旅立ちの準備
ジャルバ団長とモルティ副団長が帰った後、残された者たちは俄かに忙しくなった。
なにせ一晩で帝都に向かう準備をしなければならないのだ。
「とりあえず何日くらい行くつもりなの?」
腹が決まれば行動は速いレッタ。すでに彼女の中では数々の算段を立てているのが見て取れる。しかし予想外の彼女の言に慌てるホートライド。
「ちょっと待って!レッタ。君も行くつもりなのか?!」
「何言ってるの。当たり前でしょ。」
腰に手を当て宙を見ながら当然のように言い放つ彼女に一同が面食らう。
「キルトランスが行くって話だったはずなのに。」
ホートライドの言葉にキルトランスも喉を鳴らして同意する。彼もまた漠然とではあるが、一人で行くものだと思っていたからだ。
「いやいや、考えてみなよ。コイツが一人でのこのこ帝都に行ったら、魔物が攻めてきた!って大騒ぎになるに決まってるじゃない。」
「確かに……そうであろうな……。」
キルトランスも同意せざるをえない。
事実、キルトランスが初めてアルビに来た時、大きな街を見つけて近寄ろうとして大規模な魔術攻撃に遭ったのは、帝都イルラティオだったからだ。もちろん当時の彼はそこが帝都だという事実は知らない。
「穏便な交渉をするには、絶対に人間が着いて行かないといけないと思うわ。」
「それはそうかもしれないけど……それはレッタじゃなくてもいいんじゃないか?」
聡明な彼女の下す判断は、往々にして合理的ではある。そしてレッタはその先も既に見据えて考えていた。
「もちろんアタシだって行きたくないわよ。」
「だったらなんで……。」
問うホートライドを遮るようにレッタは言葉を続ける。その視線はアリアの口元を見つめている。
「ねえ、アリア。もしかして……いや、もしかしなくても、キルトランスと一緒に行こうって思ってるでしょ?」
内心を隠していたつもりのアリアは、親友の言葉に少し慌てた。
「……う、うん。そう思ってたんだけど……ダメですか?」
レッタは予想した通りの答えに少し苦々しく思いながらもあえて尋ねる。
「どうして行くの?」
「だって……キルトランス様が本当に悪い人じゃないって、一番証明できるのは私のはずですから。」
レッタは眩暈がした。アリアがこの様な言い方をする場合、それは確固たる意志があるから説得が難しいのだ。
レッタはしばしの間思案したが、伏し目がちにホートライドの方を向いて話しはじめた。
「……まあ、そういうワケよ。」
「どういう訳だよ。」
ホートライドに彼女の思惑など分かろうはずがない。だが彼女は常人であれば内に秘めておくであろう思惑を堂々と言ってのけた。
「コイツと二人っきりで行かせたくないもの!心配だわ!」
キルトランスは思った。こいつは面倒な女だと。
ホートライドは思った。今まで散々この家で一緒に暮らしているのに、と。
エアリアーナは思った。いつものレッタだと。
ヴィラーチェは思った。どこ行く話をしてるんだろう、と。
開いた口のふさがらない三人に対して、純朴なドラゴンは尋ねた。
「アリア。どこにいくのですかな?」
好奇心に溢れた瞳をアリアに向ける。
「みんなで帝都に行こうって話をしてたんですよ。」
ヴィラーチェを撫でながらアリアは微笑んだ。
「帝都ってなんだ?」
「この帝国を治める皇帝陛下がいる都の事です。」
「おお!スゲー奴がいる所ですか!面白そうです!」
彼女がどの辺まで理解したかは分かりかねるが、少なくともヴィラーチェは嬉しそうに足をばたつかせる。
そんな声色を聞きながら、アリアはレッタにぽつりと漏らした。
「あと……私、この村から出た事ないですから……外の世界を見てみたいんです。」
「あ……。」
その言葉にレッタとホートライドが虚を突かれた。
生来の盲目の少女の世界はこの家の中だけなのだ。レッタに引き連れられて村の中はある程度歩いてはいたが、それでも生活に関係する一部にしか行っていない。
彼女にとって世界とは「自分が歩んだ道の記憶」だけである。その道すがら見える風景は想像上の産物でしかなく、体験ではない。
そこまで広くも無いこの辺境の村ですら、彼女はその全体の一握りほどしか「知らない」のだ。
昨今、自警団の訓練場に向かうようになったが、それですら数年ぶりに開拓された新しい場所であり、訓練場でお茶の準備をしていた彼女の微笑みは、新しい世界に触れている喜びでもあった。
「そっか……そうだよね……。」
レッタは苦笑しながら視線を落とした。村で、いや世界で誰よりも彼女の事を考えていると思っていた自分が、彼女のそんなささやかな願望に気づいてあげられなかった事を恥じて。
「よし。一緒に帝都見物に行こうよ、アリア。」
「おお!帝都見物行きたいです!」
すかさず喜ぶヴィラーチェ。
内心、反対されるのではないかと思っていたアリアは、予想外の言葉に驚いて少し目を開いた。
「いいのですか?!」
「だって、私もアリアと旅行してみたいもの。」
笑顔で彼女の頬を撫でるレッタ。
二人の男は思った。
(……連れて行くのは私なのだろうな……。)
(いや、物見遊山に行くわけじゃないんだけど……。)
しかし、嬉しそうに盛り上がる少女たちを見て、口をつぐんだ彼らであった。
「それでも……さすがに君たち二人とキルトランスとヴィラーチェだけで帝都に向かうのは僕は賛成できない。」
ひとしきり騒いだ彼女たちが落ち着くのを見計らって、ホートライドは真剣な声で諌めた。
やはり物見遊山談義で盛り上がっている彼女たちは水を差されたようで不満な表情をした。
「そんなに心配だったらアンタも来ればいいじゃん。」
そう言い捨てるレッタ。まるで面倒な荷物が一つ増えたような口調で。
(……さらに増えるのか……。)
当初、一人で帝都に向かう事に漠然とした不安を抱えていたキルトランスであったが、今となっては現状の方がよほど厄介で不安に感じる。
キルトランスも心の片隅ではアリアの事を考えていた。もし彼女が同行したとしても、魔力で編んだマントがあるし、自分の近くにいる限りは、よほどの事が無い限りは護りきれる自信はある。
だが、これだけの大所帯になってしまうと、さすがのキルトランスであってもその自身は無くなる。
しかしこれは心境の変化と言うか、彼の心の成長でもある。
当初、単なる興味の対象でしかなかった人間という存在が、いつの間にか個々の存在を認識して、対等な立場。つまりは仲間意識的なものを持ち始めたのだ。
タタカナル村の近しい彼らを、自分の仲間のようなものを認識して、本人はまだ無自覚ではあるが、守るべき対象だと思っているが故の憂鬱だとも言えよう。
「それはそうだけど……。」
レッタに言われてホートライドは口籠った。
「ちょっと団長と相談させてくれないか。」
ホートライドは生来、生真面目な好青年である。自警団という職務を鑑みて、自分の意思だけで勝手な行動をするのは良くないと考えたのだ。
もちろん彼の意思はレッタが心配だという一点が大きな割合を占めてはいるが、やはりアリアやキルトランスも含めて、タタカナル村の者を守らなければという使命感もあった。だが、単純に守るだけ、もしくは村の正式な代表者たりえる者、という意味では別にジャルバ団長でも条件は満たしている。
そこに「自分でなければいけない理由」と「自分が行きたい理由」が拮抗して、彼は判断を仰ごうとしたのだ。彼もまた、咄嗟の状況判断が正しい男なのだ。
「すぐに戻るから、少し待っててくれ。」
そう言うと、ホートライドはソファから立ち上がる。しかし、当の少女たちはさほど興味なさそうに彼を送り出した。
今回書いて気が付いたのですが。4人とも名前の文字数が同じなんですよね……。
私は無意識に6文字が好きなのかな?(笑)