた。
「おっつ〜。めっさ待ってたで」
「別に待っててくれとは頼んでないがっ」
大地の無駄に高いテンションにバイトで疲れている俺は、苛立ちを隠す事は出来なかった。
「そんな怒らんといてぇな、俺とお前の仲やんけ。な?」
「気持ち悪い事をでかい声でぬかすな。俺が同性愛者だと思われたらどうすんだ」
俺が大地に怒鳴りつけたところで、こいつがへこむとは到底思えない。大地は可笑しそうにダハハハハと笑っているだけだ。
「お前が大人しくなるのはいつだ?」
俺は嫌みたっぷりに大地に訊ねた。
「アホかぁ? 俺かて大人しい事もあるし、悩むことかてあるちゅうねん。失礼しちゃうわ、俺めっちゃ乙女やん」
腰をひねらせ、自分の乙女度を出そうとしているようだが、俺から見たらただのアホだ。
「誰が乙女じゃ、じゃかましい」
大地といるといつもこんな風になってしまう。ノリツッコミのツッコミのような自分に溜息を一つついた。大地とこうしていると正直疲れる。だが、それと同時に楽しいと感じている自分も確かに存在するのだ。
そんな事を考えているうちにあっという間にアパートについてしまった。それもその筈、コンビニからうちまでは5分もかからないのだから。
「ただいまっと」
俺が靴を脱ぎながらがそう言うと、サクラと猫のタクローが玄関に駆けて来た。
「お帰りなさ〜い」
「にゃあ」
勢いよく満面に笑みを湛えながらそう言ったが、俺の後ろに大地がいるのを見て、恥かしくなったのか顔を赤らめた。
「今晩は、サクラちゃん。ほ〜んま今日も別品さんやなぁ。お邪魔するで」
「お前って本当に大阪のおばちゃんみたいだな」
俺が呆れてそう言うと、そんなことあるかいと、陽気に返されてしまった。
居間に入ると良い匂いが漂って来た。今日の晩飯はカレーらしい。サクラの料理の腕は、日に日に上達していて、今では大抵何でも作れる。サクラのカレーは市販のルーを使わず、香辛料を混ぜて一から作るので、とにかく本格的で美味い。サクラのカレーを俺が大好物だと知っている為か、俺がリクエストすると嫌がらずに作ってくれる。作るのに何時間も鍋から離れずに混ぜ続けなければならなく、相当手間がかかるのにサクラは嬉しそうに作ってくれるのだ。
「腹減ったぁ」
「はい、もう温まってるのですぐに食べられますよ。大地さんはご飯食べました?」
「俺もめっちゃ腹減ってんねん。食べてええ?」
もちろんと言って、サクラは用意を始めた。
「美味い。やっぱりサクラのカレーは最高だな」
俺がサクラにそういうと、サクラは嬉しそうに極上の笑顔を俺に向けた。
「良かったです。お代わり沢山ありますからね」
ああと口にカレーを頬張りながらくぐもった声で頷いた。
「なんかお前らって親戚とかってより、新婚さんみたいやな」
大地が妙な事を言い出したものだから、俺はご飯が気管支に入ってしまい激しくむせてしまった。
「ばっ、何言ってんだよ」
「何ってそんなん素直な感想やん。そんな怒らんといてえな」
悪びれる様子もなく、しゃあしゃあとそんな事を言う。
サクラはというと照れているのか、頬を赤らめた。俺の気のせいかもしれないが、嬉しそうに微笑んでいるようにも見える。
「で? お前の相談って何だよ」
相談があると言った事などまるで忘れたかのように振舞う大地に、仕方がないので俺から話を振った。
「そうやった、忘れるとこやったわ。危なっ」
どうやら本当に忘れていたようで、それにはこっちがびっくりしてしまう。で?と、再度話をそくすとやっと話し始めた。
「お前とサクラちゃん恋のキューピッドなんやろ?」
突然そんな事を言われて、再度むせそうになってしまった。
「おまっ、サクラはいいかもしれないけど、俺を変な呼び方するな」
大の男がそんな呼び方されて黙ってられるかってんだ。サクラは予想通り喜んでいる。
「でも、陽も智弘もそう言ってたで。まあそれはともかくとしてやな、俺な……惚れてしもうたんや、彼女に……」
大地はうっとりとし、しばし想像の世界に飛び込んで行ってしまった。
「おい、彼女って誰だよ」
俺は無理矢理大地を現実の世界に引き戻した。
「コンビニの彼女や」
「コンビニのって俺がバイトしてるとこか?」
コンビニの彼女と言われても、コンビニなんてこの近辺にはいやってほどあるのだ。そんなアバウトな言い方されてもこちらは分かる筈がない。
「お前んとこのコンビニに決まってるやないか。ほら今日もおったやろ、眼鏡の子ぉが」
今日もいた眼鏡の子って……もしかして高梨の事か? 大地はああゆうのがタイプなのか。人間とは自分にない物を好きになるもんなんだな。大地と高梨じゃ完全に正反対なのだ。
「嘘だろ? お前と正反対だぞ、真逆だ。大人しくて、……多分あれ男嫌いだと思うし」
「まだ分からんやんけ。俺みたいなん好きかもしれないやろ」
いつになく必死でがっついて来る大地。俺は腕を組んで、う〜んと唸る。大地と高梨……。ちゃんと会話できるんだろうか。大地はどこでも誰とでも話す事は出来るだろうが、問題なのは高梨の方なのだ。あいつは、大地のハイテンションの会話についていけるだろうか。
「お話したことあるんですか?」
サクラが大地にそう問う。高梨とサクラは案外仲がいい。俺がバイトしている時にサクラはたびたび遊びに来るので、勤務時間が重なる事の多い高梨とも面識があり、俺の知らぬ間に仲良くなっていた。考えてみれば、サクラと高梨は同年代なのだ。サクラが高梨に興味を抱かないわけがないのだ。
「ないねんな、これが。見かけどおり俺って内気やん?」
「何をぬかすか。見かけによらずだろうが。ていうか、お前が内気というのは絶対にないな」
え〜と不服そうに唇を尖らせている。
「気持ち悪いわ、やめろ」
「そんな遊んでる場合ちゃうねん。俺、ほんまあの子がすっきやねん。好きすぎて飯ものど通らなくなってんで。なあ、俺どないしたらいいやろか」
カレーをぺろりと平らげた男が何を言うと俺は鼻白らんだ表情を大地に向ける。俺の表情など目にくれない大地は大袈裟に頭をかきむしり、髪の毛は見事に爆発し、妖怪反応が出ている。
「哲さんと高梨さんはバイトの終わる時間、一緒なんですか?」
一人もがいている大地を無視してサクラが俺にそう聞いた。
「同じ時もあるし、違う時もあるよ」
そう言うと目をきらりと輝かせ、俺の腕をがっしりと掴むと興奮気味にこう言った。
「二人がバイト終わった後、ご飯食べに行きましょ。高梨さんは私が誘います。ねっ?」
特別にいい案ってわけでもないが、名案を提示して褒められるのを今か今かと待っているサクラを見て、俺は仕方なく頭をポンポンとしてやった。サクラは、嬉しそうに笑顔を向けた。サクラお得意のエンジェルスマイルだ。
大地は一人で悶えながらも、俺たちの話はきっちり聞こえていたようで、サクラの提案に飛び付いて来た。
「サクラちゃん、ありがとな。ほんまに君は最高や」
サクラの両手をとって拝むようにそう言った。サクラは戸惑って俺を振り向き、助けを求めるような顔をする。仕方ねえな。
「ほら大地、サクラが困ってるから手放せ」
無理矢理サクラから手を放させた。
「取りあえず、話す場は俺達がセッティングするから、あとは自分で何とかしろよ」
「分かってるって、任しとき」
それから、大地はご機嫌で帰って行った。来るのも突然で、帰るのもいつも突然なのだ。台風の目のような男である。
大阪弁を上手く使いこなせません。恐らく変なんでしょうけど、勘弁して下さい。