吾輩は魔王であるが、四天王になぜか監禁されている
吾輩は魔王である。暗黒世界の覇王とか人類の天敵などという二つ名はまだない。それどころか、ようやく人間の国を一つ落としたところでなぜか部下である四天王たちによって監禁されている。
吾輩は、目の前で神々しい光を放つ剣を睨みつける。歴代の勇者が使ったと言われるこの剣のせいで吾輩は魔力を解放することもできない。
「魔王様。諦めてください。我々は人間と和平を結ぶことに決めたのです」
しわがれた声で吾輩に話しかけたのは、四天王の一人で魔導将軍だった。彼はいち早く吾輩を魔王と認め、忠節を尽くしてきたはずであった。だが、彼は裏切った。聖剣を破壊するために魔王様のお力が必要です、と言われて来てみれば聖剣の力で吾輩の力は封じられ、この薄汚い祠に監禁されているのである。
「なぜだ? なぜ裏切った」
柵越しに吾輩が訊ねると魔導将軍は白く濁った瞳をこちらに向けると口を開いた。
「魔王様が悪いのです。魔王様と世界征服を始めてから四年。休みを取れたのは、末娘の結婚式だけ。それ以外はすべて仕事の日々です。妻からは『あなたは仕事と家庭どっちが大事なの?』と責められ、部下たちからは『現場も知らずに命令ばかりするな』と突き上げられ、もう限界なのです」
魔導将軍は髑髏の飾りが付いた杖で何度も床を打ち鳴らした。彼の心労がそこまでひどいとは知らなかったが、世界征服という覇業を志した以上は覚悟すべきではないだろうか。家庭や部下から批判されるのは中間管理職の常であるはずだ。
「分かった。ならばお主には七日間の休暇と優秀な副官をつける。だから、吾輩を解放しろ」
「……魔王様。もう遅いのです。妻は先日、実家に帰ってしまいました。結婚から七十年での熟年離婚です。衣類の場所どころか調味料の場所さえわからない。正直。人間と戦争している状況ではないのです。家庭戦争で手一杯なのです。だから、戦争を続けようとする魔王様は不要なのです」
清々しいほどの私的な理由だった。
「前代の魔王が勇者に討たれて百年のあいだ魔族が人間によってどのような扱いを受けたかお前は知っているだろう。獣人は毛皮や牙を獲るために狩られ、悪魔は角や翼を毟り取られた。彼らの亡骸は敬意を払われることなく打ち捨てられる。家畜以下ではないか。魔族がまともに生きれる世界を作る、そのために力を合わせようと約束したではないか」
「ええ、覚えております。親もなく彷徨っていた魔王様とお会いしたあのときのことを。ですが、あの時と今は違うのです!」
魔導将軍は開き直ったような顔で吾輩を見つめる。確かに彼にも私生活はあるだろう。だが、最初に吾輩を魔王と認めたのは彼である。それが一抜けを決め込むのはどうにも納得がいかない。
「なら、使用人をつける。それで良いだろう」
吾輩が声を荒げると魔導将軍は「そんな問題じゃない。心の問題なんだ」と叫ぶと部屋から出ていった。よくよく彼の衣を見てみれば、洗濯をしたあと皺を伸ばすことをしなかったのか、背中や袖に深い皺が出来ていた。吾輩はその寂しい背中にかける言葉がなかった。
「魔導将軍が顔を真っ赤にして出て行きましたが、また魔王様は正論だけをぶつけになったのですか」
そう言って部屋にやってきたのは四天王の中でも最強と名高い竜人将軍であった。浅黒い皮膚に頭から生えた大きな角。背中からはえる翼と尻尾がこの者の竜としての正体を僅かにのぞかせている。
「正論の何が悪い。人間を征服せねば魔族に未来はないのだ。お主とて同胞をずいぶんと亡くしておるだろう」
竜人将軍は、柵の正面に立つと吾輩を見下ろした。彼は指を折って数をかぞえた。
「ざっと六体ほどでしょうな」
「その仇を討ってよりよい世界を作りたいとは思わないのか?」
「思いはしますが、我ら竜は同族であっても仲間意識はほとんどないのです。強いものが生き残り弱いものが死ぬ。それは自然の摂理というやつです。ゆえに私も本能には忠実なのです」
竜人将軍は、武人には似つかわしくない笑顔を見せた。竜という生き物は強い。並みの人間や魔物では相手にならないほどだ。彼らは優れた知性を持ち、ときとして人の姿さえとってみせる。
「本能だと?」
「ええ、竜は本能として求めるのです。宝石や金銀の輝きを。人里離れた洞穴で輝く宝玉を眺める完美さ。自らの鱗よりも眩しい黄金の光を浴びる愉悦こそ竜の本性なのです。その本性のおかげで人間どもにも襲われますがね」
確かに竜の多くは洞穴の奥深くで財宝を守っていることが多い。財貨への執着が彼らの本性だというのならば、竜人将軍が裏切った理由もおおよそ分かる。
「金か。吾輩の払う賃金が少ない、ということか」
「ご明察、さすがは魔王様だ。私は竜の中の竜。知性も高いがそれ以上に本能にも忠実なのです。魔王様は理想だけは宝石のように美しいが、実際に財宝は与えてくれませんでした。だから、私はあなたを裏切るのです」
竜人将軍は人差し指を親指で丸を作ると下卑た笑い声をだした。
吾輩は、財を不当に溜め込んでいたわけではない。魔王軍として魔物たちを指揮するのにはそれなりにお金がかかる。拠点を作るのにも資材がいる。軍勢の日々の食料を用意する必要もある。多くの魔族は食が満たされていれば文句を言わない。それは彼らが人間に迫害され、その日の糧にも事欠いていたからだ。
だが、竜人将軍のような力の強い魔族にはそれがない。
強力な能力を使えば人間の方から、「命ばかりは」と差し出してくるのだ。そういう意味では彼が吾輩の配下に入るというのは窮屈なものだったかもしれない。命令がなければ略奪することも許されず、本能のままに金銀財宝を集めることもできない。
「分かった。今後はひと月に大樽十個分の金塊を与える。武功に応じて宝石も与えよう」
「魔王様、たいへんに魅力的な思し召しではあるが、お断りしましょう。人間たちは魔王様を差出せば魔王城を金銀財宝で埋めて渡すと約束した。魔王様の些細なお気持ちはお返ししておきましょう」
部下を買収されてしまった。だが、確かに吾輩は魔王に魔族は従うものだと考えていた。彼らが何を求めているか、それに見合う賃金を払っているかなど気にしたこともなかった。大義のためすべての魔族は従ってくれる。自分勝手に思っていた。
「竜人将軍。吾輩はそなたのことを何も理解しておらなかったな」
「ええ、そうです。ですがそれはこちらも同じこと。魔王様を捕えたあとお部屋を物色させてもらいました。ろくに給料も出さないので貯め込んでおると期待したのですが」
「何もなかったのだろう?」
吾輩が訊ねると竜人将軍は大きな頭を縦振った。多くの金は魔族のために使った。自分のために使ったものなどいま着ている鎧と兜だろう。吾輩の魔力に反応して鉄壁と言える防御力を可能にしたものだ。それ以外は書籍や羊皮紙などだ。竜人将軍が好みそうなものは何もなかっただろう。
「魔王様は何が楽しくて魔王をされていたのです」
「楽しみなどない。魔族たちが困らぬ世界を創る。それだけだ」
「まさに滅私奉公ですな」
竜人将軍は驚いたように大きな瞳を見開くと嘲笑とも讃辞とも言えない声を出した。彼は何の愉しみもない吾輩を馬鹿にしたのかもしれない。だが、それでも叶えたい未来が吾輩にはあった。
「何が悪い。魔王とはこうあるべきであろう」
「善し悪しなどいいません。ただ、その鎧兜を脱いでおいてください。人間どもの使者が来れば魔王様の首を刎ねて渡さねばなりませんから。鎧は邪魔だそうです」
竜人将軍は大きな鱗に覆われた足を踏み鳴らしながら部屋から出ていった。吾輩は鎧をみた。魔王になってから唯一、自分のために作らせたこの鎧は吾輩の膨大な魔力に耐えられる特別なものだ。どのような魔法も武器もこの鎧を貫くことはできなかった。人間からすれば吾輩を殺すためには鎧は邪魔に違いない。
彼ら裏切り者が言うとおりに鎧を脱ぐべきか考えていると、甘ったるい息遣いと地面を叩く甲高い足音が聞こえた。
「妖魔将軍か。お前も吾輩に不満があって裏切ったのだろうな」
「ああん、魔王様ったらこんなときでも真面目なんですねぇ。でも、実際そうなんですよねぇ。魔王様には不満しかないんですよ。だって魔王様は一度も私と寝てくださらないんですもの。夢魔である私はいつでもいいというのに」
妖魔将軍は大きな胸を震わせて微笑んだ。吾輩はため息をついて彼女に言った。
「そなたは吾輩の好みではないし、なによりも部下と色恋に落ちるようなことはない。なによりも部下とそんなことがあれば公私混同と責められるし、別れるようなことがあれば権力にものを言わした、と非難される」
かつて読んだ書物に書いてあった。身分差がある者同士の恋はひどく燃え上がる。だが、そのあとは悲惨なものになる。身分が上の者は、横柄に振るまい。身分が下の者はとかく被害者のように振舞うという。吾輩は禁断の恋に流されて過ちを犯すようなことはしない。
「ホント、魔王様は堅物なのよねぇ。夢魔としては魔王様と愛し合いと思うのは普通のことなんだけど。まぁ、いいわ。魔王様がツレないからアタシも決めたの。アタシ見てくれないなら足を引っ張ってやろうってね」
妖魔将軍は真っ赤な舌で舌なめずりをすると、吾輩が監禁されている祠へと近づいてきた。確かに歴代の魔王は英雄色を好むを体現して夢魔を多く侍らせていた。吾輩は違う。色事には距離を置き、節度をなによりも大切にする。しかし、夢魔の中でも最高の力を持つ彼女にとっては魔王から求められない、ということは屈辱だったのかもしれない。男女のどちらでも快楽の虜とする。それが彼女の自負であったのだから。
だが、どうしようもないことなのだ。
「もし、吾輩がそなたの愛を受け入れればここから出してくれるのか?」
「……うーん、無理。だってもう決めちゃったんだもん。それに魔王様はアタシのことを心からは愛してくれないでしょ? そんなのつまんないもの」
拗ねたように顔を背けると妖魔将軍は興味なさげに「早く、鎧を脱いでくださいな。時期に魔王様の首を引取りに人間たちが来ますから」といった。きっと吾輩は部下のことをなにも理解していなかったのだ。彼女たちはそれぞれに求めるものがあった。だが、吾輩は目標だけを見てそれ以外に気を向けなかった。それが四天王を離反させたのだ。
吾輩は諦めた。この首を人間どもに差し出して魔族たちが今よりもましな暮らしができるようになるのならそれで良い。そう思ったのだ。鎧兜を脱ぐと、身体が軽かった。鎧を失った吾輩を見て妖魔将軍は妖艶な笑顔を見せた。
「魔王様。意外と身長が低かったのですねぇ。まぁ、それはそれで可愛らしいと思いますわ」
「吾輩だって見栄はある。鎧兜で身長を底上げするくらい良かろう」
魔王だからといって堅固で精強な身体に恵まれるということはない。魔力の過多は身体とは別物だ。どうせなら吾輩だって竜人将軍や妖魔将軍のような高い身長に生まれたかった。だが、ないものを願っても仕方がない。
「もし、勇者が魔王様を見れば驚くでしょうね。鶏がらのように細い身体に不釣合いな膨大な魔力。歴代の魔王様とはずいぶんと違いますもの」
魔王には血脈は関係ない。前代の魔王は獅子獣人であったが、その前は竜であった。魔王とは突然変異のようなものだ。親に関わらず桁外れの魔力を持った者。それが魔王なのだ。
「どうかな。勇者もまた魔王と同じだ。人間でありながら人間の枠を超えて生まれたはみ出し者だ。吾輩のように驚くような姿をしておるかもしれん。それこそ、歴代の勇者たちは美男であった、と言われておるが今代の勇者は醜男かもしれんぞ」
「ずいぶんと絵にならぬことですわ」
「物語のようにはうまくいかぬものだ。後世、吾輩は言われるのであろうな。四天王に背かれた最低の魔王と」
吾輩が知る限り、歴代十三人の魔王は世界征服の一歩手間までは進んでいる。だが、今回はそこまでも行けそうにない。
「前の魔王様が、『近年の当たり魔王である十代目と肩を並べる強靭さ』と言われ。
その前が、『魔力の総量は少ないが、智謀と決断力に富んだ素晴らしい魔王』でしたわ。
最弱と謳われた三代目は、『出来は上々で申し分の無い魔王』と当たり障りもない評価でした。魔王様の場合は、さらにその下を狙うことができます」
全く嬉しくないことである。
「歴代魔王を新酒のように評価するのか」
「ええ、そうです。自分が仕えるお方がいかなる実力かというのは、魔族なら皆が気になるところです。魔王様を評価させていただくなら、『三代目に匹敵する実力。若々しい才幹がみられる魔王』というところでしょうか」
まったく褒められていない。
直訳すると『歴代最弱の青二才』ということだ。自分のことではあるがここまでけなされると怒る気力さえ湧いてこない。確かにここまでひどい魔王ならば、四天王に監禁されようというものだ。
「真面目にやってきたことが馬鹿らしくなるな」
「では、魔王様。アタシとイイ事をいたしましょう」
「いや、それはない。吾輩は職場恋愛しない主義だから」
吾輩がいうと妖魔将軍は「あーもう。堅物なんだからぁ」と金切り声をあげると二度と吾輩を見ることなく去っていった。吾輩は、もうどうにでもなれという気持ちになってきて、床に座り込んだ。ひんやりとした大理石の冷たさが伝わる。それは身を守る鎧がないことを示していた。
「鎧兜がないと本当に威厳がございませぬな」
顔をあげると黒い毛皮に覆われた獣人が立っていた。彼の口から伸びる鋭い牙は、肉を切り裂くためにある、というのが相応しい。
「獣人将軍か。吾輩には魔王たる資格が無い、と散々に言われたあとだ。文句があるなら手短に頼む」
吾輩が言うと獣人将軍は獣特有の瞳を向けた。
「俺はあんたが最初から気に食わなかった。魔力が俺たちよりも遥かに強い。それだけの理由で半魔を魔王に選ぶなんてふざけているだろ。魔王が人間と魔族の間に生まれた子供なんて俺には認められなかった」
鎧を脱いだ吾輩の身体は年相応の十六歳の子供と変わらない。ただ一つ変わるとすれば頭に生えた山羊のようなねじれた角くらいだ。多くの獣人を配下に収める彼からすれば、吾輩のような半端な存在に従うこと自体が屈辱であっただろう。
「吾輩も別に半魔として生まれたくて生まれたわけではない。ついでに言えば、魔力だって望んだものではない。だが、父や母を殺されたとき気づいたのだ。このままではいけない。魔族は人間を打倒しなければならないと」
十歳のときだった。吾輩の住んでいた村は人間に襲われた。魔族である父は応戦してあっさりと殺された。母は魔族に下った魔女として何度も何度も切りつけられてボロ切れのように殺された。そのときだった。吾輩の中で何かが変わった。身体から溢れるような魔力が生まれていた。吾輩はすぐに人間たちを殺した。
家族や村を失った吾輩は世界中で魔族がしいたげられているのを見た。そして、人間を殺して回るようになった。若い者、老いた者。男や女。区別などしなかった。ただ殺した。そうしているうちに魔導将軍と出会い。魔王を名乗るようになった。
吾輩の魔力は確かに魔王を名乗れるほど強力であったが、容姿だけはどうにもならなかった。だから、鎧を作った。顔を隠し、子供のような体つきを悟られないために。
「あんたの理想は認めてやる。だがな、あんたの親を殺したのが人間でなく魔族だったら、俺たちの敵になっていたはずだ。俺はあんたが信用できない。だから、裏切ることにした。魔王軍が優勢であるいまなら有利な条件で和平を結ぶことができる。魔王の首と引き換えに魔族の自治権と国土を獲るのだ」
確かにそうかもしれない。両親を殺したのが魔族であったなら吾輩は人間の側についただろう。吾輩はその場合、魔王ではなく勇者と呼ばれたかもしれない。いまもって勇者が現れないのはそのせいなのかも知れない。勇者となるべきものが魔王になった。それゆえに勇者が不在になっているのだとすればとんだ皮肉である。
「……もし、勇者が現れればすぐに終わるぞ」
「それでも自分の大将が寝返る悪夢よりは、勇者という化物に討たれる方がよほどいい」
「魔王も化物という点では変わらぬと思うがな」
「あんたが化物? 冗談だろう。このあいだあんたは俺と一つの国を滅ぼした。そのときのあんたは明らかに迷っていた。無慈悲に殺すのは兵士だけ、女子供を殺すときはひどく嫌そうだったよ。そのときさ、俺があんたに見切りをつけたのは。さっ、話は終わりだ。鎧を差し出して丸腰になってくれ」
獣人将軍はすました顔で言うと、吾輩の鎧を差し出すように促した。吾輩はもはや無用となった鎧を投げつけるように獣人将軍に渡した。彼は鎧の重さに驚いてみせた。
「吾輩は、いつ殺されるのだ?」
「もうじきに人間側の軍勢が来る。そこで魔王の首を差し出して終わりだ。」
獣人将軍が去ると祠には吾輩と忌々しい聖剣だけが残された。聖剣の力のせいでここを出てもしばらくはまともに魔力を使えそうにない。そう考えて吾輩は笑った。そもそも、ここから出るときには吾輩の首は胴体から離れているのだ。心配しても意味がない。
半端な出自と半端な理想。吾輩は結局、世の中を混乱させただけなのだろう。自己嫌悪に身を焦がしていると遠くから馬の嘶きや兵士の足音が聞こえてきた。どうやら人間たちがやってきたらしい。魔族と人間の和睦がどれほど続くかはわからない。それでも有利な条件で和平できるのなら吾輩にも価値があったと思いたかった。
そんな風に考えていると大きな歓声が聞こえた。おそらく和平の調印がなされたのだろう。しばらくすると金属が擦れる音を立てて人間の兵士が三十人ほどやってきた。彼らは吾輩に「出ろ」と短くいうと祠から連れ出した。外では多くの兵士たちが歓喜の声をあげている。
その視線のさきには吾輩の兜をまとった獣人将軍の首と魔導将軍の首が並べてあった。吾輩は彼らが人間に謀られたのだと理解した。人間たちは和平を餌に四天王を騙したのだ。吾輩は魔力を高めてこの場にいる人間を殺し尽くしてやろうとしたが、聖剣の力によって魔力を削られた吾輩には何もできなかった。
「この者だな。貴女の眷属だという半魔は」
一番偉そうな兵士が言うと、声をかけられた女は「ええ、そうよぉ。この子は私のお気に入りなの」と明るく答えた。それは妖魔将軍であった。彼女は片目をつぶってみせると吾輩の手を掴んだ。
「じゃ、アタシたちは国に帰らせてもらうわ。もし、あなたたちが攻めてくれば、ただじゃ置かないわよぉ」
妖魔将軍は、人間たちを威嚇するように微笑むと漆黒の羽を広げて空へ舞い上がった。手を掴まれている吾輩も引っ張られるように宙へ引き上げられる。見上げれば竜の姿に戻った竜人将軍がぐるぐると旋回している。
「これは一体どういうことだ! なぜ獣人と魔導が死んだ?」
吾輩が叫ぶと二人は少し寂しそうな声をだした。
「二人は魔王様のために死にました。獣人将軍は魔王様のかわりに魔王として。魔導将軍は魔王を焚きつけて戦火を開いた張本人として」
意味がわからなかった。彼らは吾輩に見切りをつけたのではなかったのか。そして、それは目の前の二人にしても同じであったはずだ。
「お前たちはなにを考えていたのだ。返答によっては吾輩はお前たちを許さぬぞ」
吾輩が声を荒らげて睨みつけると妖魔将軍がひどく嫌そうな声を出した。
「魔王様は魔導将軍がなぜ、家庭を捨ててまで仕事をしていたのか知っていますかぁ?」
「それは、魔王である吾輩の理想に心を打たれたから」
妖魔将軍は吾輩の回答が気に食わないらしく冷たい声を発した。
「違いますよぉ。魔導将軍は後悔していたのです。十六歳の子供を魔王にしたことを。だから、少しでも早く世界征服を果たそうとした。でも、それは魔王様の本心に沿わない、と彼は気づいたのです。だから、彼は私たちに言ったのです。せめて魔王様が大人になるまでのわずかな時間でいい。平和を与えたい」
「ふざけるな! 吾輩はこれまで多くの人間を殺してきた。魔王に見合う力もある。それだというのにまだ若いという理由だけで哀れに思われる覚えなどない!」
確かに吾輩は若い。だが、若さと力は別だ。
「確かに魔王様は多くの人間を殺してきましたねぇ。でも、兵士以外を殺すときに迷いが生まれる。そんな方が冷酷無慈悲な魔王と呼べますか?」
「……それはそうかも知れぬ。それでも戦いを選んだのは吾輩だ。責任がある」
「獣人将軍は、魔王様のそういうところが可愛げがない、と怒っていましたよぉ。あの人の場合は魔王様にもっといろいろと不満があったみたいですけど」
獣人将軍が吾輩の身代わりになったことが一番分からない。彼は吾輩のことを嫌っていたはずだ。魔族の中でも最大の勢力を誇る獣人族の長である彼は半魔である吾輩に仕えるのをよしと思っていなかったはずだ。それなのに彼が吾輩のフリをして死んだというのは納得できない。
「彼にはいろいろ言われた。半魔であるあなたはいつ裏切るかわからない、とか人間を殺すのに抵抗が有ることが気に食わないとか。すき放題言われた気がする。だけど獣人将軍はどうして吾輩の代わりに死んだのだ?」
吾輩が訊ねると竜人将軍が答えた。
「彼はね。魔王様のそういうところが気に食わなかったのです。いくら魔王でもいまどき『吾輩』なんて名乗るような者はいません。いるのは自分を偉く見せたいと背伸びをする子供か。魔王様のように女であることを隠したい者だけです。あの鎧にしたって華奢な少女の身体と悟られたくなかったからでしょう?」
そうだ。私は魔王になるとき思ったのだ。少女のような姿では魔族からも人間からもあなどられる。だから、姿を鎧でかため偉そうな呼称を用いたのだ。妖魔将軍は鎧を脱いだ私を『可愛らしい』などとからかってきた。だが、それは隠されるべきだ。私は皆が思う魔王像を示さなければならない。
「獣人将軍はそれが気に食わなかったのか?」
「ええ、獣人は子沢山です。彼だけでも五十人ほどの子供がいるそうです。当然、魔王様くらいの年頃の子供もいたのでしょう。彼は魔王様のあり方が痛々しくてたまらなかった。鎧で姿を偽り、性別さえも隠し、自分の葛藤さえも理想論で覆った魔王様は、彼には認められなかったのです」
巨大な竜は話のあいだ一度も私の方を見なかった。
自分の負い目を隠して、偽って、私は部下に裏切られた。いや、助けられた。
「あなたたちはなぜ、この計画に乗ったの? 私を本当に裏切っても良かったでしょう?」
私が素直に訊ねると妖魔将軍は「アタシは魔王様を愛しているからですわ。その幼い顔もまだ肉付きの薄い身体も私は好きなのですわぁ」と緩んだ口を見せた。私には女性とお付き合いする気はない。それでも彼女はいいのだろう。
「竜人将軍は?」
「そうですな。魔王様に興味ができたのです。言葉だけ美しい魔王様がこのあとどうなるか。本当に価値のある財宝のように輝くのか。それともくず鉄のように輝きもなくぼろぼろと崩れ落ちるのか」
彼は私が本当に価値のある財宝にならなければ私を見捨てるだろう。だが、そうでなければならない。
これまでの魔王は世界征服を目指し、勇者はそれを阻止してきた。なら、魔王が世界平和を目指すとき、勇者はどうするのか。私は興味がある。魔族の転換だ。歴代最低の魔王がやってやるのだ。自己矛盾なんて糞くらえだ。非難も批判も受けてやる。
私は魔王である。