表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4



 そうして、逃げ出した少年は盗んだブリッツスカートを穿き、上半身は手術着というもという格好で逃亡を続けていた。

 連れ戻されたくない一心で、少年は裏路地から出て、別の裏路地を次の裏路地をと、サイレンと人の気配から逃げるように逃げるように走り続け……


「いたぞっ!

 こっちだっ!」


「馬鹿、撃つなっ!

 実弾なんか当たったら、この場の全員が死ぬぞっ!」


「麻酔銃なんて論外だっ!」


 そんな叫び声から必死に逃げ回り……気付けば追い立てられたかのように、少年は駅の構内へとその身を躍らせる。


「お、お客様っ!

 切符をっ!」


「うるせぇっ!

 緊急事態だっ!」


 逃亡中の彼は財布なんてもっていやしない。

 と言うか、そもそも切符を買う時間なんてある訳もなく……少年は全力でジャンプして改札口を飛び越え、ホームの職員に怒鳴られながら、それでも振り返ることなく走り続ける。

 スカートが捲れることも意に介さず、その下に何も穿いていないにもかかわらず、少年は必死に階段を上り降り……運良く発車寸前だったらしき電車を発見し、その身を躍らせることに成功する。

 ちょうど背中で閉まったドアの向こうには、駆け込み乗車はお断りという広告が貼られていたのだが……少年は敢えてその文字を見ないことにした。


「……はぁ、助かった、か」


 走り回った所為か、真冬にもかかわらず噴き出してきた汗を腕で拭うと、少年は静かにそう呟き、大きく息を吐き出す。

 その直後だった。

 前方180度ほどから逃れられないほどに向けられる、奇異の目。

 当然のことながら……手術着とスカートという格好をした彼は、ものすごく目立っていたのだ。


「くそっ、やっぱ目立つかっ!」


 少年は慌てて周囲を見渡し、隠れる場所を探そうとするものの……満員とはいかずとも、床面積の八割以上を人が埋め尽くしている電車の中である。

 隠れる場所などあろう筈もない。


「うわぁ、変態」


「なにあれ、気持ち悪い」


「罰ゲーム?」


「折角のクリスマスなのに、ねぇ?」


 そんな彼に奇異の目を向けていたのは、イエス=キリストの誕生日に、意味もなく浮かれきったアホなカップル共の群れだった。

 どうやらタイミング的に、聖なる夜に性なる行為をしようと集った連中とかち合ってしまったのだろう。

 しかも、この度し難いアホ共は、自分たちだけで浮かれていれば良いってのに、何故か切羽詰った少年の現状を嘲笑うような声を、それも聞こえよがしに放つから性質が悪い。


 ──くそがっ!

 ──リア充共、爆発でも、してろっ!


 少年Aは所謂リア充とは程遠い学生生活を送っていたものの、別にカップルを僻んだり嫉んだりするほど切羽詰まった人生は送っていなかった。

 だが、今は話は別だった。

 現在進行中で追い詰められている少年は、彼を嘲笑うカップルに殺意の視線を向ける。

 それどころか、カップル共を視界に入れないように頑張っているだろう、野郎同士の群れやお一人様……そういう連中でさえも、彼の怒りの対象となっていた。

 勿論、カップル連中への怒りの方が遥かに大きい。

 何しろ彼は、この数日間、カメラによって監視され続けていたのだから……まぁ、色々と溜まっているのだ。

 これからそういうのを楽しく発散するだろう連中を、彼が恨まない、訳がない。

 そんな訳で、少年が軽く舌打ちを一つした、その時だった。


 ──う、ぉ?


 突如として彼の腹部において、強烈な圧迫感が発生したのだ。

 原因はあからさまで……少年は薄っぺらな手術着と慣れないスカート姿、しかもノーパンのままで、この十二月の寒空を走り回ったのだ。

 腹が……下半身が、特に腸が冷え切ってしったのは、自明の理、だろう。

 

「……ぐ、しかしっ」


 だけど、ここは満員……一歩手前の電車の中だ。

 流石にゲル状よりも遥かに液化しているだろうソレを噴出するのは躊躇われる。

 そう思った彼が、奥歯を噛み締め括約筋に力を込めることで、腹部の圧迫感を筋力で押し潰そうと力を込めた、その時だった。


「お、腹押さえてる。

 うっける~」


「あんな格好してるからよ、変態」


「おい、漏らせよ。

 変態野郎に相応しいだろう」


「写メ撮ってやろうぜ。

 いや、動画でネットに流すか」


 お腹を押さえた状態の彼に向けられたのは、そんな心のない声だった。

 そんな嘲りの声を聞いた少年Aは、何というか……全てが馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。

 とは言え、別に人生全てを棄てる覚悟で毒怪鳥ゲリョスを噴射してやろうと思った訳じゃない。

 ただちょっとだけ、括約筋に込めていた力が抜けた……それだけだったのだ。

 ……だけど。


 ──プシュゥゥゥゥ。


 言うならば、瓶詰されたコカコーラの王冠を外した時の音、という感じだろうか。

 実弾兵器を放たないように力を込めていた所為か、それとも少年の腹部を襲った冷気の影響によって腸内の気体・個体・液体の三相が変に偏っていた所為か。

 少年が不意に力を抜いた瞬間、そんな気の抜けるような異音が、電車の中にさほど大きくなく……だけど周囲の人たちには確実に聞こえるようなデシベル数で響き渡ったのだった。


「こりゃまた、失礼、しま……え?」


 何となく「やっちゃったなぁ」という恥ずかしさから、少年の父がたまに使うギャグを口にしてしまったのだが……

 生憎と、彼のそのギャグは……ギャグとして成立することにはならなかった。

 何故ならば……電車の中にいたアベックは、いや、男だけの集団も、お一人様に至るまで何の例外もなく、全員がその場に倒れて白目を剥いていたのだから。


「お、おい。

 何の、冗談……」

 

 少年はそう口にしたものの、それが冗談でも何でもないことくらい、嫌と言うほどに理解出来た。

 出来て、しまった。

 何故ならば、一番近くにいた……スマホを取り出して少年を嘲っていたカップルは、「かはっ」という息を吐き出したかと思うと、彼らの胸はそれ以降、上下運動をサボタージュし始めてしまったのだから。

 少し離れたところの青年は、口から白い泡を吹き出し……それもすぐに呼吸と共に止まってしまう。

 その隣にいた女性は、びくんびくんと明らかに正気ではあり得ない速度で痙攣を起こしているのが見える。

 レースで過剰に装飾された、赤い勝負パンツが丸見えにもかかわらず……と言うか、痙攣の所為か小便で下着が濡れ始め……そのことが逆に、彼女のこの状態が冗談や演技なんかじゃない証明になっていた。


「……嘘、だろう」


 その眼前の死屍累々を目の当たりにして、少年Aは力なく座り込む。

 電車の床は冷たく、トランクスさえ穿いていない少年の尻と玉に痛みに近い冷たさを伝えていたが……今の彼は、そんな「些事」を意に介す余裕すらない。

 彼の脳裏に過っていたのは、彼が聞き流していた……彼を拘束していた連中が口にしていた言葉。

 詳しくは覚えていないものの……単語くらいなら頭の片隅に入っている。

 それは、「遺伝子操作」「腸内細菌」「耐性」「テトロドトキシンを遥かに超える毒性」「可燃性ガス」「テロのための生物兵器」「無毒化するため現在研究中」「短慮は慎むように」……並べ替えてみれば、そしてこの眼前の光景を見てしまえば、彼の身に一体何が起こっていたのかは一目瞭然で。

 彼自身は自分のことと考えなかったため、適当に聞き流していたのだが……その結果が、この眼前の死屍累々という光景だ。


「こんな、ことが……」


 そうしている間にも、隣の車両の中で、人々が口を押え、首を掻きむしりながら、バタバタと倒れていくのが目に入る。

 今が冬場であり……どの車両も窓を閉め切っていたのが仇となったのだろう。

 車両内に蔓延した毒ガスは、人々の命を次から次へと現在進行形で奪っている最中だった。


「俺は、なんて、ことを……」


 彼はそうなってようやく、自分の身に何が起こったのかを……知らない内に「改造された」という事実を、実感した、その直後。

 

「う、うぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 恐らくは、運転手が彼の放ったガスによって失神した所為だろう。

 少年の乗った電車が、その速度を全く緩めないままに、次の駅のホームへと突っ込んでしまったのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ