それぞれの思惑
「お前が村代表として行ってくればいいんじゃねーのか?」
自警団詰所という名の、自警団の溜まり場「北の山の果樹園亭」。その最奥のテーブルの定位置に座ったジャルバ団長は、本日何杯目かのジョッキを一気に飲み干すと、事もなげに言った。その隣にいるモルティ副団長はいつもの仏頂面で何かを考えているように無反応である。
「え、そんな大役を僕がやっていいんですか?!」
予想外の言葉に慌てるホートライド。そもそもは同行の許可をもらうだけのつもりだったものが、なぜか村代表という重すぎる肩書を加えられてしまっているからだ。
ジャルバ団長は大きく酒臭いため息をつくと、ホートライドの目を見ながら言った。
「適当言ってる訳じゃねえ。それなりにこっちも考えがあっての判断だ。」
彼は昼間から酒を飲んでくだを巻いている男というだけではない。
「今の村の状況を考えると、オレと村長のどちらかが抜けると言うのは、あんま良い判断だとは言えねえ……。」
急な村長交代と同時に、村内の戦いの被害の復旧が行われている今、村長の判断が必要な場面は多い。村長の主な仕事は内政だからだ。まして、先日までそのような意識が皆無で過ごしていた村長の息子が、そのような任を負わされるのは少々荷が重い。
そして帝国との緊張がある現在、自警団団長が村を離れるのは緊急事態への対処が遅れる可能性があるからだ。
帝都に行くのが二~三日程度であれば、彼らが動くことも出来たであろう。しかし今回はこちらが先手を打つ形の電撃訪問である。そもそも陳述が素直に通るとは思えないし、通ったとしても何日かかるかは不透明なのだ。今、この瞬間にも軍が動く可能性のある状況としては、村の重鎮を不在には出来ない。
そしてジャルバ団長には一つの考えがあった。それはホートライドの育成だ。彼は内心、次期団長候補としてこの若者を考えているため、対外的な交渉の力を育てたいと思っていた。荒事と思われがちな自警団であるが、実際は村内の和平交渉や、村を訪れる者との折衝も仕事の内なのだ。その経験を積ませるためにも、今回の外訪を彼に任せてみたいと思っていた。
もちろん、弱冠の青年に村の未来を預ける交渉をさせるには多少の不安もあったが、彼もまた一人ではない。
その一つが、キルトランスであり、もう一つがレッタの存在であった。
交渉事には必ず後ろ盾が必要となる。それは資金力であり、もう一つは軍事力だ。
資金力に関してははっきり言って、力不足にも程がある。こんな辺鄙な村の資金など、対帝国にとっては全財産を拠出しても交渉の材料にすらならないであろう。そのため、その線は最初から捨てていた。
そうなれば、もう一つの軍事力に頼るしかない。その軍事力が即ち、キルトランスそのものの強大な力なのだ。
一騎当千を遥かに超えた魔力。あれは帝国軍と対等かどうかは分からないが、少なくとも帝国が捨て置けるものではない。
異世界からの来訪者の力を当てにして交渉に臨むというのは、お世辞にも褒められた行為ではないであろう。
少なくとも帝都に対しては背信、もしくはアルビの人間に対しての挑戦とも受け取られかねない。しかし、今のタタカナル村の状況からすれば、それに縋らなければ滅ぼされかねないのだ。まさに背に腹は代えられない状況と言えよう。
そして幸いにも、キルトランスは少なくともジャルバが見る限り、この村に対して友好的であった。それを利用すると言えば聞こえは悪いが、彼に助力を乞うのが最善策だと判断した。
そしてそのキルトランスに対して、一番の影響力を持っているのが、もう一つの存在。レッタとエアリアーナであった。
理由は分からないが、少なくともキルトランスと友好的な関係を持っているエアリアーナ。そして、なぜキルトランスが怒らないのか不思議なくらいの口さがない少女レッタ。
少なくともあのキルトランスに対して、臆面もなく命令を言える怖いもの知らずな人間は、今のところレッタにおいて他はない。
この二人を彼に随行させておけば、少なくとも最悪の交渉にはならないような気がした。
剣の練習目的でレッタが自警団に出入りするようになって、ジャルバ団長自身が思った事だが、彼女の知性は特筆すべきものであったからだ。
周囲への観察眼、状況判断の速さ、そして胆力。そのどれもが「女にしておくには惜しい」逸材であった。
その彼女とキルトランスを同行させれば、ホートライドにも十分な折衝が出来ると判断した。
ホートライドは一見優男ではあるが、咄嗟の判断力はレッタに劣らない。だがこの二人、その性質が真逆である。
レッタは瞬時の突破力、つまりは攻勢の判断をするのに対して、ホートライドは回避力。つまり守勢の判断が得意なのだ。状況を最小限の被害で抑える判断。今回はその能力が交渉において大切になるであろう。
攻守の平衡が良い二人の関係。一般的に言う「お似合い」な二人。ジャルバは一村民として、この二人の関係が上手くいってくれれば、タタカナル村の今後のためにもなるであろうと、近所のおっさんさながらの老婆心を持って考えていた。もっとも、その言葉を口にすることは無かったが。
「……要はレッタが心配なんだろ?お前が守ってやればいいじゃねえか。」
それだけに留めてジャルバは笑った。
先ほどの団長の腹の内を、全て彼に言ったわけではない。彼がこれから帝都に行って、自信を持って交渉に臨める自信につながる事だけを伝えた。
神妙な顔をして話を聞いていたが、最後の言葉を聞いて彼は赤面した。
正直なところ、彼のレッタに対する想いを知る村人は少なくはない。自警団内においても、半ば応援の声が、残りは同情の声が上がっているからだ。なにせ当のレッタがアリアにべったりで、彼の気持ちに気づくつもりがまるでないからだ。
「……わかりました。僕が責任を持って同行します。」
少し苦笑しながらもホートライドは深く首肯した。
そう言って席を立とうとしたホートライドに、おもむろに先ほどまで微動だにしなかったモルティ副団長が声を掛けた。
「ちょっと待ってください。先ほど、ヴィラーチェさんも一緒に行くと言ってましたね。」
何事かと団長とホートライドが顔を向けた。
「私からの提案ですが、今回彼女は同行から外す事を提案します。」
「ほう……なんでまた?」
興味深そうに尋ねる団長に、淡々と話し始めるモルティ副団長。ホートライドは改めて席に座りなおす。
「一つは村の戦力の為です。彼女はキルトランスさんには及ばないものの、その魔力はタタカナル防衛には十分なものがあります。」
二人は黙って肯く。キルトランスの魔獣討伐は今でも村の者が覚えているほどの武勇であったが、実は彼女も一度だけ魔獣が出現した時に、彼らの目の前で魔獣を討ち取っていた。キルトランスの鮮やかさには及ばないものの、一撃で魔獣を倒した魔力は自警団の者に驚かれたものだ。
彼女を村に温存しておけば、それだけでも心強い。
「そしてもう一つは、帝国に対する隠し玉としてです。」
その言葉に二人は興味を持った。
「先日の帝国騎士団の話ぶりを聞く限り、恐らく帝国側は彼女の存在をまだ把握していない可能性が高い。」
「そんな彼女をわざわざ帝国側に知らせる必要性があるとは思えません。帝国に対しての追加戦力として、出すべき時に出す方が効率的ではないでしょうか。」
そこまで言うとモルティ副団長は再び口をつぐんで団長の判断を待った。
「……なるほどな。確かにその通りだぜ。オレもその提案に賛成だ。」
ジャルバ団長は腕を組むと深く肯いた。
ホートライドは肯きながらも、先ほどの応接室での彼女の様子を思い出した。帝都見物を楽しみにしていた彼女に居残りを命じたら、彼女はどんな反応をするだろうか、と。
「分かりました……。オレガノ邸に戻ったら、彼女を説得してみます。」
そう言うと、ホートライドは苦笑しながら席を立った。
ヴィラーチェは良く言えば純真無垢、悪く言えば子供のような心の持ち主なのだ。みんなでお出かけをしようとしている時に、一人残されるとなれば……。そう思うと心が沈むのであった。
酒場の扉を開けようとした時に、ホートライドの背中にジャルバの言葉が飛ぶ。
「ああ、そうそう!レッタにちゃんと親に報告しろって言っとけよ!オレの方からもご両親には話しておくけどよ。」
ホートライドは軽く頭を下げて酒場を出た。その口元は苦笑している。
間違いなくレッタは完全に両親の事など忘れているに違いない。荷造りついでに家に戻ってもらって、しっかりと両親に事情を説明してもらわなければ、また両親が怒って怒鳴り込んでくるであろう。
その際には、僕も一緒に行くべきだろうなぁ、とホートライドは考えながらオレガノ邸に足を向けた。